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4.2 引っかかる何か

 なぜ良季が清照との結婚を決意したのか。それもまた罪ゆえのことだった。


 良季は隼平のみならず侑生に対しても深い罪悪感を抱いている。侑生が芯国の王子に斬られたあの日、良季は別室でおとなしく待機していたゆえのことだ。そう、命じられたとおりにただそこに留まっていたのだ。それは枢密院事としてあるまじき愚かな選択で、それこそが良季の背負う二つの大罪のうちの一つだった。


 この罪をいくらかでも雪ぐために、侑生の精神的な負担を取り除いてやりたいと良季は常々思ってきた。侑生の姉である清照と細やかに会ってきた理由はここにある。


 だがこうも頻繁に会っていれば周囲も放っておいてはくれないわけで――「じゃあ夫婦になっちゃう?」と最初に提案してきたのは清照の方からだった。「あなたがいたら寂しくないし、私も実家から再婚を催促されなくて済むもの」と。


 清照の方も良季がなぜ自分に親身になってくれるのかは十分理解したうえでのことだった。


 ただし一つだけ条件を出された。


「私の行動も心も制限しないこと。私のことは自由にさせてほしいの。すべてにおいて」


 これに良季は迷うことなく『是』と答えた。


 自分のことも自由にさせてほしいと返したら「当然でしょ」と清照は真面目な顔で答えた。


「清照殿が好きな男ってさ……その、もう亡くなってるの?」


 追憶の中でたゆたっていた良季は、無遠慮な幼馴染の問いによって現実へと引き戻された。


「なんだって?」

「いや……。もしかしてだけど、清照殿が俺に似てるから放っておけないのかな……なんて思ってさ」


 口ごもりながらもわざわざ口に出したということは、どうしても知りたいのだろう。そう、隼平も馬鹿ではないから、良季が自分に対して示す親密さの中に何やら特別なものがあることは察していたのである。


「まだ存命だ」良季は若干口早にそれを否定した。「ただ、彼女は婚姻でもってその男と結ばれるつもりはないらしい」

「え。そうなの?」

「そういう愛の形もあるということだ。それにお前に似ているだなんていうたとえは女性に対して失礼だぞ」

「あ、ああごめん。……って、それは俺に対して失礼じゃないの?」


 言葉で責めながらも、その表情は分かりやすく安堵している。良季はそんな幼馴染を眺めながら酒を口に含んだ。風味豊かなそれを口内でじっくりと味わいつつ、ふと一人の男に想いを馳せた。清照が一途に想いをよせるあの男――袁仁威は今、どこにいるのだろう、と。


 妻となる女が誰に恋をしているか、良季は早い段階で本人から聞いて知っていた。


 そして仁威のことを考えれば、彼と共にいるであろう楊珪己のことも連動するように思い出すのが常だった。枢密使の娘であるあの少女は今いったいどこでどうやって暮らしているのだろう、と。


 なお、良季はいまだ勘違いしていた。珪己が仁威に一時期弄ばれていたと。


(あの男は基本真面目だから変なことになってはいないと思うが……はて)


 この非常時において恋に免疫のない珪己が仁威に惚れてしまう可能性はあるだろう。そう良季は思っている。だがその逆はないだろうとも思っている。自分だったらあんな少女然とした女に恋心は抱かない。食指も動かない。


 とはいえこのことを清照に言えずにいるのは確固たる自信はないからだ。もしも何らかの過ちで二人が結ばれたら――ああもう、そんなことは考えたくない。清照にとっても侑生にとっても、それは地獄のような展開だ。


 良季の心根はすっかり李家の一員となっている。


「どうかした?」

「ん? いや。なんでもない」

「ほらほら。もっと飲もうよ」


 その時だった――物静かな雰囲気を売りにする店内に騒がしい気配が生じたのは。


「あれ? 何かあったのかな」


 言いながら席を立ったのは隼平だ。好奇心旺盛で心優しい彼はこういう時行動が早い。自分に何かできることはないかとそそくさと様子を見に行った。


 その間一人になった良季は、いましばらく行方不明の二人の男女のことを考えた。


 侑生が想いを寄せる少女――楊珪己。


 そして彼女の上司であった袁仁威。


 元近衛軍将軍であったてい古亥こがいが『突然盗みに入ってきた芯国人』を『とっさに殺してしまった』事件に良季が奔走していた頃、隼平は珪己が身を隠していた寺――紫苑寺――に若い武官二人を連れて向かっている。だがそこで隼平らは芯国の王子に襲われてしまった。しかも当の王子は逃走し、いまだ行方は定かではない。


 だが一番の問題はそこではない。そこにいるべき楊珪己と、彼女を護衛していた袁仁威の姿が見当たらなかったことだ。あの日以来二人は幻のように消えてしまったのである。


 危機を察した仁威が珪己を伴って開陽から出立した――その推理は容易に導かれた。


 とはいえ、すぐさま捜索すべきと思えたところを「やめなさい」と制したのは、こともあろうに珪己の実の父である楊玄徳であった。


『今は二人は開陽にいない方がいい。娘も仁威も、ここにいたら私達では護りきれないだろうからね。それに仁威にならば娘を任せることができる。……彼には申し訳ないが』


 そう言った瞬間、玄徳が悔し気な表情を見せたことが今も強く印象に残っている――。


 そばにいた侑生が抑えきれない激情にかすかに身を震わせたことも――。


 玄徳が述べた敵が芯国の王子のことだけではないと知ったのは随分あとのことだった。楊珪己を皇帝の正妃に据えようという目論見があったことを知ったのは、侑生と珪己が婚約したことが官吏の間でそれとなく広まっていった頃合いだった。


(……しかしいつまでもこの状態を続けるわけにもいかないだろう)


 あれから一年以上が経過している。


 玄徳や侑生が淡々と仕事をこなしているそばで、逆に当人ではない良季の方が焦れていた。


(いつまでも行方のしれない芯国人を恐れていては何もできやしない。それは人生を捨てることと同じだ)


 悪夢を恐れて眠らないような、いつ足元が崩れるかと怯えて歩けなくなるような、そんな愚かな判断をし続けることに何の意味があるだろうか。


(それに陛下は金昭儀との間に御子を成した)

(であれば、あの黒太子もさすがに婚約者のいる珪己殿に執着しないだろう)


 そう、皇帝・趙英龍の側妃、金昭儀の懐妊の知らせは今や官吏の誰もが知っていることだった。まだ市井の民にまでは知らされていないが、出産の暁には銅鑼どらを鳴らし、花火を打ち上げ、旗を立て、大々的に祝いの儀が催されるだろう。……ただ、その陛下が実は金昭儀の幻術によって子を成してしまったことまでは良季もさすがに知らない。皇帝である趙英龍が側妃の妊娠をあまり喜んでいないようだという情報は得ているが、そこにまさか『黒太子が無理やり正妃にしようとしていた』だけの珪己が関係しているとは想像すらしていない。


(それに袁仁威の奴……あいつならばもう少しうまくやれるのではないか?)


 酔いが普段直視しないようにしている疑問を膨らませていく。なぜならそれは以前から心にひっかかっていたことだからだ。


 なぜ袁仁威は自分達に連絡をとらないのか――と。


 確かに地方にいれば開陽の情報は手に入りにくい。それゆえ行動を起こしにくいのは理解できる。念には念を入れれば文などという秘密を保持できる保証のない手段は使えないし、たとえ伝達者を使いたくとも秘密を打ち明けられるほどの人間がいなければ無理だろう。絶対に問題ないという確信を得なければ動かない――そう仁威が決めているのだとしたら、確かにこの現状はあり得る。


 だが――なんとなく引っかかるのだ。


 玄徳が御史台まで利用して探索しているというのに、一年以上たっても二人の行方が知れないということは、よほど彼は行動を制限しているのだろう。そこまでして楊珪己を守護すべしと仁威が定めたのであれば、その心根は立派だ。実際、開陽に二人が戻ってきてよい時期かどうか、良季ですらはかりかねている。だが――やはり何かが引っかかる。


(なぜそこまで――?)


 珪己が上司である玄徳の娘だからか。それとも直属の部下だったからか。または九年前の楊家における事変に負い目を感じているからか。あるいは侑生が愛する少女ゆえに慎重にならざるを得ないのか。


 まさか――男と女の関係になっていたりはしないだろうか?


「……隼平の奴、遅いな」


 妄想めいた思考を中断して良季が席を立ったのと扉が開かれたのはほぼ同時だった。


「良季! 今すぐここを出るぞ!」


 普段から物腰の柔らかい隼平が目をつり上げて飛び込んできたのだ。


「どうした? 何があった?」

「火事だっ!」


 隼平が唾をまき散らしながら叫んだ。


「楊枢密使の家が燃えているらしい……!」


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