2.2 どう思う?
「あなたはどう思う?」
様々な事柄を共有した五人は、今も晃飛の家で共に住んでいる。そして、時間だけはあるから、五人はそれぞれでもってそれぞれの同居人と交流を深め、お互いの状況について理解を深めていた。この日の空斗と仁威の会話も、振り返ってみればそういったきっかけの一つであったといえよう。
問われた仁威は少し考えたものの、結局は当初からのひらめきに基づいた結論を述べた。
「戦闘狂、なのだろうな」
「戦闘狂?」
「血生臭いことが好きな人間のことだ。武芸の腕を高めた者のほとんどは、一瞬でも永遠にでも闘うことそのものを求めてしまうことがあるからな」
「そう……なのか?」
我が身を振り返ればそんなことは一度足りとてなく、敢えて挙げるとすれば少年時代の同年代との稽古でがむしゃらに勝利を求めてしまったことくらいか、と空斗が思いを巡らせていると、
「その域に達していなければ血の匂いに惹きつけられることもない」
空斗の思いを見透かしたかのように仁威が付け加えた。
「ではあなたには経験があるのか?」
「俺はないな」
なぜ、と瞳だけで問いかけられ、仁威が困ったように言った。
「俺はそうなる前に血を憎んだ。……憎まなければならないことがあったんだ」
仁威が腕の立つ武芸者であることは鯰池楼での一件によって十分すぎるほどに分かっている。ただ、近衛軍第一隊の隊長であったことまでは空斗は今も知らなかった。本名もいまだ知らない。仁威という名であることは、珪己がそう呼ぶから知っているが……姓は今だ知らない。
珪己もそうだが、仁威もまた空斗にとっては秘密を抱えた人間であることに変わりはない。しかし、話したがらない人間の口を無理やり割らせるような趣味も義務も権利も一切ないから、今は触れないでいる。それだけだ。もちろんそこには仁威が弟の命の恩人であることも関係しているのだが。
「では応双然は今どうしていると思う?」
「おそらく開陽にいるだろう」
「開陽?」
「殺人の罪を裁かれるために、もしくは次の任務のために」
「次の任務? 御史台を辞したのではないのか」
「それはないだろう」
「どうして」
「御史台は命尽きるまで辞めることをゆるされない組織だからだ」
明瞭に語られた答えに、空斗の体が強張った。
「……なんだって?」
「御史台とは皇帝の勅命によって動く組織、そういう建前になっているが実情は違う。そういった任務もあるにはあるが、たとえば隠密のようなことをさせられる場合もあるらしい」
なぜそんなことまで知っているのか、と空斗が怪しむ目つきになったところで、「とにかく」と仁威が言った。
「御史台の官吏は多くの秘密に触れ過ぎている。だから簡単には辞めさせない。常に動向を把握され、管理され、必要とあらば同僚を抹殺することもいとわないそうだ」
分かりやすいところに彫られた入れ墨にはそういう意味もあるのだ。だがそこまで仁威は言及しなかった。これ以上の知識は一般人には毒となるだけだ。
「まあでも、応さんていう人、無事みたいでよかったよ」
ずっと二人の話を黙って聞いていた空也がひときわ明るい声を放った。
「いろいろしてもらった人に何かあったら嫌だもんな」
こうして話を聞いていたことからも分かるとおり、空也はすでに兄の事情、これまで秘密にしてきたことを知っている。自分達兄弟が武官を辞めるきっかけを作った芯国の王子――その男を見かけたら知らせるよう空斗が枢密院に命じられていることや、御史台経由で定期的に状況を報告していること、そしてこの任務の裏の目的が『自分達兄弟があの芯国人に危害を加えないかどうか』監視するためのものであることも。
「でも兄貴が廂軍に入れられたのはどうしてなんだろうな」
ちなみに空也は兄のこの秘密を知っても「そっか」と軽い態度で応じただけだった。兄のしてきたことを否定する理由はなかったし、秘密にされていたことを不快とも思わなかった。逆に兄一人に重荷を背負わせて申し訳なく感じていて……でもそれを表に出せば兄が難しい顔になるだろうから、それで飲み込んでみせたというのが真相である。
「廂軍に入ったらあの芯国人を捜すなんて無理だろう?」
せめて少しでも役に立ちたくて、この頃ではこういった話題に積極的に混ざるようにしている。
空斗の目が右上辺りをさ迷い、やがて視線を落とした。
「それは俺にもよく分からない」
「……そっか」
「だが廂軍に入れて正直助かっている」
それは昨夏、仁威が十番隊に潜り込んでいた理由と同じだ。芯国人のこの街近辺での往来の有無や目撃情報、それに開陽の最新の情勢について知ろうとしたら、廂軍に在籍するのが一番都合がいいのだ。妓楼である環屋よりも純度の高い情報を期待することもできる。こうなったら芯国の王子を早く見つけ出したい。そう空斗は思っている。そしたらお役御免になって、晴れて自由の身となれるからだ。
ただ、そんな氾兄弟にもいまだ知らないことがあった。
他国の王子があの寺にいた理由――それは珪己を手に入れるためであったことを。
そして当然、珪己と皇帝との一夜の関係についても二人は知らずにいた。それ以前に、二人は仁威と珪己の素性すら今だ正確に把握していない。
それゆえに、今は仁威に求められるがままに軍の機密事項を漏らしている空斗であったが、そのことでやや良心の痛みを覚えていた。本当にこの人に教えてもいいのだろうか、と。自分は間違ったことをしてはいないだろうか、と。基本真面目なのだ。
そんな空斗の心境は言葉なくとも空也や仁威に伝わっていて、
「……すまない。時が来たら必ず本当のことを言う」
謝る仁威に、空斗は小さく笑ってみせたのだった。
「『でも今それを知ったらお前達の身に危険が及ぶかもしれないから』、だろ?」
「あ、ああ」
「それはもう聞き飽きた。分かっているさ、そのことは。俺も恩人のあなたの役に立ちたいし、あの母子を見捨てるなんてことはもうできない。だから今は何も訊かない。そう決めたんだ」
とはいえ、この一言だけは付け加えたい。
「だが『その時』がきたら必ず教えてくれよ」
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