『雀蜂』 貴志祐介
「新世界より」を書いた貴志祐介さんの作品。
ある朝、別荘に遊びに来ていた作家の安斎智也はすぐ隣に寝ていたはずの妻・夢子がいないことに気が付く。そしてその部屋には何故か蜂が飛んでいて……、と言った導入から物語が始まる。
この物語は安斎がその頭脳を駆使しその場にあるもので蜂と戦うアクション的な要素とこのような状況になぜ陥ったのかを推測するミステリー的な要素の二つで構成されている。
安斎は過去に蜂に刺されおり、もう一度刺されればアナフィラキシーショックにより死ぬという状況がこの物語に緊迫感を与えている。安斎が必死に死に抗い生にしがみつこうとし、蜂と対峙するその姿は、切迫感のある描写と相まって圧巻の一言である。
また死に瀕する不可解な状況を一つ一つ読み解いていくのは、作家ならではのように感じさせた。消えた妻、別荘に溢れる蜂、繋がらない電話、安斎はこれが妻が仕組んだ殺人事件であると推測する。そして次々現れる状況証拠は明らかにその説が真実であることを示していくが、最後の最後で現れた結末は主人公が実は安斎智也ではなく、本物の安斎智也が妻を殺すために仕組んだものといったものであった。
正直、あまり納得のいく結末ではなかった。確かに、プロローグはダブルの話から始まり、ところどころに違和感を感じさせる描写があるにはあった。が、それでも主人公が自分を安斎智也だと思い込んだ狂人であるという結末は突飛すぎて納得できるものではなかった。
ただ、その構成は非常にうまいものであると思う。一人称の小説であるので、読者は主人公・安斎智也(偽)の視点で話を追っていくことになる。この安斎智也が偽物であることが発覚するのは物語の終わりなので、それまで読者はこの安斎智也が犯人であるとは思いつくもしないのだ。結果容疑者として残るのは妻の夢子だけとなり、その周辺に焦点が当たっていくことになる。実際に私も実は夢子が殺そうとしているわけではなく、偶然このような結果となったというオチを予想しており、この安斎智也が偽者であるとは思いもしなかった。この焦点の外し方、答えを意識の外に持っていく手法がこの小説のミステリーの構成として巧みなところであった。
しかし逆に、意識の外過ぎたのが先程も述べた突飛さを強く感じさせる要因にもなっている。物語は繋がりを持って構成されるべきで、その脈絡から離れた要素を提示されても読者はそれについていけなくなってしまう。作者は一つ一つ伏線を、例えるなら砂漠に浮かぶ足跡のように提示して読者を結末へと導いてしかるべきなのである。
良くも悪くも、ラストで評価が分かれる作品であると思う。終わりよければすべて良し、結末に納得できれば良作であるし、私のように納得できなければ、少ししこりの残る作品になるだろう。