ここから始まる物語
朝。
今日という1日が始まる時間。
窓から差す日差しに眠気眼を擦りながら、ローゼ・フォードはボーッと見慣れた白い天井を見つめていた。
いつもと変わらない日差し。いつもと変わらない天井。
だが、その日常は今日をもって終わりを告げる。
今日はローゼにとって特別な日。
住み慣れた我が家を放れ、全寮制のハンター育成学校に入学する日。
掌を見つめる。
今日という1日が始まる。
母の背中に憧れ夢にまで見たハンターへの第一歩が始まる。
ローゼは期待に胸を膨らませ、掌をぎゅっと握り締め、にやりと笑った。
「……ローゼ。そろそろ支度しないとおくれる」
予告もなしに部屋に入ってきた準備万端の妹の声に促され、ローゼは勢いよく飛び起き、ベッドの上で精一杯伸びをする。
「ぃよっしゃあぁぁぁぁ! 行くわよアルル! さっさと準備なさい!」
叫ぶローゼをアルルは無表情で、冷ややかな眼差しで見つめる。
「……ねぐせ。ねまき。その格好でいくの?」
ぼさぼさの頭に、ボタンの掛け違えたパジャマ。
どこからどう見てもこれから家を出る者の格好ではない。
はぁ、と溜息をつきながらスタスタと部屋の外に帰っていくアルルだが、思い出したように顔だけをドアの隙間から覗かせる。
「……ローゼの荷物も、じゅんびしといたから」
無愛想にそう告げるアルルにローゼは「あぁ、ちょっとだけ待ってて!」とベッドから勢いよく飛び降りた
。
制服に着替え、身嗜みを整え、屋敷の扉を開けると、すでにそこには大きな荷物を二つ抱えたアルルが佇んでいた。
ローゼが出て来たのに気がつくと、アルルは荷物を一つ突き出し、ローゼはそれを受け取って屋敷を見上げる。
「この屋敷も当分見納めね」
ローゼの言葉にアルルは無表情で「……ん」と頷き、ローゼの顔を見て、ローゼの見ている景色を確認するように屋敷を見上げた。
この屋敷はカミウサ王国の王都マイハマの近郊に位置するシセンの街で一番立派な屋敷だ。
というのも、ローゼ達の両親はちょっとした有名人で、母であるマリアン・フォードはその筋では名の知れたトレジャーハンター。父であるインディ・フォードは世界的な発見をいくつもしている自称冒険家なのだ。
そんな両親の間に生まれたローゼは謂わば、ハンターのサラブレッドと言っても過言ではない。
毎晩子守唄の代わりに父と母の武勇伝を聞かされ、ローゼがハンターに憧れるようになったのは必然と言える。
ちなみにアルルは実のところ、血の繋がった妹ではない。
両親がとある古代遺跡を探索していた時に遺跡の中で倒れているのを保護され、フォード家に養子として招き入れられたのだ。
アルルにはそれ以前の記憶がなく、それどころか最初は一般常識すらも欠如していて、世界中を飛び回っている両親の代わりに歳が近いであろうローゼが中心になってアルルの世話をしてきた。
服を渡せばめちゃくちゃな着方をするし、食事の時には食器まで食べようとするし、風呂に入れれば風呂の湯を飲もうとするし、寝る時は床でうずくまって寝ようとするし、そんなアルルを一般生活が出来るレベルまで教育するのはそりゃもうめちゃくちゃ大変だった。
その甲斐あってか、アルルはとても無愛想ではあるが、これでもいちおうはローゼに懐いているらしい。
思い返せばこの屋敷には沢山の思い出がある。
アルルと一緒にハンターごっこをして、泥だらけになってメイド長にめっちゃ怒られたり、アルルと一緒になってメイドに悪戯をしてめっちゃ怒られたり、アルルと一緒に吸血鬼を倒しに行くわよ!っと夜に屋敷を抜け出そうとしてめっちゃ怒られたり……。
あれ? 怒られてばっかじゃんあたし達!!
でも、ずっとアルルと一緒だっんだなー。なんて感傷に浸っていると、
「……ローゼ、じかん」
今ではあたし以上に出来る子になった妹に急かされてしまった。
「ん、じゃ、行こうか」
微笑みかけるとアルルは再び無表情で「……ん」と頷き、スタスタと屋敷を背に歩きはじめた。
「じゃ、屋敷の管理はお願い」
屋敷の外に見送りに来ていたメイド長にそう告げ、
「はい。いってらっしゃいませお嬢様。くれぐれも他の生徒達に迷惑をかけないように」
と、何処か殺意のこもった笑顔のメイド長と屋敷に背を向け、あたしは小走りでアルルの背中を追いかけた。
「さーて、やるからには天下とるわよ! アルル!」
ローゼの言葉にアルルは、ちらりと視線を向け、
「……ん、わたしはローゼについていく」
無表情で、ぎゅっと握り拳をつくり答えた。
王都マイハマにあるハンター育成学校までは馬車で1時間程度の距離だ。
フォード邸は小高い丘の上にある為、最初は山道を下り、やがて海辺の街道に出る。
その街道をひたすら真っ直ぐに進み、1本目の川を渡れば王都マイハマに入る。
その街道をさらにまっすぐ進むと、やがて城が見えてきて、城のそばを流れる2本目の川を少し上流に昇ったところにハンター育成学校はある。
途中、馬車の中では特にやることもなく、あたしは移りゆく風景を眺めて、アルルはボーッと馬車の内壁を見つめていた。
これからあたし達が入学するハンター育成学校は学校というには少し違う、学校らしくない学校だ。
というのも、ここで学べるのは勉学ではない。
ハンター協会が管理しているその学校の授業はほぼ全てが実習であり、基本的にはハンター協会が受けたクエストや学校から出されるクエストを生徒、もしくは生徒が所属してるギルドが受領し、こなしていくというプロのハンターとほぼ同じシステムを導入している。
受けられるクエストは生徒個人やギルドのランクによって異なり、難易度の高いクエストはランクが高い生徒やギルドしか受けられないというところもプロのハンターと遜色ない。
プロのハンターと違うのは、例外を除いて最上級クエストがないということ。
そして、ある程度以上のランクのクエストを受ける場合は絶対にプロのハンターが同行するということだ。
学生がクエストを受注するということでに通常よりも安く依頼をすることが出来る為、一般階級の者たちによる依頼は意外と多い。
もちろん学校である為、望めばプロのハンターからの指導も受けられるが、基本的にこの学校に入学するような生徒はすでに自分の戦い方を確立しており、プロのハンターに直接指導を受けたがる者は少ない。
ちなみに、ローゼは全属性の魔法にある程度の適正がある為、魔法と剣を扱う魔法剣士のような戦いを好んでいる。
全属性に適正があるというと、めちゃくちゃ凄い! みたいな感じがするが、実際はそんなことはなく、適正はあっても魔力は平凡で扱える魔法のレベル自体は高くない為、やればなんでも出来るけれど上手い人には敵わない器用貧乏な立ち位置だ。
だから、ローゼには手数と手札で勝負をする魔法剣士が向いていたのである。
そしてアルルはというと、この子はちょっとばかり特殊で全ての魔法に適正がない。
そのくせ魔力だけは馬鹿みたいに高く、一般的な成人の約5倍はあるという残念仕様。
だが、倒れていたアルルが所持しており、今日まで愛用してきた古代文明の遺産、収束したマナを矢に変えて撃ち出す魔装具、魔弓アルネスがとんでもない性能を誇っている。
魔弓アルネスの魔力変換効率の高さは他の追随を許さないレベルで、通常ならこの手の魔法器は使用の際にだいたい4割程度の魔力のロスがあるのだが、魔弓アルネスはそのロスがほとんどない。
そこにアルルの膨大な魔力が相まって魔力の矢がとんでもない威力になる。しかも使用者の意思ひとつで矢の軌道が自由自在に変えられるというおまけつき。全くもって侮れない。
しかし、アルルに出来るのはそれ一点のみで、あたしが使える魔法は飛び抜けたものがない。
ハンター育成学校でそれが何処まで通用するかを考えると、おそらくは中級程度のクエストが関の山だろう。
さて、どうするか……。とローゼが頭を捻らせていると、2人の乗った馬車はこれといった問題も起こる事はなくハンター育成学校に到着した。
馬車を降りた2人は、多くの入学者で賑わう雑踏の中、その広大な土地を有する学園を見上げた。
西洋の建物が並ぶ一つの街のようなこの学校が、今日からローゼ達の生活の場になる。そして、この場所から、ローゼのハンターとしての人生が始まる。
ローゼ達の実力はここでは大した事のない、すぐに埋もれてしまう程度のものだろう。
でも……、あたしには夢がある。世界最強クラスのトレジャーハントギルド『グレンノツバサ』のギルドマスターである母のようなハンターになるという夢が!
それを目指す以上こんなところで遅れをとるわけにはいかない。だから、あたしがこの学校で目標にするのは……、
「やるわよ!アルル!あたしが、この学校最強のギルドを作り上げる!」
そして、その一歩をしっかりと踏み締め、マイハマハンター育成学校の校門の内側へ、ローゼは足を踏み入れた。