第九十八話
反省点もある。
まず、夏物はおろか春物の服も用意していなかったことだ。
下はいくらでもミニスカがあったが、あれは女の意地を通すため、無駄な抵抗ではあるがそれなりに生地が厚かった。
問題は上だ。私は夏場……防汚キャミとパーカーに外套だったわけで、まともな服がなかった。
最悪魔導服を着用すれば耐熱の効果で凌げるが、これは早々に揃えなくてはいけない。この感じだとセント・ルナ……ルナの暑さはこれからだ。冷暖房完備ということで完全に頭から抜け落ちていた。不覚。
次に、ソファーを用意しておかなかったこと。
クッションの一つも持ち合わせていなかったために、話をするのはベッドか地べたか、固い椅子の上だった。これは猛烈に後悔した。この世界の本は中古が多く、なんというか……それなりに汚い。寝所で読むのは避けたかったし、固い椅子の上となるとまぁ、集中力が保つものではない。おまけにここは船の上だ。
これは持ち運び用と家屋用をそれぞれ揃えると決めている。
最後に──浄化で下の処理をしていることがリューンにバレた。
元々怪しいとは思っていたそうだ。私が部屋を出る頻度など──他にも理由があったがそれは割愛する──とにかく独自に調査をされていて、ある日問い詰められた。
「何でこんなに便利なことできるの黙ってたの!?」
「……リューンは知ってて頼んでこないと思ってたんだよ。巷の法術師がどんなもんか、私知らないから」
大嘘をついた。そもそも他人に施したのは初めてだ。パイトでも結局試さずじまいだったわけで。
垢擦りと脱毛についても聞き出され、後日念入りに奉仕するということで何とか矛を収めてもらう。長期間一緒にいるとこういうところからボロが出るんだな……覚えておかないと。
荷物を整理しながら次元箱内の整頓も行う。空調の魔導具達は買っておいてよかった。これはどちらも大いに役に立った。ギースから貰う家がどんなもんかは分からないが……緑石さえ安定供給できるなら、家屋用に数台仕入れてもいいかもしれない。ルナになければ最悪パイトから輸入してもいい。管理所に手紙を出せば所長が対応してくれないかな?
結界石も影の立役者だ。これなしに旅はありえない。リューンに追々予備を作ってもらおう。家屋にも……あってもいいな。だけど外の音が常に聞こえないというのは危険だ。
後は棚じゃなくてハンガーラック的なものが要る。これも早急に仕入れないと冬服が片付かない。
「とりあえず家の現状を確認してからだけど、まずは掃除か。家に修繕が必要なようなら業者を呼ばないといけないし……家具はそのあと、しばらくは近くに宿取ろうか」
「最初に役所へ行った方がいいかも、譲渡証明出さなきゃ。あそこまだ法的にはドワーフの物だと思うよ」
「あーそうか、まずはそれだね。場所分かる?」
「分からない。でも、そういうの処理するところは点在してるはず。区画毎にもあると思うけど、まず中央に行った方がいいかも、そこ探そうよ」
整頓が終われば行動計画を立てる。到着は夜になると思うので、港の近くで一泊してから行動を始めることになるだろう。
「住所だけじゃさっぱりだね。ルパで地図貰っておけばよかったよ、あるよね?」
「あったと思う。私も失念してたよ、っていうか鑑定のことで頭が一杯でそれどころじゃなかった」
「確かに」
「おー、陸地だ陸地。二百日ぶりか。なんか感激だね!」
「やっぱり海の上より陸の上がいいよね、安心するよ」
魔導船からゾロゾロと人が吐き出されている。皆この航海を耐え抜いて表情はあかる……くない人も結構いるな。
「──ねぇ、大部屋ってそんなに辛いの?」
「地獄だよ」
苦虫を噛み潰したような顔で吐き捨てるエルフ。そうか……絶対に利用しないよう、蓄財に努めよう。
「……行こうか」
「うん、埋まる前に宿取らないと。急ご」
港の様子はよく分からなかった。今度じっくり観察しよう。
何とか空いていた部屋に滑り込み、受付に勧められるまま地図を買う。確かにここは冒険者などに需要がある、少し高かったが、この際気にしない。いい商売をしている。
セント・ルナは水の都のようだ。円形の島の一部を円でくり抜いたような形をしていて、ところどころ大きめの水路が通っている。見ようによっては……三日月に見えなくもないし、ルナと……呼べなくもない。これはただの偶然だろう。そのくり抜かれた場所一帯が港であるというのだから凄まじい広さだ。地図から測るのは難しいが、島の大きさも並大抵ではない。私達でも端から端は到底見通せないだろうと。港が集中しているのは、島の裏側は断崖絶壁で海流も荒れ狂っているからだとか。
中央というのはそのまま島の中心を意味していた。都市の機能はこの辺一帯に集中しているよう。店舗も大型のものはほぼこの辺か海岸沿いだろうな。
「地図からじゃやっぱり分かんないね。結構歩くけど、仕方ないか」
「まぁ、明日からゆっくりやろうよ。まだ着いたばっかりだよ」
リューンはさっさと寝間着に着替えてベッドに入ってしまった。私も寝よう、明日からまた忙しくなる。
翌朝かなり早めにエルフを起こして中央の役所へ向かう。世界最大級の迷宮都市と言うだけはあって、こんな時間からでも冒険者らしき人影がそれなりにうろついている。
「王都でもこんな時間から人が出歩いていたりしないよね……流石ルナ。すごいね、酒場も多いし、食堂も宿もとにかく多い。あの辺はアパートかな。海岸近くは人気なんだろうね」
「そだね……」
「これだけひっきりなしに船が出入りするのも……どうやって管理してるんだろうね、倉庫もきっと大きいんだろうな……あ、見て見て、小舟が荷物積んで走ってる。馬車見ないよね、通行区分も分かれてないし……いないのかな」
「そだね……」
「家ってどの辺りだろうね……迷宮に入ってたんだろうし、ギースが不便なところに住み着いていたとも思えないけど……でもこの辺の家屋ってお店か宿ばかりだよね。どうなんだろう、楽しみだなぁ」
「そだね……」
「ねぇ、そろそろ起きない? さっきからジロジロ見られてて嫌なんだけど」
「そだね……」
ダメだこりゃ。背中におぶさったエルフは目覚める気配がない。最近は目覚めも良かったのだが……まぁ、あの宿がなぁ。
「……ここどこ?」
「まだ中央区は遠いんだよ。走っていい? 肩に顎乗せてると痛いよ?」
「やだぁ……やさしくして……」
「もうっ……」
「サクラは朝が早すぎるんだよ」
役所で手続きをしている間中背中で眠り続けていた駄エルフは、昼食を取る頃になってようやく目覚めた。
こんなんでも私にとっては大事なパートナーなので、遺憾ながらその辺に捨てていくわけにもいかない。
「私はあんな宿に長居しようとするリューンが信じられないよ。ネズミいたんだよ? もう、思い出しただけで鳥肌立ってきた……」
港近くの宿は衛生的に酷かった。臭いもあった。小さな虫の一匹二匹で騒ぐほど少女でもないが、寝所にネズミは許容できない。今朝の様子からして、リューンも熟睡とはいかなかったのだろう。私は途中で次元箱に逃げ込んだから、あまり見ていない。
「サクラにも苦手なものがあったんだねぇ。まぁ、あの辺猫も多いし……今頃食べられてるかもよ。そんな大きくもなかったでしょ?」
「……家にネズミが湧いたら猫の巣にしようね」
「うるさいから嫌だよ……っていうかそれくらい私がなんとかするよ」
「なんとかできるの?」
「できるよ。橙石まだ残ってるでしょ? 結界石敷いとけばネズミも虫も入ってこないよ」
流石、できる美人ハイエルフは違うね。私の好感度がうなぎのぼりだよ!
「結婚しようか」
「いいよ。幸せにしてね」
円形の島の上が北だ。そしてそれを一回り小さい円形にくり抜いたような、三日月型と言えなくもない形をした島がセント・ルナ。
くり抜かれた弧状の一面が港。中央区は島のほぼ中心部、海岸からは若干離れた位置にある。
ギースから貰った屋敷は、なんとその中央区に位置していた。
海岸から飲食店や宿のある一帯を抜け、役所が立ち並ぶ区画を通り過ぎた先。公園を兼ねた遊歩道のような道をしばらく進み、それを横道に逸れた先に佇むレンガ造りの古い家。
「──本当にここで合ってるの?」
心底疑わしそうに尋ねてくる。リューンの懸念もよく分かるのだが……。
「それが合ってるんだよね……。近くに他の家ないよね? 役所で貰った地図は間違いなくここだよ。……嘘でしょギースさん」
周囲は家と同じ茶色いレンガ造りの壁と門で囲まれている。庭は草が伸び放題になっていて緑一色だが、地図によるとこの庭まで含めて、もう私の物ということ……らしい。どれくらいの広さかなんて分からない。とにかく広い。少なくとも敷地面積五百坪は越えている。
建物も屋根だけ黒いが、茶色いレンガ造りの平屋。正確に言えばかなり大きな平屋。
ギースから貰った鍵の一つで門を開けて中に入る。これで確定してしまった。
「冗談でしょ……何考えてるのあの人……」
「──早く中を見てみようよ、これはちょっと興奮してきたよ!」
「建材もドワーフがよく使う魔石を混ぜ込んだレンガだね。何て言ったかな……忘れちゃった。とにかく耐久性が凄いの」
家の内部は埃も凄かったが、それ以上に驚いたのがその状態だ。まだ玄関口から見渡せる範囲のみだが、全く傷んでいない。
「穴やヒビ割れの一つや二つ覚悟していたけど……凄いねこれ、埃落としたら新築同然じゃないの?」
「ドアもこれ、何でできてるんだろ……門もそうだったけど、百年以上放置して錆びてないって……これだからドワーフって奴は……」
布で口と鼻を覆っているが、かろうじて話し声は伝わる。これは早々に掃除を始めるべきだ。綺麗にすれば住める。
「分担しよう。私ちょっと掃除用具買いに走ってくるから、家の確認とかお願い。可能だったら換気だけしておいて」
「分かった、いってらっしゃい。井戸はどうかな……もしかしたら──」
商店街へ向かって走って使いそうなものを片っ端から購入して自宅へ戻る。ホウキモップ大量の雑巾バケツと脚立も忘れずに。
「井戸だけど、外の物は業者入れないとダメだ。素人は触らない方がいい。ただ、中にあったやつはしばらく入れ替えれば飲めるようになるよ」
「中? 室内に井戸があるの?」
「ある。ここ水源が近いのかもしれない、水もかなり綺麗だしポンプも錆び一つない。これだけ放置して呼び水もなしにすぐ使えるなんて普通に考えたらありえないよ。ドワーフが何か弄ってるのかもしれない、水管引いたりとかして。地味なところに大金注ぎ込んでるね。まさに道楽極まるって感じ」
「そんなもんを百五十年以上放置してポンっとくれたの? 嘘でしょ……」
リューンもテンションが高い。私服をホコリまみれにして楽しそうにしている。風が通っているし、開放できる窓はおおよそ開けてくれたようだ。
「とりあえず今日掃除を済ますのは無理だ。近くに宿を取って、夕方で切り上げる日々を送ろう。外の井戸ってなくても平気?」
「異論ないよ。庭弄りたかったら残しておいてもいいと思うけど、必要なかったら潰してしまってもいいかもね。とりあえず今必要なものではない」
「じゃあそれは後だ、人雇ってもいいけど……二人でする?」
「二人でやろうよ、それもきっと楽しいよ!」
宿で朝起きて、弁当を買い込み、自宅へ向かって夕方まで掃除して、宿でシャワーを浴びて寝る。
こんな生活を七日ほど繰り返して、ようやっと住んでもいい程度に綺麗になった。女二人と侮るなかれ。身体強化をフル活用して働けば、高所の雑巾掛けも何のそのだ。
この家、正方形をしている。玄関を入ってホールを抜ければ家の半分程の面積を占める居間があり、他には風呂とトイレと台所、それと個室が二部屋だけ。井戸は風呂と台所に個別に設置されており、両方飲用できるとのこと。ちなみにトイレは無駄に水洗だった。凄いなドワーフ。
家の敷地もほぼほぼ正方形のようだ。地下室や屋根裏のようなものは見当たらなかった。この手の家にありそうな暖炉の類もナシ。敷地内に木は一本も生えていない。その外側は青々と茂っているけれど。
「これだけの広さの家で実質三部屋しかないって……贅沢な空間の使い方だね。個室も広いのは嬉しいけど……部屋数を増やそうとしなかったのかな」
「巨人が使うことを考えたらちょうどいいのかもよ。どの扉もやたら上背があるし、天井もドワーフが暮らすには高すぎる」
「……なるほど、それは全く考えてなかった」
私とはまるで接点がないが、いるのだ、巨人。身長三メートル以上ありそうな種族が。逆に背の低い、ハーフリングという種族もいる。これは個体差もあるが、一メートルと少しといった感じか。人種を二メートル弱とすれば、それぞれ一メートルほどの差があることになる。
「ところで、窓はどうするの? ガラス入れるのもありだけど、流石に防犯のことを考えると怖いよね」
「女二人だしね……それは止めておこうよ。窓開けても虫は弾けるんでしょ?」
「弾けるし設置もすぐだよ。あれバラしてよければ今日中にだって終わるよ」
船でも大活躍だった結界石の魔導具。今しばらくは使わないだろうし、いいか。後でまた作り直してもらおう。
「そうだね、それで行こうか。せっかく掃除したのに虫が入ってきたら嫌だもんね」
「じゃあ、設置してくるよ。終わったらサクラ、家の隅から隅まで浄化してね」
「……はい」
リューンに浄化がバレて色々試している内に気づいたのだが、私の浄化は魔石を持たない虫や動物にもかなり絶大な効果を及ぼす。これが本当に浄化なのかと疑問に感じなくもないが、頑固な汚れがこそげ落ちたりするので……まぁ、浄化ということにしておこう。重曹くらい売ってそうだけど。
「それで、自宅のことなんだけど」
家中に浄化をかけて回った後、夕食を取って宿に戻る。
「お風呂どうする? あれ、薪使うこと考えられてないよね」
「魔導具がいるね。流石にあの規模の物は私じゃ作れないから、新品買った方がいいよ。サイズが大きいから少し心配だけど……たぶん貴族用の物とか、店が在庫持ってると思う」
「水は井戸から?」
「そうだけど、ご丁寧に浴室に付いてるしね。身体強化かけてポンプ押してればすぐだよ」
うちの風呂はでかい。パイトや王都の個室風呂並だ。湯船はそれよりもでかい。大きいってことはそれだけ水が必要になるし、沸かすための魔導具も大型の物が必要だが……お家でお風呂に入れる。そのためなら貴族用でも何でも買ってやる。
「じゃあ、もう住めるかな」
「住めるね、台所は機能してないけど」
「ベッドはあるし、適当にここも引き払おうか。早く住みたい」
「ふふっ、私もっ!」