第九十七話
鑑定の結果、私が拾ってきた剣は全て無名の物だった。
地球にも、本の中や博物館などに名前の付いた武器はたくさんあった。それには元から付いていた物と、誰かが名付けた物とがあったのだろう。
この世界も名付けられた武器は多い。少年剣士が相棒にかっこいい名前をつけて、パーティメンバーにからかわれている様子を管理所で横目にしたこともある。そしてそれは、国が管理する宝物や、高位の騎士や冒険者が持つ武器などにも同じことが言える。
名剣なんちゃらを持つどこどこの国の騎士、誰々。なんとか国の宝、聖剣ほにゃらら。分かりやすい。通り名とかいうやつだ。だがこれは決してかっこよさを求めて名付けられているばかりではないのだと、リューンは教えてくれる。
「武器に限らないけど、道具に名前を付けるっていうのは大事なことなんだよ。魔法剣なんかは特に顕著で、武器を名付け、武器に名乗ることで主従の契約が成立して初めて十全に力を振るえるようになるんだ。それに名前がついてないと識別するのも大変じゃない?」
私はネーミングセンスが死んでいるので……十手は十手だし服は魔導服、靴も魔導靴、メガネはメガネだ。そもそも普段はただ魔導具と呼ぶことがほとんどだと思う。
「それで、名付ければこいつらを神殿で鑑定した時に、その名前が用紙に印字されるようになると」
「そういうこと。あ、今不用意に名付けたらダメだよ。変更とかできないからね。いや、できなくもないけど実質無理だからね?」
おそらく名前を管理している神がどっかにいるんだろう。ご苦労なこった。
剣の鑑定を発端とする騒動が一段落つき、寒さもようやく和らいできた時分。こいつらの扱いをどうするか、夕飯前の暇な時間に話し合っていた。
こいつらとは、今私の前に散らばっている鑑定済みの四本の剣だ。リューンは近づこうとしない。別に呪われているわけでもないんだけど。
「サクラの物だから好きに名付けてもいいけど、正式に持ち主だと認定されるから、それは覚えておいて。──価値を抜きにして、ただの武器として見れば本当に物凄く優秀なんだよ。その上で、力を十全に引き出すなら……その、四本とも名付けが必要。だから、よく考えて欲しいな」
次元箱で塩漬けにするか、使うか。
「きちんと言葉にしたことはなかったかもしれないけど──」
「私はこれを置くつもりはないんだよ。目の前にある剣がどれほど優秀でも、どれほど強力な放出魔法があろうとも、剣でも杖でもなく、私はこれを使い続ける。これは私にとってそれだけのものなんだ」
説明する気はないが、そもそも私は十手を手放すと呪いで酷い目に遭うわけで、持ち替える選択肢は最初からない。
単純な武器として見ても、私が十手以外を使う利は少ない。魔力を吸うのは魅力的だが、気力を通さないのがダメだ。浄化も怪しい。
十手と黒い剣の二刀流とかならあるかもしれないが……流石になぁ、正直嫌だ。まだ四本目を握った方がマシだろう。
「──私がこれを置いてこいつらを使うことはないよ。だから塩漬けかな。……それとも、リューンが使う?」
「……私が?」
ん? 適当に言ったが案外いいかもしれない。魔石の質が落ちれば普通に売りに出せるし。
「一本目の……あの黒いの、魔力吸収ついてるでしょ。身体強化を強く長く維持できれば、剣くらい振れない?」
「どの程度吸うか分からないからなんとも言えないけど……振れるか振れないかで言えば、振れる。剣は昔少しだけ習ってたし……で、でも、あの黒いのは嫌だよ、恐れ多いんだよ……」
「私としては、リューンは別に後ろにいてくれてもいいと思ってるんだよ。ただ自衛の術があるなら、それを磨いてくれると安心できるっていうのは本音かな。剣じゃなくてもね」
「それは……分かるし、いいんだけど……。あの黒いのは……」
「二本目と三本目は……言っちゃなんだけど、大した武器でもないでしょ。手放しても惜しくない程度の。なら四本目ってなるけど、あれは別の意味で大した武器じゃないし。──どうせ壊れないんでしょ? リューンが使わなきゃずっと塩漬けにするだけだし、気にしないでいいんだよ」
「……少し考えさせて」
「無理強いはしないよ」
リューンは正直束縛魔法だけで食べていける。私が食わせる。剣を握らないと決めたところで、正直私は別に構わない。黒いのは次元箱の隅にでも、布でくるんで塩漬けにしておけばいい。
二本目と三本目は特筆する点もない。売ってもいいが、それはお金に困って初めて検討することであって、今は別にどうでもいい。その辺に置いておけばいい。
問題は四本目だ。私が拾ってきた剣の中で……正直唯一興味がある。
こいつの効果は『不壊』と『伸縮』。それと聞き取れなかった謎の効果が二つほど付いている。伸縮なる効果をリューンは聞いたことがないと落ち着いた頃に言っていたが、またもや不壊が付いていたので震えていたというわけだ。不壊が増えたね、という渾身のギャグは伝わらなかった。……まぁ、四本の中で一番変な形をしていたから最後に回したのだが……これが大当たりだとはね。今はまとめて雑に床に転がしている。
こいつは剣……というよりは、薙刀の柄を短く切り落として、刃の根本に片側だけ斧に似た細い刃がついたような形をしている。柄が長ければ槍にも見えただろうが、私はそんな武器知らない。薙刀の刃が付いた斧か、前述の通りと。そういう刃物だ。
それでまぁ、他の剣にも言えることなのだろうが、名前を付けてあげないとダメなんだろう。伸縮を試すことができない。伸縮──意思伝達がどの程度正確に表現してくれているかは分からないが、伸び縮みするんだろう。不壊は恐らく今も効いているだろうとのことだが、もう片方の効果が機能していない……ああ、それでリューンは悩んでるのかな? 魔力吸収を試すということは、名付けるということだ。それはつまり──。
それはさておき。どこが伸縮するのだろう。どこまで伸縮するのだろう。今のままでも、小さくなればナイフとして普通に使えそうではある。そのままでも……まぁ、素手で殴るよりはマシか。斧の部分で殴り斬れる。薙刀の部分で刺せもするだろうし。
謎の効果についても正直興味はある。片方は吸収とかなんとか、そんな感じの意味の語彙だったと思うんだけど。
(ただなぁ、必要かどうかって言われると……要らないよなぁ。如意棒みたいに伸びるのか、相似関係で伸縮するのか……名付けないと評価できないっていうのは、正直困るね。そもそも鞘にしまえるような形状をしていない。持ち歩くには不適だ)
私にとって名前は特別なものだ。特別な人の名前しか呼びたくない。特別な人にしか呼ばれたくない。偽りの名前は呼びたくない。
──名もなき私が名付けることでも、そこに何かが生まれるのだろうか。
リューンは未だに結論を出さずにいるが、早起きして私と一緒に運動をするようになった。ストレッチをしあったり、どこから持ってきたのか、木刀をこしらえて素振りをしてみたり。部屋でチャンバラはできないけれど。
健康的でいいことだ。些か……このエルフは惰眠を貪りすぎるきらいがあった。あまりうるさく非難してはいなかったが、一緒に行動する時間が増えたのは嬉しい。
食事の量も戻り、今では以前と変わらぬ、私の三倍程の量をペロリと平らげるようになっている。今更だけど、これでよく太らないものだな……基礎代謝が高いのだろうか。
「ドワーフの身体強化を刻もうと思うんだ」
旅程の半分を消化していくらか経ったかどうかといったある日のこと、いつもと変わらぬ昼食後のリラックスタイムにそう告げられる。
唐突な話で反応に困る。ドワーフの? 初めて聞いたぞそんな話。
「……どういう心境の変化?」
「ずっと考えてたんだよ。あの黒いの、私があれを使うとなったら……今のままじゃ、私はサクラに付いていけなくなる。今はいい、けど近いうちにそうなるだろうことは、容易に想像できるんだ。前で守られているだけで背中を守ってあげられない。それは、嫌なんだよ」
言葉に熱が入る。陳腐な言い草だが、愛を感じる。
「たまに気力切って魔力身体強化の二種掛けしてるでしょ? あれを見て、凄いと思ったんだ。結果は同じ、アプローチの仕方が違うだけ。それだけなのに、効果は確実に二倍以上になっている。前に出るなら……ううん、違う。前に出たいから。私も、それを身に付けたいと思ったんだ。──そのために、いくつか術式を捨てた。今までは消えないように保持してたんだけど……昨日までに確認を終えた。今なら刻める。私、やるよ」
決意は固そうだ。そこまで考えてくれていたとは……適当に発した一言から大事になってしまった。しかももう術式をいくつか消しているという。
その覚悟、受け止めなければなるまいて。
「……大丈夫なの? 一人でできるの?」
「できるよ。ドワーフのあの札は持ってきているし、調整も済ませてある。私もサクラと同じで全身身体強化が使える回路してるからね。後は時間をかければ問題ないよ。今なら、時間もたっぷりあるしね?」
その日はたっぷり仲良くして翌日細々とした準備を済ませ、夕方から早速決行した。通常なら私ほど時間はかからないが、札を使うのとトレードオフになるために完全に馴染むのはやはり十日前後かかるだろうとのこと。食事をするだけなら三日もかからないだろうと言う。
「魔力を使うときは、申し訳ないけど外でお願いね? 私も頑張って空腹耐えるから!」
「うん。最初の数日は近くにいるようにするから。何かあったら教えてね?」
その後のことは……面白いことは特にない。これ幸いと眠り始めたエルフを見届け、日を跨いて昼まで眠り、午睡を楽しみ、また夜眠る。なんという忍耐力なんだ! などと賞賛する気にはなれない。私が見るところによると、このエルフこれを終始楽しんで行っていた。せっかく健康的な生活をするようになったのに……。
「一日眠り続けるだけでもキツイのに、それを連日……頭大丈夫? ボケてない?」
「失礼だよ……起きててもお腹が空くだけだし、寝るの好きなの、知ってるでしょ? サクラの生活リズムに合わせていただけで、私ハイエルフだよ? これくらい眠るのは普通のことなの。珍しくないの」
種族を巻き込みだした。これは絶対に嘘だ。目が泳いでいる。
「──今はそういうことにしといてあげるよ。それで、ご飯どうする? 貰ってこようか?」
「食べる! 四人前持ってきて! お肉ね!」
食堂の人達からは何も言われていないが、この船の食料が足らなくなったら、それは間違いなくこのエルフが原因の一端を担っている。
しばらくの間メイド役を務め、完全に術式が馴染んだ後がまた大変だ。ギースがいないので私が指導に当たることになったのだが……ドワーフの魔力身体強化も術式を流せば機能はするが、細々とした調整は自前で行わなければならない。
「体を壊すからいきなり力を入れて腕を振ったり、指を握りこんだりしたらダメだよ。骨、関節、腱、そして筋肉に魔力を通していくんだ。骨の断面を見たことはある?」
「ないね、それがどうしたの?」
「骨の中身は……タワシでいいかな、あんな感じでスカスカになってるんだよ。そこに魔力を満たすようなイメージで。筋肉も、繊維の間にしっかり通すようにする。腱もしっかり補強しないと、力を込めたら切れるかもしれないから、意識して。関節も……これ最初難しいんだよね、壊れないように、これは覆うように──」
直接身体に触れながら、意識した方がいいポイントを指摘していく。分かりにくい! と途中で脱ぎだした全裸のエルフを揉みくちゃにすることになったが、これは真面目な教導だ。
「サクラ、これを気力とドワーフの術式でやってるの? いつも?」
「そうだよ。ずっと使ってるから慣れたよ。強化魔法の方は一度イメージが固まればほぼ自動でかかるようなものだし」
そのイメージをきちんと刷り込めれば、少なくとも私と同じ程度には使えるようになるだろう。格はリューンの方がずっと高いし、単純な力比べでは勝てない。
「──とまぁ、こっちを重点的に強化しておくと、長時間の活動でも疲労が少ないんだ。基本的には反動が残らないようにしていくべきだと思うよ。無理すると壊れるからね」
「なるほど。確かに局所的な力のかかり具合はこっちの方が強いね……その分反動もあると。それを抑えるようにまずは──」
いつの間にか私も脱がされ、二人であーだこーだと意見を出し合いながら習熟に明け暮れた。端から見たらおかしなことをやっているが、私達は暗くなるまでは至極真面目だ。
何日も続けることによって私の制御力も一段階上がった気がする。いい感じだ。
「調子はどう?」
「いい感じだよ。具合の良いバランスが見つかった。後は実践しながら微調整かな……甲板で踏み切るわけにもいかないもんね」
リューンは長年魔力を使い続けてきただけあって、一度覚えてしまえば後は自力で試行錯誤できるようになり、すぐに私の手を離れた。そしてそれも納得のいくレベルに仕上がったみたい。
「そろそろ名付けしてみる?」
「今はまだダメだよ、鞘がないでしょ? 名付けした後だとたぶん、革とかだと自重で斬り裂くと思うんだ。形状も独特だし、専用の物を作ってもらわないと。魔法袋に入れたら破損しかねないよ、あれは」
「そっか……市販品を流用ってわけにはいかないね、あれは」
剣は剣なのだが、あれ……あの黒いのは真っ直ぐな形状をしておらず、刃の中程から穂先にかけて若干反っている。その上で先端に近づくほど細くなる一般的な剣と違い、横から見ると剣先が広い。尖ってはいるけれど。
昔映画か何かでこんな感じの形の剣を見たことがあるような気がするのだが、結局思い出せなかった。とにかく、腰に下げて歩くには専用の鞘が必要。確かにその通りだ。
「鞘も付いていればよかったのにね。セットで出てくることってあるのかな?」
「あるにはあるよ。でも質の高い物がそうかと言われれば、違うね。どちらかと言えば見掛け倒し系のハズレに多い」
鞘付きの豪華な剣かと思いきやナマクラでした。ありえそうだ。
「名前はもう決めた?」
「まだ悩んでる……。サクラならどんな風に付ける?」
「私だと『黒いの』とか、『あれ』とかになるよ」
「……もう『黒いの』でいいかなぁ。ずっとそう呼んでるし」
神の祝福を受けた不壊の名剣『黒いの』──締まらないね。でも誰に聞かせるわけでもないし、いいんじゃなかろうか。こんな名前の剣がイカレた性能してるとも思われないだろうし。
「私ならね。そういえばあれ、剣の種別はどうなるの?」
「おそらく魔剣だよ。聖剣には見えないし魔法剣とも違う。消去法だけどね。魔法剣よりは聖剣の方がまだあり得る」
私も詳しく把握はしていないが、魔法剣とは剣よりもどちらかと言えば杖に近いらしい。程度にもよるが、一応切った張ったもできるという。
「確かに聖剣には見えないねぇ。黒いし」
「ね。黒いし」
身体を動かし、気力や魔力を使い倒し、よく食べよく眠り、残りの期間は穏やかに過ぎ去った。
鑑定を刻み、怒涛の鑑定を終え、術式を消し、新たな身体強化を刻み、あの黒いのを手にすることを──おそらくもう決めているだろう。
リューンの様変わりにも驚きだ。アルシュを出るまで何一つこうなるだなんて予想だにしなかった。人は人を変えていく。
屋上の展望スペースからは、遠目を使えば微かに陸地が見える。
「あれがセント・ルナだよ。世界最大級の迷宮都市。またここに戻ってくるとは……考えてなかったよ」
暦の上では夏に差し掛かっているはずだが、日差しは穏やかだ。風も心地良い。このエルフと出会ってからの僅かな時間に、私はどれだけのものを得ただろう。二人の時間はまだ始まったばかりだ。楽しみでならない。
「楽しみだね。なんでも、なんでも楽しみだ」
「そうだね。二人ならきっと、なんでも楽しいよ」
あと数日もすれば港に着く。長かった船旅もこれで終了だ。