第九十五話
アルシュからバイアル、そしてバイアルからパイトの南方面への街道は人通りもまばら。昼から思いっきりマラソンしても問題ない。
昼過ぎに町を出発し、パイトへ着いたのは夕方になろうかといった時間帯。日々日照時間が伸びているのを肌で感じている。暑くなるのも時間の問題か。
南側に程近い適当な金ランクの宿に部屋を取り、食事を済ませて戻ってくる。今から行くのは……帰ってくるの深夜になるよな、どうしよう。
「ねぇ、精神干渉に耐性ある?」
「ないけど……どうしたのいきなり」
私は死神と命を賭けた戦いをしたいわけじゃない。ただ訓練の的として、アレが適当であったというだけ。リューンを連れていけるならそれに越したことないのだが、流石に無理だよね……。
「パイトでやりたいことっていうのが、そういう敵と一戦交えることなんだけど、本体はともかくそっちの干渉がきついんだよ。……リューン、置いていったら拗ねるじゃない。それでどうしたものかと、悩んでおりまして」
勝手に行って泣かれるのは辛い。なのでこうしてお伺いを立てている。
「一戦交えるって、大丈夫なの? 法術師がそういうのに耐性あるのは知ってるけど──」
「一度倒してるんだ、リューンと会うだいぶ前に。それから結構時間が経ったから、そろそろ生まれている頃かなって」
「それなら……あー……うーん? ……いいよ、仕方ない。我慢するよ」
「え? いいの? ほんとに?」
「本当だよ。黙って行ったら怒るけど、ちゃんと説明してくれたし。サクラが霊体に強いのはこの目で見てるからね。一度倒してるっていうのも嘘じゃないだろうし、いいよ。待ってるから」
「ありがとうっ! 愛してるよっ!」
眠れそうにもなかったので、早々に支度を済ませ、久し振りに自分で魔法袋を背負って第三迷宮へと出発した。
敵は極力無視して十六層まで進み、続く十七層を大岩の裏に回って突破する。十八十九と進んで……魔力は使ってない、気力も十分、神力もある。よし。
二十層へ足を進め、背後に警戒しながら大岩を離れると──消えた。いた! よしこい!
『カカカ──』
聞いてなんてやらない。四種強化を施して全力で突っ込み、大鎌を跳ね上げてもう一歩踏み込んで力の限り浄化を込めて打突する。近当ても込み。今の私の全力!
『ギャ……!』
それで、宙に浮いていた死神が壁際まで吹き飛んでガラガラと音を立てて崩れ落ちた。
「え、終わり? ……いや、流石にそれはないか。でも吹っ飛ぶのは初めて見たな」
地面にバラバラになった骨は、元の人型に戻ってまたこちらへ向かってくる。心なしか、前の個体より少し大きくなっているような……?
(いちいち吹き飛ばしてると面倒だけど……せっかく一人なんだ、今は四種を試す。武器を壊せるか、骨を折れるか、魔石を残すか、宝箱を開けられるか……楽しみだね!)
また正面から突っ込み、突き付けられた大鎌を打ち落として踏み付ける。そのまま駆け出して胸の辺りを思いっきり薙いで起爆。うん、やっぱり衝撃が広がってる。死神は先ほどより大げさに吹き飛んで壁に叩きつけられた。
「こうなると、棒身で殴るのも使いようはあるな。身体全体に衝撃が広がっている? ただ突くだけじゃあんなに吹っ飛んだりしない。殺さずに無力化するならこっちか」
まぁこれをただの人間に打ち込んだら、かなり加減しても死ぬと思うけど……そもそも私が人間を相手にするときは殺すときだ。加減なんて考える必要はない。魔物も盗賊も等しくミンチになればいい。
『ギャアアア!! ガアアァァ!!』
おーうるさい。特に気持ちも言葉も伝わってこないから、やはりあれは意思伝達の埒外だな。いたぶる趣味もない。終わらせよう。
向かってくる前にこちらから近寄り、頭蓋に思いっきり打突を加えて起爆。それを頭と胸と、何度か繰り返したところでいつものように収縮を初め──数分待って生まれたドクロ型の魔石が、溶けるようにして消失した。
「ん? ……んんっ?」
収縮。あれは浄化で魔石化する際に必ず起こる現象だ。今までただの一度も例外なく、浄化を込めた際はああなった。今回もだ。
それで魔石が、浄化品が生まれるのもこれまで百パーセント。しかしそれが消えたのは初めての経験だ。
「えぇ……どういうことなの……嘘でしょ、私の数百億……」
魔石が生まれ、そして消えた場所を探ってみるが……感触はない。本当に消えてしまった。
「なんだよー、もー……帰るか。大岩は……っと」
この空間で唯一の光源に向けてとぼとぼと歩き出し、溜息を付きながら明るい通路を歩いていると──。
「……おっ? おお! 四個! 四個もある! すごいすごい!」
過去見つけた物と同じ艶消しの黒い宝箱、それが四つ並んで鎮座している。
「こ、これ、全部開けていいの? どれか一つ? 全部欲しいな……いいのかな、いいよね?」
ウキウキで宝箱を開け、気落ちして宿へ帰った。
「おかえり! 無事で何よりだよ、よかった……」
「起きてたんだ。ありがと。……ただいま、終わったよー……はぁー」
心配かけてしまったようだ。もうこういうのは極力止めておこう。世の中そんなに甘くはない。
「疲れたの? もう寝る?」
「気疲れ……かな。もう寝る、明日話すよ」
「それで、昨夜はどうしたのよ」
その日は本当に珍しく、私がリューンに起こされた。だいぶ明るく、いつものエルフなら起こされない限りまだ眠っている時間だ。
お茶も淹れてくれる。気を遣わせてしまって申し訳ないのだが、そういうアレではない。
「昨日はね、第三迷宮の終層へ行ったわけですよ」
「……は?」
「いや、終の層と言っても二十層だから、そんな大したあれじゃないんだけど」
「大したあれじゃないんだけど、じゃないわよ! 終の層って……馬鹿じゃないの!?」
馬鹿じゃないもん。今なら連続で十匹狩っても問題ない。同時にだと無理だと思うけど。
「小型迷宮だからね。昨日も言ったけど、一度倒してるんだよ。話し続けてもいい?」
「むぅ……」
「そんでまぁ、そこのボス……主と戦ったんだけど、それはまぁどうでもいいや。そいつが魔石を残さなかったんだよね。これがまず一つ目の落ち込みポイントで」
「浄化しきれなかったってこと? サクラが?」
「いや、浄化はしたんだ。魔石も生成された。ただ、それが消えちゃったんだよ。周囲に溶けるように。綺麗さっぱりなくなった」
「それは私も初めて聞くね……迷宮に吸われるまで放置していたとかじゃなくて?」
「生まれてすぐだよ。そのまま消えた。吸われたとしてもおかしくないけど、その時間が早すぎる。あれは不自然だ」
それでね、と言葉を繋げる。
「その後、前回は迷宮を出る前に宝箱を一個開けられたんだけど、今回は四つあってさ」
リューンがお茶を吹き出す。エルフ汁。寝間着のままでよかった。
「一つ開けたら残りが消えるかと思ったんだけど、全部開けられてね。二つ目開ける前まではウキウキだったんだけど、中身が……」
そう言って魔法袋を手に取り、中身を床に捨てていく。
剣、剣、剣、剣。
「私にどうしろって言うのよぉ……」
魔法袋もその場に落としてリューンに泣きついた。泣いてはないけど。
「普通は迷宮産の剣って、超大当たりか大当たりか、ハズレかのどれかなんだよ」
エルフの柔らかさを堪能した後で、椅子に座らされて向かい合って話をする。これは真面目なお話らしい。
「ハズレは……想像つくよね? 普通の剣ならまだいい方で、多くは呪われてたり見掛け倒しだったり、ボロボロだったりで、封印するか処分するしかないような物ばかり。これが一番多いって聞くね。それでも売り物になる。店に並んでいる物は大体ハズレの品なんだよ」
「次は大当たり。これは人造のものとそう変わらない質でも特異な魔法剣だったり、程度の低い聖剣や魔剣もここに入る。この辺りでも、数十億とかで取引されたりするんだよ。もっと上の物もある」
「それで超大当たりだけど……これは国が動く。普通に取り合いになって抗争や戦争が起きたりする。そういうレベルの物。高位の聖剣は私も一度見たことあるけど、まぁ当然のごとく国宝だね。故郷では宝物庫の最深部に安置されてた」
「つまり?」
「……サクラが床に投げ捨てた中に、当たり以上の物があるかもしれないってこと! 心臓飛び出るかと思ったよ! お願いだからこんな扱いをするのは止めて!」
「だって……いらないもん」
「だってじゃない! 可愛く言ってもダメだからね。心を鬼にして言うよ。私だったからいいけど、普通の冒険者の前でこんなことしたら殺し合いになるからね!?」
「……ごめんなさい」
「もうっ、本当に止めてよ? 未鑑定の迷宮産の剣が四本って……これだけでも一悶着あるよ。どうしよう……。見た目も、これ絶対ヤバイやつだよ……どうしよう……」
頭を抱えて蹲ってしまった。頭を抱えるって本当に頭を抱えるんだな……初めて見た。
「普通に鑑定すればいいんじゃないの? 代行して」
「情報が漏れたときが危険すぎるんだよ……。神殿から漏れないとも限らないんだ。サクラが……いや、だめだ。私がやろう」
「リューンが代行するの? 流石に危険なこと──」
「違う。鑑定を覚えるの。領域に余裕もあるし、私に術式を刻む。鑑定書は残せないけどね」
「あれって鑑定神殿の神官以外にもできるんだ。っていうか魔法だったんだね」
「そうだよ。ただ術式が分からないから……それ全部箱にしまって、王都へ行こう。幸い船旅までも、船旅の間も、時間はあるから」
なんだかとても申し訳ない……鑑定なんて覚えても魔物は倒せないのに。
「……ごめんね?」
「いいよ。これを未鑑定のまま放置するのも、鑑定を代行するのも危険すぎるもの。箱にしまって存在を忘れるならそれでもいいけど、これっきりでもないだろうし──私も私の力を有効に使うよ」
「そういえば、自分自身に術式って刻めるんだ?」
明るい内から王都へ向かい、門前の長い列に並びながら小声で話し掛ける。
「できるよ。色々方法はあるんだけど、手っ取り早いのは巻物だね。御札とか本とか、形は色々あるけど、それをそのまま魂に刻むの」
消費型のアイテムで即魔法を覚えられるってことかな、便利だなそれ。
「身体強化もそれで覚えられなかったの?」
「できるけど、馴染むのに更に時間かかるのよ。普通は人から人に直接伝えるんだ。巻物はその例外手段。ドワーフが御札を持ってきたのを見てるでしょ? あれがそれ。私はあれの術式を調整してサクラに刻んだんだよ。御札のまま使ったら三十日以上ベッドの上だったと思うよ」
「愛してるよ」
もうリューンなしで生きていける気がしない。
「知ってる。とまぁ、巻物を買いに来たわけです。術式次第だけど、私も一日二日寝たきりになるかもしれないから……お世話よろしくね」
「もちろんだよ。巻物って普通に買えるの?」
「物にもよるけど、鑑定なら普通に売ってるよ。ただ、サクラが興味を持ちそうなものは……ないかもね。火玉とかいらないでしょ?」
「いらないねぇ」
魔法学園から程近い三層に魔法屋? 巻物屋? はあった。何度か近くを通ったけれど、こんなところで売ってたんだね。
いかにも魔女! みたいな、つばの広い三角帽子にローブみたいな老婆が一人でやっている路地裏のボロ小屋みたいなものを想像していたが、外も中も想像とは違い普通のお店だった。店内に品物は並んでいないけれど。
リューンは私を店員の下へ引っ張っていき、目録を眺めもせずに鑑定の巻物を買うよう指示する。言いなりになって一枚の紙を大金貨十枚支払って受け取り、店をあとにした。これだけ?
「こんな簡単に買えちゃうんだ。審査とかないの?」
「そういうのが必要な物は店に並ばないよ。裏で流通するか国の管理下にあるかだね」
裏……悪どい物もあるのだろう。少し興味がある。
「それでどうしようか、ここに泊まるかコンパーラに行くか、ルパに向かうかだけど」
「パイトがもういいならルパまで行かない? 向こうでゆっくりしようよ」
パイトは……もういいな。やることもない。オークションはまだ始まってもいないはずだし。魔石の展示も……興味ないな、いいや。
「じゃあルパに行こう。ずっと走りっぱなしだけど平気?」
私はともかく、ただ抱えられてキャーキャー言ってるこのエルフも疲れるだろう。ただ、あまりゆっくりしていられる時間がないのも確かだ。港町に着いた時に船がもう出ていました、なんてオチは避けたい。
「大丈夫だよ、行けるところまで行っちゃおう」
このエルフも随分とタフになった。いい傾向だ。
途中で見えてきたエイクイルを極力視界から外すようにして街道をひた走り、毎度のことながら特に何事もなくルパまで辿り着いた。
「これだけ走って未だに盗賊と遭遇していないんだから、運がいいのか、治安がいいのか」
「流石に大きな街道で網を張ったりしないよ……それに狙われるのは商隊だし、道を逸れないといないと思うよ」
一人の時なら試しに盗賊を潰してみたいなどと考えもしただろうが、この女がいるとそうもいかない。無視できるなら無視しよう。
さておき……でかい。まず港がでかい。そして船がでかい。帆を張った、大航海時代といったような木造の船から、金属質のフェリーのようなものまで、多種多様な船が並んでいる。イカダのようなものまで見えるのは……ギャグだろうか。
「大きい港だね……コンパーラはこれを他所と中継するための町なわけか」
「そういうこと。セント・ルナの港はもっと大きいよ。あそこは北の海岸が一面港だからね。世界一船が出入りしている場所だと思う」
呆けてしまう。私が知ってる港とはスケールが違う。見渡す限り、一面が港のルパよりも更に?
「世界は広いねぇ」
「広いよ、大きいよ。楽しいよね」
そう言って笑ったエルフの顔は、少女のように可憐だった。
町に入ってリューンの先導でお役所へ出向き、エルフの職員と私のエルフがエルフ語で会話をしてトントン拍子で話が進み、代金を払って割札のようなものを貰い、すぐ終わった。
流石に港町ともなると、エルフ語を解する職員の一人や二人いるものなのだろう。至極当然の話なのだろうが、驚いてしまった。
そして大きな港町ともなれば、夜だろうが役所が機能している。これに更に驚いた。……お疲れさまです。
近くの宿、これも夜間からの宿泊が可能でびっくり。驚いてばかりだ。
「結構ギリギリだったね、直接来て良かったよ」
船は既に到着しており、出発は三日後。滑り込みでセーフといったところだ。町の外から見えた金属質のフェリー──魔導船。あれがそうだという。
「そうだね、個室も取れてよかった。案の定空いてたけど……一番安い個室でよかったのに」
ファーストクラスとまではいかないがそれなりにいい部屋が安くなっているとのことで、リューンに許可を取らずに決めてしまった。決め手はシャワーが付いていたこと。海風に晒されるのだから、これくらいの贅沢はいいだろう。
「初めての船旅なんだから、少しくらい……ねっ?」
可愛くお願いすればリューンもイチコロだ。逆のことをされれば私も大体二の太刀いらずで死ぬ。
「もういいよ、お金も払っちゃったし……サクラならあの差額、十秒で稼げるもんね」
霊鎧換算で十秒。百万そこらだ。慣れてくれて嬉しい。
「セント・ルナでも稼げるといいな……リビングメイルより魔石の大きい霊体いるかな?」
「浄化真石で稼ぐのは止めた方がいいよ……。いるにはいると思うけど。私もあそこは入ったことがないから詳しくないんだよ」
「楽しみだな……まずギースから貰った家を見に行って、住めるようにして、近場の食事処も探して……地図もいるね!」
地図で思い出したが、所長に頼んでいた地図の件……どうしよう。そのために王都とパイトを往復してたわけだけど……。リューンいるし、もういいか。