第九十四話
「うん……うん、もういいよ。解禁。でもドワーフの方の魔力身体強化は指導を先に受けてね」
「長かった……長かったよぉ……」
触診をしていたリューンから待ち望んでいた言葉が吐き出される。泣いた。人前で泣いたのは久し振りだし、嬉し涙なんて流したのは生まれて初めてかもしれない。
「な、泣くほど辛かったの……?」
「辛かった……でも今は嬉しい……耐えたよ、私頑張った」
「おーよしよし……そうだそうだ、頑張った。ほら、お風呂行こう? 石鹸買ってあるよ」
入浴と食事を済ませ、宿に戻って久し振りに魔導具を身に着ける。メガネ、服、靴。十手も握れば完璧だ。いつでも修行を始められる。
意気揚々とギースに会いに行ったが、彼から言葉は「徐々に慣らせ」の一言のみ。お酒を楽しんでいた彼はそれだけ口にすると私達を追い出してしまった。
「あ、朝っぱらから……あのドワーフ……!」
「いや、仕方ないよ。一から十まで世話になろうだなんて虫がよすぎる」
「でも! やっと術式が完全に馴染んだのに!」
宿へ戻りながらリューンが珍しく激昂している。だが別に私はこれで構わない。訓練は付けてくれると口にしたのだ。なら今私がすべきことは、ドワーフの魔力身体強化に慣れることと、気力と強化魔法二種と含めた三種強化の習熟だ。
「いいんだよ。まずこの術式に慣れて、他と併用してバランスを取らないと。訓練はその後だよ」
とはいえ……身体強化の魔法はスイッチだ。ハイエルフのものもドワーフのものもそれは変わらない。強度を調整してオンオフを切り替えるだけ。今の私なら、気力を使い始めた頃のように制御に意識を割かねばならないということはない。身体強化を全て切って、ドワーフの強化魔法にだけ魔力を通す。うん、気力みたいだね……。
(力の加わり方は気力のそれとさほど変わらないみたいだけど、以前ギースが言っていた通り、これは気力と相乗効果がある。気力のみ、魔力のみで力を引き出すより、併せた方が負担も消耗も少ない。やはり倍以上になると考えてよさそうだ。でも二種の強化魔法にそれはないね。干渉している気配もないし、三種強化でも問題なく機能する。神力を足しても大丈夫そうだが、これの検証は後日だな)
身体の調子を確認しながら歩いているといつのまにか宿へ到着していた。私が魔力を使ったり切ったりしているのを分かっていたのか、リューンは話し掛けてこなかった。できる女だね。
「それで、どんな調子?」
「併用するのは問題なさそうだけど、魔力の消費が増えるのが怖いね。消費を抑えようとすると、エルフの方が弱くなって防御力が落ちるかもって懸念がある。ただ気力とドワーフの方は相乗効果で攻撃力が楽に上がる。制御についてまだ何とも言えないかな」
「防御のエルフと攻撃のドワーフか。ふふっ、なんか面白いね」
「ほんとにね。どっちにも利点があるから、しばらくは三種併用でのバランスを取ることに意識を向けるよ。明日岩場を殴りに行ってみる」
「船に乗ればいくらでも修練の時間はあるし、今はそれがいいと思うよ。魔力消費に関しては私も何か手がないか考えてみる」
その日は早々に魔力を枯らして早めにベッドに入った。私があんな状態でリューンはこれまでずっと隣のベッドで一人寝していたとあって、半端な甘え方ではない。
翌日日が上るのを待って、リューンと町の外の岩場まで出向いて身体強化の併用を試す。
「やっぱり攻撃力は……単純に上がるね。反動はむしろ抑えられているし、これは参ったな。どこまでも使いたい」
心配していた制御だが、これは全く問題がなかった。エルフの強化魔法の時は散々苦労したのだが、やはり気力と扱いが似ているためだろう。
最初の町を離れるまでは壊すことのできなかった大岩を、今は楽に破壊して回れる。霊鎧を殴打するときのような轟音を響かせながら色々と試行錯誤を繰り返すものの……これ、やりすぎると的がなくなるな。
「リューン! 手伝って欲しいことがあるんだけどー!」
数少ない木陰の一つの下で魔石に細工をしていたエルフに声をかける。資源は有効に使おう。
「なになに、珍しいね。どうしたの?」
「あのね、石を投げて欲しいの。撃ち落とす練習がしたい」
後は精密に動かせるかどうかだ。ヘビ先生はいないし、リューン先生にお願いしよう。
「あまり気乗りはしないけど……いいよ。気をつけてね?」
「最初に小さいのをそこそこの力で身体に当ててくれないかな。お腹がいい」
「変な趣味の人みたい……私に向かって打ち返さないでね?」
リューンと距離を置いて向かい合うと、足元にあった小石を拾って、手首のスナップだけで投げてきた。野球かテニスかといった勢いで石が飛んできて……うん、問題ない。
魔導服の防御力は凄まじい。指示通り腹部に当たった小石は、ぽよんとお腹のお肉を軽く圧迫してその場に落下する。お腹のお肉……。
「全く問題ないよ! 狙いは任せるからどんどんお願い!」
リューンは初め心配そうに投げていたが……片っ端から爆砕されて砂になるのを見て、何かに火がついたのだろう。徐々に速度と投擲間隔を上げてきた。たまにスローボールを交えたりしてフェイントも入れてくる。それを片っ端から突き崩す。どうしよう、これすごくたのしい。
玉がなくなると手頃な破片を砕いて集め、また距離を取ってを繰り返し、夕方近くまで延々と遊んだ。
「いやー、楽しかったね! またやろうよ!」
「うん、楽しかった。魔物相手じゃこうはいかないね」
「今日はどっちも使ってたんでしょ? 衝撃波も?」
「全部使ってたよ。強化魔法が二種かかってるから、気力が切れても隙が減って動きやすい。今はもうすっからかんだけどね」
残量の把握が感覚的なものでしかない上に魔力は切らすとアウトなので、厳密にはあと少し残ってはいるのだが……半日保たずに魔力は枯れてしまった。ドワーフのそれはエルフのものより若干軽そうだが、それでも消費が倍近くになっているという事実は変わらない。
「何かいい手があればいいんだけどね……迷宮で魔力回復に繋がる魔導具が出るまで宝箱を探し続けるっていうのが、割と一番現実的な手段だよ」
「私まだ迷宮で宝箱二つしか見つけたことないんだけど……何百年かかるの?」
「何千年だろうね、ハズレの方が多いし。今はひたすら格と器を鍛えていくしかないよ」
器の大きさが倍になれば魔力も倍使えるようになるはずだが、その頃には格も上がって使える魔力も強くなっているはず……そうなればそれを使いたくなるのは自明の理だ。それでまた消費が嵩むわけで、結局のところ稼働時間を増やすには魔力の強度を落とすしかない。エルフの方の術式への魔力供給量が低下するということは、生身と魔導服の防御力が低下するということを意味する。
(受け入れがたいけど……解決策がないなぁ……。例の魔導都市に本気でリューンを売るかな。数年でいいんだし)
「魔力の消費を抑える道具とかは? 効果は変わらず消費だけ減るみたいな」
「御伽話には出てくるよ。いくら魔法を使っても魔力が減らない魔法の腕輪、みたいなの」
「……地道にやるよ」
翌日も昼前からから石を投げつけられて遊んでいた。何度目かの実弾補給をしている際に、ギースが見に来ていることに気付いて岩を砕く手を止める。
「面白いことをやっておるの。制御は問題ないようじゃな」
言いながら足元の……少し大きめな岩を思いっきり投げつけてくる。それを打突して粉砕し、残った大きめの固まりを適度な大きさに砕きながら会話に応じた。
「制御の修練のつもりでいたのですが、その……楽しくなってしまいまして」
「遊びでも何でも、血肉になるならそれでええ。しかしまた……減ったもんじゃの。小石も焼き固めてレンガにできるし、誰も文句は言わんじゃろうが」
周囲を見渡すと、そこらに点在していた大岩の数ははっきり分かるほど減っている。減った分はその辺に砂利のようになって大量に散らばっているので、これもまた有用に利用されるのだろう。そしてそれをまた私が壊して回せば……いや、しないけど。
「どれ、ワシも加わってやろう。二人がかりじゃ。きちんと捌けよ?」
背中に嫌な汗がにじむ。今でも結構いっぱいいっぱいなのであのちょっとまって──。
日暮れ前、私はボロ雑巾のようになって砂利の上に転がっていた。気力は怪しいが魔力は確実に枯渇一歩手前、ついでに精根尽き果てた。ギースはおろか、リューンも全く手を抜かず、楽しそうに投擲を続けていた。この人達は罪を犯したことがないのだろうか。
「まだ動きに無駄があるが、戦い始めて一年経たずにこれなら上出来じゃ。制御は問題ないが、問題は魔力の格じゃな……おぅエルフ、器はどんなもんよ?」
「広いです。だけど、まだ広がります。素質があります。時間を使うべきです」
徐々に共通語を話せるようになってきてはいるが、まだたどたどしい。二人でいる時はエルフ語を使うのだが……彼女の耳に私の言葉はどう聞こえているのだろうか。
二人とも私がハイエルフと会話していることに突っ込んできてはいないが、聞かれると困るな。
「ルナまで半年ちょい……それだけ集中的に鍛えればそこそこにはなるかの。毎日使い果たしているんじゃな?」
「枯れるまではダメです。禁止です。でも、その手前までは使っています。ずっとです。船でもその予定です」
「よう続くもんじゃな……ドワーフには真似できん」
「私がしっかり育てます! 大丈夫です!」
たすけて。
「色々考えたんじゃがの……戦闘訓練を付けるのはナシにしようと思っとる」
歩けるようになるまでにしばらくの時間を要し、町へ向かっている最中、ギースから予想外の言葉が飛び出る。
「はぁ……理由をお伺いしても?」
「武術とは型よ。型に嵌めるというのは、良し悪しあるとワシは思っとる。まっさらな頃のお前さんになら仕込んでもよかったじゃろうが、今のお前さんの持ち味──あの背筋が凍りつくような打突。それを活かせる武術をワシは知らん」
「ワシも我流じゃ、お前さんとワシとじゃ戦い方も根底から異なる。ワシの戦い方をお前さんに仕込んだところで……得られるものより失うものの方が大きいんじゃないかと思い至っての」
「もう数年もすれば、きっとワシじゃお前さんの膂力に対抗できなくなる。それだけ魔力の身体強化、その二種掛けの効果は絶大と見た。お前さんはそのまままっすぐ行けばいい。素直に行けばいい。小手先の技術に惑わされず、自力を、持ち味を伸ばしてみよ」
「ルナで数年やってみるといい。サクラ、今のお前さんはそう簡単には死なん。それでも尚ワシの指導が必要だと感じたら──また来い。酒を持っての」
町の門をくぐり、昼前に一度来いとだけ告げてギースは去っていった。
「よく聞き取れなかったんだけど、ドワーフとは何を喋っていたの?」
宿に戻ってお風呂に入る準備をしながらリューンが話を振ってくる。
「戦闘訓練はナシだって。今のまま続けても大丈夫だろうから、数年セント・ルナでやってみて、それで不足だったらもう一度来いってさ」
大幅に端折ったが、大体こんな感じだ。背筋が凍るような……とは些か誇張がすぎると思うが。
大抵の得物に私はリーチで負けている。戦闘で私がすべきことは、まずその得物を打ち払い、あるいは破壊してその隙に一撃入れることだ。
一撃入れるのに十手を振り払うのは具合がよくなかった。単純に振るより突く方が相手に早く届き、近当て込みの破壊力も突いた方が大きい。
それに、衝撃波の指向性というのだろうか……見えないし直接身で受けたこともないから不明瞭なのだが、起爆した後に多少残っている気がしている。打ち払うと広がり、突くと細く伸びているというか……言葉にしにくい。
ともかく今の私の打突は、私が考えている以上に殺傷力が高くなっているのかもしれない。
これの修練をするのに適した相手が死神なのだが、流石にまだ死んだままかな……船に乗る前に一度一人で見に行ってみたいな。生き返っていたら──。
「ふぅん……ここでの目的って訓練と身体強化でしょ? そうなるともう終わり?」
「明日昼前に来いって。用件は聞いてないけど、それで何もなかったら終わりかな。港町へ向かう前に一度パイトに寄りたい」
「それは全然構わないけど、あっけなかったね」
「私にはあの地獄の十一日間があったんだよ」
思い出すだけで泣きそうになる……お腹にお肉もついてしまった。ぽよん、ってなった。
翌朝、いつもより入念に体操とストレッチを済ませてからリューンを起こす。……まぁ、これで起きれば苦労しないのだ。放置してジョギングでもしに行こうか。
(今日の予定はどうしたもんか。アルシュを離れることになるなら……パイトまでは昼から走れば問題ないけど、港町まで行くと私もリューンも疲れ果てそうだ。やっぱりパイトで一泊だな。それで私だけで第三迷宮に入って、死神がいるか確認する。前回倒したのはリューンと会う前だし、ぼちぼち生まれていてもおかしくなんじゃないかな。生き返ってたらまた浄化しよう。船はその後だね)
お茶を淹れながら椅子に腰掛けてゆったりとした時間を過ごす。走るかもしれないし、気力と魔力を使い込むのは様子を見てからだ。お昼からでも全力で消費すれば、寝る頃にはたぶん尽きるはず。こうして考えると……現状でも結構保ってるのか、魔力。
「でも半日近く迷宮にいることなんて、過去にもあったしなぁ。──ほらリューン、いい加減起きてよー」
「これを渡しておこうと思っての」
昨日言われた通り、お昼前にギースの屋敷を訪ねた私は、数枚の書類と鍵束を一つ、机越しに受け取った。
これ、なぁに? と目で訴えてみると──。
「ルナに持ち家があっての。もう百五十年近く使っとらんはずだが、しっかりとした家じゃ、井戸も風呂も付いているし住むに不足はなかろう。お前さんにやる。独り立ちの祝いじゃ」
「やるってそんな、果物を分け与えるんじゃないですから……」
家一軒プレゼントとか太っ腹にもほどがある。流石にこんなものをタダで受け取るわけにも──。
「同じことよ。腐るかどうかの違いでしかない。まぁ、そんな大きな家でもないからの。気に入らんかったら建て替えてもいいし、不要になったら土地ごと売ってくれて構わん。残されてもルナに接収されるだけじゃからの。ワシにとっては同じこと、というわけじゃよ」
「……本当によろしいのですか? ありがたいお話ではあるのですが」
「おう、酒の礼とでも思っておけ。話はそれだけじゃ。船もあと十日もすればルパに着くじゃろ、次はそこから二月ほど後じゃからの」
そう言って酒瓶の栓をねじ切り、中身をグラスに移して一息に飲み干した。大きく息を吐いて最後の言葉を頂く。
「ワシも楽しかった。達者での、死ぬなよ」
「──ありがとうございました。この御恩、生涯決して忘れません」
「それで、貰っちゃったんだ。家」
リューンは結局あの後も起きず、メモを残して置いていった。しかもこの様子じゃ、起床したのはほんの少し前だ。しっかり目が覚めていたならピーピー泣いているか文句を垂れるかの二択になるだろうし。
「貰っちゃった。国に取られるも私にくれるも同じこと、だって」
「これ、土地の権利書? こっちは譲渡証明かな、本気なんだね。ルナってかなり地価も高いはずなんだけど……」
「家は建て替えてもいいし、土地ごと売ってもいいって。本気だろうね。そうだ、次の船は十日もすればルパに着くって」
「ん、ああ。そうだ、ルパだルパ。うんうん、思い出した、そこで合ってるよ。十日なら余裕あるね、パイトでゆっくりしてる?」
「私は一日か、多くて二日でいいかな、パイトは。早めにルパに向かって個室の予約しておかない?」
「空いてると思うけど、そうしたかったらそれでもいいよ。ずっとルパにいる?」
「コンパーラまではともかく、王都まで行っても……忙しくないかな」
「うん、じゃあそれで。もう出る?」
支度を済ませて……アルシュを後にした。本当に世話になってしまった。私のようなどこの誰とも知れない女を、ここまで鍛えてくれた。
きっといつかまた会いにこよう。山程のお酒を持って。