第八十七話
「ねぇ、この浄化真石一個いくらくらいするの?」
六層で霊鎧を根絶やしにして、いつもの宿へ戻ってきていた。掃除をして部屋を引き払うためだ。棚を回収しておくというのもある。
「外ではその話はしないでね。一個三十七万ちょっとだよ、パイトは六十半ばから八十万くらいで流してるってさ」
「あ、ごめんね。三十七か、でもまぁ……いいのかもね。ここから情報は漏れないんでしょ?」
流石に理解が早い。伊達に年を──。
「そゆこと。六層を殲滅して二千万前後って感じかな。今なら急げば半刻かからないと思うよ」
「そりゃまた……随分と景気のいい話だね。全身魔導具なのも頷けるよ」
「生まれてくるまでに間があるから、その都度刈り取りに向かう必要があるけどね」
今は二人して部屋の掃除をしている。とは言っても、軽く床を掃いて窓の埃を拭いたり……その程度だ。この部屋にも世話になった。オーナーにも。最後に挨拶をしたかったが、今日は休みだそうだ。借りていたスタンドや明かり、掃除道具や鍵を返してお礼を言って宿を出た。言伝は頼んだが、また今度お礼を言いにこよう。
「先にちょっと顔を出したい場所があるんだけど、いいかな? そんな長話にはならないと思う」
「いいけど、私も行っていいの?」
「うん、第四迷宮の管理所だよ。お世話になってるから、挨拶だけ。別件がないこともないんだけど……それは今はいいよ」
拠点を変えたらこの辺に足を運ぶ機会は減るかもしれない。オークションの件は既に私の手を離れて進んでいるはずだし、聖女ちゃんのことくらいしか話すことはないが。
「管理所なら迷宮の帰りに寄ればよかったんじゃ。どうして先にこっち来たの?」
「パイトは北、中央、南に二箇所ずつ迷宮があってここは南なんだけど、南は風と闇石の迷宮なんだよ」
「ああ、そういうこと。火はどこになるの?」
「中央の第一迷宮だね。中央が火と土、北が水と光だよ」
火の第一と水の第五はそれなりに近い。この中間に宿があればそこでもいいけど、後で地図で確認しないと。
「リビングメイルは風の迷宮にしかいないんでしょ?」
「たぶんそうだと思う、闇迷宮にはいなかったし。金策するならあそこが一番なんだけど……あまり修行にはならないからね」
「見もせずに浄化して魔石掴んでたもんね……どれだけ狩ったのか聞くのが怖いよ」
手紙を届ける直前はほぼほぼ毎日顔を出していたので……懐かしく感じる、第四迷宮管理所。
(何かここに来る度に懐かしく感じてる気がするな……)
役人はいなかったが、所長はいるとのことで話を繋いで貰う。リューンはきょろきょろと周囲の観察に余念がない。
ちらほらと見知った顔が見えるのも、ここにそれなりに長く滞在した証だろう。年若い冒険者グループの姿もある。よくダチョウを狩っているのを見かけていた。まだ時間も早いのに勤勉だな、頑張って欲しい。
感慨に耽っていると、所長室へ向かうよう指示され、相変わらずキョロキョロしているエルフを引っ張って部屋へ入る。メガネのことはなんとなく隠しておきたかったので、二人して裸眼だ。
「戻ってきていたか。ちょうどよかった」
部屋には所長と……いつぞや所長と話をしていたエイクイルの中年神官の姿があった。
「お久しぶりです。お話中でしたら私は出直しますが」
「問題ない。済まないが掛けてくれないか。そう長くはかからない」
中年神官の隣に掛けるのは嫌だったが……リューンを座らせるのも嫌だ。などと考えていたら、所長が神官の隣に腰掛けた。助かった。
所長の正面に腰掛け、リューンには申し訳ないが中年神官の前に座ってもらう。先ほどまでキョロキョロしてたエルフと同一人物とは思えないほどキリッとした顔つきをしている。笑いそうになってしまった。
「単刀直入に言う──」
「ここは私から話をさせては頂けませんか?」
なんでもいいからさっさと済ませて欲しい。エイクイルに用はない。
「ふむ。そうですね、いいでしょう」
所長が目で確認をしてきたので、よく分からないが頷いて見せる。それを確認した神官が私の方を見て話を始めた。
「貴方には当方のイリーナが世話になったそうで、まずはお礼を申し上げる。それなのに我々は多大な迷惑をかけてしまった、その件についても謝罪させて欲しい。申し訳なかった」
「お礼と謝罪の言葉はお受けします」
「うむ、それでなのだがな──貴方をエイクイルに招待したいと、我々は考えているのだよ」
「その件に関してお断りすると……はっきり申し上げましたね?」
順に二人の目を見据える。所長はそれほど軽薄でも軽率な人でもない。この神官が愚鈍なのでなければ、これはただの取っ掛かりだろう。
「ええ、所長殿からも聞いておりますとも。意思は変わりませんかな?」
「何があっても変わりません」
「そうですか……それでは仕方ありませんな。では、前置きはこの辺りにして……。イリーナのことなのですがな」
イライラしてきたがここで十手を手にするわけにはいかない……早く終わってくれ。きついんだ、これ。
「貴方に付いていきたいと、強く希望しておりましてな。それも踏まえて、一度話をしてやってくれないでしょうか?」
「お断りします」
間髪入れなかった。これはずっと決めていたことだ。
「──理由をお聞きしても?」
「まず、彼女は少女……子供です。そちらの法も彼女の家庭環境も存じませんが、幼子を連れ歩くわけにはいきません。私はこれからも危険と共にあります」
「次に、彼女は単純に力不足です。気力と魔力の才があるのも、頑張り屋で人一倍努力をしているのも知っています。その点はとても好ましい。立派だと本心から思っています。ですが、私は頻繁に移動を繰り返します。その際馬車を使いません。徒歩……はっきり言えば走ります。彼女は付いてこられないでしょう。どこかで彼女が帰りたいと願っても、私はそれに付き添えません」
「最後に……私は疑っています。貴方が、エイクイルが、彼女を利用して私を懐柔しようとしているのではないかと」
「私がここにいなければ、この話を聞き入れて頂けたのかな?」
しばらく続いた沈黙を破ったのは神官の方だった。私からは話すべきことはない。
「気持ちは変わりません。ですが、会うことを拒みはしませんでしたし、最後の疑念を口に乗せることもありませんでした」
「そうですか……ふむ……」
「神官長、無駄だ。彼女の決意は固い」
所長ナイスアシスト! さっさと終わらせて欲しい。まだやることが残っている。宿も見つけないといけないし……そもそもエイクイルは私に不干渉だったはずじゃないのか。
「どうやらそのようですな……随分と嫌われてしまったようだ」
「何か一つでも……好かれるようなことをなさった記憶がおありですか?」
私からしてみれば、エイクイルは徹底して嫌がらせをしてきたようにしか思えない。本当に、最初から最後まで。
「うむ……うむ。この話は忘れて下され。イリーナには申し訳ないことをしてしまった」
神官はそれきり黙ってしまう。部屋を出ないのかな……まぁいい。
「最初に私の方からいくつかお話があるのですが、よろしいでしょうか」
「聞こう」
「パイトでの拠点を変えることになりました。まだ宿は決めていませんが……。それで、こちらに顔を出す機会も減ると思いますので、ご挨拶をと」
「心得た」
「そして前々から決めていたことではあるのですが、師匠の元で修行を再開するため、冬が過ぎた頃パイトを離れます。その際に一度王都へ寄るので、手紙などあればついでに運んでいきます」
「それは助かるな、是非頼もう」
「最後に聖女の娘についてですが……一人でなら、最後に一度だけ話をすると、お伝え願えませんか? お泊りはなしだと」
「確かに引き受けた。連絡はどちらにすればいい」
「宿が決まりましたらお知らせしますので、そちらにお願いします」
「何を話してたの?」
「以前ちょっとあって、エイクイルの人間にちょっかい出されてたんだよ。それの誘いを断ったのと、第四迷宮から拠点を変えますって連絡。あと知人が連絡してくるかもしれないから、宿が決まったらそこにお願い。って感じ」
管理所を出た後、とりあえず火石の採掘場を見てみようと二人して第一迷宮へ足を向けている。私はともかく、リューンも中々にタフだ。夜通し走って風迷宮で遊んできたところなのに。このくらいでもないと旅なんて続けていられないのかもしれないが。
「ふぅん。役所の人間と親しげなのは驚いたよ、そういうのからは徹底して距離を置いてそうなのに」
「間違ってないよ。私はアレのこともあるから、仕方なくね。会う人間は限定してたんだ。会話をするのは三……四人くらいだよ」
受付の女役人、魔石担当の男、所長……聖女ちゃんもこっち側かな。もうお友達ともいかない。
少し憂鬱になりかけていた私のテンションは、第一迷宮に到達したところで更に落ちることになる。
「うわぁ、人多いねぇ……」
「な、なんでこんなに多いの……? 並んでるのは……順番待ち?」
列を仕切っているのは服装からして管理所の職員だろうが、遊園地のアトラクションじゃないんだから。
「どうする? これ、相当待つよ。中から出てこないと入れてもらえないみたいだし、生まれてくるのも時間かかるんでしょ?」
迷宮の魔物は三十分や一時間で湧いてくるわけではない。ここは知らないが……もっと長いスパンだ。私達は既に一戦こなしているし……今日はいいか。
「火石目当ての冒険者かな……しまったね。考えることは皆一緒だ。他に行くか、宿を決めて休もうか」
私達は幸い、冬を越すくらいの赤石は余裕をもって確保してある。他と競合するのなら、無理してここにいる必要はない……のだが、少し悔しい。考えればこんなこと予想できたはずなのに。
「近くの迷宮はどこ?」
「東に土の第二、北西に水の第五、北に光の第六だね。私は第二にしか行ったことがないよ」
「じゃあ、第二に行こうよ。土石は使い道が沢山あるから、色々試してみたいことがあるんだよ」
「壁でも作るの?」
異論はない。私もあそこは修練の場にちょうど良いと思っていた。数をひたすら相手にする練習。そして副産物もリューンが遊び道具にするという。
「どこに作るのよ……野営の時に使う結界石とか、土石を加工して作るのが一番いいんだ。そういうのを作り溜めしておこうかなって」
「リューン、結界の魔法も使えるの?」
「術式は知ってるけど、魔法としては使えないなぁ。結界石は……説明が難しいな。まぁ、魔導具だよ。魔物除けとかに使うんだ」
そうかそうか、術式は知っているのか。そうかそうか……。
(しかし……浄化と結界が二つ揃ったら、まずいことにならないかな。気付かれる……とか)
私の名もなき女神様は名前も信仰も、最後には力をも失いかけていたけれど、あんなんでも立派な神様だったわけだ。民がどうのこうの言ってもいたし、かつて崇められていたりもしたんだろう。
浄化のみならこの世界にだってそれを使える人はいくらでもいる。結界も、聖女やリューンの言う結界石みたいな例があるし、魔法としての術式があるなら使えても不思議じゃない。
この二つを揃えたら、ちょっとしたことで誰かに、《何か》に、気付かれたり……。
(考えすぎかな……。それでも万が一だけは絶対に避けなくちゃいけない。そもそも、うちの女神様の結界は魔力由来のそれじゃない。とっかかりにはなりそうだけど……悩ましいな。本当は使えるようになりたいんだけど)
第二迷宮の入り口付近に騎士神官の姿はほとんど見られない。流石にこの寒さの中、外を専有して待機したりはしないのか。
「ここは私の知ってる限り一本道の洞窟。数が多いから気をつけてね」
メガネを掛け直して中に入る。やっぱりこれが顔に掛かってないと……落ち着かないな。パイトを離れるまでの辛抱か。
とはいっても五層辺りまではそう大したこともないし、その先も知らない。中にエイクイルの人間は入っていないのか、五層まで進んでも虫の残骸が転がっていることもなく、階層は綺麗なものだった。
「ああ、これは多いね……どうするの?」
「突っ込んで囲まれても……ね。徐々に数を減らしながら進もうよ。ここはずっと、そういう練習に向くと思ってたんだ」
「分かったよ。近くまで寄ってきたものは片っ端から止めていくから」
そして殲滅が始まる──。
命がかかっているというのは確かなのだが……これはモグラ叩きのようで結構楽しい。
甲虫やミミズが宙を飛び地を這い、こちらに向けて迫ってくるのだが……まだ低階層の魔物のせいか、仮に接敵したところで私にはダメージにならない。強化魔法をより強く使えるリューンも同じくだ。
敵は全域から近寄ってきてくれるので、存分に潰して回れる。死骸が残らなければふわふわも効く。リューンさえ守っていればキャパシティを超える物量に襲われることもない。適度な緊張感と没頭できる作業、暇潰しにはもってこいの迷宮だ。
「サクラー、次へ進むのー? 魔石拾うの結構時間かかりそうだけどー」
「これ拾ったら帰ろうか! どの辺にしたものかね……第一迷宮があんなことになってるとはなぁ」
「いやー、大漁だねぇ。嬉しいねぇ」
宿は結局第一と第五、火と水の迷宮の中間辺りに決めた。ちょうど公衆浴場があり、それと程近い場所に金ランクの宿があった。
この宿はキャンプ場で見かけるバンガローのような、小さな石造りの家屋が広い敷地内に立ち並ぶという変わった形をしている。
井戸は使えるが、他のサービスは一切なし。というか家具すらない。だが火気は持ち込んでいいとのこと。敷地の壁は高く周囲の治安もいい。悩むことなく即決した。
持っててよかった次元箱。机と椅子、それにベッドを適当に設置して寛ぐ。リューンは早速机に魔石を広げてニコニコしていた。
魔法袋と魔石はリューンに預けっぱなしになっている。真石は危ないので次元箱にしまってあるが、それ以外は好きに使って遊んでいいと王都に居る時から言ってある。便利アイテムを作ってくれるのは私としても助かるので、次元箱で死蔵するよりは有意義な使い方だろう。
きっちり取り分を分けようかと話し合ったりもしたのだが、半分も受け取れないと頑なになったのでこういう形を取ることにした。私達は普通の冒険者パーティとは違うし、このくらい緩くてもいいだろう。楽だし。
「道具とかは足りてる? 私そういうの全く分からないから、必要な物があったらきちんと言うんだよ」
「しばらくは大丈夫だよ。専門的なものは私も作れないし……そういう勉強をするのもありかもね」
「戦ってばかりもいられないからね、趣味を持つのはいいことだよ」
私の趣味は……特にないな。日本で何して過ごしてたっけ……昼寝とかか。それも途中で邪魔されたわけだけど。
今はこの不思議世界の不思議能力の検証が趣味と言えなくもない。本も色々買ってきてはいる、冬の間はゆっくりしよう。