第八十六話
「おかえりなさいませ。ちょうどよかったです、先ほどお部屋まで伺ったのですがご不在のようでしたので……。お部屋の契約期間がそろそろ終了となりますが、更新はいかがなさいますか?」
お風呂を上がって一度宿に戻ってくると、受付で職員に声を掛けられた。もうそんなになるのか。どうしよう、まだ何も決めてない。
「また少し遠出する予定もありますので、一度二人で話し合って決めようと思います。明日くらいまでは大丈夫ですか?」
「明後日までは問題ありません。明々後日のお昼までに決めて頂ければ」
三日あるか、それだけあれば十分だ。
「分かりました。お手数おかけしてしまい申し訳ありません」
部屋に戻り暖房をセットする。あーぬくい。この即効性は病みつきになるね。
「ねぇ、何話してたの?」
あのくらいの会話でも理解できないのか。どうやって今まで暮らしてたんだろう……共通語を覚えさせなきゃダメだなこりゃ。
「部屋が明後日までだから、明々後日の昼までにどうするか決めてねって。どうしよっか」
「サクラはパイトに行きたいんでしょ?」
「あそこに居れば貯金が増えていくからね。それを抜きにしてもさ」
しっかりと目を見据えて話を続ける。
「これから一緒にいるんだし、戦い方とか練習したいなって。一人じゃどうしようもなかった場所もあるんだ。でも、二人でなら乗り越えられると思うんだよ」
「口説くね。しょうがないなぁ」
真面目な話をしているのにニヤニヤするのは止めて欲しい。照れるから。
「それで、どうやってパイトまで行くの? 抱えて走ってくれる?」
「抱えても背負ってもいいけど、そっちの方が辛くない? 知らないと思うけど、私かなり足速いよ」
「自分で走るよりはマシだよ……パイトまで走るなんて、考えたくないよ……」
「馬車で行くのは馬鹿らしいからなぁ、試しに抱えて走ってみようか。辛かったら他の手を考えるよ」
その日はエルフがくっついてくるので昼食を食べ損ね、翌日からは細々とした準備や強化魔法の習熟に時間を費やした。リューンの防具を新調したかったのだが、お気に召す物がなかったようだ。彼女も魔力身体強化は使えるし、低階層なら滅多なことはないと思うけど……。
そして宿の契約を少し残して切った日の夕方、パイトへのマラソンを決行する。
「じゃあ、とりあえず前に抱えて走ってみるから……無理だったり休憩が欲しかったらどこか身体を叩いて教えて。舌噛むから喋らないようにね」
私は魔導具フル装備。中が見えっ放しになるのでリューンにはロングスカートを無理やり穿かせた。最初は嫌がっていたが、穿いてみると満更でもないようだったのはどうなんだろう……無駄に疲れた。
「分かったよ、サクラも無理しないでね?町一つ分走るくらいは問題ないんだから」
脇から背中にかけてと膝を支えて持ち上げる。する側になるとは思っていなかった、お姫様抱っこ。される予定もなかったけど。
リューンはキャーキャー言って喜んでいるが、門番の人が変な目で見ているので静かにして欲しい。
「無理はしないよ。じゃあ、いいね?」
「うん、ゴーゴー!」
楽しそうで結構なことだが、彼女はこれから地獄を見ることになる。
私は、魔力も神力も万全だ。
「サクラっ、楽しかったねっ!」
「そ、そう……楽しんでくれたようで何よりだよ……」
最初はこれまで通り気力のみでゆっくり走っていたのだ。彼女も余裕だった。この時は人を一人抱えていたこともあって、私指数で精々四十から五十といったところだろう。一人なら六十キロ出るかなといった感じ。
そして、魔力を足して二種強化に切り替えた。ここのところ練習を続けていたこともあって、魔力のみでもそれなりに動けるほどにはなっている。とはいえ流石にリューンを抱えて試す気にはなれなかったので、速度を維持したまま二種にした。
これが驚くほど楽だった。ギースも力の出処が分散するのは楽だと言っていたが……こういうことなんだと初めて理解できたわけだ。
それから彼女の反応を見ながら徐々に速度を上げていった。怖がるかとも思ったが、彼女は平然としていた。一人でマラソンできる九十程度は軽く出ていただろう。更に速度を上げていったのだが──。
(加速していくから、怖かったら教えてね? って言ったのに、最後まで叩かないんだもんなぁ……絶叫マシンとか大好きなタイプだな、これは)
先にギブアップしたのは私だった。人を抱えているプレッシャーもあったのだろうが、単純にスピードについていけなくなった。百を越えてからはもうどの程度で走っているのか感覚で捉えきれなくなっており、敗北宣言をして普通にマラソンできるギリギリの速度を維持してパイトまで走りきった。
腕の中で未だにキャッキャとはしゃいでいるエルフを抱えながら門をくぐり、宿を目指す。
「リューンはこういうの慣れてるの? 怖がるかと思ったんだけど……」
「初めてだけど、楽しかったよっ! すごいねぇ、これなら気軽に往復しようって気にもなるよね。まだ速度上げられるの?」
「上げられるけど、あれ以上は私が怖いから長距離では難しいかな。参ったよ、絶対にリューンが先にギブアップすると思ったのに」
タフだなぁ……でも、怖がって号泣されるよりはマシか。次は泣かしてやる。
夜半に差し掛かっていることもあって、宿の明かりは落ちている。シーツを換えたかったけど、仕方がない……って、そうだ! 忘れていた、大事なこと。
「ね、ねぇリューン……あの暖房って、火気に当たる?」
「浄化赤石を使った暖房が火気にならなかったら何が火気なのって話になるけど……ここ、持ち込み禁止なの?」
暖房なしで冬を乗り切るのは無理だ。これはもう、あの宿は引き払うしかない。気に入ってたんだけどな……残念だ。
「そう。そうなんだよ。しまったね……流石にないとキツイよね?」
「うーん、くっついても寒いからね……もう冬だし。サクラも辛いんじゃないの?」
正直耐えられそうにない。毛布はあるけど……あの部屋はベッドと窓が近い。かなり冷えるだろうことは想像に難くなく……どうしよう。
「他の宿で一泊する? 今から探さないといけないけど……」
「迷宮で時間潰すのはどうなの? 元々その為に来たんじゃない」
おお! すっかり頭が寝るモードになっていた。そうだよ、それでいいじゃない。そもそも夕方まで寝てたのだ。
「んじゃ、第四迷宮行こうか。友達にも挨拶したいし……」
「迷宮ってこういう風になってるんだね」
パイト第四迷宮第一層、ここは敵がいないし天気もいい、ちょっとした憩いスポットでもある。
「しばらくはこんな感じだね、六層は違うけど。リューンはリビングメイル見たことあるんだったよね?」
「旅の途中でね。はぐれが一匹出てきて、そりゃあもう大変だったよ……逃げるわけにもいかなくて」
その辺に出てくるのか……見てみたい気もする、野良霊鎧。流石に野良は逃げるなら追わないでおいてあげよう。
「リビングメイルは何もせずに放っておいていいからね。あっちからお金になりに近づいてくるから。あと六層は地割れがあるから、そっちを気をつけて」
そのまま二、三層のヒヨコを眺め、四、五層のダチョウを二人がかりで仕留め、六層まで辿り着いた。
「うわ、凄い瘴気だね……私は平気だけど、サクラは大丈夫なの?」
「これでも浄化使いだからね」
「そっか、法術師だっけ。全然そんな印象ないから忘れてたよ」
管理所の所長も似たようなことを言っていた気がするが、この世界だと浄化イコール法術なのだろうか。未だにその辺がよく分かっていない。
それっぽいことができるようになったら法術使いを名乗ってもいいかもしれないが、私は浄化しかできないわけで、まだただの冒険者だ。
そして久し振りに友達と会うことができた。しばらくだったねぇ。
「あ、サクラ見て見て、リビングメイル。おっきいねぇ……」
「あれ大きいの?」
「私が見たことあるのは二回りくらい小さかったよ。死の階層ってこんな風になってるんだね……」
「根こそぎにしたいところではあるんだけど……リューンは退屈だろうし先に進もうか。邪魔しに来た奴だけ潰していくよ」
気力と魔力の二種に近当てを上乗せすることで、気力の消費はこれまでより遥かに少なく抑えられる。どこまで削れるかも試しておきたいが……今することではない。
それよりも、心配なのは魔力の残量だ。器と格を拡げるために強化魔法は外せない。毎日干からびる寸前まで使い続けていきたいくらいだ。
メガネ以外の魔導具は総入れ替えが必要……かもなぁ。非常に心苦しい。
ガガンガガンと轟音をまき散らしながら七層への大岩へと向かう。魔石はリューンが管理してくれるので楽ちんだ。
(やっぱり近当て使えると楽だな……気力と魔力のバランスも模索していかないとね)
「問題は八層でね。そこで詰まって引き返したんだよ」
「そんなに強い魔物が出るの?」
「飛んでるんだよ、大空高く。それが降ってくるんだ。いっぱい」
「ああ……それで私に鳥を撃ち落とせるか聞いたんだね」
メガネを渡した時のことだ。ここは正直私単独じゃ攻略の糸口がない。人目が一切ないという前提でなら……手がないわけではないのだが。
六層を適当に散らして逃げるヒクイドリを無視して七層も素通りする。
「リューンは大岩……階層入り口の前で、とにかく自分の命を大事にして鳥を落として欲しいんだ。私は落ちたものを始末していく。突破できそうだったら先に進もう」
八層への大岩の前で打ち合わせをする。にっくきトンビ……あの頃とは違い、今なら一撃で倒せる。防御力も上がっている。なによりリューンがいる。今度こそ浄化し尽くしてやる。
決死の覚悟を決めて八層へ足を踏み入れたのだが──。
「ああ、あれかぁ。あれなら簡単だよ」
思わず振り向いた。今何を言ったこいつ。
空をピーヒョロ鳴きながら飛んでる忌々しいトンビ野郎を、簡単と……?
「あれね、生身で轢かれたらそりゃ痛いんだけど……本体は軽いんだよ。骨も脆いし。身体強化きちんと使っておけば突進受けても大丈夫だよ」
「えぇ……嘘でしょ、あいつ私の一撃を耐えたんだけど」
「中身スカスカだから、ダメージにならなかったんじゃないかな。頭とか腹とか、そういうところ狙えば子供でも倒せるよ。小さい子は危ないから戦わせて貰えないけど」
比較的近くにいた個体をリューンが光の縄で絡めて……高空からそのまま自然落下したトンビは、墜落して死んだ。
「嘘でしょ……こいつ魔石も大きいんだよ? こんなあっけなく死ぬの?」
「カモネギとか呼んでる地方もあるよ。食べ物がお金持って落ちてくるようなものだから。後は弓の的に使われてるのをよく見たね。動きは速いから」
滅茶苦茶な扱いだ。私はこんなものに……こんなものに……。
「ほ、ほら、サクラは回避が主体だから……それで気付かなかったんだよ。用心深いのはいいことだよ、ねっ?」
試しに強化魔法を強めに設定して突進を受けてみたが、奴はあっけなく死んだ。私は少し身体がよろめいたくらいでダメージにもならない。
「リューンがいてくれてよかったよ……第四迷宮の冒険者は、皆こんなのを倒して先に進める歴戦の猛者揃いだと思ってたんだけど……こういうオチだったのね」
ピーヒョロ鳴いて落下してくる集団を適当に十手であしらっていくと、辺りには緑石が散らばっていく。しばらく続けたところで潰れたトンビと緑石の小山が出来た。
「死肉はどうするの? 風石取る?」
「お金になるかな?」
「ならないこともないけど……これ見ちゃうと時間の無駄だね。捨てていっていいと思う」
そう言ってリューンは嬉しそうに緑石を回収していく。私も手伝って拾って回る。
「あーっ! もうっ! 納得いかなーいっ!」
「楽でいいじゃない。ほら、浄化緑石。大きいねぇ、綺麗だねぇ……」
八層に出てくるもう一種はヒクイドリだった。遠目でチラッと確認できたが、奴は逃げるので放置して先に進む。
「何か気が抜けちゃったよ。ここから先は初めてだから、気をつけないと」
「私が後ろを見ておくから、サクラは前でどうかな? 見つけたら言うよ」
「それでいいよ、とりあえず進んでみようか。死の階層は抜けてるから急に変なものは出てこないと思うけど」
死神とか……ね。
第四迷宮はヒヨコヒヨコダチョウダチョウ、リビングメイル、ヒクイドリときて、八層がヒクイドリとトンビ改めカモネギの二種だった。
こうなると、九層にもカモネギが出てくるのは大体想像ができるわけで……案の定出てきた。八層以上の数で。
「降ってくるのは全部撃ち落とすから、変なの居ないか確認してくれないかな。余裕があったら適当に数を減らしてくれると助かる」
多少強い個体になっているかもしれないが……あの急降下が見掛け倒しだと判明した今も、手心を加える気は一切ない。
「了解、二種類いるかもしれないんだよね? 気をつけておくよ」
リューンは運動音痴じゃないし、魔力身体強化で防御もそれなりにある。油断はできないが、この階層ならある程度放っておいて大丈夫だろう。
種が割れてしまえば、ここはいい修練所になる。高速で浄化緑石が降ってくる。肉塊になれば一点減点だ。
攻撃力の上昇に目が行きがちだが、足が強くなったことで敏捷も大きく上昇している。踏ん張って駆け出す必要が薄くなり、足が接地していれば、多少踏み込みが浅くても十分な速度を得られるようになっている。二、三歩目からはトップスピードだ。これの制御にも手間取ったが、カモネギを撃ち落とす作業に没頭する内にやがて慣れた。
「サクラー、上にはカモネギしかいないみたいだよ。地面にも見える範囲にはいない」
「ん、分かった。八層が例外だったのかな、適当に済ませて先に進もう。リューンも数減らして欲しい、遠くにいるやつ」
「リビングメイルといいカモネギといい……近づいてきてくれる敵は楽でいいね。ずっとこうならいいんだけど」
「カモネギはともかく、リビングメイルは楽じゃないよ……あれ私だと一生使っても一匹倒せないかもしれないのに」
戦闘より魔石の回収が大変なのはどうなのか。こんなのでもいくつかで浄化真石一個分にはなる、かつて王都の東門で騒ぎを起こした身としては、捨てていくわけにもいかない。
「私はリビングメイルの天敵だからね。トンビには苦戦したけど……もう倒せる。あいつはただのカモネギ」
「トンビはまた別にいるよ。群れてないから、索敵さえ上手くいけば二人なら楽勝だよ」
続けて到達した十層からは、敵の様相が変わっていた。
「恐竜?」
「竜だね。小型だけど……それなりに強いから気をつけてね」
ギースさんどうしましょう。私はクマやゴリラより先に竜に出会ってしまいました。高さ二メートル程の個体だが……あんまり大きく感じないな。細身だからだろうか。
「あれの動きとめられる?」
「余裕だよ。二匹目は近づけさせないから、存分に浄化しちゃって」
「頼もしいじゃない。あの光の縄、外してるところ見たことないんだけど、使いやすい魔法なの?」
「長くこればかり使ってて慣れてるっていうのもあるけど、この魔導具の恩恵も大きいね。これ、きちんと視認できていれば外れないんだ。あんな高空を飛んでるカモネギを撃ち落とせるようになるとは思ってなかったよ」
走ってきた二足歩行の小型恐竜に適当に一撃入れて……これも緑石になった。カモネギより更に大きい。肉食っぽかったけど、こいつも風石系統なんだな……。
「リューン、数が減ってきたらちょっと一対一でやらせてくれないかな。二、三匹でいいから」
「分かったよ。その時は合図するから、気をつけてね」
私に近づいてくる個体……ダチョウに近い速度で向かってくるが、リューンによって数瞬完全に動きが止まることによって運動エネルギーが失せ、再始動がかかる頃には私が一撃入れて浄化し終えている。これは本当に楽だ。探す手間を省くために生成された魔石は適当にリューンの近くに放り投げている。
「後二匹で近場は終わりかな、こいつらは放っといていいんだね?」
「うん、お願いね。危ないと思ったら止めてくれると助かるよ」
言うなり強めに駆け出して、すれ違いざまに一撃ずつ入れて二匹とも魔石にする。これは勘違いしそうだな。
「お見事。お疲れさま、遠くの個体はどうするの?」
リューンは周囲を見渡した後に魔石を拾い始める。毎度この作業を楽しそうにこなすものだから……まぁ、いいや。
「んー、そいつらはいいや。残りのリビングメイル刈り取って戻ろうか。ぼちぼち日も上る頃だよね」
「そう……だね、そろそろかも。サクラが時計欲しがってたのって、こういうことだったんだね」
「中にずっといるとね、時間の経過が分からないんだよ。大まかにでも分かればいいんだけど」
「あれは高いからね……時計買うために稼ぐ生活になるんじゃないかな。お勧めはしないよ」