第八十三話
「お湯を作る魔導具はあるけど、私には作れないよ。普通にコンロと鍋でいいんじゃないかな?」
夕飯後に部屋に置きっぱなしにしていた私のメモに目を通したリューンが言うに、電気ポッドのような魔導具も存在はしているが、この手の便利グッズはやたら値が張るのだと。コンロくらいなら普通に売っているので、持ち運ぶにしてもこれでいいのではないかと。
共通語は分からないと言っていたが簡単な単語くらいなら読めるようだ。
「コンロでも外でお茶飲むくらいはできるね。探してみようかな」
そして、私もリューンも料理は不得手だった。お茶を飲むためだけの設備になりそうなのが少し悩ましい点ではあるが……。
「私もお茶は好きだし、飲めるなら嬉しいけど……その為に買うの?」
「一人なら買わなかったと思うけど、二人いるならねぇ。百万とかするものでもないでしょ?」
「そんなにしないよ、数万で良い物買えると思う」
それくらいなら惜しむほどのものでもない、次元箱の容量にはまだまだ余裕がある。
「赤石を集めないといけないね。この辺だと猪か……パイトならいくらでも取れるんだけどな」
「この辺りは火石集めるのには向かないね。少し遠出すれば群棲地もあるけど、パイトに行くのとそう変わらないかも」
「魔石は迷宮で集めるのが楽なんだよね。修行の際にパイトを経由して戻るから……少し滞在して集めようかな。他の魔石も動力源になるんでしょ?」
「冷房とか欲しかったら水石が必要になるよ。風を起こしたかったら風石とかも。冷房は暖房の魔導具と同じで作るの簡単だから、涼を取りたかったら沢山あった方がいいね。他は専用の魔導具の動力として、かな」
今朝はそれなりの数の鹿を浄化蒼石にした。これで冷房も作れるという。便利なものだな。
「水石から水は作れないの?」
「作れなくはないけど、物凄く効率が悪いよ。魔導具自体は簡単なものだけど、水が枯れた時の緊急用だね」
二人で集めた魔石を手にしてリューンはニコニコしている。私の浄化品は形こそ歪だが、一見ただの宝石にしか見えない。私は最初からお金として見ていたが、リューンは違うのかもね。
「これを冷房に使うのはもったいない気もするけど……迷宮に行けばいくらでも取れるんだよね?」
「大きさはともかく、その質のものがいくらでも湧いてくると思っていいよ」
夢のようだね……。と彼女が笑う。結界は未だに出番がないが、浄化は存分に使い倒している。ありがとう女神様、これのお陰で生きていられます。
「そういえば、光石と瘴石はないんだね?」
「光石が取れる迷宮は拠点から離れてたんだよ。都市の端から端で、行く機会がなかったんだ。黒石は全部売っちゃった。瘴気持ちとも長いこと遭遇してないから、持ってないね」
光迷宮に行く機会、一度だけあったのだが……あの時は聖女ちゃんのお願い攻撃に屈してしまった。
お別れを言いに一度戻っておきたいけど、お酒受け取ってからで大丈夫かな。冬場に国へ帰るなんてこともないと思うけど、入れ違いになったら面倒だな。
「リューンは気力使えないんだよね?」
「使えないよ。どうしたの急に」
「気力が使えるなら、パイトまで走って行けばいいかなって思ってさ。魔力身体強化使って夜通し走るのはきつい?」
「やめてよ、きついとかいう話じゃないよ。そんなことしたら死んじゃうよ……」
本気で嫌な顔をされる。流石に死ぬほどキツイとまで言うなら強いるつもりはない。
「無理かぁ。馬車だと時間かかるから、どうやってパイトまで行こうかなって」
「町一つ分くらい走るなら大丈夫だと思うけど、夜通しっていうのは流石に無理だよ。パイトと王都って、そんなに気軽に往復しようと考える距離じゃないんだからね?」
私だってそう何度も往復したくなんてない。これまでは全て、止むに止まれぬ事情があってのことだ。王都に戻ってきたのは私情からくるものだけど。
「速度の出る乗り物でもあればなぁ」
「そういうのもあるけど、個人で購入しようとか考えるような物じゃないよ」
お? それは聞き捨てならないぞ。
「あるの? 早馬車よりも速度出る?」
「あるよ。出るよ。動力は魔石だったり魔力だったりするけど。ただ、数十億とか、それ以上するのが当たり前だよ。メンテナンスも必要だし、買おうなんて思わない方がいいよ」
数十億……ならなんとかなる。なんとでもなる。これは真剣に検討しておこう。問題はそれが一般でも買えるかどうかだが……今はいい。メンテはリューンに覚えてもらえばいい。がんばれ!
とは言っても、今現在私が持っているお金は一億半とちょっとだ。死神の魔石で懐が潤っても、手当たり次第に買って回るというわけにもいかない。
翌日の午前中、買い物に行く前に私はリューンから魔力身体強化の指導を受けていた。
「ドワーフの魔力身体強化は気力と同じで、人体の組成を強化するものなんだよ」
真面目な話なので、ベッドではなく椅子に座っている。真面目な顔をしているとメガネも相まってほんと理知的な女教師だ。教えてリューン先生。
これが大通りで座り込んで大声で号泣していたエルフと同じ物体だとは思えない。ぴーぴー泣いていないのに違和感を覚えるくらいだ。
「一方で、ハイエルフの魔力身体強化は体表に膜や鎧を作るようにするんだ。イメージできるかな?」
言わんとすることは分かる。分かるんだけど……。
「それ、筋力の強化には繋がるの? 防御力は上がりそうだけど」
「私がたまに使ってたの知ってるでしょ? あれ無意識というか……ほとんど魔力使ってないんだよ。それくらいの強化なら、覚えたてでもできる。あの棒が飛ばないように握り締めるくらいのこと、わけないよ」
私の素体は非力だが、リューンもそうは変わらない。常にそれなりの気力を使っている私が彼女の力を強いと感じ、強引に引き剥がそうとすれば怪我をするだろうとまで思ったわけだ。下手したら今私が使っている気力より強い強化がほぼ無消費でかかり続けることになる。……嘘でしょ?
想像していたものより遥かに高性能なんだけど。それで魔力を増やせばより強化されるんでしょ? なんでこんな技法が広まってないんだ。
「防御力も上がるけど、斬撃はともかく衝撃に弱いんだ。体内は強化されないからね。同じ理由で長距離を走らされると内臓に……負担がかかるんだよ。だから本当に止めてね? 本気でお願いしてるんだからね?」
本当に嫌そうにしている、何かトラウマでもあるんだろうか……ここまで嫌がるとは。そういう訓練でもあったのかな。
「覚えておくよ。聞く限りものすごい魔法みたいだけど、広まってないんだ?」
「放出に回した方が便利なことが多いからね。過去使えたって人も、使わなくなって放置したら消えてたとか……よく聞く話だよ。失伝するような物でもないけど、もう使えないハイエルフもきっとそれなりにいると思うよ」
「そういうものなんだね。分かったよ、ご指導よろしくお願いします」
「うん、お願いされたよ。じゃあ、脱いで?」
何だこのエロエルフ?
「まだ朝だよ。この後買い物にも行くのに……」
「ち、違うよ! 術式を刻まないといけないのっ! 魔法は見聞きしただけじゃ使えるようにならないのっ!」
「それを先に言ってよ、びっくりしたじゃない。全部脱げばいいの?」
そう言って服を脱いでいく。そういえば刻むって……刺青でも入れるのかな。タトゥーは経験ないんだけど……。身体強化の為なら、多少傷をつけるくらい甘んじて受け入れよう。
「もうっ!……うん、全部脱いで。脱いだらそこに寝て欲しいな」
声の響きが甘ったるくない。本当に必要なことみたいだ。私のために真面目にやってくれているんだし、茶化すのはもう止めておこう。
多少寒いが我慢だ。丸裸になってベッドに仰向けで横たわる。リューンは筆と……最近作っていた魔導具……? 黒い糊のような液体の入ったコップを持って近づいてくる。
「それを身体に塗っていくの?」
「そうだよ、先に回路を明確にしようと思って。これはその為の補助具だよ。直で術式を刻んでもいいんだけど、あれ結構苦痛だから……」
「よく分からないけど、任せるよ。優しくしてね」
「痛くはしないよ。すこし痺れるかもしれないけど」
痺れる? 嫌な予感がする、ギースにされたあの──。
「ピイィッ!?」
「サクラ、お手本みたいな回路してるね。教本に載せたいくらいだよ」
たっぷり二時間ほどの時間をかけて、身体の隅から隅まで墨塗れにされた。不思議なことに、シーツに墨は付着していないようだ。
くすぐったい以上にあのビリビリが……これヤバイ成分入ってないよね? ピリピリしてる間はまだ耐えられたが、墨に塗れた面積が広がるごとに痺れが段階を踏んで増えていき、最終的にビリビリしっぱなしになった。
全身を隈無く弄ばれた私はもう疲労困憊だ。肩で大きく息をしながらベッドに倒れ伏している。何で毎度毎度こんな目に……。
「何なのよ……手本って」
「魔法の適性って、言うなれば回路が対応してるかどうかなのよ。手に回路が繋がっていなければ手から魔法を放出できない。沢山回路が繋がっていれば、より広く多く魔力を放出できる。こういうものなの。サクラは偏りがないんだ。満遍なく、全身に綺麗に広がっている。特徴はないけど、回路が少ないわけでも細いわけでもない。やろうと思えばきっとなんでもできるよ。全身を使う魔力身体強化とは相性がいいね」
私は元々魔力なんて持っていなかった普通の地球人だ。きっと私の名もなき女神様がそれっぽく弄ってくれたのだろう。
そんなオールマイティな特性を持たされながら脳筋一直線に突き進んでるのは……申し訳なく思うべきなのだろうか。
「普通ってことはとりあえず分かったけど、これで身体強化が使えるの?」
「まだだよ。まず今から術式を刻む。それが馴染むまで待つ。それで使えるようになるから、練習はその後だね。三日もあれば馴染むと思うよ」
「そういうものなんだ」
「そういうものなの。火玉とか、そういう簡単なものなら半日もかからないんだけどね。右手の強化だけより全身の強化の方がいいでしょ?」
「もちろん。その間ずっと寝てないとダメ?」
「そんなことないよ。魔導具は外して貰うし魔力は使ったらダメだけど、普通に生活して大丈夫だよ。気力は……分からないから、できれば使わないでいて。完全に切れるんだよね?」
「気力を切るのは問題ないよ。魔力は……次元箱、常に魔力使ってるんだけど平気? これ切れるか分からないんだけど」
「出入りしなければ大丈夫だよ。今のうちに取り出す物ある? ──じゃあ始めるから、いいって言うまでじっとしててね」
お金は既に魔法袋に入れてある。首を振ると、リューンが素手で私の胸元に触れ、ゆっくり魔力を流してきた。人の魔力ってこんななのか、初めて感じた気がする。特に熱も粘性もないんだな、気力とは違う。
何度も何度も同じ波……というか、同じようなリズムの魔力を流されている。これが身体強化の術式とやらなのだろうか。さっぱり分からない。未知の言語で話しかけられているような、そんな感覚。それが頭の天辺から指の先々まで拡がっていく。
(この内部が拡張されるような感覚は、神格を授受した時を思い出すね。女神様、私は立派にゴリラ化しています……)
「──ん、完璧。我ながらいい仕事をしたね。もう動いていいよ」
それから一時間程だろうか、お昼前といった時分に作業は終了した。
「ありがとう、これで終わり?」
「終わりだよ。サクラの回路は把握したから、次からはビリビリするのは飛ばせるからね」
「それは本当にありがたいね。今の私でも、いくつも魔法を覚えられるものなの?」
「ドワーフの魔力身体強化も身に付けるんでしょ? そうなると……今の格の感じだと、他は多くて二つだね。一つが限界だと思っておけばいいよ」
「一つか……よく吟味しないといけないね。考えておくよ」
「しばらくは身体強化の制御に慣れることを優先した方がいいと思うよ。連続で術式を刻むのも負担が大きいから」
どんな魔法があるのかもよく知らないし、急ぐことはないか。