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第八話

 

 日の出が近づいている。微かな光を感じ、目を開いた。

 寝ていたわけではない、おそらく。寝てない、たぶん、きっと。

 幸いなことだ。私は食い散らかされていない。敵襲はなかったのだろう。

 少しねむ──休んだことで活力が戻っている。お腹がうるさいけれど、歩くくらいは問題ない。

 辺りを見渡すが、あの大樹は確認できなかった。まだ日は低い。

 立ち上がり、軽く身体を動かし固まった筋肉をほぐす。ここはもう決して安全な場所とは言えない、油断はできない。していた気もするけれど。


(そうだった、素振り、素振りをしよう)

 あの後、新たに思いついたことだ。戦闘訓練の一環、やらないよりはきっとマシだ。

 昨夜も少し身体を動かしてみたが、流石に休まないと不味いだろうと思い程々で切り上げた。

 いざという時、躊躇いなく暴力を振るえるように。命を奪えるように。準備が必要だ。

 十手の柄は両手で持つには少し狭い。昨夜は両手で握って突きつけたが、これはとても軽いため片手で振り回すことに全く問題はない。

 右手で握り、振りかぶって軽く振り下ろす。手を伸ばしきらないように、少し曲げて……腕にかかる負担が減ったのを確認すると、力を込め、改めて素振りを始める。

 上から眼前に、頭を割るように。上から眼前に、肩を壊せるように。上から斜めに振り下ろす、首を断ち切るイメージで。

 下まで振り下ろす。狼を打ち据える。右から左へ、その逆へ、何かを振り払えるように。

 普段からずっと右手で握っているが、左手でも同じことを繰り返す。身体を半身にしてみたり一歩踏み出して突き入れてみたり。素人の浅知恵ではあったが、滑稽だとは思えない。死にたくはない。笑うなら笑えばいい。

 明らかに対処ができない困難からは逃げ出す判断も必要かもしれない。そんなものには近づきたくない。だが、対処できる範囲の問題を処理できず死ぬのだけは嫌だった。


 立ち位置をぐるぐると変えて、周囲を見渡しながら素振りをしていると──警戒のためだ、一応考えている──遠くに例の大樹を確認することができた。

 このままあれから離れるように進んでいく。真南へとはいかないだろうが、十分だ。移動を開始しよう。

 そこでふと、地面に昨夜倒した狼の欠片が残っていることに気がついた。薄く削れば透き通るであろう黒く着色されたようなガラス片のような何か。

 これが何かは分からないが、危ないものなら捨ててしまえばいいと思い、ポケットに入れて持っていくことにした。

(これ絶対忘れてこのまま洗濯する奴だな……)

 神域での強制洗濯機を思い出して若干気が沈むが、気にしないよう努め、足を動かす。


 泉の終わりは思ったよりもだいぶ早く訪れた。きっと一時間と歩いていないだろう。木や森が見えなかったのでまだまだかかるかと思っていたが、坂を上がるように泉の縁へ足を踏み出すと、そこには北側と同様、草の生え茂った平地の先に、すぐ森が広がっていた。

 陸地から森に向かって歩を進める。森のすぐ正面までくるも、水面に叩きつけられることはない。

 少し寂しくなったが……気持ちを切り替えて、これからのことを考える。

(水場や木の実、食べ物……毒があったらまずいけど、これ浄化でなんとかなるかなぁ……ならないだろうなぁ)

 キノコの類は全て無視すると決めていた。流石に毒キノコのない世界だなんて都合のいい話はないだろう。

 動物も、今なら生で齧り付けそうだが、流石に火もないし一旦保留。

 理想は鳥などが食べていることを確認できた木の実だが、最悪その辺の草だ。

 植物で肌がかぶれるのは当面無視する。なるべく気をつけたいが、難しいだろうと思う。

(なんで私は長袖長ズボンで靴下と靴を履いて寝てなかったのかなぁ……)

 あとライター、マッチでもいい。それくらい……駄目か、水に浸かった段階で……いや、水じゃないのか? いける?

 泉の底を歩いていた時にはあまり感じなかったが、しっかりと肌に風の流れを感じる。私は敵の臭いが分からないが、敵は私の臭いに気付いて寄ってくるかもしれない。


 木々に阻まれて先を見通せないが、とりあえず深くまで入らずに、森の浅い所を探索してみることにした。

 十手を正面下段に構えながら、未知なる世界へ踏み入る。

 虫の鳴き声はしない、誰かが足を踏み入れたような……獣道のようなものもない。人工物のようなものも見当たらない。静かだ。

 ここにきて猟師が罠を仕掛けていたら、という懸念が頭を過るが、私はその方面に関する知識が全くない。虎鋏のようなものはまずいが、落とし穴くらいなら……害虫駆除目的でもなければ毒を使ったりはしないだろうし、そもそも、こんな森の外れにしかけるだろうか。考えても回避する術がないので気にすることを止めた。

 いっそ、その辺の木に登って周辺の確認をしてみるべきだろうか。木の高さは高々数十メートルだろうし、その程度なら相棒との連携でなんとかできそうだ。

 水、食べ物、登れそうな大きな木。敵、狼、人。周囲に気を配りながら歩を進める。まだ深くまでは踏み入れない、最悪戻れるように。

(それにしても、緑一色だ。花の一つも咲いていない。こんなものなのかな)

 気温が上がってくるにつれて、少し汗をかいてきたのを感じる。べたべたとして気持ち悪い。

 貴重な水分をあまり外に漏らさないで欲しいのだけれども……。

 日が暮れるまで探索を続行するつもりもない。このまま何も見つけられなかったら、明るい内に大きくなくてもいいから登れそうな木だけは探したい。

 また狼が襲ってくるかもしれない。地面で眠るのは少し怖い。


 上に下に、考えられる範囲で注意を続けながら探索を続けていると、ふと音が聞こえた気がした。

 歩みを止めて耳を澄ます。微かに聴こえる、ちょろちょろと……水? 水!?

 森の奥、確かに聴こえてくる。流れる音、水の流れる音。沢か、川か、滝か、とにかく水だ。

 日はまだ高い、戻ってこられるかな……。とりあえず木に傷をつけながら移動する。許して。

 忘れていたが、草は普通に引き抜けたし木に傷も付けられた。まだ口にしてはいない。

 水音がはっきり聴こえるようになるにつれ、木に印を付けるのが疎かになり、浮足立つ気持ちを抑えることができなくなった。

 いつ以来だろう、とにかく口にできる。いい加減目眩を覚えるかどうかの瀬戸際だ。

 一応崖があるかもしれないと足元は特に注意をしている。踏み外して転落なんてことになったら危険だし、水から離れることになったら心が折れるかもしれない。


 そして、視界に川……沢かな、とにかく水が視界に入った。

 水量はそれなりにあり、流れは穏やかだ。私は決めていた、とりあえず浄化だけかけて躊躇いなく飲もうと。

 足を滑らさないように気をつけながら水辺に近づき、座り込んで手を浸す。つめたい。近くで見ると水は澄んでいてとても綺麗だ、このまま飲めそうだが、両手で水を掬い、狼の時と同様に『浄化』と念じてから口をつける。

 たまらなく美味しかった。飲み過ぎるとお腹を壊しそうだが、今はそんなことは瑣末(さまつ)なことだ。何度も掬って口にする。どうせ誰も見ていないからと、日のある内に水浴びもすることに。中央は分からないが、水辺はそれほど深さはない。膝の辺りまで水に浸かる。深い所にはいかないように気をつけよう。

 もうボロ布同然だが、まだ衣服の体を成しているTシャツと短パン、それと下だけだけど、下着も……。水洗いする。冷たくて気持ちいい。横になりたいが、今はまだ駄目だ。まだ食べ物も見つけていない。ああ、水だ、水はいい。命の水だ。今これを私から取り上げる奴がいるなら、私はそれを絶対に許さない。誰であっても躊躇いなく殺す。


「ん、マズイなこれ……」

 水辺から少し離れていた場所に置いていた十手を『引き寄せ』て握り締める。あまり長時間身体から離すと表面化してくる。優先順位は遥かに低くなったとはいえ、これもその内なんとかしないといけない。

 気持ち悪くはあるが、身につけてさえいれば実害はないに等しいのだから。

「そうだ、十手も洗ってあげよう。……錆びないよね?」

 気を取り直して他のことに目をやる。私の相棒、せっかくだし手入れしてあげよう。

 質感に対して異常に軽いそれが金属でできているなんて思ってもいなかったが……。試しに沢に沈めてみようとしたが中々沈まず、力を込めて沈めてもすぐに浮かび上がってきた。

 どうやらあの異常な浮力も再現してあるようだった。私が心の支えにしていた一因だけあってありがたくはあるのだが……いや、素直に感謝しておくことにしよう。ありがとう、私の愛しい女神様。

 服を使うのもあれなので、手で撫でるようにして十手を洗う。特に汚れがついているということもなかったが、気分的な問題だ。狼を打ち据えたりしたし。

 隅から隅まで撫で回すと、軽く振って水を切る。割と長時間冷水に浸したのだが、それは仄かに温かいままで、冷たくなっていたりはしなかった。

(熱を通さないのかな。検証してみたいけど……後でいいや)


 この沢をベースにするとして、水の問題が解決した以上、次に求める物は食べ物だ。

 寝床の問題もあるが……沢なら動物が水を飲みにくるだろうか、熊とか……熊は怖いな。逃げられるとも思わないから対峙することを考えておかなければいけないが、浄化で無力化できなかったら私が餌になる。あの狼みたいに分かりやすくモヤモヤしていれば勝機もあるかもしれないが、普通の熊だったら極力逃げたい。

 そしてあいつらは木に登れるはずだ、出会ったら駄目だな。それ以下のサイズなら……ゴリラとか? ゴリラ……ゴリラは怖いな。意思疎通できないだろうか。

 未だ有効になったことがない上に、本人がはっきりと宣言したわけではないから存在も疑わしくはあるのだが、意思疎通の力も一応女神様の力の一端のはずだ。私はそれをそのまま受け継いでいる、はず。でもあの人最初から対面するまでずっと失敗してたんだよね……。難しいかな、狼のこともはっきりとは分からなかったし。

 衣服を絞ったら破れそうだったので注意して水を切り、水辺の石の上に並べて干す。

「あー、シャツ穴空いてる……血も付いてるから、狼の時だなこれは。私の背中どうなってるんだろう、水は染みなかったけど」

 祠を蹴り付けた時も……いや、だいぶ不敬なことやってるな私、許して……。あの時も、足裏で蹴りを入れた際に血が出ていたかもしれない。

 確認してみるが、今の私の足の裏は、多少薄汚れてはいるが特に切れたりはしていない。

(血が出たのが気のせいじゃなければ、回復が早い? 生命力……生力? これのお陰かな)

 うちの女神様の管轄は浄化であって治癒ではないはず。聖女とかなら両方使えそうだけど……私はそれとは程遠い。

 共通点といえば、性別と鈍器を振り回すこと位だ。あれ、聖女って杖かな? 鈍器は僧侶か……いいやもう。

(指でも切ってみれば分かりそうだけど……何かないかな)

 試してみようと適当な石を探し始めた所で、沢のせせらぎでない、物音のようなものが聞こえた気がした。

 慌てて衣服を身につけようとしたが、手にとった辺りで後方から誰何(すいか)の声がかかる。


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