第七十八話
魔法学院の門には昨日と同じ門番が待機していた。姉妹を呼びに行ってくれた人なので話が早い。詰所の応接室へ通された後、すぐ門番が校舎へ向けて走って行くのが窓から確認できた。
(校内放送でもあるのかな。連絡網の一つや二つないと人を呼び出すのも大変だよね)
大学の規模にも色々あるが、魔法学院のそれはまさに大学構内といった感じで懐かしさを覚える。
(伝声管くらいならあってもおかしくないか……建物が離れてたら意味がないだろうけど、魔導具を使った便利システムが構築されていてもおかしくはない。気にはなるけど、私には縁のない場所だ)
部外者が入れないのは仕方がない。今後はリューンが私のそばにいるだろうし、魔法関係は彼女に聞いてしまえば大体は解決するだろう。まだあまり話をしていないが、彼女はああ見えてかなり博識だ。年は聞いていないが……長いこと勉強していたんだろう。それなら言葉の一つや二つ、マスターしていてもよさそうなものだが。旅をしながら共通語を覚えていくという教育方針には疑問を挟まずにはいられない。最低限でも学んでから外に出るのではダメなんだろうか。
それからしばらくして、肩を揺すって起こされた。目が覚めて身体が硬直する。姉妹がこちらを覗きこんでいるのを見て、初めて眠っていたのだと自覚した。
「し、失礼しました……。お恥ずかしいところを」
寝て待つなんて失礼極まる。それにしたってこんな見ず知らずの場所で眠るだなんて……気が緩みすぎている。
「いえいえ、お待たせしてしまい申し訳ありません。授業が長引いてしまいまして……」
「今日は珍しく良いお天気ですもの、眠たくなるのも分かります」
おっとりとした姉妹がソファーの対面に座ったので、気持ちを切り替えて本題に入る。
「手紙の方、書き終えましたので、これをお父様にお願い致します」
大きめの白い封筒を一つ渡される。この中に全て入っているのだろう。
「責任を持って届けます。では、私はこれで失礼しますね」
鞄に入れるには若干大きいが、折り曲げるわけにもいかない。後で箱に持ち込もう。今日はどの道夜まではあまり急げない。宿に戻る手もあったが、深夜に国を出るのは億劫だと過去に学んでいる。
「お待ちになって。お父様に一つ、言伝をお願いできませんでしょうか?」
腰を浮かしかけていた私に制止の声がかかる。どちらが年長だか分からないけれど、背が高いから恐らくこっちが姉だろう。伝言くらいは大したことでもないし、サービスで受けてもいい。
「はい、構いませんよ」
「ありがとうございます。弟が拗ねていたので、彼にも手紙を出してあげてください。とお伝え願えますか」
所長、子供三人じゃなかったのか! パイトに最低一人はいて、王都に姉妹と、更に弟か。お父様頑張るな。
「ふふっ、かしこまりました。必ずお伝えしますね」
「お引き止めして申し訳ありません。よろしくお願いします」
一礼して部屋を退出した。門番に門まで先導されて魔法学院を後にする。とりあえず一度箱へ入りたい。その前に何か食べるかな、昨夜は持ち帰りのお菓子を食べただけだし、朝も食べていない。この時間なら門はもう混み合っているだろうし、軽く食事をしても──。
(あれ、水最後に換えたのいつだっけ? ──思い出せない。大丈夫かな……浄化を最後にかけたのがいつだったかも思い出せない。結構危ない気がする。どうしよう、街道沿いで宿を借りる? それは面倒くさいな。……お酒でいいか、浄化しながら飲むのはまだ試していないし)
冒険者ギルドの近隣には酒場も酒屋も多いし食事処も点在している。ギルド内でも飲み食いできるのだが、冒険者はとにかく多いし流石に処理しきれないのだろう。
この辺の飯屋は使ったことはないが……そう長居するつもりもない。西を目指していたところを引き返し、南の二層からギルドのある四層へ足を向けた。
飲食店はなんというか、雑だ。際立って不衛生であったり真っ昼間から酔客が転がっているということはないものの、お上品でない方々で店内は賑わっている。これでも比較的綺麗目な店を選んだつもりだったのだけれど……まぁいい。
カウンターで適当なランチメニューを頼んで店内の声に耳を傾ける。魔物がどうだの実入りがよかっただの、大声で騒いでいる冒険者の声は耳を澄ますまでもなく勝手に入ってくる。そんな中一つ気になる情報があった。コンパーラ間の街道に盗賊が出ているかもしれないとのことだ。
商隊がちらほら姿を消しているそうだ。コンパーラと王都、それにコンパーラとエイクイル間は魔物の仕業だとは考えにくく、明らかに人為的、賊の仕業だろうと会話をしていた冒険者は考えているようだ。これに対してまだギルドに依頼は出ていないとも。
(エイクイルってコンパーラから行けたんだ。どっち方面だろうな、あそこは割りと全方位に道が伸びているから分からないや。盗賊を探して狩って回ろうとは思わないけど、見られたら面倒だな。広範囲に出没しているのか、大勢で少数を襲っているのか……)
まぁ、私はお仕事中だ。害意を向けてこなければ無視すればいい。治安を維持するために、騎士だの兵士だのはいるのだから。
(夕方は危ないかな……森の中も安全じゃないな。少し早めの速度で走って、足を止めずにコンパーラまで行こうかな。何度も略奪を成功させているとなると、遠目や暗視の魔導具の一つや二つ持っていてもおかしくない。エイクイル側に行ってくれてればいいけど……)
浄化をかけた食事を平らげて店を後にした。酒屋で適当な瓶を数本買って西門まで歩く。相変わらず人が多い。門が近づく度にこれは……辟易するね。明るいところではゆっくり町並みを眺めて歩くこともできない。
ただ、王都を出る待ち人の列は少しだけ短かったような気がした。
西門の外には相変わらず多くの人が並んでいる。真っ昼間から賊が動いているということはなさそうだが、やっぱり暗くなってからが狙い目なのだろう。困ったな、どうしようか。とりあえずこの邪魔な酒瓶を箱にしまいたい。姉妹から預かった封筒もだ。
魔物を狩りに行くような体で森まで歩き、周囲を確認してから次元箱に入る。荷物を置いて明かりを点けると、空調の魔導具は停止しているのを確認できた。不要な時は勝手に止まるのだろうか。外にいる間は魔導具が稼働しないなんてオチは……ないと思うけど、不安だ。取扱説明書のようなものはない。
「途中の町までは、かなり急がないと夕方までには着けないね……。このまま夜までここにいるってのも手だな。日が完全に落ちてからなら全力で走って問題ないし、王都の最寄りの森に盗賊が網を張っているということもないと思う。全力で走れば、遠くから見つかったところで対応できる頃には私はもういない。こっちの方が楽だな、これでいいや」
空調魔導具の中を見てみると、魔石は小さくなっているがまだ残っている。電源も入っている。動き出すところを確認できればいいのだが……。
じっと眺めていても仕方がない。楽な服に着替えてお酒を飲みながら自身に浄化をかけていく。あまり量を飲み過ぎないように注意して、そのまま仮眠を取ってしばらくの後目を覚ます。
「アルコールは残って……ないかな。気分が悪くなったら走りながら浄化すればいいか。外の様子が分かれば便利なんだけど……っと」
起き上がって身支度を始める。そういえば時計を探せなかったな。そんな時間はなかったわけだが、リューンなら存在の有無くらいは知っているだろうと思う。すぐそばに物知りがいると楽でいいね。常識の面でも私よりはよっぽど物を知っているだろうし、しばらくは一緒にいたい。
「ちゃんとご飯食べてるかな。あの辺は治安もいいし、滅多なことはないと思うけど……」
衣服と魔導具を一通り身に着け、十手だけ握って外に出る。もう間もなく日が沈み切るといった頃合いだ。完璧なタイミングだね。
その後は特に何事もなく、コンパーラを迂回するようにして全力でパイトまで走りきった。常に使っている気力の強さを段階的に上げているためか、このハチャメチャマラソンも特に辛くはない。肉体的にはだけど。
途中横目で見た限り、コンパーラの門番が増やされているということはなさそうだったが、どうなってるんだろうね。町を襲うなんてことはないのだろうか。パイトやバイアル方面に出てきてくれると面倒だから、それだけは止めて欲しい。
その後は第四迷宮でいつものように霊鎧と時間を潰してから管理所へ向かった。荷物の中身を入れ替える目的で来たが、人もおらずちょうどよかった。
受付に役人はおらず、適当な職員に所長へと話を繋いでもらってから所長室へと向かう。
「何か問題でもあったかね」
途中で引き返してきたと思われているかもしれないな。本来はここまで急いで帰ってくる予定ではなかった。もう少し時間をかけて、片道三日程の予定でゆっくり戻ってくる算段を立てていた。
だがもうそうも言っていられない。さっさと王都へ戻らなくてはならない。
「この後に予定が出来たので急いで戻ってきました。今お時間大丈夫ですか?」
「問題ない。そちらへ掛けてくれ」
勧められたソファーに外套を脱いで腰掛ける。荷物から封筒を取り出して所長の前に差し出した。
「まず依頼の件ですが、高等部の姉妹に無事届けて参りました。この封筒が返事とのことです」
「もう往復してきたのか。……いや、すまない。感謝する。中身は後ほど確認しよう」
「言伝を一つ預かっております。弟さんが拗ねていたので、手紙を出してあげて欲しいと。お姉さんでしょうか、髪の短い背の高い方のお嬢さんから」
「姉の方だな。確かに聞いた。手間を掛けさせたな」
「大したことではありません。それで私の今後の予定なのですが、しばらく王都に滞在することになりました。パイトへは……まだ何とも言えないのですが、しばらく戻ってこないかもしれません。一応ご連絡だけ」
「それはエイクイルと何か関係があるのか?」
「いえ、全く関係ありません。ただの私事ですよ。手持ちに換金待ちの魔石もありませんし、その旨魔石の査定を担当して頂いた方にもお伝え願えればと」
「確かに伝えよう。未払い分があったな、待っていてくれ」
所長が部屋を出て行く。いやはや、本当に親子だったんだな……やっぱり似てない。流石に口にはしないけど。
後は宿で水を入れ替えて、適当な職員に長期不在を伝えればそれで終わりだ。適当に買い物をして夜出発しようかな。空の樽もあるけど、どうしようかな。流石に王都で水樽が必要になることはないと思うけど……いいか、入れ替えるのも手間だし。
後はパイトの宿をどうするかだな……次元箱が使える以上、あの宿の一階にこだわる必要はなくなったと言える。大した出費ではないが支出は支出だ。どれくらい宿泊費が残っているか知らないけど……切れたらそこで切って貰ってもいいかもしれないね。次元箱はリューンにはバレているから問題ないし、部屋は別にどこでもいい。咄嗟の時対応に難が出てくる……のは問題だな。やはり普段使いできる靴も用意すべきか。木造の階上でも床をダメにしない、そこそこ程度の良い物。……魔導具でなくてもいいか。マラソン用はまた別に欲しいけど、適当に見繕おう。
(こういう時ボールペンとメモ帳でもあればな……ささっとメモしておけるのに。探せばスマホみたいなものもあるんだろうか。あったところで文字、地球の物と違うからなぁ)
次元箱の中には一応筆ペンと紙は持ち込んであるが、筆記具としては少々使いにくい。これがこの世界のスタンダードなのだろうが……文句を言っても始まらない。ボールペンの仕組みなんて知らないし、知っていたとしても作れはしないのだから。
その後は戻ってきた所長から未受け取り分、二百四十九個分、九千三百八十七万を受け取って話を終え、宿に戻った。
「いやはや、まさか一億近いとは……そんなに溜めてたか。一億六千五百万越えだ。なんかこう、嬉しいな。今まで貯めこまずにどんどん使ってたもんな……」
数えて本当にびっくりした。五千万の束を三つ作って魔導具が入っていた木箱にしまう。数字が増えていく通帳を眺めてにやにやする感覚に近いが、これは現物光り輝いているだけあって余計に顔が緩んでしまう。
「しばらくリビングメイルは狩れないだろうから、ここからいきなり増えることもないだろうけどね……しばらくは」
死神の魔石が売れれば一気に増える。まだ先の話だが……入れ物も用意しておかないといけないな。この際適当な木箱でも何でもいい。
管理所へ向かう前に集めた浄化真石はお土産用に残してある。これはもう死蔵しておけばいいだろう。大した数でもない。
お金の管理はおしまい。その後は水を入れ替えて適当に保存食を買い込み、夜に備えて次元箱のベッドで早めに眠った。