第七十七話
呆けた頭が再起動するまでにしばらくの時間がかかったと思う。
「えっと、どういうことかな。パーティを組むっていうこと?」
「そうじゃなくて、その、一緒に……いて欲しいです。寝るところとか、お仕事とか、一緒に……」
エルフは報酬に私を求めた。男なら既に首は縦に振られているかもしれないが、残念ながら私は女だ。
「王都にいる間を一緒に、ってことなら問題はないけれど……私も根無し草だし、宿暮らしだよ? 生活の糧は魔物を狩ることだし」
「お、王都じゃなくてもいいです。他の場所でも……わ、私頑張って付いていきますから。一緒にいて欲しいです。助けて欲しいです」
えぐえぐ言わずに静かに涙を流し始めた彼女を前にして、困り果ててしまう。
彼女はまず、他人との意思の疎通が難しい。エルフ語を解するエルフでもないとまともに話ができない。
そして魔物を殺せる攻撃力がない。死ぬ気でやればできるのだろうが、元々不得手とのことだし、上手く使うなら得意な面を伸ばした方がいいだろうことは理解できる。
旅をしていたエルフと死に別れて心細いというのもあるのだろう。子供に苛められて精神的にも限界だったのかもしれない。そこに私がちょっかいを出してしまったと。
(参ったね……。ここまで大事になるとは思ってなかった。流石に刃物は不味いと思って手を出したけど、これは……。私の寿命はほぼ確実に人のそれとは違う。ずっと一緒にいられるわけでもない。ん? ずっと……?)
「ねぇ。エルフやハイエルフって、どの程度生きるものなの?」
「こ、個人差はあると思いますが……エルフは千年二千年生きる人が多くいます。ハイエルフは、それよりも長いです。私の知ってる中では五千年とか、一万年とか……もっと長く生きる人もいると聞いたことがあります。でもハイエルフはエルフと違って老化しにくいので……何千年も戦い続けている人は、それが原因で命を落とすことが多いと」
(ふむ、ふむふむ。ということは……女神様のことは秘密にするとしても、ある程度腹を割って話してしまえば数十年でお別れする必要もないのか。一人で動くにも限界がある。私はトンビに苦戦しているし、ゴーレムを狩りにいけない。彼女ならちょうどいいかもしれない。補助系の魔法が得意と言っていたし、全く役に立たないということもあるまい。魔物は私が潰せばいい)
いざとなったら適当にお別れしてもいい。終生の友とならずとも──。
「ちょっと場所を変えようか、ここも人が増えてきたし」
残ったお茶を飲み干して席を立つ。彼女は未だに手を離そうとしない。これひょっとして、捕まったのは私の方なんじゃないかな……。
どうせ王都で一泊する予定だった。私は彼女を連れて王都でよく使っていた東三層の宿へ向かった。彼女は他に荷物もないとのことだったので、ちょうどいいと思ったのだ。これが間違いだった。
一階にあるツインベッドの部屋を借りて部屋の錠を下ろし、話をしようと外套を脱いでベッドに腰掛けた途端、両肩を押されてその場に押し倒された。
エルフにはベッドに腰掛けた女は押し倒してもいいという風習でもあるのだろうか。仮にあったとしてもそれも男女間での話だろう。再三繰り返すが私は女だ。
短剣や弓の弦を持っているようには見えない。実は暗殺者でしたなんてオチではなさそうだけど……力弱いなぁ。これ跳ね除けていいんだろうか。なんか凄く目が潤んでるし、邪険にしたら……凄く傷付きそうだな。困った。──まぁいいか。取って食われるわけじゃない。
「それで、一緒にいてって言ったけど……今すぐに、ずっとってわけにもいかないんだよ」
気にしても仕方ないのでそのまま話を進めることにする。美人さんに押し倒されるのもまぁ、いい経験だ。
「今荷物運びの仕事で王都に来てるだけで、明日の昼には一度帰る予定なんだよね。だから──」
「い、行きます! 一緒、一緒に行きます! いっしょ、いっしょに、い、い……」
泣き虫で情緒不安定で依存体質、メンヘラの素質があるな。でもこんな美人さんその辺に放り出したらどうなるか分かったもんじゃない。今まで無事だったのが不思議なくらいなんだ。けど下手したら私のストーカーになるかもしれない……どうしたもんか。
「とりあえず私の話を聞いて。また数日すればここに戻ってこれるからさ、そしたら一緒にいようよ。私も教えて欲しいこと沢山あるし、時間はあるからさ。それじゃダメかな?」
「だ、ダメです。いなくなっちゃう。おばあさんも、いなくなっ……いなく……」
顔に涙が零れてくるからそこで泣くのはやめて欲しい。鬱陶しいので胸元に抱き込んだ。
「いなくならないから。ちゃんと帰ってくるから。ねっ? 明日になったら二日でパイトまで行かなきゃならないんだ。手紙を届けないといけないから、急ぐんだ。いっぱい走るんだよ。付いてこれないでしょ?」
あー柔らかい。これは聖女ちゃんとはまた違うな、きちんとお肉感がある。あの娘細いもんなぁ……。
「じゃあ……証が欲しいです」
大人しくなった彼女をたっぷり時間をかけてあやしていると怪しい目つきをしたエルフがこちらを見つめていた。目が潤んでいるのはいつものことだが……なんていうか、これは捕食者のそれだ。
「証? 証ってな──」
凄い勢いで口を奪われた。熱烈に吸ってくる。引き剥がそうとしたが、これは身体強化を使ってる。これまずい、色々なものがまずい。でも強引に引き剥がしたら絶対に彼女は怪我をする。どうしようこれ。
「む、むぅ……」
離して欲しいな? と身体を押したり身を捩ったりして意思表示をしてみたが、頭と背中を強い力で抱き締められている。力は全く緩まないし聞き入れてくれるつもりはないらしい。これは本格的に抵抗したら彼女が怪我をする。
(ああもう……もういい、どうにでもしてくれ)
その後のことはあまり思い出したくない。取って食われた。流された。
鳥の鳴き声が聞こえていないのがせめてもの慰めか。目が覚めたのはちょうど日が見え始めた時分だ。胸の中というか腕の中というか、エルフに抱きつかれている。よく腕が痺れないものだな、私は早々に諦めたというのに。
この時期にこんな格好で眠って寒くなかったのは彼女のお陰というべきか、彼女のせいと言うべきか……。幸せそうな顔で眠りこけているのが妬ましい。まだ昼までには時間がある。流石にお風呂に入ってから魔法学院へ向かいたいのだが、王都のお風呂は朝からやってるんだっけ……。少なくとも私は利用した記憶がない。
薄い掛け布団を被っているとはいえ外気に晒された腕からはどんどん熱が奪われていく。晒されていない部分は温い。出たくないなぁ……。
最悪身体を拭くくらいはしておかないといけない。ここは洗濯はあったはずだが、お湯のサービスはやっていなかったはずだ。私の水は次元箱に入っているのでこのままじゃ井戸まで出向かないといけない。どうしよう、所長からの依頼を放り出すわけにはいかない。だがこの温もりをを引き剥がすのも抗いがたい。
「ねぇ、リューン。起きて、ねぇ」
彼女──リューンは情緒が安定していれば割りと素直だ。博識だし、一見非の打ち所のない綺麗なお姉さんといった体をしている。ただまぁいかんせん初対面が初対面だ、泣き虫エルフとの印象は生涯消えないんじゃないかと思う。昨夜も割りとぴーぴー泣いていた。
「ほら起きて……布団剥がすよ。風邪引くから、起きて。ねぇってば」
しばらく身体を揺すって何とか目覚ましに成功する。これを毎回続けるのは避けないといけない。目覚ましの魔導具ないかな……スタンガンでもいい。
「おはよ。ねぇ、そこのお風呂って朝からやってるか知ってる?」
「サクラ……おはよう。公衆浴場なら、朝からやってるよ」
「じゃあほら、お風呂入りに行こう。私これから仕事なんだ、その前に入っておかないと。リューンもお風呂行くでしょ?」
「……うん、行く」
昨夜眠る前に大体のことは彼女に承諾させていた。必ず戻ってくるから王都で大人しく待ってる、ギルドの依頼は私が戻ってきてから、食事はきちんと取る、例の子供達からは逃げる、などなど。
その代わりに名前を教える羽目になったのだが……可能な限り名乗りたくないというのは私の都合だ。一緒にいるなら名乗り合わないのも不自然だろう。彼女には極力他人の前で名前を呼ばないようにお願いしている。
私がこれまでに名乗ったのはギースだけ。後は冒険者ギルドやアルト商会で書類や契約書に名前を書いたか、それくらいだ。王都への護衛の時も名乗ることはなかった。
手早く服を身に着けて二人で浴場へ向かった。受付の人は普通だったけど──。
(声、大丈夫だったよね……?)
少し不安になったが……浴場へ向かい個人風呂を借りて二人で温まる。彼女は服の予備もないとのことなので洗濯もだ。普段は井戸で水浴びをしていたというのだから呆れる。エルフは寒さに強いのだろうか。
「お金あげるから服買ってきてもいいんだよ。一着じゃ不便でしょ」
「不便だけど……一緒に見に行きたいな。選んで欲しい」
「そっか。なら戻ってきたら一緒に行こう。私の服があればよかったんだけど、流石に持ってきてないんだよね。サイズは合いそうだけど……」
私達の体型は割りと似ている。背や胸は私の方が少し大きいが、他は大体似たり寄ったりだ。髪の色はともかく、目つきや耳の形といったものは合わせられない。姉妹や双子とはいかないだろうな。
私は上に兄姉はいたが、下には弟しかいなかった──はずだ──。妹も欲しかったが、リューンは妹って柄じゃない。どちらかと言えば聖女ちゃんの方だろうな、妹は。
(所長に報告を済ませたら王都へとんぼ返りだな。代金を受け取って宿にしばらく不在にすると連絡をして……そのまま出てくればいいか。これをあまり一人にしておくのも怖いし)
あまりゆっくりもできない。洗濯を終えて手早くリューンを泡まみれにして洗っていく。浄化で綺麗にできるか今度試してみよう。勝手にやっても怒られはしないだろうが、今やって問題が起きても不味い。
「ねぇサクラ。サクラの服、貸して欲しいな」
お返しに私が洗われている最中、リューンからお願いをされる。服? 私の服ってあれだけど。
「服って、あれ魔導具だよ? 貸すのはいいけど、常に魔力を吸うからあまり使い勝手は良くないと思うよ。布も少ないから寒いし」
「知ってる。サクラは靴も顔に掛けてたあれも魔導具だったもんね。次元箱も持ってるし」
────。
「……なんで分かったの?」
探るような響きではなかった。彼女は確信して物を言っている。それが分かってしまった以上、すっとぼけても無駄だろう。
「私、魔導具も詳しいんだよ。いっぱい勉強したから。ずっと繋いでた手に違和感があって、なんでだろうって……。それでさっきやっと思い出したの。魔力や血液で持ち主を限定する、古代の魔法倉庫──次元箱のこと」
「これ、外から見るだけで持ってることがバレるかな?」
「それはないよ。知識を持った私が手……左手で繋げたんでしょ? そこをずっと触って、ほんの少し違和感があって、ずっと考えて、やっと気付けたんだもの。魔力の流れを見るだけじゃ判別できない。これは保証する。安心していいよ」
「そっか……ならいいや。黙っていてね? これは本当に誰も知らないんだ。私の名前以上にレアな代物だよ」
「ふふっ。約束するよ、誰にも言わない。ねぇ、それ中に入れるくらい大きいの?」
「泊まった部屋の……三つ分はないかな、二つ分と半分くらいだと思う。高さはもう少しあるけどね」
「私も入れるかな?」
「持ち込める物が私の物限定なんだよ。この石鹸は分からないけど、タオルはまず間違いなく持ち込めない。お店の売り物とかもね。所有権がない物は無理っていうのが私の出した結論。あとは魔法袋も今のところ魔力を抜かないと持ち込めないね」
「魔法袋は専用の物があるよ。とはいっても、評価項目になってないことが多いから、目で見て探さないといけないけど……私はいくつか見たことがあるから、わかるよ。欲しいの?」
「もう少ししたらお金に余裕ができるから、それからかな。値段によってはすぐ買ってもいいけど……」
「他に付加効果がないものならそんなにしないと思うけど……次元箱に対応してる物は豪華な物が多いから、普通に買うなら五億くらいからだね」
「五億か……今は無理だなぁ。金策に奔走すればいけるけど、少し遠いね。しばらくはそんなことしてる暇ないし」
そうだよ、こんなにまったりしてる場合じゃない。あの姉妹を待たせるわけにはいかない。お昼時は忙しいだろう。
「この話はまた後でしよう。急がないと遅れちゃう」
「うん、そうしよう」
入浴を終えて一度宿へ戻る。部屋の延長もしないといけないし、お金もいくらかリューンに預けておきたい。次元箱がバレている以上多少の無理は効く。
箱の中から予備の外套やパーカーなどを引っ張りだして彼女に渡す。パーカーはともかく、外套はあった方がいいだろう。彼女が持っていたものは金に困って売ったそうだ。涙が出てくるね……。
「それで、結局服はどうするの? 貸すのは別にいいよ」
「話の取っ掛かりにしたかっただけだから、今はいいよ。でも今度貸して欲しいな。可愛いし着てみたい」
「分かった、今度ね」
彼女は財布も持っていなかったので、私の物をそのまま渡した。宿代は余裕を持って前払いしてあるし、三食きちんと食べて間食をするくらいの小銭は入っている。大金貨もいくらか持たせたし滅多なこともないだろう。
リューンがこのまま消えても大した痛手にはならない。そうはならないだろうけど。
支度を終えて彼女と向かい合う。付いていくとは言い出さない。ありがたいことだ。昨日の頑張りは無駄ではなかった。
「じゃあ、私はこのまま王都を出るけど、リューンはゆっくりしてなよ。往復で……長くても六日かな。それ以上かかることはないと思うけど、仮に遅れても探しに出てきちゃダメだよ。はぐれたらここ以外で再会できないんだから」
「うん、分かってるよ。ちゃんと待ってる。ねぇ、覚えたい魔法って身体強化だけ?」
「うーん……当面はそれだけかな。リューンが教えてくれるものとドワーフのものと、その二種をきちんと使えるようになった後、余裕があったら……とは考えているけど、どうして?」
「何もなくても教えることはできるんだけど、サクラは魔法全く使えないんでしょ? 教育用というか、補助に使える簡単な魔導具があるんだよ。私にもいくつか作れるから、待ってる間に作っておこうかなって」
「そんなのを作れるんだ、凄いね。……うーん……うん、やっぱりまずは身体強化だけかな。ゆくゆくは色々と覚えたいと考えているものも、あるにはあるんだけど……今はまだいいよ。ありがとう。材料費はどれくらい要る? それは出すよ」
「魔石以外はそんな大した物でもないよ。大金貨三枚もあれば工具ごと買えるし。そうだ、魔石持ってる? 霊石買うと高いから」
「霊石はないなぁ、浄化真石でもいい?」
「浄化品でもいいけど……なんで霊石持ってないのに浄化真石があるのよ。おかしいの」
そう言ってコロコロと笑うのがとても可愛い。真石はお土産用に分けていたのがいくつかある、それを使ってもらえばいいだろう。また取ってくればいい。
一度次元箱に戻って追加の大金貨と魔石の入った袋を手に取って外に戻る。袋の中には光石と黒石以外の全種がそれなりの量放り込んである。
「これ適当に使っていいよ、足りなかったらごめんね。じゃあ、行ってくるよ。なるべく急いで帰ってくるから」
「うん、行ってらっしゃい。気をつけてね」
手を振って送り出してくれるリューンに手を振り返して、魔法学院へと向かう。走るほどでもないが、ゆっくり散歩がてらともいかない。そんな微妙な時間帯だ。
「いってらっしゃい……か。随分と久し振りに聞いたね、何年振りだろう」
悪い気はしない。泣き虫エルフが笑って送り出してくれたのだから、尚更だ。