第七十六話
つい先ほどお菓子を購入した甘味屋に出戻った。店内は静かで会話をするのにちょうど良い。ここなら未だにぐずっている泣き虫エルフの小声でも聞き逃すことはないだろう。
あの後声をかけても泣き続けて動こうとしないエルフに呆れてその場を立ち去ろうとしたのだが、彼女は私の手を掴んでそのままぐずぐずと泣き続けた。埒が明かなかったので強引にここまで引っ張ってきたのだ。店員にも驚かれた。
お茶とお菓子が届いて適当にまったりしながら彼女の言葉を待つ。あれだけ泣けばお茶も美味しいだろう。
「お金、ないです」
「気にしないでいいから、飲みなよ」
普通の人間が話すそれとは言語が違うのか、単に発音が独特なだけなのか、耳に聞こえる彼女の声の響きは普段聞き慣れたものと違う気がした。意思伝達のお陰で疎通ができているのだろうが、違和感を感じているのは私の経験によるものなのかな?
(もしかしてエルフ語みたいなものがあるんだろうか。ドワーフ、ギースは普通に喋っていたけれど……。共通語みたいなものがあるのかな、それとは別にエルフ語があるとかはありえそうだ)
隣に座った彼女に視線をやる。まだ目蓋に涙を湛えてはいるものの多少落ち着きを取り戻したと思う。ぼちぼち話を聞かせてもらいたいものだが、あいにく私も暇だ。特に急かす必要もない。
彼女は手を離そうとしなかった。私はずっと左手を握られている。美人さんがすぐそばにいるのは目の保養になるのだが、彼女は他とは格が違うレベルなので、ちょっとドキドキしてしまう。いや、なんでこんなのがされるがまま子供に乱暴されてたんだ。騎士とか兵士とかいただろうに、そこだけは本当に疑問だ。一人も通らなかったの?
お茶をちびちびと飲んでいる彼女はそれだけでとても美しいが、いつまでも観賞しているわけにもいかない。お茶を飲んでるだけで絵になるとかずるいな。
「それで、何があったの。子供にいじめられるのが趣味ってわけじゃないんでしょ?」
「うぅ……あの子達は、前にいたパーティの人達の家族で……私が捨てられたのを知って、からかってくるんです。言葉、分からないから」
そこでまた泣き始める。話が進まない。
たっぷり時間をかけて聞き出した話はこうだ。
彼女はハイエルフという種族だそうだ。エルフとは少し違うが一緒くたにされることが多く、外見上の差異は少ないので特にハイエルフだと自称してもいないと。
ハイエルフとエルフは使う言語が違う。エルフは一般的な共通語を用いるが、ハイエルフの標準語はエルフ語。一部のエルフはエルフ語も話せるので、年頃になったハイエルフは共通語を話せるエルフと組んで言葉や常識を学んでいくという。旅をしながら。
そして最近、彼女と組んでいたエルフが死んだそうだ。詳しく話したがらなかったから聞かなかったが、魔物か盗賊か、その辺りだろう。いい死に方ではないというのは伝わってきた。
一人になった彼女は旅を続けてなんとか王都まで辿り着いたものの、手持ちの資金が尽きたために冒険者ギルドで日雇いの小間使いのようなことを続けて食い繋いでいたらしい。そこで比較的長く一緒にやっていたパーティから戦力外通告をされ、追い出されたところを子供達がからかいにくるようになったと。
子供は彼女の言葉が分からない。彼女も子供の言葉がよく分からない。共通語に不慣れな彼女は、子供に手を上げるわけにもいかずされるがままになり、それがエスカレートして今に至ると。
もっとややこしい事情があるのかと思っていたが、存外平和な理由だ。まぁでも、言葉が通じないのは大変か。前の仲間の一人にきっとエルフがいたのだろう。ハイエルフが共通語を学んでから旅に出ない理由については彼女も分かっていないようだった。そういうものだ、と。
「魔物は狩らなかったの? 弓を持ってたし、魔力もあるんでしょ?」
「弓は、私のじゃなくて……おばあさんの弓だから、私は使えなくて……矢もなくて……魔力は……」
なんてことはない、彼女は攻撃系の魔法が群を抜いて不得手だったわけだ。
「苦手でも使えるんでしょ? 鹿でも猪でも、王都周辺ならいくらでも食い扶持は稼げると思うんだけど」
鹿も猪も肉が美味い。王都は確かに物価が高いのだが、一頭引っ張って来るだけでもそれなりの稼ぎにはなる。しばらくは食える。
「今はもう、その……だいぶ薄くなっているので。使えるかも分からないです」
「薄くなる? 薄くってどういう」
「魔法が、その……薄く」
ここで初めて知ったのだが、魔法は書物や口伝で術式を学んで即使えるようになるというわけではないらしい。
魂の空きスペースに魔法を刻み込むことで、初めて魔力を魔法として行使できるようになるとか。そして使わないでいると刻み込んだ魔法が薄くなり、やがて消えてしまうという。消えることでスペースが生まれ、またそこに新たな魔法を刻むことができるというが、使い込んだ魔法はより深く魂に刻まれるので、消えるまでに長い時間がかかるとのこと。
「ということは、個人で行使できる魔法の数には限界があるんだ?」
「種族や適性などによって違いはありますが、そうなります。魔法の種類によって、魂を専有する量も違います。私は将来のことを考えて幅広く、薄く使い続けるよう指導されていました。ですがもう、長いこと攻撃系の放出魔法は使っていないので、使えなくなっているかもしれません」
「よく使わずに生きていられたね。この辺りの魔物はそう強くないけど、殺さずに逃げ続けていても限界がくるでしょ。逃げてたってお金にはならないし」
「束縛系の魔法をいくつか使えますので、それで足を止めて逃げていました。気力は使えませんが、その……身体強化も使えますので、逃げるのは得意です。えへへ……」
そう言ってはにかんだように笑った彼女はありえないくらい可愛い。抱きしめたい衝動に駆られたがここは我慢だ。思わず聞き流すところだった。
「身体強化って、魔力の? ドワーフの秘術とされている、失伝されたっていう、あの?」
「えっと、同じ魔力身体強化ではあるのですが、ドワーフのそれとは違います。ドワーフのそれは、強い気力を同種の魔力で補助するものとされています。私のそれは、気力を扱えなくても、魔力のみで身体能力を強化するものです。身体を強化するという結果は同じですが、そこまでの道筋が全く違います。別物だと思っていいです」
「貴方の使っている魔力による身体強化って、私にも覚えられる? それとドワーフの魔力身体強化を併用できるのかな?」
思わぬ展開に気が急いてしまう。焦っていては仕損じる、分かってはいるが冷静になれない。急に人参が目の前に降ってきたのだ。
「ど、どちらも……可能だと、思います。教えたことも、併用してる人の心当たりも……ありません。……ただ、ドワーフのそれは、私は概要を知っているだけなので、術式を刻むことはできません。ただ、併用そのものは……可能です。できない理由がありません」
中々に力強く断言してくれた。これは……いい拾い物をしたな。逃すわけにはいかない。これは私の女だ。
「ねぇ、もしよかったらなんだけど……私の先生になってくれないかな?」
「先生って……魔法の、ですか?」
「そう。ドワーフからもね、魔力身体強化を教えてもらう予定があったんだけど、まだ先の話なんだ。二つの強化が違うものなら、私は両方会得したい。お礼はきちんとする、どうかな?」
目を見つめて本気でお願いする。頷いてくれるまで逸らさない。今までで一番必死だ。このエルフは魔法に関して知識が深そうだし、他にも学べることが多そうだ。友誼を結びたい。幸い手は繋ぎっぱなしだ。絶対に逃がさない。
目を逸らしたり、また見つめてきたり、しばらく彼女は迷っていたようだけど……やがてコクンと頷いてくれた。よしきた! エルフの身体強化、必ずものにして見せる。これで──。
皮算用を脳内で始めた私にエルフから報酬の提案がなされ、私は思考が止まった。