第七十五話
外套と鞄をソファーに下ろしてしばらく待っていると、一組の姉妹が揃って応接室へ入ってきた。
揃いの制服を着た……栗毛よりは赤毛に近いかな、肩に着かない程度の長さに切り揃えられた娘と、少し長めのセミロングを背中に垂らしている娘。二人の体格にあまり違いは見られない。高校生くらいに見えるし、十七歳前後といったところだろう。顔は似ているが、双子などではなく普通の姉妹のようだ。
入室した二人に会釈をして、対面に腰掛けるのを待って口を開いた。
「お呼び立てしてしまい申し訳ありません。お二人のお父上から手紙と荷物を運ぶよう依頼されてきました。手紙に関しては、返事を受け取ってパイトへ戻るよう指示されています」
テーブルの上に置いてあったそれらを二人の元へ差し出す。
「まぁまぁ……遠いところをわざわざありがとうございます」
「お父様ったら何でしょう……返事を急ぐだなんて、不思議ねぇ」
(……これ本当にあの所長の娘なの? おっとりとした娘達だな……母親似なのかもしれない。お父様だなんて呼ばせているのか……ふふふ。所長の奥さんはこれに輪をかけたようなゆるふわ系なのかもしれないね)
手紙の中を確認している二人を尻目に失礼なことを考える。でも許して欲しい、本当に似てないのだ。
手紙を交換して、それぞれの中身に目を通した姉妹から声がかかる。
「この場で返事を書くというわけにも参りません。申し訳ないのですが、一日手紙を書く時間を頂けませんでしょうか?」
「お父様からの手紙にも急ぐように記されておりました。ですが、書かねばならない量が多くなりそうで……明日の朝までには仕上げますので」
「構いませんよ。明日のお昼前に引き取りにこようと思います。それで大丈夫でしょうか?」
「はい。ありがとうございます。必ず間に合わせますので、またこちらへいらしてください」
「お手数おかけして申し訳ありません。よろしくお願いします」
二人を見送って私も詰所を後にする。明日の昼まで自由時間だ。
「とはいっても、暇だね。……お風呂入りに行こうかな」
色々買い揃えないといけない物もあるのだが、いざ王都へ着いてみると面倒くさくなってしまう。パイトでは手に入らない物と言えば魔法袋だが、今あれのことを考えるのは億劫だ。適当に甘い物を食べ歩いてダラダラしよう。
いつぞや逆ナン少女に連れ込まれた甘味屋を目指して東門の方向へ大通りを歩いていると、エルフがいじめられているのが目に入った。
正確な表現をするなら、大人のエルフ女性が年端もいかない人種の男児数名に囲まれて囃し立てられている。男児は就学する年齢に達しているようには見えない子供で皆楽しそうにしており、エルフは地面に座り込んで赤子のように大泣きしている。子供の手にはそれぞれ大振りな弓や鞘に入った短剣、矢筒などが握られているが、矢筒の中は空っぽのようだ。周囲の人間も見て見ぬふりをしている。
(なんだこりゃ……美人さんが号泣してる。凄い絵図だな、迫力があるというか何というか……。でも、ちょっと気になるな)
エルフは軽装ではあるが胸当てのような防具を身に着けているし、冒険者か旅人だろう。弓もこの人の物だと思うけど……何でこうも好き放題されて泣いてるんだ? 怪我でもしてるんだろうか。
気になるが、私には関係ないことだ。そのまま甘味屋へ向かい、席について注文をしようとするも──落ち着かない。やっぱり気になって仕方がない。どうしたと言うんだ私は。
「おやつどころじゃないな。後にしよう」
フルーツが盛りだくさんになったオムレットのようなお菓子を適当に買い込んで店を出た。騎士の少女たちが食べているのをみて気になっていたのだ。お風呂あがりにでも宿で食べようと思う。
(これ生クリームなのかな。何の動物の物かは知らないけれど乳もバターもチーズも売られているし、似たようなものだとは思うんだけど……熊や猪がいるんだからきっと牛もいるよね。どこかに乳牛もいるのかもしれない)
私は元々パン食なので、この世界で米が食べられない点については全く困っていない。魚の干物──鮭とばが食べられないのが不満といえば不満だが、鮭を求めて彷徨うほどでもない。売っていれば買い込むけど。
パンも小麦っぽい何かから作られているみたいだし、パスタも主食として出てくることはないがそれっぽいものが存在している。たまに管理所で頂くお茶は日本で飲んでたハーブティーのそれと大差ない。甘味も果物系が多いが、探せば普通に食べられるようなものが置いてある。そもそもこの世界の果物はそのまま食べてもとても美味しい。
月を見たことがないし、星の並びも違う。太陽は東から上っているけれど、この世界が地球とは全く異なるどこかであることはもう疑っていない。しかし、植生がこうも似る物なんだろうか。鹿といい猪といい、魔石を内包していたりやたら大型だったりするが……まぁ、考えても詮無きことか。
エルフはまだ身体を丸めて泣いていた。男児は弓や矢筒でエルフを叩いたり背中を蹴ったりしているが、短剣が鞘から抜かれているのはよくない。流石にこれはちょっと見過ごせない、あんまりだ。
振り回された弓を十手で止めて、強めに叩いて地面に落とす。大きな音が鳴って子供達が動きを止める。
「楽しそうなことをしているのね。お姉さんも混ぜてほしいな?」
声をかけ、男児の視線が私に集まったところで上段に構えた十手を気力の自重なしで思い切り振り下ろす。かなり大きな風切り音が周囲に響き、風圧でエルフが身を一層縮こまらせた。
「どこを叩けばいいの? 頭? お腹? 背中かな? ……とても痛いだろうけれど、貴方達がとても楽しそうにしているのだもの。きっと楽しいことなのよね?」
十手の棒身をエルフに突き付けたところで、呆然としていた男児達が我先にと逃げ出した。何だったんだろうね、結局。
「何があったかは知らないけれど、逃げるなり何なりできなかったの?」
エルフはまだえぐえぐと泣いている。打たれたと思しき部分が赤く腫れ上がっていて痛ましいが、こうまでされる理由があったのかもしれない。確認してからでもよかったか。
まぁそんなことはどうでもいい。このエルフ本当に美人さんだ。これまで見た誰よりも、群を抜いている。色素の薄い綺麗な長い茶に近い金髪を垂らし、胸は……私よりも薄いけど、スタイルも良さそう。顔立ちも……今は酷いことになっているが、絶対に美人だ。というよりもかわいいお姉さん系だな。これを放っておくとか、王都の男共は玉ついてないのかな。
どことなく最初の森で出会った母娘の母親の方を思い出すが、肌はより白く、顔立ちも一層整っている。胸は……まぁいい。おまけに長い耳。まじまじと見たのは初めてだけど、本当にエルフなんだなぁ。ちょっと感動だ。エルフは皆こうなんだろうか。
その辺に散らかされた武器や荷物を拾い集めてエルフのそばに置いておく。顔を上げた彼女と目が合う。
(可愛いっちゃ可愛いけど、私の趣味はもっとこう……聖女ちゃんみたいな娘がぴーぴー泣いてる方が好みというか)
ハンカチで涙を拭ってあげてからそれを彼女の手に持たせる。いい加減周囲の視線が気になっている。ここを離れたいのだが。
「余計なお節介かもしれないけど話くらいは聞いてもいいよ」
止めておくべきなのに、離れるべきなのに、分かっているのに──余計なことを口走ってしまった。