第七十四話
コンパーラへは入らず素通りした。門の周辺にやたらと出入りの馬車が並んでいるのを目にしたからだ。ここでやることがない以上、並んでいても仕方がない。
北西のパイト側の門だけではなく、王都側の東門にも馬車──商隊が集まっていた。何かトラブルでもあったのだろうか。
だがまぁ、私の知ったことではない。また鹿からの護衛だなどと言われても面倒だ。
コンパーラへ引き返しても、恐らく宿は埋まっているだろう。宿の中で次元箱を試すのでは何の意味もない。街道を適当に走り、見えてきた森に近づいて足を止めた。
(コンパーラから視認できる距離じゃない。もう少し行けば町がある。野営するには一見不都合な場所。私にはちょうどいいね)
周囲をふわふわとメガネで索敵し、安全を確認してから太い大きな木によじ登って箱の中へ入る。
「ふぅ……。今日はここまで。後は暗くなるまでゆっくりしよう」
手紙と一緒に机に置いてあったランタンを灯して、靴の裏をダメになった服で軽く拭ってから奥の住居スペースへと向かう。適当な辺りでサンダルに履き替え、外套もパーカーも脱ぐ。
息苦しいということはない。空調はきちんと効いている。特に肌寒いということもないのだが……これは変だ。
「外はここより確実に寒かった。走ってきたから身体は温まっているけど、これはちょっとおかしいね。もしかして箱内部の温度は一定に保たれるのかな? 氷は溶けたから外部の熱を伝えるものだとばかり考えていた。それは違うのかもしれない」
内部は暑くも寒くもない、人種……まで広げたらダメか。私にとっては適温。二十度そこらだと思う。
「ここで物を燃やすわけにもいかないし、これは検証は無理だな。山にでも登って数日試してみてもいいけど……遭難は怖いな」
仮に気温が一定に保たれるのだとすれば、過剰な防寒具は要らない。中で発生した熱量が勝手に消えるだなんてのはおかしいと思うが。
外部と熱量のやり取りがないのなら、ここは過酷な環境下では天国となるかもしれない。この心地良い温度を維持できればいい。冷房の魔導具は存在している。暖房ももちろんある。
「次元箱は不思議だねぇ。びっくり箱だよほんと」
部屋着に着替えてベッドに腰掛ける。新しいベッド。ちょっと奮発して、幅二メートルはありそうな大きい木製の物を買った。マットレスもバネが効いていて座り心地がいい。華美ではないが、いい物を選んだと思う。寝具屋の親父は貸し倉庫で不思議そうな顔を浮かべてはいたが──。
「絨毯を敷こうかと思ってたけど、埃が立つかな。このままサンダルで過ごしてもいいけど、この黒一色の風景はどうしたものか」
上を見ても下を見ても、周囲は見渡す限り一面の黒だ。一夜過ごすくらいなら快適だが、長期間内部に居続けると心がやられるかもしれない。
そして実際これは大問題なのだが、次元箱の内部にいると外の状況が全く確認できない。音の一つも聞こえてこないというのはかなり不味い。
「静かでいいけど、外に出たら魔物や盗賊の群れに囲まれてました、なんてこともあり得るわけだ。背後からいきなり……とかね」
色々試してみたが、箱の中から外に出るにあたっての出現ポイントは固定される。外部からはその場で消えてまた現れたように見えるはずだ。
これを見られて周囲を囲まれたら、私は外に出た瞬間ひどいことになる。たまたま何らかの集団と居合わせても同じだ。今のところはなるべく警戒して隠れ潜む以上の手が思い浮かばない。
「ん? 箱に入った位置に物があったらどうなるんだろう。所長室のソファーはクッションが効いた良い物だった。私が消えていた間に沈んだそれは戻っていたはず。そこにまた戻ってきたわけだから……。大丈夫、かな。十手も引き寄せの際に勝手にズレたりするもんね」
出入りする度に周囲の物と一体化なんてされたらたまったものではない。そもそも空気がある場所に移動しているわけで、あまり深く考えなくてもいいかな。──そういえば昔地球でそんなことがあったような話を聞いたことがある。船が消えたりワープしたり、周囲と一体化したとかなんとか。
明かりを揃えて壁に絨毯でも貼り付ければいいか、と考えるのを止め、その後はずっとベッドでうつらうつらとしていた。
暗くなってから移動を始める予定だが、外の風景も時間も分からないのはきつい。時計は必要だ、多少高くても買うべきだ。
外に出る度に準備を万全に整えなければならないのも億劫だし、この辺は本当になんとかしたいところ。よもや時計が存在していないなんてこともあるまい。
その後は特に何もなく、暗くなってきてからマラソンを開始して、日が上る頃に無事王都へ辿り着いた。
メガネは最高だった。手ぶらで全力疾走できるのは本当に楽でいい。周囲の地形は言うに及ばず、魔物だって視認できる。慣れればまた退屈になるだろうが、世界が変わった夜のマラソンは快適で、今はまだ退屈するようなものではなかった。
適当に距離を置いたところで荷物を用意して背負い、現実的な速度で王都の西門へと向かう。この時間なら流石に人はいない。身分証と偽装鞄の中を見せるだけで問題なく王都へ入ることができた。
この王都、ガルデという立派な名前がついている。王様はガルデ王らしい。単に王都と呼ばれているのは、周囲にガルデの名を持つ土地や町がいくつも存在しているからだ。
『王都ガルデのそばにあるガルデの町』などとは呼ばず、『王都の北側にあるなんちゃらガルデの町』とか、『王都の東にあるガルデなんちゃら平原』などという呼び方をする。町にしろ平原にしろ複数あるため、こうもややこしい呼び方をしなければ通じない。名付けの際は利便性に気を遣って欲しいものだが、私が文句を言ったところでどうこうなるものではない。というか牢屋行きになりかねない。
私の今回のお使いの目的地が『ガルデ魔法学院』の高等部になる。ここの学生寮に娘が二人ともいるとのことだ。
まさかこんな形で学校……魔法学院へ足を向けることになるとは思わなかった。ここで顔を繋いでおけば情報手に入れられたりしないかな。私は未だに魔導具への魔力供給を増したり切ったりする、魔力制御以上のことは何もできない。
下手な癖がついても問題だろうと思い、自主練習のようなことも一切やらないでいた。ただ吸わせているだけでも魔力自体は育つ。
魔力身体強化に悪影響が出そうなことは極力避けたい。あれは文字通り私にとって生命線になりかねないのだ。現状人前で近当てが使えない以上、私の攻撃力は常に半減しているようなものだ。
突きをメインにしてみたり、紐で十手と腕を固めてみたりと試してみたが、どれもこれも引き寄せを使わずにいられるほどの効果は産まなかった。紐は余裕で引き千切って飛んでいくし、縛り付けると手が痛い。最後の頼みの綱が魔力身体強化による握力の強化だ。
それはさておき、ガルデ魔法学院は中枢に程近い南の第二層、その広大な敷地に在る。背の高い建物に運動場にと、その姿は私の知る学び舎と大差はない。それなりにお金持ちの子弟が通うのだろう、建物も綺麗だし、周囲の掃除の行き届いた道には警備も巡回している。当然門には門番がいる。詰所らしき小屋……というには些か立派な建物も。
「おはようございます。手紙の配達を請け負ってここまでやってきました。直接渡し、折り返し返事を貰ってくるように言われているのですが、私でも中に入れますでしょうか?」
「手紙の宛先と送り元を確認させて頂きます。申し訳ありませんが部外者の立ち入りは認められません。呼び出しますので、そちらで対応なさって下さい」
武器を持った男に挟まれて詰所まで案内された。中には応接間のようなものがあり、その内装や調度品は控えめに言ってもかなり豪華な代物だ。凄いな王都の学校。
中には入れないのは残念だが、仕方ない。不審者を入れるわけにはいかないのは理解できる。
「手紙がこちらの二通、それと小包が一つあります。小包はどちらに預けてもいいように言われています。高等部の学生寮にいると」
手紙を受け取った男とは別の門番が名簿のようなものを手渡し、それを確認している。結構な分厚さで、生徒数も相当多いのだろうと想像できる。
「ご父兄からの物ですね。生徒を呼び出しますのでしばらくお待ちください」
門番の一人が外へ駆けて行く。手紙と小包を返してもらって私はしばらく待機することになった。