第七十一話
ベッドに腰掛けて二枚の鑑定書を見比べる。
「同じだねぇ……一字一句違わないとは。恐れいったよ鑑定神殿」
そこには私が知っている以上の情報は載っていない。ただ、二枚の鑑定書に書いてある文面が全く同じということは、この二つのメガネは少なくとも同じ機能を持つ物だ。もしかしたら多少の性能差があるかもしれないが……比較してみれば分かるだろう。
そもそも外見まで瓜二つである以上、同じ規格で生産されたものとしか思えない。個体差以上の何かがあるとは考えていなかった。
「とりあえず売る手はないな。世間での価値は知らないけど、私にとってはとても重要な物だ。きっちり保管しておこう。こういった大事なものを収納しておける箱だか棚だか、そういうのがいるな。この手の道具は今後も絶対に増えていくだろうし」
同じ物が増えたのはイレギュラーだとしても、今後こういう物が増えていくことは目に見えている。その都度棚を増やしていくか……次元箱に入る魔法袋を探すか、考えていかないといけない。
「二十畳くらいはあるし、いきなり埋まるなんてことはないと思うけどね。とりあえず収納のことは後でいい」
役人から教えてもらった情報を反芻する。とりあえず、寝具は普通に手に入る。宿で貸出しているかは宿次第だが、やっていても追加料金を取るところがほぼ全てとのこと。したがって長く冒険者をやってる人達は自前で調達しているものだそうな。不要になったら売るか捨てると。
ベッドも売っている店はあるが、冒険者の活動圏にはないらしく、冒険者向けであるパイトの地図にも特に記載していないとのこと。近いところを教えてもらったので、後で見に行ってみようと思っている。役人は不思議そうな顔をしていたが。暖房は割とどこにでもあるらしいのでとりあえず置いておく。
そして、やはり地図はパイトでは扱っていなかった。売り物としては、だが。利権があるのかどうかは知らないが、この辺一体は王都が元締めであるらしく、規模の大きいものや詳細まで載っている地図は、手続きを踏まないと手に入らないことを教えてもらった。
簡単に複製できるようなものをどうして……と思ったが、人同士の戦争でもあれば、詳細な地図が蔓延してるのはまずいのかもしれない。私が手に入れられるようなものだと、あまり意味があることとは思えないけど。
確かなことは、王都で買うしかないということだ。その際は所長が色々と手を貸してくれるであろうとのこと。
書籍についてはパイトよりも王都か研究都市辺りを当たった方がいいらしい。行商や、少ないが書店自体はあり全く手に入らないわけではないらしいが、大したものは置いていないと溜息混じりに教えて貰った。子育てで苦労しているのだろうか。
「結論はまぁ、王都に行けってことだね。いざとなったら壊して燃やせる木製のベッドと、寒さに耐えられる布団系、あとは水の樽とか塩とか保存食とか、そういった物が当面必要かな」
聖女ちゃんの予定を聞いて、約束を果たしてから出発しよう。今のあの娘は下手したらついて行きますとか言い出しかねない。彼女に可愛くお願いされたら私は断れないかもしれない。それなら最初から内緒にしておいた方がいい。
魔法袋に目を向けるが、まだ魔力は抜けていない。後は魔法袋を持ち込めるかどうかと、中で生活できるかどうかだけだ。そろそろ次元箱を倉庫として使っていこうかな。
ここ数日は部屋に荷物を置きっぱなしにしていた。宿の職員のことは疑っていないが、軽率だとは思っている。信頼がどうこうという話ではない。日本でも貴重品を置きっぱなしになんてしない。
(鍵は掛けている、窓も閉まっている。よし)
中年冒険者から買ったメガネ──こちらを普段使いにしよう──を掛けて荷物を運びこむ。
荷物の運搬のことを考えると、手前側を倉庫として使って奥に住み着くのがいいだろうか。見栄えはあまりよくないけど……私しか見ないわけで。
「お酒とか持ち込むことになるし、空気系も奥に設置するかな……酸化したらまずいよね。きっちり区切れるパーテーションみたいなものがあればいいんだけど、そんなニッチなものその辺に売ってるとは思えない。香りの強い物とかあったら困るかなぁ。プレハブみたいな……そういうのないかな」
(今は適当でいいか。後々物は増える。模様替えで時間が潰せるならそれはそれでいいし)
中に設置する専用の明かりの魔導具があった方が便利だな。これも買っておこう。
「まず机と椅子とメモ用紙、それとペン。魔導具が明かりと暖房。ベッドと寝具と、棚もいるか。後は水樽と食料かな。貸し倉庫借りてそこに運んで貰うか。流石にここに持ち込むには異常な品ばかりだ」
それにしてもまぁ、これで身分が冒険者だというのは……。
その日は結局残りの時間を買い物に費やした。
宿に程近いオーナーおすすめの貸し倉庫を短期で一つ借りて、そこにベッドにマットレスに毛布、複数の机や椅子に、棚に水樽にと、ありとあらゆるものを運び込んでもらう。これらを購入した店舗では、全て有料だが配送サービスが付いていた。流石に白昼堂々ベッドを担いで歩きたくはないので非常に助かる。
到着を待って、全て次元箱にしまって回る。一人暮らしを始めた時を思い出すね。貸し倉庫内には何も残さない。
荷物が届く前に細々とした、筆記具や保存食やらを買い込んで宿に置いていく。魔導具はきちんと選びたいし、多少値が張るので明日の予定だ。今日はこれで一日潰れたので夕飯を食べて早々に眠った。
翌朝目が覚めると、魔法袋の魔力が切れていることを確認した。袋が盛り上がって中身の姿を確認できる。長かった。
「さてさて、お待ちかねの時がやってまいりましたが……」
勝負は一瞬だ。左手には魔力を込める。右手で掴んで即中に入る。よしっ、三、二、一!
「……よーしよしよし! やったねっ!」
無事内部へ魔力の抜けた魔法袋を持ち込むことに成功した。本当にホッとした。これで貴重品は全て次元箱にしまっておける。
魔力を吸って異常をきたしてもまずいので、魔法袋は身体から離して十手に引っ掛けて端の方へ持っていく。あとで専用の入れ物を用意しなければ。
「とはいっても、魔法袋が使えないことに変わりはないんだよねぇ」
魔法袋は、高い物は数億から一つ二つ桁が違う物もあるのだが、安い物は数百万からで買える。
私の外見は外套を羽織っていれば、他は足と顔くらいしか露出されていない。しかしその足と顔に魔導具を装着している。靴とすね当てはまだただの防具と強弁できるかもしれないが、見る人が見れば分かる。メガネなんて魔導具以外の何物でもない。そんな外見をした人間が魔法袋の一つも持っていないというのは……おかしいと思われないだろうか。外套だってその内防御力に秀でたものと取り替えるだろう。全身魔導具人間が魔法袋の一つも持っていないだなんて。
パイトにきてからというもの、常に魔法袋の選定に頭を悩ませてきた。次元箱を手に入れてからも悩みの種が減ったり増えたりしている。
正直、鬱陶しい。便利だ。必要だ。それは重々承知している。だが、魔法袋に求める条件がコロコロ変わりすぎて考えるのが面倒になってきている。
「次元箱に持ち込めるなんて謳い文句の魔法袋は今までに……おそらく見たことはないと思う。希少品だったら嫌だなぁ。それを探し求めれば次元箱を持ってると言い回るようなものだ。私を殺したところで奪えるものじゃないけど」
そもそも次元箱に持ち込めるかどうかなんてことを、いちいち調べるものなんだろうか?
この不思議倉庫が希少なもので、検証が行えない、価値を決める際に検証を行わないのが一般的なのだとすれば、私が見たことがないのも、所長が曖昧な知識しか持っていなかったのも頷ける話ではある。
(箱の仕組みについて所長は知っていた。だから少なくともこれについて研究してる人はいて、その知識は知る人ぞ知る……論文のようなものがある? ……私に閲覧できるかな。かなり怪しい。私が上の人間なら見ず知らずの冒険者に見せたりしない)
王都には魔法学校があるが、はたしてそこで魔法袋の知見を得られるだろうか。
「魔力を抜かなくても持ち込める魔法袋、これの確保を第一に考えておこう。王都に遊びに行く時に魔法学校へ顔を出してみることも候補に入れる。防具なんかにも資金を回したいんだけど……今はきついなぁ。お金がいくらあっても足りないや」
焦っても仕方ない、それは分かっているのだが……。
家具を次元箱内部に配置して回りながら、今後の予定に頭を悩ませることになった。