第七十話
「鑑定の代行ですか? 構いませんよ、お引き受け致します。私、明日休みなので、早朝かお昼前にでもどうでしょう? 午後からは家族と予定がありますので」
管理所の受付に居た役人の列に並んで話を持ちかけてみると、快諾を頂けた。オフに依頼を受けることは問題はないのだろう。
鑑定神殿は早朝から夕方までやっているそうだが、昼以降は混むので早い時間に向かうのがいいと言う。予約のようなものも原則受け付けていないらしい。
彼女の家は第一迷宮と第四迷宮の間にあるとのことなので、朝一に神殿前で待ち合わせすることにした。礼を述べて宿へ帰る。
お風呂の支度をしながら魔導袋に目を向けるが、魔力はまだ抜けきっていないようだ。存外長持ちするものなんだな……そんなことも知らなかった。
「そういえば、報酬の相場ってどのくらいなんだろ……一年使えないわけだし、大金貨……十は多すぎるだろうか。少ない気もするし……多めに持っていくか」
私の財布は最初の町でギースと一緒にいた女護衛にプレゼントされたものだ。普段使いには便利だが、大金貨の束を突っ込むとなると些か問題がある。問題があるのは使い方であって財布は悪くないのだが。鑑定書も発行してもらうつもりでいるし、今回は報酬と一緒に布袋に包んでいこう。
寝過ごしたら不味いので、その日は洗濯だけ済ませて宿に戻って早々に就寝した。
日が昇る前に起床し、明かりを点けて魔法袋に目をやる。まだ魔力は抜けていない。そのままゆっくり身支度を済ませて部屋の換気をしながらまったりする。魔導具をあれこれと身に着け、パーカーを着て髪を紐でひとまとめにすればおしまい。
私の髪は女神様効果か、特にブラシを通さなくてもいつもサラサラしている。日本に居た頃ではありえなかった変化だ。楽なので助かってはいるが、流石にブラシを買いもしないのは横着だっただろうか。鏡を見ることがないので色々と適当になっているのは否めない。化粧品なども結局後回しにしている。
体を動かすのは今日はまだ後で。汗臭いまま向かうのは印象が良くないだろう。私の服が代わり映えしないのはあちらも気付いているだろうが……それなりに魔導具も身に着けている。きっとキャミやホットパンツもその類だと思ってくれている……はず。だといいなぁ。
「そういえばメガネは外しておかないとダメか。普段使いしているものを再鑑定してもらうという体でいくんだんから。明かりが要るね」
鑑定の代金と謝礼の入った布袋、新しいメガネ、ランタン、鍵、十手。これだけあれば十分だ。十手をパンツに差し、マントを羽織ってから待ち合わせ場所へ向かった。
待ち合わせ場所に役人はまだ来ていなかった。先に着いたようなのででしばらく待機する。今日は曇り空で肌寒さも感じる。明日辺り雨も降るかもしれないし、本格的な冬の訪れが近いのかもしれない。この世界のことを私は何も知らないに等しい。
(寒くなる前に次元箱の中で生活できるか試しておきたかったけど……難しそうだね。聖女ちゃんと一緒にいる約束もしてるし、まとまった時間の確保ができるかどうか。あまりにも寒くなりすぎるようだと暖房もいるし、寝具はまだ何も準備してない。そもそも宿の寝具はどうなんだろう、布団とか貸し出してくれるのかな)
「メガネをしまっておく箱もいるな、細々としたもの……いい加減メモ帳でも買うか。机も……無駄にならないだろうし」
現時点で直近に明確な目的があるわけではない。王都にはお酒を取りに行くが、それにはまだ間がある。修行はその後。かといって迷宮攻略をしたいわけでもない。第三迷宮を攻略したのはただの偶然だ。次元箱の環境を整えて王都まで遊びに行く……のも考えていいかもしれないな。冬の間はあのお風呂に入り浸ってお酒を引き取って帰ってきてもいい。けど王都は魔物いなくて退屈なんだよな……。
聖女ちゃんも遊びに来ているわけじゃないんだから、冬が来ても修行は続けるだろう。たまに会うくらいはしたいけど……それは余暇にすることだ。優先順位は低い。
部屋の中でできる時間潰し、何かないものかな。
勉強という手もある。実用的なのは次の迷宮都市やその間の町や道についてか。この辺りはきちんと把握してから行動したい。地図が手に入れば一番なんだけどな。この世界の歴史についても、落ち着いてからにしようと放置していた。まだ一年目……というよりは半年にもなっていないのだが、どうしたものでしょう。
(ゆっくりもしたいけど、パイトは迷宮に入る以外にやることないからな……私の知ってる娯楽といえばお風呂くらいだ。……本かな、本を買おう。パイトになくても王都まで行けば流石に色々あるだろうし)
お酒が揃う前に王都までもう一往復、これは行う前提で考えておこう。その過程で次元箱で生活できるか試せばいい。必要な物があればどちらかの店で買い足していけばその内満足行くものになるんじゃないかな。途中にはコンパーラや他の町もある。
(ん、来たかな)
遠くからコート姿の女性が足早に近づいてくるのがメガネなしでも確認できる。コート、コートか……。一度試してみるのもありか。裾を靴のすね当てに巻き込むのを懸念して控えていたが、この手の魔導具は数が多い。良い品があるかもしれない。顔を隠すのは別の手段を考えてもいい。仮面……はダメだな、メガネを掛けられないのはダメだ。まぁ、なにかあるでしょ。
「おはようございます。お待たせしてしまい申し訳ありません」
「私も今来たところです。お気になさらずに。早速ですが、依頼品をお預けしてもよろしいでしょうか?」
この役人は冒険者の男共に人気があるのを見れば分かるように、かなりの美人さんだ。美人系というよりは可愛い系だろうか、私よりも恐らく年上のはずだが、年齢を感じさせない。旦那は幸せ者だね。
「はい、お願いします。鑑定だけでよろしいのですか?」
「鑑定書もお願いします。こちら料金の大金貨二枚と、依頼品です」
「これは最近身につけている……なるほど、分かりました。お引き受けします。早速ですが行ってきますね」
メガネと鑑定料を渡し、急ぎ足で神殿に向かう役人を見送る。家に子供を残しているのかな、仕事に家事に育児とこなして、私の依頼まで受けてくれるとは。頭が下がるねほんと。家事と育児は旦那がやってるのかもしれないけど。
他所様の家庭事情までは知らないが、この世界は特に男尊女卑的な傾向は見られない。子供も老人も、男女問わず迷宮に入っているし、管理所の職員も女性は多い。私の知る限りでは、特に種族で差別されているようなこともないように思う。もちろん完全にないだなんて思ってはいない。ドワーフとエルフはそれ程仲が良くないみたいだし、一概に扱ってはいけない問題だろう。
パイトでは種族同士で固まっていることが多いが、王都では色んな種族がつるんでいるのをよく見かけた。ドワーフや……長命種のエルフなら、私とも長く一緒にいてくれるかもしれない。
「その予定もないけどね」
朝はやはり空いているのだろう。役人を待っている間も、彼女を見送ってからも、神殿に足を踏み入れる他の利用者は見かけなかった。
十分経たずに戻ってきた彼女からメガネと詳細を記した紙、それと鑑定書を受け取って依頼料を支払う。
「えっと……これは流石に多すぎます。この手の依頼は子供や家族に任せることもありますし、外部に依頼を出す場合でも大金貨一枚を超えることはまずありません」
「仕事として、口止め料込み、ということで受け取って頂けませんか。これ、実は鑑定書込みで手に入れたのですが、古い物でして……。魔導具の機能は問題なかったのですが、鑑定書が信頼できるものなのか不安で……再度鑑定に出すことにしたんです。所長さんの知り合いの方のようだったので、知られると……その、あまり心証は良くないかな、と思いますので」
苦笑しながら考えていた言い訳を述べる。別に大金を押し付けたいわけじゃない。私にとって、口止め料込みの大金貨十枚は適正価格だ。安いと言われれば追加を出す用意もしてあった。
「うーん……分かりました。では、絶対に秘密厳守ということを管理部職員として誓約させていただきます。この事は一切口に出しません」
「はい、それでお願いします。今日はありがとうございました。助かりました。それでついでにお伺いしたいのですが、しっかりとした地図を手に入れたい場合はどうすればいいでしょうか。それとパイトで書物や寝具、暖房などを──」
軽く質問攻めにした後に解放して役人と別れた。毎度のことだから慣れているだろうとは思うが、よく付き合ってくれるな。ありがたい限りだ。