第六十四話
「次元箱? ……『未登録品。血液登録。位置固定在り。動力源:魔力。消費極小。』…………」
文面にはそれだけしか記されていない。名前は分かったけど、詳細って言うほど詳細な情報でもないよねこれ。大金貨一枚ならこんなもんなのかな……。
使うのには登録が必要? 血液……垂らせばいいのかな。位置固定は分からないけど、少ない魔力で機能すると。
「何のこっちゃって話だ、これは何をするための道具なの? 位置固定も謎だし……とりあえず登録してみるか。売れなくなっても、まぁ、いいや」
ナイフで左手の指を切って血を垂らしてみる。数滴落として箱と指の間に繋がりが生まれたのを感じるが、箱は徐々に薄くなっていき、最後は透明になって消えてしまった。
「……何これ、本当に消えてる。でもさっき生まれた繋がりは残ってるみたいだ。何だこれ」
ベッドに腰掛けて太腿の上に置いていた黒い箱。それに血を垂らしたら箱が消えた。腿を触っても箱が残っているというわけでもない。けど、私との繋がりが残ってるのは分かる。不思議だ。
「魔法袋と干渉してたけど、容れ物なのかなぁ。けどその箱がもうないし……身体に吸い込まれた? そういうわけでもなさそうなんだよな……」
名前が判明しているのだから、どこかで聞けば分かるかもしれない。というか、自分で考えても分からない。
「所長さんなら何か知ってるかな、どの道昼に管理所行くわけだし、そこで聞いてみるかな。って、登録する前に聞けばよかったじゃん! 何やってんだ……アホかな」
「次元箱は魔法袋と同系統の収納魔導具だ」
今日ここに来たのは例の頭蓋骨型魔石の扱いについて話をするためなのだが、いつもの魔石担当の男が作業中で手が離せないとのこと。
所長室にて待っている最中、私を部屋に通して仕事に戻ろうとしていた所長に話を振ってみたところ、かなり的確な回答を頂けた。
「魔法袋は内部の空間を拡張したものだが、次元箱は内部に空間があるのではなく、どこか別の空間へと繋がっている。利点は盗難と内部重量を心配する必要がなくなることだろう。難点として、大抵のものは魔力や血液での登録を必要とするために、持ち主以外が使えなくなることが挙げられる。魔法袋を次元箱の中へは持ち込めないと聞いたことがあるが、定かではない」
「なるほど、収納に使うものだったのですね。別の時空間へ繋がっているということでしたが、それはどのようなものなのでしょうか。想像がつかないのですが」
「ふむ……。部屋や倉庫のようなものにいつでも入れると思えばいい。物を持って中に入ったり、中の物を持って外に出ることができると」
「な、中に入れるのですか? 次元箱の?」
「正しい表現ではない。次元箱によって登録者と繋がった、別の空間へ出入りできるのだ。見えも触れもしない部屋が常に登録者のそばにあり、次元箱はそこへ入るための扉、あるいは鍵のようなものだ。中に入れるとはいっても、空間の広さなどには個体差があるだろう。手を差し込める程度の広さしか持たぬということもあり得る」
「なるほど。鍵……理解できました。ご教示頂きありがとうございます」
「大したことではない」
それだけ口にすると所長は書類仕事に戻った。なるほど、なるほどだ。鍵か。
(登録が必要な個人認証付き魔法袋。中に入れるかもしれない。……ってことは、サイズによるけど、緊急避難的……野宿の際にも使えそうだな。でもどうやって使うんだろ、かなり便利そうな代物なんだけど)
右手で魔法袋からヤスリを取り出して色々試してみるが、収納できる気がしない。魔法袋を身体から離しても変わらなかった。
(収納、格納、しまう、ストレージ……んー。転移、転送、鍵、扉、開けゴマ! ……ダメだな。もしかして出し入れするのにその都度血が必要? 魔力はあくまでも動力として……とか)
「もしかして、左手でしかダメだったり」
左手に魔力を集めて色々考えていたが、そのまま『次元箱』と念じた際に変化が訪れた。ヤスリを持ったまま、尻から固い地面に落ちたのだ。
辺りは一面真っ暗でメガネがなければ何も見えない。息はできる、空気は……あるのか、これ。流れはないと思うけど……。
「いててて……な、なんだこれ……これが別次元の空間? 倉庫かな、部屋の中にいるの……だと、思うけど」
立ち上がって周囲を調べてみる。地面はあるが壁……もあった。天井もあるようだが、それ以外には何もない。
もう一度左手に魔力を込めて『次元箱』と念じる。次の瞬間私は所長室のソファーの上にヤスリを持って座っていた。無音で少し身体が沈み込む。
(なるほど……なるほどなるほど。こう使うのか。位置固定というのはつまり、箱の中に入る際の位置と状態を記憶できるってことかな? 出る時どこか適当に飛ばされることはない、と)
ヤスリだけを飛ばせないか試してみたが、これは上手くいかなかった。しかし中にヤスリを置いて戻ってくることはできた。もう一度中に入ると置いた位置にヤスリがきちんと存在している。それを持ってまた戻った。
(箱の中に入る際に出現する地点は同じ。箱から出てくる際に出現する地点も、入室時と同じ。箱の中に置いた物の位置は変化しない)
ふと思い立ち、中に入ってヤスリを上に放り投げ、すぐに出てくる。
しばらく間を置いてからもう一度中に入ると、程なくしてヤスリが地面へ向けて落下する姿、そして音を確認できた。
(箱から出た際に物品の位置とか座標といったものが固定される……これかな。時間が止まっている可能性もあるけど、重力は効いているし音も聞こえる。ある程度はこちらの常識を当て嵌めて考えた方がよさそうだ。時間停止みたいな凄い効果があるなら鑑定の際に記されていないのが不自然だし。一応コップに水でも入れて放置してみようかな、氷でもあれば分かりやすいが、時間が流れているかはそれで分かりそうだ)
そして、内部の空気……これの問題がなんとかできれば、野宿の際にも使える。換気の魔導具とか、そういうのないかな。時間が経過するなら植物でもよさそうだけど……光がないんだよねぇ。
(とりあえず検証は後だ、いい加減お尻が痛い……。というか、これがあるならあの魔石、無理して処分する必要ないよね。気持ち悪いし売れるなら売ってしまいたいけど)
まぁ、寝床として使うかもしれない場所にドクロの魔石を置くのを是とできるなら、最初から管理所に持ち込んだりしない。
暇潰しに休日の間に狩った浄化真石を袋詰めにしていると、ほどなくして魔石担当の男が部屋に現れた。
「お待たせしてしまい申し訳ありません」
「いえ、お気になさらずに。お仕事を優先なさってください」
「ん、来たか。話を始めよう」
所長室のソファー、向かい側に男二人が並ぶ。議題は例の魔石。今となっては……まぁ、納得できなかったら箱詰めにして次元箱の隅にでも保管しておけばいい。
「この件に関して、管理部からの提案がある。王都のオークションに出品しないか、ということだ」
「上層部に、持ち主が『面倒なことになる位であれば叩き割って売る』と言っていると伝えたところ、やはりパイト名義で王都のオークションにかけてはどうか、ということになりました。手続きから代金の受け取り、それをパイトへ持ち帰るところまで全てこちらで請け負います。貴方のことは上層部も知りませんし、この話は一切外部に漏れません。ただその際、オークションの出品前に、王都の資料館か博物館への一時展示の打診を受けるかもしれない、と」
「展示は広告を兼ねている。今日出して明日オークションをするよりも、時間をかけてアレの存在を周知し、太客を集めようという算段だ。これはあくまでもこのような手法を採られることがあるというだけの話だ、そこは勘違いをしないで欲しい。断る自由はある」
「悪くないご提案ですね……いえ、正直に言えばいい手だと思っています。難点があるとすれば即座に金貨が手元にこないことでしょうが……まぁ、些細な問題です。パイトへの手間賃は上がりの何割程をお考えですか?」
「上は三割でどうかと提案しているが、正直なところ一割でも請ける。どんなに安く見積もっても数百億だ。実際は一千億から競りが始まるだろうとの意見で一致している。それ以上の値が付くのは確実だ。オークションの手続き一つで数十億、数百億入るなど破格が過ぎる。貴方の機嫌を損ねて破壊されては何にもならないからな。我々は都市の利益を追求する者だ、かなり下出に出るだろう」
即金が来ない以外は何の問題もない。パイトは利益のためにしっかり動いてくれるだろうし、大量の大金貨も、今は次元箱にしまっておける。そこは容量の確認をしてからになるが……。すぐに大金が必要というわけでもない。受けようか。
「そちらの取り分は三割で構いません。王都での展示も、打診があれば受けて頂いて構いませんが、盗難の際の保証があるように先方と契約して下さい。広告の為であっても王都の外へ持ち出すことは認められません。王都に魔石を持ち込む前に告知をすることも控えて頂きたいです。輸送団の安全を保証できないかと思います」
「期限についてはどうか」
「時間をかけて頂いて結構です。お互いに稼げるよう、工夫を凝らして頂ければと思います。それと、オークションが終了した際に私が王都にいましたら、代金を王都でも受け取れるよう条項に盛り込んで頂けませんか。おそらくパイトで受け取ることになるだろうとは思うのですが」
「可能だ。後日正式な契約書を結ぶ。すまないがまたこちらに来てもらう。悪いようにはしない、ここで私達が誓約しよう」
「ありがとうございます。信頼しております」
互いに利がある。いいことだ。所長は話が早いし助かるねほんと。
話はついた。後は契約書の草案を見てからになるが、おそらく問題にはならないだろう。今後の予定を話し合い、魔石担当の男に袋詰めにした浄化真石を預けて管理所を後にした。