第六十三話
一晩眠ってすっきりした……と言いたい所ではあるが、やはりまだ疲れが残っている。
かなりマシになっているから、回復してはいるのだろう。そうでなければ、日も昇らぬ時間から目が覚めようはずもない。
「単に習慣かなー……悪いことではないけど、どうしようかな。このままダラダラしてても、時間を持て余すよね」
昨日は夕飯も抜いてある。多少空腹を覚えてはいるが食事に出ようにもまだ店も屋台も開くまでだいぶある。今は保存食をつまむ程度でいいだろう。休むと決めて気疲れするようでは本末転倒もいいところだ。とりあえず霊鎧狩りにいこう、適度な運動は健康にもいい。
「強めた気力にも慣れていきたい。リビングメイルは普段のそれで楽に狩れるようになりたいね」
軽く身体だけ動かし、支度を済ませて六層へ向かった。
いつものように霊鎧を潰しながら考える。死神戦のことだ。私は自力はそれなりで、魔物との戦闘経験も頑張って積んではいるが、やはり戦闘技術が圧倒的に足りていない。十手のようなニッチな装備を使っているから完璧なものは習得できないだろうが、剣術や棒術といったものがあれば、学んでみるべきだろう。その気持ちが強くなっている。
(死神には結局、力づくで鎌を打ち払って力づくで打撃を入れていただけだ。それが私の基本だと思うし、これがダメだとは思っていないが、手は増やしたい。これまで戦闘や武術なんてものとは縁のない世界で生きていたんだ。生まれ変わったようなものだし、それを学ぶことにも積極的になるべきだろう)
「特に足運びというか、身体捌きというか、そういうのがなぁ」
ギースには二の太刀で必ず殺せと教わった。気力の強化や近当てなど、その為にできることは自分なりに身に付けてはいるが、やはり強い魔物が相手だとそうもいかない。仮にあの死神が世界最強クラスの魔物であったとしても、あれが複数出てくるようなことがあれば次は死ぬ。そして私が倒せたあんなものが、最強であろうはずがない。
言い方は悪いかもしれないが、パイトにあるのは所詮小中規模の迷宮なのだ。大規模迷宮の深層部であれが出てくれば、きっとそれは、より強い個体として出てくるはずだ。出遭うことも恐ろしいが、それに対して何も出来ずに死ぬことが、より恐ろしい。
(ただお金を稼いで生きていければいいというわけでも……いや、隠棲してもいいとは言われたけど。それを今は良しとしたくない。魔物だけではない、人間だって強い。ギースみたいな強さの悪人がいたら私は殺されるだろう。私はまだ人を殺した経験がない、躊躇すれば次の瞬間はない。日本の法や倫理は忘れてしまっていい。殺すべき時に殺すことができるように、経験も積みたい。この世界の法を積極的に犯すつもりもないが──)
そんなことを考えながら日課を済ます。気を抜きすぎだとは思うけど、これくらい身体が勝手に動くようでなければ駄目だ。
その日は朝食を取った後一日中ダラダラして、お風呂に入ってシーツを替えて眠った。
翌日も似たような感じだったが。その日は朝の日課も休みにした。朝市がやっていたので見に行って、果物を買い漁って部屋で一日中食っちゃ寝をする。
「あー、だらけてる。こういうのもたまにはいいね」
風呂もトイレもなし。魔力を吸われず気力も使わない、神力を使う余地もない。徹底した休息の成果は翌日顕著に現れた。
「これは……あれだね、回復してるね。こんなにあったんだ、魔力。気力もだけど」
今までの私は、魔力の現在値がほぼ変化していなかったのだろう。
現在値が七、最大値が十といった状況が続いていて、最大値が十一や十五になっても現在値は七前後で推移していたわけだ。
それが、休息を徹底することで十五──最大値近くまで回復する。となると私が持っている魔力量は二倍になる。私の器は普通の人のそれよりも、たぶん遥かに大きい。百が九十五や百五になっても違いは分からないが、二百になればはっきりと体感できるものになる。
「塵も積もれば……ってね。気付いてなかっただけで、結構消費と供給のバランスはギリギリだったのかもしれない。魔力消費型の魔導具の選定は慎重に行おう」
メガネと靴はもう外せない。百歩譲ってメガネを外すことはあるのかもしれないが、靴を脱ぐことだけはないだろう。
服は自分で魔力を込めないと防御力は上がらない。平時は布の服よりは高いが、常時防御力を求めようとすると些か燃費に問題を感じる。代替がない以上脱ぐことはないけれど。
魔法袋は、現状選択肢がない。これの選定基準には今も頭を悩ませているが……。
「魔法袋で思い出した、鑑定しにいかないと……何なんだろうねこれ。魔法袋じゃないよね……魔法袋が魔法袋に入らないなんて話は聞いたことがない。出し入れしているところを見たこともある」
この世界において『鑑定』とは広く認知された技能であり、『鑑定師』は社会的な信用も高い立派な職業の一つだ。
小さな神殿のような建物で『鑑定神』なるものを崇め奉っているとなると、途端に胡散臭くなるのだが……私はそれを笑い飛ばせる立場にない。
確かなことは、大昔から現在に至るまで、確かな実績を残し続けているということ。有料ではあるが、一般人でもこの恩恵に与れるということだ。
鑑定の効果は、その物品の詳細を知ることができる。迷宮産の装備や過去の遺物の詳細、今し方仕上がった刀剣の評価、絵画の作者から野菜の生産地まで分かるという。なんだそりゃと言いたくもなるが、こういうものだと受け入れるしかない。
鑑定料は大金貨一枚。鑑定書の発行も追加で一枚。これは鑑定後に発行するかどうかを選べる。
鑑定の詳細は特殊な用紙に印字され、鑑定書を発行しなければ鑑定師も確認することはできないという。プライバシーは守られると思ってよさそうだ。
ただし一回の鑑定毎に一品までで、一度鑑定を利用すると向こう一年の間はどの神殿の利用もできないと注意を受けた。抜け道はあるみたいだけどね、人にやらせるとか。
商隊の護衛の際に得た情報や、日が昇ってからパイト中央の鑑定神殿を訪れた私が受けた説明をまとめると大体このような感じになる。
「依頼品をお持ちでしたらこのままお進み下さい。代金は鑑定師に直接お支払い下さい。鑑定書の発行の際も同じです」
事務的に案内を受けて神殿の奥……という程でもないが、にある講壇のような場所まで足を進める。その後ろには立派な男の像が建てられていた。これが鑑定神を模したものなのだろう。
(一対一で対応するのか、そりゃ一品までに制限もするね……)
「依頼品をお出し下さい」
神官風の衣装を纏った男に何の挨拶もなく用件だけを伝えられる。分かりやすくていい。講壇の上に黒い箱を置くと、それを確認もせず男は後ろを向いて膝を突き、何やら祈り始めた。一分ほど祈ると男は神像の足元に置いてあった紙を一枚取り上げて視線をやらずに二つ折りにする。それを持ってこちらに戻り、黒い箱の上にそれを置いた。
「鑑定書の発行はいかがなさいますか」
男が持ってきた紙は内向きに折り曲げられていた。内容は見られていない。発行すると見られる。考えるまでもない。
「いえ、結構です。ありがとうございました」
それだけ口にして代金を支払い、箱と紙を手に神殿を後にした。
「いや、あっけなかったね。これで向こう一年は使えないと……秋前くらいかな、寒くなったら再利用できるとでも覚えておけばいいか。秋があるのかも、冬が来るのかも知らないけど」
鑑定の後私は即宿へ戻った。当初は靴やメガネ、服に魔法袋もまとめて鑑定してもらうつもりでいたので、服を魔法袋にしまって鑑定に向かっていた。つまり外套の下は寝間着にパーカーだったわけです。
防御力云々の前にこんな格好で人前にいられるわけがない。先に服を買って着替えようかとも思ったけど、流石にもったいなく感じてしまって横着したわけだ。
「さてさて、これは一体何だったんでしょうね……っと」
二つ折りにされた鑑定の詳細は蝋のようなもので封がされていて、歩きながら見る気になれずまだ確認していない。
着替えをして封を切る、そこには──