第六十一話
軽率だとは思う、理解している。だが、興味を抑えきれない。
光沢のない黒い立方体、おそらく宝箱……その上部、蓋に手をかけて持ち上げる。
少し持ち上げただけで自動で蓋が開いていき──開ききったところで消滅した。
「えっ、ああ、中身は残るのか。……焦った。流石にこれで中身ごと消えたら何なのってなるよね」
床には箱と同じ、光沢のない黒い小さな箱のようなものが一つ残されていた。大きさはタバコの箱くらいで、何か物を入れる道具のようは気はするのだが……。
「なんだろうこれ、水袋? 魔法袋にしては小さいけど」
そのまま触って大丈夫かどうかをしばらく逡巡したが、十手で小突いても爆発しなかったので、恐る恐る手を触れてみた。
「よかった、何もない……箱……だなぁ、箱だ。中に何か入ってるのかな。でも流石に鑑定してもらってからか、未鑑定のものを使うなって強く言われたもんね」
そのまま魔法袋に突っ込もうとするも、入らない。
「ん? 直接はダメなのかな、確か金貨の袋がまだ残ってたはず」
他の袋に入れてから魔法袋に入れてみようとしたが、これも入らなかった。何か、魔法的なもので抵抗されている感じがする。
「よく分からないけど、無理なら仕方ないか、このまま持っていこう」
魔法袋から外套を取り出して羽織り、頭蓋骨を包んだ服と箱を入れた袋を左手で抱えて出口に向かった。何だこりゃ。
出口を潜った先は第三迷宮の大広間だった。辺りに敵は見えず、ふわふわにも反応はない。
「ん、ここもしかして一層かな?」
メガネから魔力を抜いていくと、供給停止スレスレの辺りでやっと見えなくなった。おそらく一層だろう。
「出口は……向こうか、とりあえず外に出よう」
確定したわけではないので気を抜かないようにして外を目指す。長い通路を抜けて……パイトの大岩前へ辿り着いた。
「はぁー……帰ってきたぁ……もう夕方近いのか、疲れるわけだ」
まだ辛うじて青空が残っているが、もうやがて暮れるだろう。そんな時刻。メガネから暗視を切って大きく息を吐く。
今日は日も昇らぬ頃からリビングメイルを狩って、そのまま第三迷宮へ入った。下手したら十時間くらい暗闇の中にいたことになる。
「どうするかな、管理所……いくかぁ、これ手元に残しておきたくないや。鑑定は明日にしよう」
そのまま近くの管理所ではなく、第四迷宮の管理所へ向かう。あっちの方が話が早いからね。
第四迷宮の管理所は盛況だ。特に昼過ぎから夜にかけては足を運びたくない。つまり今くらいの時間帯のことだ。
ひたすら戦ってやっと外に出られたと思ったら、この長蛇の列。お前らもっと時間ずらして来いよ。悪態の一つもつきたくなる。
しかも今は荷物を抱えている、いつもの役人の列は特に長い。うんざりする。かえりたい。でも頭蓋骨と一夜を共にするのは避けたかったので我慢した。
しかし、この冒険者達はどこで戦っているんだろう。トンビの先に美味しい狩場でもあるんだろうか。少し聞いてみたくなったが、それ以上に他の冒険者と関わりを持ちたくない気持ちが強い。止めておこう。
魔法袋にしまってあれば分からないが、管理所をざっと見渡す限りでは大きな盾を持ったりしている人はいないように思う。
槍や片手で扱えるような長さの剣を持った戦士風の人が盾を持っていたりするが、防具屋でよく見る普通のサイズのものだ。あれじゃトンビの急降下を受け止められたりはしないだろう。
何か裏ワザがあるのかな。第四迷宮は四層も五層もそれなりに人がいるけど、この人達が皆あそこを狩場にしているとは思えない。若い子達はそうかもしれないな、何か似たような装備をしてる姿を行き帰りで見かけたことがあるような気がしないでもない。
考えごとをしていると、役人がこちらにチラチラ視線を送っているのに気付いた。顔を上げると手振りでいつもの個室へ向かうように指示される。ありがたい配慮だ。会釈をして列を離れ個室へ足を向けた。
勝手知ったるいつもの個室だ。ソファーに荷物を置き、マントを脱いで魔法袋から二セット分の浄化真石を取り出しておく。今日の分はともかく、昨日の分をまとめておかなかったのは迂闊だった。紫の魔石もあるし、袋の中にとにかく魔石が多い。
「紫のは……いいかな。どうせ大した値段はつかないよね」
「浄化紫石は、そうですね。程度にもよりますが、そのくらいの大きさですと一万と少しになると思います」
おお、気付かなかった。いつもの魔石担当の男が部屋に入ってきていた。ここの扉、音が静かなんだよね。
「失礼致しました。恥ずかしいところをお見せしてしまい……」
咳払いして応じる。
「いえ、お気になさらずに。今日も浄化真石の査定ということでよろしいでしょうか」
「はい。別件が一つ……いえ、二つですね。あるのですが、とりあえずはこれです。おおよそ百二十個程だと思います。
「箱を持ってきますのでしばらくお待ち下さい。前回の分の代金がまだ未払いだったと思いますので、それも併せて私が対応します」
男が部屋を出て行く。ノックも気づかなかったのか。いかんな、今日は本当に疲れてる。
この精神的な疲れは、死神のあの得体の知れない干渉のせいかもしれない。戦いの間中、私は死神に絶対に何かされてた。防いでいた感覚はあったが、それでいつも以上に消耗したのだろう。
(精神的な疲れ……? もしかして精力って、ああいうのに抵抗する力? いや、でもあれはふわふわで弾いていたはず。この疲れは抵抗するのに神力を使ったせいだと思うんだけど……。身の周りのふわふわを完全に抑えることはできないから本当のところは分からないし、検証もしたくもないが、気になるな)
考えるのは後だ、とりあえず用件を済ませよう。
「まず前回の分が二千五百二十五万と九千です。単価は変わらず六十七個分ですね」
三十七万七千の六十七個分。金貨を数えて袋に戻して受け取った。その間に魔石担当の男は査定を始めている。
「確認しました。毎度ありがとうございます」
「いえ、申し訳ありませんがもうしばらくお待ちください。お茶をお出したいのですが、ただいま職員が手一杯でして」
「お気持ちだけありがたく頂いておきます。この時間に来た私が悪いので。本当はもっと早めに来る予定だったのですが……」
ソファーに身を沈めて答える。後を引いている感じはしない、問題はないが休みたい。目を瞑ったら眠ってしまいそうだ。
「随分とお疲れのようですね、大変だったのですか?」
男は査定を続けながら会話を続けてくれる。助かる。
「はい。後ほどお話する件にも関わってくるのですが、中に長居することになってしまって……予定になかったので大変でした」
「なるほど。では、その際にお聞きします」
そのまま無言で作業を続ける男。以前に比べるとだいぶ処理の速度が上がっている。彼なりの基準があるのだろう。
「お待たせしました、査定の方完了しました。全て問題ありません。いつも通り三十七万と七千の百二十五個分でいかがでしょうか」
水袋から水を飲んだりしながら、何とか意識を繋ぎきった。危ないところだった。
「お疲れさまでした。それで問題ありません、よろしくお願いします」
「代金はまた二日後を目処に引き取りにいらして下さい。それで、別件が二つあるとのことでしたが」
そう、本当はこちらが本題なのだ。
「はい、お忙しい中恐縮なのですが、魔石のことを教えて頂きたいのです」
「魔石のこと……ですか。確かに私は専門ですが、どのようなことでしょう?」
「まず、魔石の種類について教えて頂けますか?」
「分かりました。まず、通常の魔石は八種類存在しています。火石、水石、土石、風石、光石、闇石、霊石、瘴石。この八種ですね。属性の名を冠していて、色がくすんでいるのが特徴です。特筆すべきは瘴石で、これは通常の魔物が瘴気に侵されることによって、本来持つ魔石が変質したものです。完全に変質すると黒っぽくなるのですが、その具合が甘いと混ざり合ったような色合いになることがあります。これは瘴石としても元の石としても使いにくいので、通常は砕いて魔力を吸う程度の使い道しかありません。言うなればハズレですね。霊石だけは瘴石にならず、悪霊化することでその大きさや質を上げるとされています」
「次に、浄化品と呼ばれるものです。貴方には馴染みが深いと思います。これは主に色の名が付いていて、透き通った色合いをしています。浄化赤石、浄化蒼石、浄化橙石、浄化緑石、浄化白石、浄化紫石、浄化真石、浄化黒石。この八種です。闇石が紫石になります。黒石だと勘違いされる方が多いですね。価値的には真石が圧倒的に高く、査定上は次いで白と紫、その次が強いて言えば黒ですが、他とそれほど有意差はありません。種類と言うとこのようになりますが、回答になりましたでしょうか?」
「ありがとうございます。それで……同じ魔物が二種以上の魔石を落とすことがありますか? 例えば、土石を落とす狼や猿が、風石を落とすようなことが。それが浄化した場合などでは」
「どちらでもあり得ます。全ての魔物ではないですが、一部の種類は複数の属性石のいずれかを内包していることがあります。珍しいといえば珍しいですが、魔石の価値的に優れているというわけではありません。確率は……一割程度だったと記憶しています。ただ、火山の魔物から水石が出たり、そういうのは中々ないようですね」
「なるほど、大変勉強になりました。ありがとうございます。別件の一つ目はこれについてでした」
やっぱり紫は闇だったんだな、八種というのも確認できてよかった。だが考えるのは後でいい。本題……これが本当に本題だ。頬を叩いて気合を入れる。
「それで、別件の二つ目と言いますか、正直これが本題なのですが……見て頂きたいものがありまして」
ソファーに置いてある、ダメになった服でくるまったそれをテーブルの上に置く。男は首を傾げているが、布を解くとその顔を引きつらせた。
「あの……これ、何なんでしょうか?」
いや、本当に……これはなんなのだ。