第五十四話
近くにあった軽食屋に入ってお茶を頼む。まず冷静にならないと。この時間なのにそれなり席は空いていた。銀ランクの店だし変なところじゃないと思うけど……まぁいい。
(第三迷宮がダメとなると、言質の確認ができ次第中央か北の迷宮を当たるのがいい。真石狩りは日課にするとして、どこから当たるか……特に目的はないからどこからでもいいけど、やはり近いところからかな、となると──)
「よぉ姉さん。いい話があるんだ、聞かないか?」
考えごとをしてると声をかけられた。中年の男だ。冒険者だろう、多少薄汚れてはいるが装備はしっかりしている。体格もいい。
(おお、ナンパか。男にされたのは初めてかな、こんなマント女によく声なんてかけてきたな。王都で少女にはされたけど……)
だがまぁ、怪しい男だ。正直相手したくない。こんなところで暴れたくはないが、そうも言っていられない。
財布から銀貨を二枚卓上に置いて十手を握る。
それを見た男が慌てて弁明してきた。
「いや! まて! まってくれ! 違うんだ、そういうつもりじゃない。とりあえず話を聞いてくれないか、断られたらすぐに立ち去る。約束する!」
店内の視線が集まっている。何だこいつ……鬱陶しいなぁもう。
「それ以上近寄らないで下さい」
「あ、ああ、分かった。近寄らない。話を聞いて欲しい、アンタにとっても悪い話じゃないはずだ」
胡散臭い。そんな視線を向けられていることに気づいていないはずがないが、男は話を始めた。
私のことは知っていたと。顔と背格好を覚えていたと。六層での救援任務、あれに男も参加していたという。役割は斥候。その前段階の依頼にも参加していて続投だったと。
男は特殊な魔導具持ちで斥候として長く活動していたが、引退して田舎に引っ込むつもりでいたらしい。早く帰ってやりたいと。
他の道具はパイトでもあらかた処分できるが、長年愛用した特殊な魔導具……メガネの換金に頭を悩ませていたらしい。
表情は動いていなかったはずだが、私は内心の動揺を抑えるので精一杯だった。男は話を続ける。
その魔導具は望遠に暗視の機能がついたもので、水に顔を浸けても目が濡れないのだとか。水中でも探索ができるとか語っていたが、それはどうでもいい。
自分は学がないが、これが良いものだということは知っている。できることなら高く売りたい。だが、パイトではどの店でも希望額で対応してくれなかったと。王都まで出向いてもいいが、田舎とは反対方向で、買い叩かれることも考えたら踏み切れないと。
今日も第三迷宮の魔導具店で連日行っていた交渉の続きをしようと思っていたが、そこに私がいたと。第三迷宮を探索するための道具を探していて、メジャーな消費型魔導具を希望にそぐわないと断っているのを見つけたと。それで後をつけてきたと。
普段の私ならこの場で殴り飛ばすことを考えるだろうが、今はそれどころじゃない。男は必死だ、演技にも見えない。
「第三迷宮の探索だけなら過ぎたものかもしれない。けどアンタ、他の迷宮にも行くんだろ? こいつは役に立つ。どうだ、買ってくれないか?」
飛びつきたいが、それはしない。まず現物、性能の確認をしてからだ。
「それはどの程度の暗闇を見通せて、どの程度の距離まで見えるようになるものなのですか?」
「あ、ああ。暗闇は……第三迷宮は他のパーティに雇われて十五層まで行ったことがある。そこでは問題なく見えた。あの辺りは光石を消費するタイプの光源でも数メートル先が限度だが、遠目との組み合わせも問題なく機能した。試してもらってもいい」
そこまで言うなら嘘ではなさそうだが……迷宮で襲ってくることも考えられる。男の武力も知れない以上同行はできない。
「遠目と言いましたか、それに関しては?」
「こいつは魔力を使って動くんだ。俺は弱いが……後のことを考えなければ、俺でもパイトの端から端くらいまでは見通せる。一瞬だがな。慣れるまで辛いが、これはかなりのものだと思う」
それはかなりのものだ。間違いないだろうと私も思う。
「それはどこかで作られたものなのですか?」
「いや、昔……まだ若い頃に迷宮の宝箱から出てきたものだ。鑑定もしてもらっている。当時の鑑定書もある。待ってくれ、今見せる」
鑑定書を見せられても私真贋の区別はできないのだけど。
男が取り出した一枚の皮紙は、古ぼけて多少破けてはいるが、しっかりした書類だ。この男が偽造した物のようには見えなかった。そういうのを作る専門家がいるのかもしれないが……。
「消費型ではないのですね? 使い捨てのような」
「ああ、俺はこれをもう三十年以上使ってる。四十年近い。だが、異常を見せたことは一度もない。劣化を感じたこともない」
「値段は?」
「あ、ああ……ろ、六千万だ。これが限界だ。これ以上は下げられない」
問題ない額だ。手持ち以上を要求されてもおかしくはなかった。
「条件を飲んで貰えれば、八千万出してもいいです」
「八千万!? い、いや、大声を出してすまない。条件ってのはなんだ?」
まぁ、簡単なことだ。
「購入前に私がそれを実際に試用する、それを貴方が認める。私の希望にそぐわない物であれば、この話は無しにして蒸し返さない。これが条件です」
「あ、ああ……そうだ、そうだな……それは当然の要求だ……分かった、いいだろう」
「第三迷宮の地図は持っていますか?」
「ああ、ある。買ってくれたなら俺が持ってるパイトの地図は全て譲ってもいい。金は取らない」
マジか、それは助かる。正直飛びつきたい、迷宮の地図は管理所では扱っていないのだ。
「いつにしますか? 今からでも、日を改めても構いませんが」
「今からでも構わないが、俺は弱い。もう迷宮に入るのは怖いんだ。だから迷宮か階層の入り口、それか通路で待たせて貰いたい」
「それは構いません。私はある程度深くまで潜ってもいいのですね?」
「構わない。地図を見るのに不足はない。試してみてくれ」
第三迷宮の入り口まで移動する。男には半刻程度で戻る予定だが、一刻経っても戻らなかったら通報してもいいと伝えておいた。
男は担保を取らなかった。求められても大金貨以外の物はない。十手は論外、靴は迷宮に入る以上脱げない。他に価値のあるものといったら服くらいだから、それは助かった。ここで見張っていれば私に逃げ場はない。山狩りで詰むだろう。
男から魔導具と地図を受け取り、装着の前に軽く説明を受ける。
この魔導具は装着している限り常時魔力を吸うが、それは微量だということ。望遠も暗視も魔力を込めた量で効果が上下すること。
そして傷がついたことはないが、ぶつけたりとか、そういうのは試さないで欲しいことも望まれた。これは当たり前の要求だろう。
説明を受けてから現物を預かる。男が布の包みから丁寧に取り出したそれは……メガネか針金。そうとしか言い様がない。
馴染みのあるハーフフレームのアンダーリムタイプ、鼻パッドも付いているが、アームが折れ曲がったりはしないようだ。それでいてレンズに当たるものが見当たらなく、魔導具全体も限りなく透明に近い白色をしている。また白か。
十手に似たような色合いではある。美しさは遠く及ばないが。
「これを顔にかければいいのですね?」
「そうだ。装着すると自動的に魔力を吸われ始める。供給を自分の意志で切って、取り外せばそれ以上吸われることはない」
「なるほど」
一言発して顔に掛けてみたが、あれ? 自分の意志で切る……? 私の身の回りのものは、これと同じ魔力消費型の魔導具が多いが、普段から吸うに任せて吸わせっ放しだ。切ったことなんてない。
外そうとしてみるが、案の定顔に張り付いて外せない。やばい、どうしようこれ。
「私が知っているものとは魔力の切り方が違うようですが……コツのようなものはありますか?」
「ん? 普通に絞るようにすればいけないか? 吸われてる管に、栓をするような感じで」
ん、言ってることは分かるが……難しい、管が太いのか栓をするのが大変だ、うまくいきそうな感はあるんだが……。
数分四苦八苦しているとなんとか外せた。一息つく。そのままもう一度掛けてみて、今度は……上手くいった。なるほど、これが魔力を切るってことか。
「大丈夫です。お手数おかけしました」
「魔導具にも癖みたいなもんはあるからな、気にしないでくれ」
改めて魔導具を使ってみると……これはレンズを介して視界に、というものではなく、脳に直接情報を与えているような感じがする。
魔力を込めれば込めるほど視野が狭くなり……ならない? なんか拡大された範囲の情報がそのまま頭に叩き込まれる。これ結構きついぞ。
視野はそのままで、細部を拡大した情報が別途頭に入ってくるようなそんな感じ。二つのテレビを同時に見ているような感覚……かな、少し違うような気もするが。
思わず頭を抑える。
「これは、結構きついですね。でも慣れると便利そうです」
「ああ、拡大したのか。それは慣れるまでかなり辛いが、割とすぐ慣れる」
これの検証はいつでもいい。かなり遠距離までいけることは分かった。今は暗視の方だ。
受け取った地図を手に持って、一度は諦めた第三迷宮に再び足を踏み入れた。