第五十一話
昼過ぎからうとうとしていたようで、目が覚めた時、辺りはすっかり夜も更けてしまっていた。宿も町も静かだ、出発してもいいかもしれない。
ランタンの明かりで今一度準備を確認する。水ある、保存食ある、果物ある、十手もある。そういえば塩はほとんど手付かずだな、腐るようなものでもないからいいけど。
「いい加減ゴミも捨てなきゃ、マントとかお亡くなりになった服とか……六層の地割れに捨てたら怒られるかな」
パイトのゴミ捨て場の場所は把握してある。日本の服だけはきっちり燃やしてから処分したいが……その内どこかで燃やそう。
荷物をまとめ、明かり二種を持って階段を降りる。無人の受付に鍵を返して宿を出た。
北西方面への門にいた門番に日が上るのを待つよう説得されたが、目が覚めたので、で押し通した。この手に限るね。
しばらく駆け足で距離を取ってランタンをしまい、袋を外套の下に背負い直して全力で走り出す。
(今の時間は分からないけど、上手くいけば暗い内に着くね。日が出てなかったらまず第四迷宮を見に行ってみよう。日が出たら朝市かな? 市はもう必要ないか、あの国はまだいるだろうし)
特に何事も無く、そのままパイトへ到着した。毎度毎度マラソンの最中に考えることなんてない。
明かりが見えていたようで既に門番が待ち構えていた。少し緊張したが、普通に対応してたら何事もなく通してくれる。検問かと思って焦ったね。
(あー、帰ってきた。……パイトだ。明かりは懐中電灯だけでいいか、第四迷宮が近くなったら消そう)
あの辺りなら小さい明かりの一つでもあれば迷うこともない。迷宮に入れば完全に不要だ。
(まだ一月も離れていないが、こうも恋しくなるとはね。さて、六層へ行こう)
本気で駆け出したい気持ちをグッと抑えて、駆け足で迷宮を目指す。住居区を通り過ぎ、宿を見送り、屋台の出ていた広場を越えて、大岩の入り口へ。
辺りは静かで、迷宮の入り口にも特に人がいるようなことはなかった。一層は安全地帯で明るいから、まだ油断はできないけど。
ドキドキしながら迷宮に入り、横幅五メートルの通路を下る。しばらく進んで一層へ着くも、誰もいない。
「いない、よね? よかったぁ……よし!」
そのまま六層まで駆け出し、懐かしの拠点へ帰ってきた。
「あー懐かしい! この曇り空、嫌な空気、荒れた地面。そして、リビングメイル! ひゃっほーぅ!」
大声に反応して近くに居た個体が寄ってくる。そうそう、やっぱり迷宮はこうじゃないとね。
外套を脱いで魔法袋を手持ちにして、向かってきた一匹目に襲い掛かった。
ガガン! といい音が鳴って一撃で沈む。浄化真石を残して。
「やっぱり少し気力を上げて近当て使えば一撃だね。どこまで気力を削れるかな……でもこれは楽だ、殲滅しよう」
軽快に打撃音を響かせながら霊鎧を処理していく。時間は深夜だろうし通行人もいない。どれだけ駆け出してもいい。十手が飛んでも引き寄せできる。思うがまま遊べる。遊び相手は向こうから寄ってくる。あー最高、私もうここの子になる。
これで外套を脱げれば更に爽快なんだろうけど、流石に……ね。
攻撃回数が減ったことにより討伐時間が減り、それなりにまったりやっていても二時間かからずに鎧を潰し終えてしまった。
「楽しい時間はあっという間だね……。生まれてくるのを待ってもいいけど、五層にでも行こうかな。この時間なら誰もいないよね」
第四迷宮の四と五層はそれなりに人がいる。もちろん時間帯次第ではあるけれど。
(あそこはふわふわで索敵が効くから楽なんだよね)
七層か八層辺りから、確か空を飛ぶ個体が出てくるはずだ。それより上に出てこないという保証もない。試しに見に行ってもいいけど、腰を据えて狩りを続けてる集団に出くわすかもしれない。キャンプ道具のような、大荷物を抱えて迷宮に入っている人達を私は何度も見かけたことがある。その都度帰ってくればいいんじゃないかと思っていたけれど、毎度ここを越えるのは手間なんだろう。宿に泊まればお金もかかることだし。
「どうしようかな、ずっと待ってるのも時間の無駄だし……七層行こう。飛んでるのが居なかったら八も見て、対応できそうになかったら七に戻ろう」
まだリビングメイルは湧いてきていない。見えないところに生まれてるかもしれないけど……まぁいい、生まれた端から潰して回ることもない。
そうして七層へ踏み込むことになった。またダチョウかな。なんでもいいけど。
五層までと同じく七層も草原だった。天気もいい。周囲を見渡す限りではいない。ふわふわを飛ばしてみるも……いない?
「どういうことだ。範囲内にいないってこと? そんな馬鹿な、結構遠くまで飛ばしたぞ。既に狩られているのかな……ありえなくはないけど……」
より広範囲に索敵を飛ばしてみるも、反応がない。視界内にもいない。空を見上げるのは少しきついが……特にいるようにも思えない。
(っていうかこれ、上に飛ばすのきついな……。余計に神力を使う。八層の大岩だけは確認したい、とりあえず周囲に気をつけよう)
八層への大岩を探しに駆け出す。周囲に定期的にふわふわを飛ばしながらのそれは、割りと緊張感がある。
「こういうの久し振りだな、最初に迷宮に入った時以来か。大岩同士は大体向き合ってるから、この辺にあるはずなんだけど……ここってもしかして、五層よりも広いのかな?」
間に死の階層が挟まっているからこれまでとは迷宮の造りが違うのか、他もこんなもんなのか、それは分からないけれど。
天気もいい、一面草原だけど景色もいい。ただ、こうもなにもいないと……不安だね。大岩も見当たらないし。
「これ逆方向にあったらまずいな、元の大岩へ戻れないかも。一度戻ろう、これは遭難するパターンだ」
リビングメイルを瞬殺して回れる冒険者が七層で遭難死だなんて笑い話にもならない。そのまま引き返し、何とか六層への大岩を見つけて通路に戻る。復路でも結局七層の鳥は発見できなかった。
「五層ならダチョウもいるし、それでいいね」
その後しばらく五層と四層でダチョウと戯れて満足したので、日の上り具合を確認しようと魔法袋を背負って迷宮を脱出した。
迷宮への入り口には騎士も神官もいなかった。日は間もなく登り始めるだろう。
(この時間にできる暇潰しは、市がやってたら朝市、後は他の迷宮か。第三迷宮は比較的近い、場所も分かる。問題は敵のことを全く知らないことだけど……どうするかな、流石に第四の管理所に顔を出すのは怖い。第三迷宮見に行くか)
パイトの第三迷宮の大岩は、私が頻繁に利用していた公衆浴場から程近い場所にある。入ったことはないが管理所と入り口の位置は知っている。
先に管理所へ入って掲示板の情報を確認するも、私はこれを見て即探索を諦めた。
何でも、第三迷宮はとにかく暗いらしい。
掲示板には、暗視のできる種族以外が強力な明かりや道具を持たずに入ることは本当に無謀だから絶対に止めろといったことが書かれている。敵は低階層でコウモリなどが出るらしい。
(いや、これは無理だ。先にこっち来てよかったな、無駄足踏むところだった。コウモリってことは洞窟?)
そこを今気にしても仕方ない。とりあえず、ここからなら比較的第二迷宮が近く、第一迷宮へも行けなくないが、共に初めて歩く道。第一との間には市があるので、迂回する必要があるかもしれない。あそこ突っ切れたっけ……。
それに第二迷宮近辺にはエイクイルの騎士団が使っている宿がある。あそこ以外にもあるのだろうが、あの辺りには確実にある。
「避けるなら五か六だけど、北だし……流石に反対側だからなぁ、どうしたもんか」
この都市の中枢である都市管理部から最も近い所にあるのが第一迷宮だ。そこから近い順に第二、第三、第五となり、第四と第六は大体同じくらいだと以前役人に貰った地図からは推察できる。
パイトを出るまであまり気にしていなかっただけかもしれないが、私はそれほど騎士や神官といったエイクイルっぽい風体の人間に生活圏で出会っていなかった。
中央部に居を構えていて、単に第四が遠くて人気がないだけだったとしたら、狙い目は六ということになるのだろうが、第三があんなことになっているなら、中央の一と二、北の五と六の四つに集中していてもおかしくはない。第五と第六はそれなりに近い。
(ぼちぼち日が上るし、いい加減予定を決めたいけど……どうしたもんかな。ここは考え事をするには落ち着かない。宿……行ってみるかなぁ。パイトに滞在するならあそこが使えないのは不便極まりない)
もう少しすれば受付にも人が出てくるだろう。少し時間を潰して……。
(第三迷宮の中、少しだけ見てみようか。少しだけ、見るだけ。敵も……一匹以上は倒さない。無理そうだったらすぐ戻る。よし、行こう)
迷宮の入り口へとランタンに魔力を溜めながら進み、そのランタンを腕に引っ掛け、左手に懐中電灯を持ち、迷宮に踏み込んだ。
通路は第四のそれと変わらず淡く光っている。ここまでは問題ないが、第一層から早速問題だった。洞窟などではない、大広間だ。
「いやー、これは無理です……はい。大人しく帰ります……」
ランタンや懐中電灯の明かりでは到底照らしきれない漆黒の闇。泉から神域への縦穴横穴がこんな感じだった。地面が普通の土であることくらいしか分からなかった。下手したら一層で迷子になって死ぬ、本当に笑えない。
明かりを消してすごすごと通路を戻った。もうちょっと手心みたいなものがね……ないのかな。