第五十話
「お姉さんは、どうして冒険者をやっているんですか?」
考え事をしていると、今まで口を開いていなかった少年の一人が声を掛けてくる。どうして、どうしてか。特に理由はないけれど、強いて言うなら──。
「強いて言うなら、身分証の為かしら。最近まで冒険者ですらなかったもの」
「み、身分証……?」
「ええ。私はずっとパイト……分かるかしら? 北にある迷宮都市。そこにいたんだけど、パイトは別に冒険者じゃなくても迷宮に入れるし、戦果を換金できる。そもそも冒険者ギルドがないしね。それに、身分証がなくても生活できるのよ。一応冒険者扱いされてはいたけどね。それで不足はなかったけど、今回王都に少し用があって、途中で合流した商隊の人達に勧められて、せっかくだからギルドで登録したの。冒険者になってからは依頼の一つも請けていないし、失効が近くなるまで請ける気もないわ」
大きな国に入る際に止められたりしないように。本当にそれ以上の理由はない。階級も……強いて言えば六級を目指したいけど、東門から入るとか抜け道はある。あまり重要でもない。定期的に更新するのは面倒くさいが、失効しない程度に貢献点を稼いでいればいいと思っている。仮に失効したところで再登録すればいいし、悔やむほどのものでもない。
「もっとこう、自分の力を試したいとか、そういうのは……」
「魔物を狩ることが生きていく上で一番手っ取り早かったというだけよ。パイトにいたのも、あそこが都合のいい場所だから。朝夕問わずに魔物は多い、勝手に湧いてくるからね。その点王都は魔物が少なくて不便だわ。まぁ、それだけよ。高尚な理由なんてものはないの」
日々を過ごすだけなら役所勤めでもなんでもあるだろうが、それは私が生きる上での糧にはならない。長居をし過ぎた、そろそろ暇乞いをしよう。
「そろそろ行くわね。お話はもういいかしら?」
特に返事がなかったので、小金貨数枚を置いて、私は店を後にした。
その後はギルドへ向かわず、お風呂でたっぷりとダラダラして、いつもの食堂で夕飯を取って、宿でもう一泊だけしていくことに決めていた。
「うん、やっぱりパイトへ帰ろう」
ベッドでダラダラしながら口に出す。少年少女達との会話で心は決まった。迷宮都市パイト、あそこはやっぱり何をするにも都合がいい。宿から五分でリビングメイル。これ以上に魅力的な環境などそうそうないだろう。
第四迷宮に入れないなら他の迷宮でもいい。しばらく食べていけるだけの資金はあるのだから、いっそお酒を取りに王都へ戻るまでの半年弱の間、一切魔石を換金せず溜め込んでもいいわけだ。浄化真石以外も、手に入れたものは全て。一つ換金すればそこから足が付くかもしれないし。
「重量軽減も他の効果もなくていいから、容量だけはある魔法袋とか欲しいな。この魔法袋に魔石を全部詰め込んで常に抱えるのは……できなくはないか」
(いや、そもそも適当な袋にでも小分けにして、宿にでも置いておけばいいのか……安全な所があれば、だけど。そういえば貸し倉庫もあるんだっけ?)
布袋なら、お店で普通に買えるはず。必須の品でもない。
「それを王都で預けて……あるよね、倉庫くらい。いや、パイトに置いておいてもいいか。お酒を回収して最初の町に。魔力身体強化を習って、パイトか王都に。こんなんでどうでしょう」
エイクイルがいなければ第四迷宮に居着いてそこで換金してもいいわけだし、いたところで姿を隠せばどうにでもなる。
翌朝はいつも以上に早く目が覚めた。まだ深夜と言ってもいい時間帯。
(井戸は……ダメだな、流石に迷惑だ。水は昨日換えてあるし、いいか。保存食もある)
さっと準備を終え、無人の受付に鍵を置いて宿を後にする。この時間帯は外灯も灯っておらず暗い。ランタンの明かりは心細いが、ないよりはマシだろう。暗殺者からすれば今の私はいい的だろうけど。
何に襲われることもなく宿とは真逆の西門まで辿り着き、朝を待てと再三説得してきた門番を押し留めて出発した。ごめんね。
(明かりを消すのは心細いけど、ランタンを持って走るのは流石に邪魔だ。懐中電灯はあるし、それで街道から反れていないか確認できれば十分だ)
そして久し振りの、自重無しの全力マラソンが始まる。
(六十で走り続ければ今日中にコンパーラに着くはず。そこで一泊して、また深夜に出発してパイトまで六十で走ろう。前回は素通りしたし、一日くらい見て回ってもいいかな。保存食買い込んだり、果物も、新鮮なのが食べたいし)
私にとってのマラソンのコツとは、余計なことを考え続けるか余計なことをするか、無心になることだ。
毎度の如く一時間もしない内に飽きて、たまに街道から反れていないかの確認をする以外は、何も考えなくなった。
(速度、上げようかな。今なら見られないし。負荷が大きかったらやめよう……どの程度かな、九十くらい?)
いや、いきなり一・五倍はやりすぎか……? いいや、物は試しだ。反動を抑えるのを第一に、徐々に気力を底上げして──。
(……このくらいかな、身体に負荷はないね。消耗は分からないけど、気力の消費が倍加しているという感じはしない、おそらく大丈夫だろう。ただ、この速度は流石に怖いな)
せめてゴーグルみたいな、目を保護できるようなものが欲しい。理想は暗視と望遠機能の付いたゴーグルタイプのものかな。この三つは機能が分断されていてもいいから全て欲しい物だ。
(しかし、爆音を撒き散らしていないのだけがせめてもの救いか。国道でやんちゃしてるバイクみたいな音を立てるようだったら、気軽に速度も上げられない。魔導靴さまさまだ。普通の靴なら一瞬で破損するような衝撃にも、私の靴は健気に耐えている。ほんといい子だね)
この靴がなければ、きっと街道は穴ぼこだらけで、私の靴は飛び散り、身体もタダでは済まなかっただろう。出先の宿で気軽に脱げないことだけが残念だが、些細な問題だ。魔力身体強化で魔力のやりくりが大変になったとしても、これだけは脱ぎたくない。
日が上ってしばらくした頃にコンパーラが見えてきた。速度を徐々に緩めていく。
(……マジか。やばいな私。いや、そもそも王都との間はそれほど距離がない……のかな。往路は走ったわけじゃないからあまり実感がない)
というか、今ならバイアルからパイトまでも野宿を挟まずに移動できる。深夜から出れば、最初の街までもその日の内に……?
「いやぁ、成長したなぁ……。いつか新幹線みたいな速度で爆走できる日が来るんだろうか」
とはいっても、四十はある程度考えて速度を求めたが、それ以降は体感のそれでしかない。実際に時速九十キロも出ているかなんて分かりようがないわけだ。
一応注意してコンパーラの町へ入る。ここはパイトのお隣だ、エイクイルの人間がいるかもしれない。このまま通りすぎようかとも思ったが、街道で誰かとすれ違うのはやはり億劫だ。少し店を見て回って、宿で早めに休んで、また深夜にここを出よう。それで朝にパイトに着けばいい。
店舗で果物や保存食、屋台で久し振りにパニーノを買い込んで、その日は早々に宿に引っ込んだ。井戸が使えたので借りて、水だけ入れ換える。
この町、宿は多いもののどこもそれなりに埋まっていて、部屋を探すのに難儀する。観光目的で来る場所じゃないね。
木造の宿、しかも二階とあって靴を脱げない。仕方なくそのままベッドに寝転びダラダラする。
「明日はどうしようかな。とりあえず朝市やってたら見に行って、そこで情報集めかな。身を隠すというのも手だけど、また手紙書いて管理所とコンタクト取る? それもありだな、役人さんいたら何か話を聞かせてくれるかもしれない。表面上どうかはわからないけど、流石に管理所は敵……ではないんじゃないかなぁ。仕事中に悪いけど、どこかに呼び出すのがいいかもね」
そもそもエイクイルはどの程度滞在するものなんだろうな。長期間とはそれとなく耳にした記憶がある。噂になっていたのだから、割りと最近来たってことだとも思う。となると、もういないってのは考えにくいか。居る前提で考えても、私は一年は姿をくらますようなことを手紙で匂わせている。
もういない人間のためにわざわざ修行に来ている騎士を張り付かせるものだろうか。違うか、人を雇ってもいいんだ。別に騎士を使う必要はない。
この世界、私が見てきた限りでは黒髪はそんなに多くない。おまけに私は女にしては背が高い。しかも靴は特徴的な形をしているし、これまで特に隠していない。三点揃っていれば、外套で姿を隠してもバレそうだな。ていうか靴だけでバレる可能性がある。しかしこれを脱ぐと逃げるのも難儀する、絶対に無理だ。
「あーやだやだ。さっさとどっか行ってくんないかな、あの国……」
横暴極まるが、これが偽らざる私の本音だ。