第四十二話
翌日、日が上る前に起床し、井戸を借りようとして……なかった。どうやら王都は食堂や内側の大きな家でもない限り、洗濯屋やら水屋を利用するものらしい。公共の井戸は住民にしか開放されていないと。ふざけないで欲しい……なんだその仕組み。自分でやらせろよと思うが、そうなっているものは仕方がない。本当に仕方がないので濡れタオルで顔を拭くだけに留めて朝の支度を終えた。パーカーも替えていない。
そして朝一で学校へ訪ねてみることにした。鍵は変わらず開いている。声をかけるが返事がない。これも同じだ。もしかして夜通し開けっ放しだったのだろうか。ここの治安がどうなっているかは分からないが、些か不用心が過ぎるのでは……。
などと思っているとやっと変化があった。学校へ向かってくる大人の人種の男が二人、私に気付いて駆け足で近寄ってきたからだ。私はランタンを使っていない。この暗さで気付いた? 先に声をかけることにした。
「おはようございます。タウリス気力学校の方ですか?」
「そうだ。アンタは?」
「昨日ここへ気力を習いに来た者です。鍵は開いていたのですが、誰もいなくて。宿で一泊して出直して来たところです」
「そうであったか、それは申し訳ない。いや何、うちは盗られて困るものなんてないからな、鍵は普段かけていないのだよ。ハハハハ」
「ふふふっ、そうだったのですね」
「うむ、そうなのだ。して、あなたは気力を使えているようだが、習いに来たとはどういうことだろうか?」
気づかれている。やっぱり見破る何かがあると見て間違いなさそうだ。
「気力の衝撃波について教わることができればと思い、参りました」
「中で話そう」
「うむ、それが良いであろうな」
ワンルームの中心辺り、椅子も座布団もないが、そこに土足で踏み入って腰を下ろす。
「気力の衝撃波と言ったな、誰に聞いた?」
「師匠です。かつて師はこれについて学んだらしいのですが、物にすることはできなかったらしく。気力を使えなかった私に……ビリビリする、謎の気を流し込む修行を続けながら、いつか自分でこれについて調べ、衝撃波を学ぶよう指示しました。そして王都にその学校があると知り、ここまでやってきたのです」
「うむ、そのビリビリは我らの鍛錬のそれであるな。あなたの師は惜しいところまでいっていたのであろうな。これは気の性質にも依る故、誰にでも使えるというわけでないのだよ」
「確認するが、ビリビリを流し込まれていたのは、気力を扱えるようになる前なんだな?」
「はい。それを幾日か続けた後に、普通の……と言ってもいいのかは分かりませんが、気力の鍛錬を始めました。それまでは一切使えませんでした」
「正しいやり方なのであるな。気は通常身体に留まり、外に出ようとはしないものなのだ。それを予め衝撃波を流して穴を開け、柔らかくしておく感覚を覚えこませておく必要があるのだよ。これは浸透の速さや、微細な気の調整の鍛錬にも有用に働くのだ」
「気を見るところ、アンタは通常のそれは不足なく行使できている。衝撃波を学びたいというのならば指導はできる」
「しかし、地道な鍛錬になるのだよ。早ければ三日で物にできるが、何十年と実を結ばない者もおるのだな。そこは始める前によく覚えておいて欲しい」
口数少ない男と口数多い男、この二人──双子が、ここの教員ということでとりあえずは間違いなさそうだ。
「衝撃波とは気を体外に垂れ流すことを言うわけではないのだよ。集めた気を爆発させ、それによりエネルギーを、衝撃を生み出す技法なのだ。これは未熟であると、己の手足に限らず籠手や肉体を深く傷つける諸刃の剣なのである。努々忘れないようにして欲しい」
「今アンタは、自身の骨、肉、関節、腱などを気力で覆い、満たし、守っているな。それは基本だ。衝撃波を会得するにはその次の領域に進む必要がある」
口数少ない男が拳を突くと、遠くに吊るしてあった衣服が弾けたような音を立てて揺らめいた。
「これがいわゆる、『遠当て』と呼ばれる技法だよ。これは気を魔法のように飛ばしているもの、という認識でおおよそ間違いない」
「集めた気に指向性を持たせて撃ち出したものだ。属性のような物は持たないが、気力使いに取っては貴重な遠距離攻撃の手段になる」
立ち上がった口数多い男が壁際にあった大きな石を手に取り、戻ってくる。
それに拳を軽く触れさせ、じっとしていると……岩が砕けてバラバラになった
「これを『近当て』と呼ぶ者もいるが、単に衝撃波でもいい。これは近距離、もっと言えば体表で爆発させたものだ」
「あなたもご存知の通り、気力は皮膚を守れない。近当てはどれほど気力を上手に使っても、その反動を抑えこむことはできないのである。体外に放出されたそのエネルギーは、最早あなたの一部ではないからな」
口数多い男の指、肌が捲れて血肉が見えている。痛そう……。
「威力は近当ての方が高い。だが避けられぬ反動がある。籠手を着けようと肌や肉を蝕んでいく。遠当ては威力は近当てに劣るが、身体にかかる負担も少ない。衝撃波というのは、我々でも遠当ての方を指す」
「ぶっちゃけてしまうと、近当てだけなら、あなたは一刻もあれば身につけられるのであるな。授業料としては小金貨一枚で釣りが出るのである。だが、これを使うということは、気力使いとしての寿命を削っているということにも等しいのであるな」
どうでもいいのだが、この口数の多い男の語尾はなんだ。気になって仕方ない。
「遠当てに適性があるかはっきりとは分からないが、俺が見るところかなり怪しい。ほぼ無理だと踏んでいる。近当てだけ学んで帰るのも手だ。俺達にも都合はある。時間は有限だ」
「近当てと遠当ては原理的には同じ物なのである。しかし何故か、近当てを使えても遠当てを全く扱えるようにならない者が殆どなのである。逆に遠当てを使える者はほぼ近当てを使えない。これが我々共通の認識なのであるな。両方を扱える者というのは非常に稀なのである」
(ふむ、さて、どうしたものか。近当ては学んで帰る、それは確定だ。だが、師範レベルの人間が遠当てはかなり怪しい、ほぼ無理だというならば、無理なのだろう。今ここで粘るべきではない。問題は、下手すると一刻後に王都でやることがなくなってしまうことだが……)
「近当てはご指導お願いします。遠当ては、今回は止めておきます」
「賢明なのであるな。私が教えよう、お前はいつも通りやっておくのだ」
頷いて口数少ない男が学校を出て行く。そして、壁際からいくつか大きな石を持ってきた口数多い男……先生が私の前に腰掛けた。
「まず大前提として、衝撃波とは、身体に満たした気を使って衝撃を作る技法なのである」
「あなたも気の強弱の加減はできるであるな? それがそのまま衝撃波の威力に繋がるのである。そして近当ての場合、それは反動の大きさにも繋がるということである」
「衝撃波を使った直後、貴方の身体の中は気力に覆われていないのである。そこに反動が加わる故、寿命を削ると言われるほどの反動に襲われる。これをまずは覚えていて欲しいのである」
「気力を満たして抜いて、満たして抜いて、といった訓練をしたことがあるか?」
「はい。身体を動かす前に、まずはそれを数日、一日中続けさせられました」
そう口にして気力を出し入れしてみる。それだけで先生は理解したようだ
「うむ、問題ないようであるな、優秀なのである。つまりは、戦いの最中、抜けた気力、落ちた身体能力を即戻すのに、この鍛錬は必須だったのであるな」
「なお、どんなに早く気力を再び満たしたところで、それは近当ての場合、衝撃波が伝わるより早く満たすことはできないのである。痛みを受けるが、そこは覚悟するのである」
それから鍛錬が始まった。先生の指導を自分なりに噛み砕いて反芻した結論だが、要はこのような感じだ。
身体に纏った気力を維持したまま、体表に気力の起爆点を作る。そしてそこを着火すると、身体の中の気力が全て起爆点へ向けて移動し、収縮し、爆発する。そんなイメージ。
これを生身で行う。腕が砕け散ったら困るので、気力は最低限度に抑えて鍛錬に励む。相手は岩だ。最初は力がスカスカ抜けた。水袋に開けた穴が大きすぎて水が飛ばないような……そんな感じ。起爆点の作成にも手こずった。どのようにすればいいか手探りで、色々と試し、もっと起爆点を細く、狭く……としていると成功した。岩は砕けず吹き飛んだだけだが、先生はこれが近当てだと太鼓判を押してくれた。これだけなのに指は所々すりむけ、赤くなっている。
「やはり優秀なのであるな。これで近当ての講義は終わりなのである。小金貨一枚取るには些か短すぎるが、残りはまた聞きたいことが出来た時にでも訪ねてくるのである。なお、無理をすると本当に身体を壊すので、使用には細心の注意をするのであるな。質問はあるかね?」
「いえ、今のところは。また疑問点が出ましたら教わりにこようと思います。ありがとうございました」
「気にすることないのである。達者でな」
そして私は気力学校を後にした。……いや、いいのかこれで。
そして、大変申し訳ないのだが、起爆点を身体から離すことに成功した。
試しに十手を握って、腕から棒身の先端に起爆点を持って行ってみたところ……成功してしまった。
そのまま遠当てもできるかと思ったが、これは身体から離すことができずに頓挫した。別に申し訳なくなかったわけだ。
流石に今ここで腕を振るうわけにはいかない、下手したらその辺の建物が壊れる。細心の注意を払って気力を抜く。
(これどこかで試したいなぁ……でも今王都を出たら、入る際に荷物検査されるし……これはもう避けようがないんだけど、どうしようかな)
魔石を納品しようにも、今手元には何も残っていない。緑石もあげてしまったし。六級まで階級を上げるにしても、何度も王都と他所の往復が必要なはず。
荷物検査で見られて困るものは、日本の服と下着と大金貨。どれも切実に嫌だが……強いて言えば大金貨が問題か。
(銀行あるかな……それか魔導具探しに買い物に行く? もういっそすべてを諦めて開き直るか)
買い物という気分ではない、ここ最近まともに戦っていない、今は身体を動かしたかった。
服の替えはまだあるし、洗濯は明日以降でいい、半年後くらいまでに商店へ向かえばいいわけだし……あれ?
「そうか、別にもう……王都にいなくてもいいのか」
口にすると、なんかスッと気が楽になった。別にここでやることを決める必要はない。
となると私は自由だ。適当にお店を見てまわったり、ご飯を食べたり、暗くなる前に眠って、起きてから考えればいい。
詰め込みすぎるのは私の悪い癖だ。パイトに戻らない以上、どこで何をしていてもそんなに差はない。ゆっくり考えよう。