第三十八話
「ごめんください。一泊お願いしたいのですが、部屋は空いていますでしょうか?」
宿は民家がそのまま大きくなったような木造の建物だった。食堂が併設されており、昼食だろう、それらを取っている護衛や商人らしき者の姿が見える。護衛の身なりはそれなりに綺麗だ。盗賊には見えない。
「申し訳ございません、ただいま満室でして……えっと、お一人ですか?」
女将さんかな、恰幅のいいおばちゃんが調理場の方から現れた。
「はい、一人です。空いていなければ、残念ですが仕方がないですね。失礼しました、私は去ります」
まだ問題なく走れる。すぐにでも出発すれば次の村か町でも見つかるだろう。最悪野宿でいい。
踵を返して宿を出ようとしたところに、食事を取っていた中年の男、護衛の人かな、それが声をかけてきた。
「姉さん、どっちへ?」
「王都まで」
「この先の町は少し遠いぜ、見たところ徒歩だろう」
「はい。ですが、進まなければ辿り着きませんので」
「どこから来た?」
「コンパーラからです。その前はパイトに滞在していましたが」
それが何か? と。言葉を繋げる。
「パイトか。やはりあんた二つ持ちだな。腕に自信があるなら俺達と同行しないか?」
ギースも見抜いていたが、これは見るだけで分かるようなものなのかな。やはりと言ったが……単にカマをかけただけかもしれないし。
「黒鹿からの護衛ということですか?」
「知っているか、話が早い。あれが現れる時は決まって数が多くてな、正直手は一つでも多く欲しいんだ。依頼料も出すし、ここの部屋も一つ工面する。どうだい?」
移動に圧倒的に時間がかかるということに目を瞑れば、そう悪くない提案だ。他に難点があるとすれば、この一団の素性が明らかでないということと、パイトから追手がかかっていた時に鉢合わせするかもしれないということだが……。どうしたものか。
座って食事ができるのも、宿で眠れるのも魅力的。時間はあるし、情報も集められるかもしれない。それに、いい加減マラソンにも飽きがきている。たまにならいいのだが、ずっと続けていると退屈で仕方がない。
「決定権は、貴方に?」
「ああ、俺が責任者だ。護衛を追加する許可も、雇い主から事前に貰っている」
「……そうですね。依頼の詳細を詰めさせて頂けますか」
「ああ、構わない。食事がまだだったらこっち座んな」
「ありがとうございます。失礼しますね」
なんとワタクシ、ここで初外食です。初めてはいつも唐突に訪れるものですね。
マントを脱いで袋にしまい、パーカーのフードをかぶって勧められた席に着いた。中年護衛が適当な物を頼んでくれる。
「随分と軽装だな、得物は何だ?」
「好んで使うものは短棒です。他は……拾えば使うこともある、という程度です」
拾ったことはないから使ったこともない。拾えばきっと投擲程度には使うだろう。嘘じゃない、これは嘘じゃない。
「大黒鹿はどうだ?」
「囲まれなければ、如何様にでも」
道中見かけた黒鹿だが、あの角はそれほど固いというわけではなさそうだった。盗賊護衛が適当に打ち付けた剣で、折れていたのが目に入ったからだ。身体は大きいからぶつかれば悲惨だろうが……甘く見ているわけではないが、ダチョウやリビングメイルよりは遥かに与し易い相手だと感じている。
それに、あの鹿はふわふわが効く。不意打ちを受けなければ問題ない。
「吹くじゃねぇか、冒険者」
食事を持ってきてくれたおばちゃんにお礼を言って受け取り、さぁ食べよう。と手を合わせていると、二つ隣くらいの席から声が上がった。
視線を送るが、そこには一人の騎士。騎士じゃないかな、戦士? 区分の程は分からない、鎧を身に着けた人物。まぁ、その若い男が口元を歪めて因縁を付けてきていた。取り巻きらしいものもいる。極めてどうでもいい。袋から濡れタオルを取り出して手を拭き、いただきますと挨拶をして食事を口に運ぶ。肉と野菜のコンソメスープのようなものと、野菜の酢漬けかな、漬物とはまたちょっと違う。それと柔らかいパンを籠で。温かい食事、いいなぁ。
「美味しいですね、丁寧に煮込まれていて。味が染み込んでいます」
「ああ、ここの店主は腕がいい。夕飯も中々のものを出すぜ」
「それは良いですね。私も食べてみたいものです」
「無視してんじゃねぇ!」
「あれも、私のように拾った護衛ですか?」
視線を向けずに中年護衛に尋ねる。
「いや、うちの商団付きの護衛だ。すまないな、若い者の言うことだ、大目に見てくれ」
「はい。それで、私は王都まで護衛を続ければいいのでしょうか。危険地帯のみでも構いませんが」
「そうだな、あんたに都合が悪くなければ、王都まで受けてくれると助かる。あれは最近王都の周辺でも見かけるようになってな。他にも魔物はいる。戦力が多いに越したことはない」
「分かりました。王都まで続けることに異論はありません。具体的な私の仕事内容はどのような?」
「可能であれば夜番もお願いしたい。だがまぁ、人数もいる。移動中の護衛だけでも構わない。雑事は担当の者がいるから必要はない」
「鹿はどのように処理すればいいですか。角や肉についてです」
「角も肉も売れるが、そう高いものでもない。どちらかと言えば肉の方が値は高いが、あまり持っていけるものでもない。美味いんだがな。可能であれば角を大きく残してくれ。魔石もこちらで抜く」
美味いのか……美味いのか……ふむ。
「分かりました。盗賊の類はその場で殺してしまってもいいですか」
「ああ、対面した奴については問題ない。ただ、こちらが捕縛したもの、それは殺さないでおいてくれ。こちらで処理をする」
「分かりました。特に譲る必要もありませんね?」
「ああ、躊躇わずにやってくれていい」
一度頷くと、食事を再開する。温かい食事。うれしい。
私の食事が終わるのを待って、中年護衛と具体的な依頼の詳細を詰める。正式な契約は明日からで、私は基本的に護衛だけやって、肉を捌いたりとか食事の用意をしたりとかはしなくて良いと。道中の宿や食事代などは全て経費で持ってくれた。私の報酬は基本給に討伐数での歩合が足される形。そんなに高いものではないがまぁ、ないよりはマシだ。手持ちのお金にはなるべく手を付けたくないし。
それから一人部屋を借り受けることができた。わざわざ部屋を移動してくれたそうだ。何度もお礼を言って鍵を受け取る。本当に申し訳ない。ありがとうございます。
さて、時間がある。まだ日も天頂を動かない。村の周辺に鹿、いないかな。探してみよう。情報は道中でいくらでも手に入れる機会はあるだろう。
荷物を置いていくのは……無しだな。マントを羽織って宿を出る。そのまま村の外まで出向くと、ふわふわを飛ばしながら走って回る。
(いるかなぁ、いるかなぁ、肉……美味しいお肉。……いた。二頭かな、はぐれかもしれない。こいつらにしよう)
私は別にお肉が欲しいがためにわざわざ出向いてきたわけではない。一応試しておきたかったのだ。角と、筋肉の固さ……頭や首をへし折れるかどうかを。
(浄化はだめ。今回の任務の間は封印。ただし命の危険が迫った場合はその限りではない。よし、とりあえず一頭全力で仕留めて、二頭目で試そう)
相手は二頭、森の入り口で草を食んでいる。全力で駆け出して、勢いを殺さないまま一頭の身体を側面から叩き付ける。吹っ飛んだ一頭目を無視してそのまま近くにいた二頭目の首筋に踏み込んで叩き突いた。バックステップで距離を取る。周囲には……いない。終了だ。
「うん、問題ないね。このまま持って帰ろう」
角を根本から全て折って袋にしまう。その後二頭の足を左手一つで掴んで、引きずって村へと戻った。
門番に肉を買い取って貰えるか尋ねようかと思ったのだが、私の依頼は明日からだ。今はまだ勝手をしたと咎められることはないだろう。先に宿へ向かうことにした。表に鹿を放置し、食堂で他の護衛と会話をしていた中年護衛に時間を取って貰って話を進める。他の護衛も外まで着いてきた。
「これらを手土産にします。一つ頼みがあるのですが」
根本から折られた角を魔法袋から取り出して、鹿のそばに放る。
「な、なんだ。聞くだけは聞いてもいいが」
「さっきの若者みたいな跳ねっ返り、あれを抑えてくれませんか。口を出してくるだけならどうでもいいのですが、相手をしろだなどと言われたら、私は彼らを殺します。それは、互いに避けたいことと思います」
どうでしょうか? と言葉を向ける。
「あんたなら、適当にあしらってしまうこともできるんじゃないか? 俺が言うのも何だが、あれは普通の域を出ない。なぜここまでする必要がある」
「害意を向けてくる相手を生かして帰すなと、師に強く言われています。私にとっては彼らの命よりも、師の教えの方が大事なものですので」
「……分かった、手を出さないように伝えておこう。もしちょっかいをかけてきたら殺してしまって構わない」
「ありがとうございます。このお肉、美味しいらしいですね?」
「そうだな、夕飯はこれを使ってもらうことにしよう」
「この二頭は先程の冒険者が狩ってきたものだ。あの話の後、四半時もせずにだ。腹に一撃の個体、首に一撃の個体、その一撃だけで仕留めている。角も根本から綺麗に折ってあるし、血抜きもせず魔石も抜いていない。どこかから持ち込んだものでないことは分かるだろう。彼女は俺にこれを手土産にしながら、ちょっかいをかけてくればお前らもこうすると宣告した。そして俺はそれを許可した。二度は言わん、軽率は慎め」
夕飯は鹿のステーキにシチューといった品が並んだ。少し硬めだが、味はいい。とても美味しい。夢中でぱくついた。
香辛料の類は思っていたよりも充実しているようだし、ふんだんに使われていることからそれほど高価なものでもないのかも。これ繊維を叩いて調味料に漬けたらもっと美味しくなりそうだな。
中年や年嵩の護衛と会話をしながら和やかに食事を終えた。彼らは酒を飲んでいたが、私は丁重に断った。流石にそこまで油断はできない。
情報収集もしたいが、このまま酒の席にいれば飲みたくなってしまうかもしれない。暇乞いをし、部屋に戻って眠ることにした。寝坊は避けたい。
部屋で自前の明かりを灯し、濡れタオルで身体を拭いて服を着直す。服も靴も万が一を避けるために脱げない。この世界は靴を履いたまま眠るのは普通のようだが……。パーカーだけ新しいものに替え、ベッドに横になった。
(明日から護衛だ。気を抜かないようにしよう。同時に情報も集める。ここで恩を売っておけば商人へのツテが得られるかもしれないが……そこは実際に雇い主とやらを確認してからだね。最悪これっきりでも全然問題はない。おやすみ)
明かりを消して十手を抱きしめて眠りにつく。パイトの宿が恋しいが、こういうのにも慣れていかないといけない。