第三百七十五話
──銀と浄化は切っても切れない関係にある。
なにせ殺菌力、抗菌力が極めて高い。スプレーして腋臭を防ぐだけではなく、勝手に水に溶け、塩素もビックリの殺菌力で微生物をも根絶やしにしてくれる。頼りになるヤツだ。
古来より吸血鬼や悪魔を倒すには木の杭や銀製の武器を使うものだと相場も決まっている。不浄なあれこれ、メルヘンエネミーな誰それに対する備えとして、銀というマテリアルには確かな信頼と実績がある。歴史と科学が教えてくれる。
抜かりはない。私の手元には純銀がある。そればかりではなく、この世界にはメルヘン鉱物の真銀なんて代物も存在するわけだ。
ただの銀と違って錆びて黒ずむこともなく、強度も高く、難点は金属疲労に極端に弱いこと、そして値が張ることくらい。
真なる銀。凄い銀。これも大層浄化と相性が良さそうに見えるではないか。
抜かりはない、こっちもたんまり用意してある。
「まぁ、溶けてもらっちゃ困るわけだけど──」
アリシアのことはエルフ組に任せ、早速リリウムと二人で鍛冶場にしけ込んだ。
今夜は戻らないということを事前に告げ、お屋敷はきっちり施錠をしてもらった。これで朝まで誰も来ない。
それはとても都合がいい。やることはいつもと変わらぬ作業ではあるが、今日は少し毛色が違う。
そう、かつてとは毛色が違うのだ。
自慢のアッシュグレーのロングヘア。毎日のように《浄化》で磨き続けてきた至高の逸品、使うべき時は今だろう。
よもや相性が悪いということもないはずだ。メロンパンと心が通じ合ったことで様変わりしてしまった私の肉体。浄化にしろ、結界にしろ、以前の黒髪の時とは違った反応を見せてくれてもおかしくはない。
期待している。最悪《引き寄せ》できるようになるだけでも十分なのだが、浄化の効力がアップするだとか、気力や神力を伝導させることができるようになるだとか、そういったミラクルが発生するかもしれないのだから。
そんなミラクルを神器に落としこんで量産することができれば……すごいことになる!
試さずにはいられない。人生は検証の連続だ。
「……本当によろしいのですか?」
「よろしくてよ。ばっさりやっちゃって」
作業着に着替える前に、炉に火を入れる前に、まずは散髪をする。これがこの世界流の鍛冶だ、何も不思議なことはない。
姿見を設置してラフな部屋着の上にケープを巻き、椅子に座れば準備万端。
セルフカットには自信がない。今日はリリウムに可愛くしてもらう。
「緊張しますわね……長さはどのように致しましょう?」
「短めで。あとは好きにやっていいよ」
「うぅ……」
男の子みたいな注文を出されてリリウムが困り果てている。
普段あれだけ私を好き放題しようと隙を伺っているというのに、いざ好きにしていいと言われればこの体たらく。
イケイケに見えて肝心な時にヘタレてしまうのがね、また可愛いんですけどね。
モジモジと身を捩りながら所在なさげにハサミで手遊びをしている姿は大変愛くるしい。
「ほら、ちゃちゃっとやっちゃって。この後が本番なんだから」
見られていてはやりにくいかもしれないが、目を瞑って静かにしておけるほど……私はデキてはいない。
鏡越しにジロジロ眺める。しっかりと見つめる。目に焼き付けておかねばならない、初々しさを堪能できるのは今だけだ。
「失敗しても怒らないでくださいね……」
「怒らない怒らない」
仮に丸坊主にされたところで、数年も我慢すればそれなりに見れたものになる。それまでは帽子をかぶってもいいし、布を巻いてもいいし、家に引きこもったっていい。いずれにせよ大したことではない。
常にリューンが手隙でいるというわけでもないのだし、リリウムにも慣れておいてもらわなければ困るのだ。
そのためならば私は喜んで練習台となろう。失敗を恐れることはない。
お嬢が意を決すまでにはもうしばらく時間がかかったが、一度手が動き出してしまえばあとは早かった。
「上手いじゃない」
「お粗末さまです」
時間をかけてたっぷりと好きにされた結果、前回と同じくショートボブになった。
襟足ちょい残し、耳にもちょいかかり。前髪は目にかからず、透け感が出ていてより小顔に見える。
元お嬢だけはあってかセンスがいい。気に入りました。
「もうずっとこのままでもいいかもね」
鏡を前にニコニコしていると釣られてリリウムも笑ってくれる。
気に入りました。気に入りました。長いのもいいが、短いのもいい。
髪の保存が効くのであれば、定期的にこの長さに揃えてみてもいいかもしれない。ここも要検証だが、それはまたいずれ。
「ついでだしリリウムもやってあげようか」
断髪された大物と整えられた際に出た小物とをかき集め、《浄化》を施して今一度清める。
髪の鮮度について思い馳せながら、身体に付着した毛を取ってくれていたリリウムに何気なく尋ねてみた。
いつぞやはた迷惑な邪神崇拝者によって背後から自慢のマグネシウムリボンを焼き払われたうちの使徒の髪もだいぶ伸びてきている。
こいつは常に巻いているので、ボリューミーなだけで長いとか、そういうのではないのだが。
「そうですね……事が落ち着いた後にでもお願いしましょうか」
「まだ時間はあるから遠慮しなくてもいいのよ」
折角だし一緒にイメチェンしよう。毎日巻くのも手間でしょう?
ショートはいいぞ。なにせ一瞬で髪が乾く。戦闘中に靡いて鬱陶しく感じることもない。楽でいいぞ。
別にお揃いにしなくてもいい。髪型作って遊んでみたい。フロンはずっと短かったし、自然体至上主義者のリューンはさせてくれないのでこういうのにも飢えていた。
「いえ、混ざってしまうと困るでしょう」
あれとそれとが。一理ある。
材料の調達を終えてしまえば、あとは作るだけ。
環境を整えながら失敗した時のことを考えてタイムスケジュールを組み、作業に入れば無駄口を叩くこともない。
製作物を神器とするのには一つ重要な要素がある。それは魂を込めることだ。
一心不乱というよりは一球入魂の方が近い。鎚の一打一打に魂と欲望を込め続けなければならない。
ただ闇雲に頑張るだけでも神器にはなるが、全く不可思議極まりない。より具体的な方向性を願って打ち付けてあげればそれなりに応えてくれるという前例がある。
そうあって欲しいと強く強く想いを込める。もちろん思いだけだけではダメだ。材料も良い物を揃えている。
ヴァーリルで買ってきてもらった良質の銀と真銀にアダマンタイト。魔石と、髪の毛と、新品の美しい樽。
イメージは月にしよう。魔を祓う聖なる剣。冷たく銀色に光り輝く高貴な剣。かっちょいいやつ。
悪魔もお化けも吸血鬼も、瘴気も呪い微生物でもなんでもござれ、驚きの抗菌力でまとめて清めてしまう。そんな剣にしたいと願う。
月だと狼男は元気になってしまうかもしれないが、月っぽい星を見たことはないので影響はないと思う。それはさておき。
樽入りの冷却水は《浄化》を込めすぎて炭酸水でもないのにコポコポと音を立て続けている。ならばこれを銀ズにも込めてみよう。
邪神を打ち倒すための力だとか、そういうのは間に合っているのでノーセンキューだ。魔だけでいい。呪いや瘴気をなんとかできればそれでいい。
治癒の方は……まぁ、術式でブーストできれば十分だ。ポテンシャルは解呪方面に割り振ってもらいたい。
(そんな感じでね、よろしくお願いしますよ……っと!)
こんなんでいいのだ。これ以外のやり方を私は知らない。
剣を作り、鞘を作り、ベルトなどの細々とした小物を作り、朝がくる。
しばらく不在にするので鍛冶場も片付けておかねばならない。お風呂や家電に使う分の魔石を取り分けたりと、やることは多い。
「家の方も掃除してから行きたいけれど……いいか」
「それくらい皆でするでしょう」
疲れた。作務衣は汗でびっしょり、いい感じにヘトヘトだ。これで死に物狂いで朝も夜もなく走り続けてきたとの言にも説得力を持たせることができる。
相槌を打ってもらったことでリリウムもいい感じにダレている。仕込みは完璧だ。
あとは大海原で磯の香りを纏い、いい感じに臭いが染み付いた後に封印箱を受け取って、パイトまで《転移》すればいい。
「試し切りをなさらなくてもよろしいので?」
「鑑定はしてあるから大丈夫」
成功してよかった。これでもう憂いはない。