第三百七十話
私は知っている。膂力を強化する各種メルヘン要素は乗算関係にあることを。
生身の握力を一から気力の身体能力を強化しようとすると、一・ほにゃらら倍とか二・ほにゃらら倍になる。
そしてドワーフの身体強化魔法もそれにほにゃららを加算するのではなく掛けるようにして強化が加わる乗算の関係にあり、ハイエルフの全身身体強化魔法もまた然り。
併用することにこそ意味がある。多少魔力の格が低かろうと強化が一種増えることによって得られる恩恵は絶大で、パワーの向上はとても明確に自覚できるものになるのだ。
反動制御に力を充てずにモアパワー! モアパワー! と、やりすぎれば簡単に自壊してしまうほどに。
なので、まずは己の限界を知ることこそが肝要。おニューの剣を買ったらまず素振りをして身体に重さや長さを馴染ませるように、おニューの術式が加わったら、まずはこの塩梅を見極めることに注力しなければならない。
「フフ……フフッ、フッ、ウフフフフ──!」
──リリウムが『完成』した。
「オーホッホッホ──!」
似合わねぇ高飛車笑いを披露しながら歓喜に打ち震えている。
ドリルでお嬢なのだから本来とても似合うはずなのだが……足りていないのは立端だろうか。
衣装もあるかもしれない。いつものトレーニングウェアではなんとも。ドレスとハイヒールが必要だ。
「素晴らしい……素晴らしいですわ、この力っ!」
「あんまり力入れると指が折れるよ」
聞いちゃいない。両手の拳を握りこみ、胸の前でギューッ! っとやってプルプルしているのは大層愛らしいのだが、関節の負荷に気を取られてそれどころじゃない。
「これが……これが三種強化の世界! 素晴らしいですわっ! 無敵ですわっ!」
力に溺れる、だなんてよく耳にする。こういうことだ。危ないので早めに浮上してきて欲しい。
「気持ちは分かるけ──」
「こうしてはいられません! 夕食は結構ですわっ!」
どこから活力を捻り出したのか。制止の声を掛ける間もなく、ご飯も食べずお風呂にも入らず、七日を耐え抜いたデスワーはどこぞへと走り去った。
せっかく胃に優しい手料理を作って待っていたのに、無駄になってしまった。リューンが食らい尽くすだろうからいいけれど。
私は丸々十一日を要した。リューンはもう少し短かった気がする。だが、七日というのは年少組を含めても最短記録だろう。
ドワーフ秘伝の身体強化術式であるのだから、血の半分程がドワーフなリリウムには馴染みやすかったのかもしれない。
術式担当のリューン先生曰く、「問題なし」。完全に馴染んだことを確認され、一足お先に庭で魔力使用を解禁された直後のお嬢の顔は見ものでした。
疲れきって生気の失せた死に体の表情がパァーッっと明るくなっていく様が可愛くて仕方なかった。
もう少し眺めていたかったのだが、屋敷の敷地外へと消えてしまったのでそれも叶わず。
「まぁいいや。二人はどう?」
「あと二日は……かかるかな。フロンは一日早くてもいいかもしれない」
お家をチラリ。流石に外からマリンの圧は視認できないものの、野生動物は絶対に近づかないであろう、なんとも言えない雰囲気が漏れ出ているような印象を受けるのは、おそらく気のせいではない。
どす黒いというか、呪われそうというか、針山の大将というか。フラストレーションが溜まっているのだろう。慣れてしまえばこれも結構便利なものだね。
邸内のフロンはたまったものではないと思うが、あと少しの辛抱だ。心を無にしてくれていることを願う。
「マリンは大丈夫なの、あれ。術式歪みそうだけど」
「うーん……昨日確認した限りでは問題なさそうだったけど……」
往診担当のリューン先生曰く、「問題なし」。術式に魔力を通してみるまで何とも言えないというのが本音ではあると思うのだが。
「これで九十四層、突破できると思う?」
「突破するだけならなんてことはないでしょ。囲まれる前に討伐するのが難しいだけで」
「だよねぇ……」
エルフが溜息を漏らす。気持ちは分からないでもないが、ゆっくりやればいい。
むしろ私はワクワクしている。ようやく壁にぶち当たることができたのだから。
セント・ルナは他の多くの迷宮とは異なり、奥以外に横にも階層が広がっている。
横が北西、西、中央、東、北東の五ブロック、そして奥行きがいっぱい。大型迷宮の中でも特に広い──これでも最大ではないらしい──、本当に広大な迷宮だ。
基本的に各階層は一つ隣の階層へも繋がっているのだが、全てがそうではない。
中央の二層の隣が西の三層だったりする。その場合中央の三層からは西の三層へは行けないし、そもそも隣への繋がりがなかったりする。
北西と北東が繋がっているということは、私の知る限りない。
堅実に探索を続けることで、地図は精巧な物が仕上がりつつある。
ギルドに存在するような八十層前半までの穴開きマップではない。中央九十四層と隣り合う四階層まではこの目で確認し、自画自賛してしまうような詳細な地図を四百七十点近く作り上げることに成功した。
マリンが合流しなければ進捗はもっと遅々と進んでいたことだろう。彼女は一度通過していて、ここいらの多くは既知だ。
足を踏み入れただけで死んでしまうような初見殺しのビックリ箱とエンカウントする場所さえ分かっていれば、私の防御力のゴリ押しでなんとでもなる。
事実八十層クラスを網羅して九十層に足をかける頃まではそれで何とかなってきたのだが、徐々に暗雲が立ち込め始めた。
──階層が広い! 敵が強い!
難度が大きく上昇した。
端を見通せぬほどフィールドが広大になり、魔物も大きく、固く、よりタフネスに。火を吐き、空を飛び、地を割るようになる。
龍種もようやくそれっぽい強敵が姿を見せ始め、単体であれば歯応えがあって楽しそうだが──それが六十数匹出てくるとあってはゆっくりもしていられない。
不死龍や溶岩地帯の真っ赤なドラゴンのような雑魚であればただの羽根つきトカゲでしかない。六十匹出てこようが六百匹群がろうが敵ではないが、一匹あしらっている間に次が群がってきてわちゃわちゃと囲まれるようであればダメだ。進軍は諦めて撤退しなければならない。
先に進むだけであれば適当な認識阻害を用いて逃げ回ればそれでもいいが、一つ奥の階層の魔物はこことは比べ物にならないほど強いに決まっている。焦ったところで結果は出ない。
状況は指数関数グラフの後半、垂直に立ちはだかる壁のようになってきている。地力と装備の増強に注力する段階にようやく達した。
「増やせるものなら人員も増やしたいんだけどねぇ……」
「五人で挑戦するような階層じゃないよね、あれは」
「んだんだ」
皆承知している。適正人数は三桁だ。私を数人、フロンを百人二百人と揃えてゴリ押しで突破するのがおそらく一番安全で手っ取り早い。
だがそうもいかない事情がある。今現在我々がそれなりの結果を残せているのは、後に余力を残す必要がないからだ。
目当ての階層に直行してそこから自宅に直帰できるからこそ、邪魔な荷物を背負うことなく死力を尽くして死闘に明け暮れることができ、誰一人欠かすことなくそれなりの戦果を持ち帰ることができているわけで。
他人を当てにすると安心と実績の強襲戦法が採れなくなる。
大軍を率いて迷宮攻略を目論むのであれば、人員を集めて都度一層から進軍し、同じ分だけ戻ってくることを視野に入れて準備を整え、諸々の判断を下さなければならない。
一層から輜重部隊を守りながら我の強い連中を率いて一足飛ばしに九十層そこらまで駆け抜け、階層を殲滅して八時間休憩し、また次へ向かう。
死人が出る前に撤退する勇気を振り絞って判断を下し、魔物が再誕する前にまた駆け戻る。考えただけで頭が痛くなってくる。仕事感が増すし、やりたくない。
ルナはパイトやアイオナのような階層間通路がないので、一息つくためには階層の魔物を殲滅する必要がある。
白黒大根や水色ゴーレムルームのような安全地帯があるのであればいいのだが、マリンは見たことがないとのこと。頑張って魔物を消滅させたところで安全は一時的なものにしかならず、割に合わない。
(それよりは──)
一騎当千なんて言葉もある。精鋭を最精鋭にまで鍛えて転移でパパーっと行き来した方が絶対に楽だ。ガルデで学んだ。
いつかはそんなことを言っていられなくなるかもしれないが、今はまだその境地に達していない。
まずはそこを目指す。そのための第一段階として、ドワーフの身体強化魔法をリリウムに、ついでにマリンとフロンにも刻んでもらった。
マリンはああ見えて近接格闘の心得がある。膂力の向上は無駄にならない。
霊鎧のような放出魔法が通じない相手であっても、霊体破壊の鈍器で殴ればダメージは通る。早く走ることができればフロンも九死に一生を得ることがきっとある。放出魔法師がゴリラであってもいい。
いい感じのマスターゴリラに仕上がったリリウムにも期待をしている。私がか弱い術師になってしまう以上、当家の筆頭筋肉担当はヤツだ。今しばらくはこの称号を預けておこう。本当に期待してる。
残るハイエルフ二名も苦難を乗り切り、軽く祝杯をあげた後、しばらくは自主訓練の日々が続く。
多少腕力が向上したからといって、直ちに安定突破が見込めるほど迷宮深層は甘くない。
増えた手を自由自在に扱えるようになるにはそれなりの時間が必要になる。特にフロンは気力を持たない上、これまで身体強化魔法を使った経験が全くなかった。自分の身体に振り回されている。
マリン先生とリューン先生によってエルフステップのいろはを叩き込まれ、そのうちリリウムを師範に招いて棒術を身につけようと考えているということなので、気に入ってはいるのだと思う。
身体強化一つでは迷宮深部で通用するようなものにはならないだろうが、できることは多い方がいい。
──棒術なら私に任せて! と言いたいところではあるのだが、槍と剣技はまだ納得のいく領域に達していないこともあり、リリウムにも内緒にしている。
ぼちぼち私も修行に没頭したいところではあるのだが、作りたい物が山となっていて中々時間を取ることができない。
次の旅を見据え、強さの異なる大きな冷凍庫を今以上に増産し、乾燥庫もしっかりとした物を作って、術式隠蔽タグや携帯空調魔導具なども良い物を工面したい。
移動用魔導具にも着手したい。いきなり飛行機と飛躍はせずに、まずは馬車の荷台から。
枠組みは金属をパイプ状にして重量を抑え、軸受けにはベアリングを採用するのだ。構想だけはかなり前から考えていたのだが、当時の試作品はレンズを嵌めて望遠鏡になってしまった。
パイプは良い案だと思う。筒の内側に術式を刻めば杖の重量を軽くすることができるし、見えなければ面倒くさい暗号化を施す必要もなくなる。それで術式が機能するかや神器化するかどうかの検証も行わなければならないが──。
そして金属製品を作るための炉にも改良を加えたい。浄化赤石を直に火にくべて燃やすのではなく、ガスバーナーや火炎放射器のようにしてしまえば熱ムラもきっと抑えられる。
(そんでもってこれらを《次元箱》に収納して持ち運べるようにして……パンとピザ窯も作りたいな。レンガも作らないと)
まとまった時間でアダマンタイトを叩き、余暇には昇華品をせっせと拵え、魔物の組成を調べたり、解体をしたり、料理をしたり──とてもアクティブに引きこもっている。
「一度染め物は中止しようかな……燻製も面倒くさいけど、お肉捨てるのはもったいないし……」
魔石の調達だけは怠ることなくこなさなければならない。その他の消耗品も無理をしない程度に収集を続けたいし、水色ゴーレムは新型の大型冷凍庫にも使いたいのでしばらくの間は数が欲しい。
《次元箱》内部の衣装部屋なんかもいい加減に掘っ立て小屋を卒業して、プレハブ倉庫レベルにまでバージョンアップを図りたいところだ。
「寝心地の良いベッドも作りたいところなんだけど……一台じゃ済まなくなるもんね」
忘れていた、野営用にハンモックも欲しい。関連してテントにシャワーに浴槽も。でもこれらは優先順位がそれほど高くはないわけで──。
「まずは──髪切って剣か。普段着用の癒し剣を作らないと」
髪も十分伸びた。日々の手入れも怠っていない。慣れてみれば愛着も湧くもので、またバッサリとやることに抵抗を感じなくもないのだが、これは必要なこと。
治癒術式が実装されれば冷凍乾燥血液をこっそり集めることも容易になる。その次の断髪までにある程度の量を揃えて、髪と血液の双方をたっぷりと用いることで得られる効能をチェックする。
剣になるか、槍になるか、はたまた短刀や十手になるか。
現在私の中では人種の使用を明らかに前提としていないビッグな野太刀が熱いのだが、今必要な装備ではない上にそこまで希少品をつぎ込む必要がない! というのが悩ましい。
大型獣の……それこそクジラでも魔食獣でも大龍種でも楽々解体できそうな、これ一本で剣にも槍にも草刈りも……みたいなヤツ。欲しい。
茎まで刃にして、鞘を柄にして。不壊にしてしまえば強度計算からは解放される。柄は杖でもいいな。面白そう。
「しばらく迷宮攻略は進めないだろうし、水筒は後でいいか。散髪……今日はリューンいるんだっけ」
脳内でスケジュールをいじくりまわしていると目が回りそうになってくる。
というか、あれだな。
「手伝ってもらおう」
流石にタスクが溜まり過ぎている。一人で処理するにも限界がある。
研究の時間が取れなくなるのは問題だ、一度まとめて雑事を消化してしまおう。
耐熱訓練の一環なんて名目を掲げずとも、可愛くお願いしてみれば誰かしら釣れるのではなかろうか。
うちのエルフはもう、冷凍食品やフリーズドライ製品なしで生きていける身体ではない。大型冷蔵庫の増強は急務だ。きっと協力してくれる。
急募、ゴリラ。切実に。