第三百六十二話
階層の生体反応は三つ。
輪をかけてボロボロになったドラゴンと、ヘトヘトになったロリエルフと、ワタクシ。
「ばけ、もの……めぇ……っ!」
撃ち出された三十掛ける三十掛ける百メートルほどの巨大な氷柱を《防具》も『黒いの』もなしに素手で迎え撃った。
伸ばした腕、その手のひらの先に展開した巨大な分解結界に触れた端から氷塊はその体積を減らし続け、ものの数秒で霧散して、消える。
残された存在は三つ。巻き込まれて潰される未来を回避した背後の幸運なドラゴンと、ぐぬぬ顔で歯軋りしている正面のロリフと、内心ホクホク顔の私。
ノジャノジャ渾身の一撃を分解することによって得られた無害な魔力は多少の距離が開こうとも吸魔機構によって問題なく取り込まれ、魔力収支が大きくプラスとなった。
「貴女にだけは言われたくないわね」
可能だと思ってはいたが、我が子達の頑張りっぷりにポーカーフェイスが崩れそう。これでも完全には吸収しきれずそれなりに漏らしているのだから、吸収範囲を拡大させ、更に数を増やせばとんでもないことになりそうだ。永続魔法結界モードも夢物語ではなくなる。
(撃たせて吸って、その魔力を無駄なく活用できるよう……能動的な運用手段も用意しておくべきかもしれないね)
戦闘中に飲料水を作るなんてのは、流石にどうかと思うわけで。
幕引きも近い。警戒を解いてこそいないが私は既にやる気がなく、無理がたたったノジャは疲労困憊で魔力の圧がへにょへにょになっており、傍観を決め込んでいたドラゴンは既にこちらの存在を無視して地面に寝そべっている。
先ほどまで周囲を氷魔法が乱れ飛んでいたので、冬眠モードに入ってしまったのかもしれない。霊鎧と同じなら休んでいれば回復するはず。
「まだ続ける? やるなら最後まで付き合ってもいいけれど、もう結構いい時間よ」
お昼過ぎからお茶を飲んでお話して、数時間鬼ごっこをして、腹時計によればもう夕暮れはとっくに過ぎているとのこと。お開きとするには良い頃合いだ。
コイツも手の内を全て見せたというわけでもなさそうだし、殺し合いに発展する前に切り上げておきたいというのが本音でもある。
へにょっていても怖いものは怖い。魔力持ちはビックリ箱だ、何が飛び出してくるか分からない。
今この瞬間にも次元箱から封印特化杖なんてものを引っ張りだされ、不意打ちを防ぎきれずにドラゴンと一緒にお眠してキルされる……なんて可能性は決してゼロではないのだ。
箱はどうやら持っていなさそうだけど。っていうか──。
(なんでこの子、素手なんだろう……)
服や靴も品の良い値が張りそうな物ではあるけれど、魔導具ではない。
これも強者の余裕というものかもしれないが……ちょうどいいサイズの杖、なかったんだろうか。
太すぎて握れなかったとか。子供用は嫌だとダダをこねた結果とか、あり得るな。
「ぬうぅぅぅ……もういいっ! 殺せっ!」
息が整った頃、手足を投げ出し大の字に、腹黒エルフが地面に寝転んだ。下着を見せているのは誘っているんだろうか。
圧がそのように語りかけてくるので、近づいてきたところをカチンコチンにしてしまおうと考えていることは間違いなさそうだけれども。食虫植物みたいだな。
「魔力が強すぎるというのも考えものね」
残念ながらエルフのパンツなど見飽きている。それに子供の下着に沸き立つほど歪んでもいない。
その場を動かず静観を決め込んでいると、黙り込んでいたノジャが観念したように口を開いた。
「……こればかりはどうにもならん。抑えが効かぬのじゃ」
目論見が看破されたことを素直に認め、口と魔力の圧とが同時にへの字になるのが面白い。
「森で狩りをするのも大変そうね」
というか町で生活するのも大変そうだ。寝るときもこうなんだろうか。
ネズミが近寄らないのは便利かもしれないけれども、安宿になんて泊まろうものなら近くの部屋からクレームがひっきりなしに舞い込みそう。それで余計なトラブルを抱え込む。私なら家に引き篭もるな。
「……寄ってくるのはろくでもない連中ばかりじゃ。こんな小娘にまでぞんざいにあしらわれ──妾も、もう潮時かもしれんのぉ」
あらやだっ! ピッチピチのJKみたいだなんて! 私もまだまだ捨てたもんじゃないな。
「奇遇ね。私もさっきろくでもない幼女に絡まれたわ」
ただ現役時代に呼ばれていたら、私はこの世界で永遠に大人扱いされることがなかったかもしれないことを思うと微妙な心境にもなる。ただでさえ若く見えるのに。このロリフはきっと何千年とこうなのだと思うと尊敬の念すら湧いてくるね。
「抜かせっ!」
ノーモーションで氷槍を飛ばしてくるワラワちゃん。こんなんだから変な連中しか擦り寄ってこないんじゃなかろうか、なんてことは思っていても口にはしない。
同じくノーモーションでぞんざいにそれをあしらってみせると、氷の破砕音の後に大きな溜息が一つ聞こえた。
良い子は暗くなる前にお家に帰るものだと相場が決まっている。もうすっかり冬の日暮れが訪れてしまっているが、今日くらいは大目に見てあげて欲しい。
鬼ごっこも終わり。『黒いの』を袖に仕舞いこみ、今度こそ脱力して動かなくなったロリっ子を足でひっくり返し、腹を腕で抱えて持ち上げる。布団かな? 伸びる猫のポーズ! の方が可愛いか。
「……妾をどうするつもりじゃ」
警戒と諦めの色が強い。別に売り払おうなんて考えちゃいないので安心してくれていい。格付けも済んだ。
「別にどうもしないわよ。お腹空いたからご飯にしましょ」
嘘をつきました。籠絡して存分にモルモットとして活用する。
だがその前に、日常生活を送るに支障を来たすレベルにまで発展しているこの魔力の圧を何とかしてあげたい。そしてそれにかこつけてこの現象が何であるのかを解明しておきたいと思う次第。
特異体質なんてものでなければ、将来的にフロンやリューン、それに私だってこうなってしまうことも十分に考えられる。フロンはともかく、リューンは自由に飲食店に入れなくなったらお腹と精神が崩壊する。対策が必要だ。
軽い結界魔導具でそれと分からない程度にまで抑え込むことは容易だと思うのだが、それもスマートではない。直に触れていればより明確に分かる。これはどう見ても魔力が漏れている。かつての《ふわふわ》に雰囲気が近いことを思えば、塞いでしまうことが最良の術とも思えない。
流れを整えて身体に戻す、スイッチ付きの循環機構を組み込んだ可愛い装身具を用意すれば何とでもなりそうだ。上手くいけば三日でできる。材料はあり合わせで何とでもなるだろうし。
「どうせ予定もないんでしょ? ちょっと付き合いなさいな」
世を儚むには外見が付いてきていないし、ここでドラゴンの餌にするには惜しい肉だ。知識もそれなりに詰まっていることだろうし、要らんのならもらっていく。もったいないの精神を忘れてはいけないね。
「暇人扱いするでないっ! 揺らすなーっ!」
鞄のように揺らしてみると、長い緑金髪が煌めいてとても綺麗。死層に咲く一輪の花とはこいつの──いや、私のことだ。
泊まり込みだと聞いてはいないが、だからと言って家に夕飯が残っているとも限らない。
馴染みの食事処で適当にパンや肉串などをテイクアウトして帰宅してみると、我が家はちょっとした騒ぎとなった。
「ただいまー」
家に帰ればただいまだ。門を開け、しっかり閉め、庭を進んで玄関を潜り、ただいまの声にレスポンスはなし。そのままリビングへと顔を出すと、凍りついたリューン、それに神器装備で臨戦態勢のフロンとリリウムがそこにいた。
きちんとリリウムがフロンを守る形になっているのが偉い。リューンも見習って欲しい。
「ね、姉さん……?」
「そうだよ、ただいま」
フロンは怪訝そうな面持を崩さない。髪と両腕をだらんと重力に任せて垂らしているこのお布団を、一目で同類だと見抜けただろうか。
「……シャ、シャサ、シャシャサ……?」
「シャシャサじゃないけど、ただいま」
リューンは状況を飲み込めていない。ついでにお肉も飲み込めていない。まずごっくんして欲しい。
「……サクラ、それ……なんですか?」
「拾った」
「拾ったって……それ……ええぇぇ……」
リリウムは珍しく途方に暮れている。
一様に右腕に垂れ下がってなすがままになっているノジャに視線を向けているが気にしない。空いているソファーに放り投げ腰掛け、ちょっとお行儀が悪いが濡れタオルで手を拭くに留め、早速夕飯を頂くことにした。
「いただきます。──ほら、あんたも食べなよ。お腹空いてるでしょ?」
一時元気になったが道中沈黙を貫いていたノジャノジャの手を拭いてあげ、後は放置でご飯を食べる。
埃が気になるので先にお風呂に入りたかったところだが、今は食欲が優先。
「──ね、ねぇフロン……あれって……いや、あの方って、もしかして……」
「……マリン様、何をしていらっしゃるのですか……」
隣で黙々とパンをかじっているこの綺麗なせんべい布団は、マリンという名前を持っている。
あまり褒められたことではない──というくらいの良識はある。他人に《探査》を向けることは基本的に戒めているのだが、何事にも例外はある。
一応コイツは命を狙ってきたわけで、遠慮してやる義理はない。頭の天辺から爪の先まで、くまなく鑑定技法を通して害の有無は調べてある。
過程で名前も判明したのだが、自己紹介をするような間柄でもなかった。今初めて知った風を装う。
「マリンってこの子のこと? 知り合い?」
隣をチラリ。開き直ったのか図太いだけか、大人しくもそもそパンを食していたロリフは被っていた皮を早々に脱ぎ捨て、に景気良く肉串をがっつき始めた。すぐにあの笑顔が戻ってくる。
言葉を発する気配はない。普段食事中にお喋りしようとしないリューンがお肉そっちのけで恐れ慄いているのとは対照的。
「……姉さん、何があった……? 説明してくれ」
質問に質問で返されたところで気にするような間柄ではない。
「ギルド経由でコイツに呼び出されたんだよ。そんでお茶を頂いて、決闘して、戦利品として頂いてきた」
「……意味が分からないよ……」
「私も分かんない」
賑やかな食事も嫌いではないが、私もあまり食事中にお喋りしたい派ではない。言葉少なに要点だけを告げていけば、確かに意味が分からない。
(でも、事実だしなぁ)
知り合いなら話は早いと思ったのだが、何やら様付けされているし雲行きが怪しい。身分違いだったりするのかも。
確かに髪は綺麗だけれどもリューンやフロンも綺麗だし、顔立ちも整っているけれど、リューンやフロンだって美人だ。
「あれか、ぺたんこで嫁の貰い手がなかったから旅に出たとか、そんなか」
「……何の話じゃ」
声に出ていた。慌てて無視無視。
この決め付けはリューンにも刺さりかねない危険を伴う。フロンにまで波及させると私にも被害が及ぶので、この話は止めておこう。
それにしても、こいつは年季の入った自然な上目遣いが大変堂に入っている。お姉ちゃんドキドキしっぱなしです。軽くムッとした顔もキュートだ。
「マリンといえば、東の第一級冒険者として昔から著名ですわ。この方が?」
「相違ない」
お肉片手に薄い胸を張り、得意満面のドヤ顔で肯定する姿は、ギルドで私の心胆を寒からしめたプニロリと同一人物とは思えない。
魔力の圧がへにょってしまえばこんなもんだ。心を折った甲斐がある。
「有名人なんだね」
「……知られておらぬとは、想像だにせなんだわ」
その笑顔を曇らせることがたまらなく楽しい。
「自意識過剰よ」
「なんじゃとぉ!?」
怒らせるのも楽しい。結構ノリがいいな、こいつ。
「……ソースついてるわよ」
「んにゅぅぅ……」
いちいち可愛い。強くて可愛い。正直気に入っている、何とか抱き込めないものだろうか。
ハイエルフ組は先入観? から気が気でないようだが、弱らせればリリウムが素で対応できる。やっぱりここを何とかするのが急務だろう。
九人もいれば迷宮踏破も夢物語ではなくなると思うのだ。このままバイバイとするのは惜しい。
よもや正体がバレるとは……。ビックリしました。