第三百六十一話
セント・ルナの中央二十五層という階層は、この迷宮島を根城にしている者なら誰でも知っている有名スポットだ。
頑張れば駆け出し卒業くらいの冒険者でも足を踏み入れることのできる序盤に、倒せば宝箱が確定で出現する中ボスが単体で待機している。
異常なほど濃い瘴気、だだっ広い荒れ果てた正方形のフィールドの中心部に鎮座しているボスは、茶色か紫色か判断に困る色合いをしたゾンビのようなボロボロの竜。竜と龍の違いは分からないが、とにかくドラゴンの棲家。
割と簡単に龍と会えることもあって人気が出そうなものだが、生半可な装備や攻撃力では到底打ち倒すことができないということが知れ渡っているお陰でここは常に人気がない。
今日も人はいない。《探査》に引っかかる生体反応は三つ。ボロドラゴンと、ロリエルフと、私。
「ここも随分と久しいのぉ」
無視が効いたのか早々に氷の丸太で気を引くのを諦め、黙って後ろをちょこちょこ走って付いてきていたロリフは保母さんに倣って足を止めた。何やら感慨深そうに、ちょこちょこ歩き回って周囲を見渡している。
「ここなら誰に迷惑をかけることもないでしょう」
約一匹盛大に被害を被るヤツがいないこともないのだが、彼の事情は知ったことではない。なんてったって我らは一級冒険者、他人の事情なんておかまいなしのワガママレディーズ。
それでも私は常識がある部類だ。ギルドでも、第一層でも暴れることを良しとしない程度には理性的なのですから。
「うむ、うむ。存分にやれるのぉ──」
にまーっと笑う幼女は、可愛い。ここが死層で、背景のドラゴンが健在で、笑顔が魔力の圧と同様の氷の色味に彩られていなければ、額に入れて飾っておきたくなる。
「それで、何がしたいの? 殺し合い? じゃれ合い?」
決闘にもルールというものがある。守られているかはともかくとして、戦争にだってあるのだ。取り決めは重要だと思う。
「どちらでも構わんっ!」
「そう……」
私相手にそれをすると夕飯は魚とサラダで確定するので、きちんと要求は伝えた方がいい。「なんでもいい」はお母さんの大敵だ。
死にたいだけなら秒で片付くが、遊びたいならここまで来たのだ、最後まで付き合ってあげてもいい。
仲良くなれたら色々と聞きたいこともある。こんな危険物との遭遇なんてこれっきりにしたい。他の連中の居場所なんかを知っていれば吐かせなければ。
まぁ考えるのは後だ。「そう……」を開戦の合図と勘違いした早とちりな猪から、猛烈な勢いで氷柱が飛んでくる。
「おっと」
直線的な、それでいて微妙にズレた軌道を取る避けにくい三本の丸太を最小限の動きでスマートに避け、間髪入れずに発生した足元に広がったヤバげな魔力が爆発する直前、飛び上がって空に逃げる。
爆発した魔力はウニかクリかといった不死龍サイズの剣山に化け、数秒前までお話していた階層に見事なオブジェを築き上げた。
これで終わりなら楽な仕事だ。そうとはならず、ぶっといウニの天辺に向けて飛び上がったかと思えば針先に氷の足場を築いて更にジャンプ、薙ぎ払うような仕草で一息で二桁に迫ろうかという数の氷槍を正確に狙って飛ばしてくるのだから、大したものだと思う。
(危なかった……ヒヤッとした。今のウニは何だ、見えなかったけど……罠? 前もって設置してたのかな)
「……ズルいのじゃ」
それを適当に下がりながらいなし、背後に飛んでいった氷槍の全てが地面に落下したことを確認した辺りで、ゆっくりと着地を決めたノジャがボソリと声を上げる。
「何よ」
「空を飛ぶのはズルいのじゃぁ! 上を取られては勝てぬぅ!」
「えぇ……撃ち落としなさいよ」
ダダをこね始めた。両腕をブンブン上げ下げしてズルいズルいと連呼している。
「空を飛ぶのはダメじゃ! ダメっ!」
「飛べない方が悪いわ」
あまりにも可愛いので折れてあげてもいいが、これを認めると氷像の上から一方的に上からのマウントを取られる恐れがある。それにこいつが飛べないと決まったわけでは──。
「妾は風が使えんのじゃぁ!」
……使えないらしい。でも風魔法以外で空を飛ぶかもしれない。
「私も氷魔法使えないわよ」
そもそも私は飛んでいるわけではないんだけど、お相子で氷魔法を禁止にしてくれるなら考えてもいい。他の属性も使えはするんだろうけど、そしたらフィンガーデコピンで終わりそうなのに。
「ぐぬぅぅ……!」
なんかあれだな、うり坊みたいな子だな。これすらも油断を誘うための策であるかもしれないと思えば気は抜けないが、地力や技量と比べて余りにも──これも遠慮深謀の術中なんだろうか。怖いなエルフ。老獪ってヤツだ。
話が進まないのでいくらか距離を取って地面に降り、脳内でお空は自重のマイルールを設定して再び相対。今度はこちらから攻めることにしよう。
袖口から取り出すは、我が家の万能裁断機『黒いの』。エルフの魔法師相手に大人げなく、初っ端から天敵を引っ張り出す。
素直に降りてきたことで喜色満面になっているノジャノジャの顔色が曇っていないので、ただの剣だと思われているのだろう。あるいは魔力貫通系の装備は世間でもあまり一般的でないのかもしれない。
「じゃあ、今度はこちらから行くわ」
だが仮にも一級冒険者同士の戦闘で、ただの剣なんて物が出てくるわけがない。
「おう! かかってくるがよい!」
言質は取った。私は結構いじわるなので、この笑顔を即座に歪めてしまうことにむしろ喜びを感じてしまう。
かかってこいとか吐かしながら笑顔で氷槍をマシンガンのように乱射してくるクソガキに向かってゆっくりと歩を進め、飛来してくる全ての氷を軽く斬り払って無に帰していく。森の木の葉だけを相手に磨いたゴリラ剣術が今、初めて日の目を見た。
「……はぇ?」
ポカンとした表情の作り方も見事だが、いちいち語彙の選び方が秀逸だ。はぁ? だったら即座に首を落としていたかもしれない。
攻撃が止み、静かになったところで声をかける。
「追いかけっこをしましょうか。──捕まったら負けよ」
分かり合って遺恨なくさよならできるならそれに越したことはないが、優先順位の上位には『脅威を取り除く』という明確な目標が設定されている。
殺すでも脅すでも泣かすでも、手段は問わない。
「来るなぁぁぁ! 来るなぁぁっ!!」
「ほらほら、頑張って逃げないと大変よー。半殺しにしてドラゴンの餌よー」
「嫌じゃぁぁぁっ!!」
身体強化全開で逃げ惑うエルフ幼女を、スーツ姿の女が長剣片手に追いかけている光景は、事案だ。
幼女が砂をパッ! と投げかけるような気軽さで大量の氷槍や氷柱を飛ばし、それに氷ウニまでをも無差別に設置、持てる技量をフル活用して致死性の妨害行為を続けている点を踏まえれば、多少は酌量の余地はあるかもしれ──いや、ないな。
だがこれは売られた喧嘩だ。心は全く痛まない。
「ひぃっ!?」
遊んでいると思わせないように、たまに急接近して剣の唸りをお耳を通して脳味噌に刻み込んでおくことも忘れない。それで一層逃走速度と攻撃頻度が上がるのだから、これは大変良い修練になる。
不死龍の周囲をグルグルと、走りながらの対飛び道具訓練は癖になりそうなほど楽しい。ウニを消し飛ばすの楽しい。リューンやフロン相手だとこうはいかない。
「馬鹿なっ……馬鹿な馬鹿な馬鹿なぁぁっ! 何で斬れるのじゃ! 消えるのじゃぁ!? 剣なぞ撥ね飛ばせる妾の氷がぁぁっ!!」
「お喋りしている余裕があるの? ならもう少し頑張って追うわね」
「んひいぃぃぃっ!?」
確かに普通の剣が相手なら、剣筋を立て損ねて弾き飛ばされるとか、きちんと斬っても質量に負けて食い込んで持っていかれるとか、もたもたしている間に間髪入れず飛んできた次弾で殺されるとかするのだろう。
密度が高く硬度があり、温度が低く、勢いのある質量がひっきりなしに飛んでくるのは脅威でしかない。剣の腹で受けてしまえばかなりの衝撃になるはず。
だがこれは普通の剣ではなく、私もまた普通ではない。目隠し全身鎧で森の中、女神様の体さばきを刻み込む地味な修練を年単位でひたすらに続けた私の剣技は、とりあえず飛来物に刃筋を通すくらいは難なくこなす。
通せてしまえば不壊以外だいたい何でも斬れ、おまけに魔力貫通の上をいく魔力破壊ともなれば、放出魔法の一つや二つで妨害が叶うわけがない。
仮に剣の腹で受けたところで、この程度の衝撃に負けるようなヤワな握力はしていないけれども。
氷柱も氷槍も氷ウニも、氷弾や氷針だって斬り払ってみせます。これまでに磨いてきた技術と産物とが結集して今を形作る。感無量だね。
それにリリウム印の白大根スーツは生きた冷気を物ともしない。大変快適だ。
サンプルなしに完成品を直で見せられた時は正直絶句した。燕尾服にキャーキャー言っていたので、こういうの好きそうだなーと納得できなくもないのだが、何というか……ホストの人が着ていそうなそれ。
せめて黒か紺がいいという意見は即却下された。シングルボタンのジャケットにベスト、パンツまでもが白。インナーのシャツは紫色に染められており、ネクタイは黒。自然な形で後光を阻止する最終防衛ラインとして活躍してくれている。
ボタンにタイピンにベルトにと、細かな魔導具を仕込む箇所には困らない。カスタマイズ性の高さは魅力だ。
ソーラーシステムの運用に支障をきたすようなら文句の一つも吐けたところなのだが、リリウムの仕事は見事なもの。
仕込んだところで全く動きを阻害せず、文句の付け所がまるで見当たらなかった。今この瞬間にも水白金は人知れず元気に私を光らせ、その光を吸って昇華紫石が魔力を生み出し続けている。
相変わらず靴の強度には課題を残すが、水色ゴーレムを素に構築した撥水素材を随所に用いたオシャレな半長靴も、以前の物と比べれば格別の仕上がりを見せている。
おまけにハイエルフ班に依頼した試作品の小型の魔法袋と不壊製の鞘とを一体化させて袖に仕込めば、《次元箱》なくして大きな得物の手ぶら携帯が可能となる。ナイフを取り出すかと思えば長剣が出てくる、冷静になってみれば軽くホラーだが、便利なので可だ。
これでサクラちゃんバトルフォーマルスタイルの完成。まさかメルヘンワールドで白スーツ着て幼女を追い回すことになろうなんて夢にも思わなかったけれども、リリウムがちょっと引くくらい気に入っていてリューンのお墨付きも出ているので、しばらくはこれがスタンダードとなりそう。
ちなみにシャツは過去の記憶から数種類の貝の魔物をバラし、染め物用の草と混ぜてあれこれいじくっていたら割とあっけなく紫に染まった。他の色にも望みが出てくる。
毒持ちだけれども、これはきっちり《浄化》してある。
「──観念した? そろそろお肉になる?」
装備の具合、主に増えた魔導具の燃費等を確認しながら楽しくじゃれ合い、二、三時間程の鬼ごっこの末、ゼハゼハと息を吐いて足を止めてしまったロリエルフの元へ焦らすようにしてゆっくりと近づく。
術師基準ならかなりの運動量になった。喉も乾いた頃合いだろう。
私も氷を延々と霧散させ続けてきたにも関わらず早くもお茶が恋しくなっている。湿度が低くて気分は南極、ボチボチ終幕としたいところだが、この幼女は伊達に一級冒険者を名乗っていない。根性がある。
「舐める、なぁっ!!」
汗だくで吠える姿も可愛い。
次は何が飛んでくるのかとワクワクしながら構わず歩を進めていたところ、慌てて魔力の圧をひたすらに圧縮し始めたことで足を止める。
大技の予兆が見られるが、これがおそらく最後だろう。受けて立つことにする。
(何かは分からないけど、術式に無理やり魔力を流し込んでるね。よく暴発しないものだな、魔法ってそういうものじゃないのに)
普通の魔法は術式によって定められた用法用量を守って運用する。許容量以上の魔力を無理に流し込めば氷棒は氷柱になるかもしれないが、比例して威力や効能が伸びていくわけではない。
より高威力の魔法を多用したければ、横着せずにそういった術式を構築して身に付けるべきだ。その方が断然効率がいい。
私の秘密計画その二が、まさにそういった使い方を根幹にしているわけだけど──。
フロンは魔改造できない。リューンは放出魔法を使いたがらない。リリウムは魔力が弱い。
自分で人体実験するか、あるいはアリシアと協力して完成に漕ぎ着けようかと思っていたプロジェクトなのだが……。だがだが。
「死にさらせえええぇぇぇ!!」
思わぬ拾い物を見つけたかもしれない。デフォルトはちょっとした巨木程度の氷柱を、素手で不死龍サイズの極太丸太にまで肥大化させて叩きつけようとするこの脳筋は……中々被験者として相応しいのではなかろうか。
「言葉遣いが汚いわ」
「知るかああぁぁっ!!」
持って帰ろうかな。可愛いし。
避けたらどんな顔をするだろう、なんて想像をするといじわるしたくもなってくるが、ノジャジャーが一級冒険者なら私もまた同じ。魔法には魔法で、気合には根性で返すのが礼儀というもの。
(真っ向から受け切って霧散させちゃるわい)
やる気満々にしている《●●●●》には悪いが、これくらいなら素手でも受けられる。あれが酸や毒の塊だったらその時に対応をお願いしたい。