第三百六十話
私はあまり他人に絡まれることがない。
女一人で行動していた頃には、結構あちこちで絡まれた。
ソフィアの故国であるエイクイルに狙われたり、そのソフィアに絡まれたり。
旅路の最中に護衛に誘われたり、ガルデの犬娘に絡まれたり。
ハイエルフに食われたり、お嬢にストーカーされたりしてきた。
私とて学ぶ。顔を出し、隙を見せれば、絡まれる。絡まれれば頭痛の種は厄介という名の水を吸ってスクスク成長し、伸びた蔓でがんじがらめにされ、いつの間にやら自分自身が養分となって、枯れるまで吸い尽くされる。そうに決まってる。
そんなのゴメンだ。藪があってもスルーする。虎穴があってもスルーする。私の行動範囲や交友関係はとても狭い。可能な限りそうあるように努めてきた。
西大陸、港町マヘルナでの素行は最良に近かった。史上最長の平穏を享受することができたのだから、今後もこうすべきなんだろう。
だがいくら接触を最小限に抑えたところで、それでも寄ってくる連中はいる。
防波堤になるなら──と、上手いこと言いくるめられて昇級を認めてはみたものの、実のところこの資格、謳い文句に反して全く保護してくれない。
むしろ国家を保護するための取り決めのように思えるくらいだ。居場所が割れれば最後、私の事情はお構いなしに、あの手この手で仕事を押し付けようとする勢力が押しかけてくる。
お話することは許されている。お伺いを立てることは許されている。お願いすることも認められている。ギルドや、国や、多くの冒険者達はそうする。下出に出る。
お願いします。して下さいませんか? なにとぞ。こう出る。
──出ないヤツがいる。隙を見せることなく自宅に、鍛冶場に、迷宮に引きこもっている私のところへ、こちらの事情などおかまいなしに干渉してくる存在がいる。
「おぉ、よう来たの。まぁほれ、掛けんか」
頭が痛くなってくる。なんでこう、エルフってやつは──。
扉を開ければ、空気が色づいて視認できそうなほどになっている圧倒的な魔力の圧が出迎えてくれる。その渦中の発生源に女がいた。
透き通るような白い肌、長めの耳、ペリドットを思わせる色味をしたくりっくりの大きな目、腰までかかろうかというこれまた緑味がかった濃い目のプラチナブロンド。色彩表現には自信がないが、この圧さえなければ手放しで美しいと感じられたと思う。見とれていたかもしれない。
だがこう……ちんまい。アリシアより背が低く、リリウムより小さい。子供という感じではなく……子供にしか見えないんだけど、背の低い小さな大人。
この圧さえなければ、可愛いね! と眼尻を緩ませたことと思う。圧さえなければ。
豪華なソファーにちょこんと腰掛け、足をゆらゆらさせながら両手でティーカップを包み込んで暖を取っている姿なぞ……想像してみて欲しい、大層愛らしい光景ではないか。
だがこいつはマジモンのバケモンだ。これが成長したエルフの標準だなんて言われたら、私はリューンやフロンと別れてリリウムと逃げる。東大陸には一生足を向けない。
ハーフリングの突然変異種だと言われれば、もう二度と表を歩けない。
対応をしくじればこの場でギルドが吹き飛ぶ。これは予感ではなく確信だ。それで私が負けるとか、そういうことはないとは思うのだが……魔力持ちは何をしてくるか分からないから怖い。しかもこの幼女、ずばぬけた~なんて表現では生温い、とてつもなく高い格をお持ちだ。
私には弱点がある。封印怖い。どこまで抗えるか検証できていない。
だが……ギルドが吹き飛んだから何だと言うのだろう。
舐められては困る。私だって一級冒険者だ。爪を隠そうだなんて欠片ほども思っちゃいない能なし野郎相手に、可憐で美しく聡明な私がイモ引いていいわけがない。
風下に立ったら負けだ。少なくとも拮抗しておかなければ、良いように使われてしゃぶられるだけ。私は過去から学ぶ女だ。やってやろうじゃねぇかこん畜生!
いざとなったらミンチにしてやる。エントランスを避ければ被害は最小限で済む。幸いこいつは奥側に腰掛けていることだし、隙を突いて吹き飛ばしてしまえば──。
「……ん? 何をしとる、早うせぃ。良い茶が手に入っての、淹れてやろう」
わーい!
席について餌付けされている間に「もう用済みだから失せろ」と手振りで観客を追い出してしまい、いつの間にやら部屋に二人っきり。
取り残されたのは合わせて二級の冒険者二人。あるいは二分の一か。なんでもいいけれど。
見事な手腕だ。取り残されてしまった。檻のない部屋に、猛獣と二人っきりで。言葉が通じるから分かり合えるだなんてお花畑な意見は受け付けていない。平穏を取り戻すために最も手っ取り早いのはこいつを殺してしまうことだ。
ちょっと協力的にギルドの仕事を手伝ってあげれば、見逃してくれないだろうか。亡骸は迷宮深部か大洋のどこかに捨ててくるから心配しなくてもいい。
可愛く「はいっ!」って差し出されたカップに鑑定を施し、普通のお茶であることを確認して口をつける。
「……良いお茶ですね」
社交辞令ではない。北や西、それにルナでは滅多に手に入らないグリーンティー。私が知らないだけでルナなら普通に手に入るのかもしれないが、今まで飲んできた中でもトップクラスに美味なお茶に、またもや警戒が緩みかける。
「分かるかっ!? この年の葉は出来が良くてのぉ」
いきなりガタッと立ち上がらないで欲しい。怖い。
「お酒のようなことを言うのですね」
内心冷や冷やだ。ワタクシ思いっきり臨戦態勢なのですが、それをまるで気にしていないこの幼女が怖い。中年の胃に穴を開ける趣味はあっても、好き好んでギルドに穴を開けたいわけではない。どうしよう、殺すか。迷うだなんて、らしくない。
「そりゃあ新茶が一番に決まっておる。じゃがの、こうして年を経ても質を維持できる茶を作ってみせるというのもまた、腕の見せどころであるわけでな」
ポスンとソファーに腰掛け、ふーふーする仕草に人はまんまと騙される。
(お茶、好きなんだろうなぁ……この圧がなければ、気が合いそうなんだけどなぁ……)
機嫌に左右されるのだろう。魔力の色味がコロコロと変わっているのが面白い。これも策だとは思う。そのつるぺたボディーもロリロリフェイスも、愛らしい笑顔も言動も全部罠。私は引っかからない。
風向きが悪い。ペースを握られっ放しだ。何とかしたい……何とかしたいのだが……お茶が美味しい。
熱した後に適温まで湯冷ましで冷やされ、それを年季の入った急須に優しく丁寧に注いで、熟練の頃合いでカップに移し、可愛く差し出される緑茶の甘みよ。ここが昨日までの延長線上にあるのではないかと錯覚してしまいそうな空気に包まれ、慌てて脳内で頭を振る。
「それで──私に何の用? 可愛らしいお嬢さん」
私にはもう、お姉ちゃんぶることしかできない。これは下策もいいところだ。こいつ絶対に二回りどころか二桁くらい年上なのに。
「んぅー……特に用はない」
ないらしい。んぅーだって、可愛い。だが額面通りに受け取るのはアホのすることだ。
「元はほれ、船の乗り継ぎで暇を持て余しておっただけじゃ。ついでに路銀を稼ごうと長を呼び出したら、珍しく同級が滞在しておると聞かされてな。茶を好むと言うことだし、一度会うてみるのもいいかと思っての」
諸悪の根源はあの中年か。おもてなしの心が仇となった。腹に穴を開けてやる。一族郎党開けてやる。
「またどこぞへ旅するのも良いかと思っておったのじゃ、が──」
(げっ……)
ここまで強まればスライムでも察して裸足で逃げる。ギルマスへ抱いた怒気に反応したのか、みるみるうちに好奇心に溢れ、好戦的な色味に変化した魔力の圧に全方位から睨まれた。
顔を可愛く傾げて、「ねっ?」みたいなおませなポーズを取られても、気分はカエル。丸呑みされる恐怖しか湧き上がってこない。
あるいは笑顔ってこういうものか。それは野生の世界に置いてきて欲しい。
これに気づかない振りを続ければ、こんなのに構っていても仕方がないと興味を失くしてくれるかもしれない。
だが私の勘が正しければ、このロリは私がこれに気づいていることに気づいている。腹いせに、適当に、拳が振り下ろされるに決まってる。
暇潰しで茶飲み仲間はおろか見知り顔でもない人間を招待状もなしにお茶会に呼び出すようなワガママ幼女に、建物を思いやる道徳心を期待するのは些か分が悪い。
「お茶がもったいないから、ここではダメよ」
私にできることは、姿勢正しく美味しくお茶を飲むことだけ。最初の一撃は気合で凌ごう。
「……それもそうじゃの」
引き伸ばしに成功した。愛は世界を救うな。いやマジで。
一杯二杯は難なくこなして、三杯目で限界が訪れた。
このプリロリは飢えた獣と変わらない。大盤振る舞いしたことでおもてなしの在庫がお湯と共に早々に尽き、対価として「はよぅはよぅ」と決闘を圧でねだってくる。
可愛くねだられれば応えてあげたくもなるものだが、他所様の子供に勝手にお菓子やアクセサリーを買い与えるのはどうかと思う。決闘なんて論外だ。
だが与えないと……ギルドが吹き飛ぶ。魔力の圧はもう臨界に近い。
「はぁ……」
覚悟を決めよう。『黒いの』はある。腰に下げてはいないが、いつでも抜ける。他の装備も万全だ。考えようによってはソーラーシステムの試運転に持って来いの相手じゃないか、脳筋エルフだなんて。
(神力はなし、《防具》は保険で……いけるかな)
人の枠組み内で、その枠組から盛大に外れている猛獣に抗えるか、試してみるのも悪くない。
神器とかいっぱい使うけど。この子、素手だけど。
茶器もそのままに場所を変える。候補は二つ、海上か迷宮内。
後者はともかく、前者を提案されたのは少々意外で、これによって空が飛べるか、水か氷系の魔法師なんじゃないかな、なんて推測が立つものの、海の上で大暴れすれば船に迷惑をかけるに決まっているので気が進まず、普通に迷宮内でじゃれあうこととなる。
理想は過疎区画なのだが、序盤は不死龍のお家くらいしか過疎っている部屋がない。
仮に水系魔法師だったら水色ゴーレムの階層はコイツに有利に働くかもしれないな──なんて考えながら中央第一層に足を踏み入れた瞬間に後ろから襲ってくることを念頭に置けないようでは、この世界で長生きはできない。不意打ちは食らう方が悪い。
警戒していたにも関わらず、気がついた時には一瞬で氷像にされていた。このチビ、魔力の圧が強すぎて攻撃の起こりがまるで読めない。
槍を手にしていればあるいは読めたかもしれないが、まぁ……氷漬けくらいならなんてことない。分解機能でパパっと打ち消し、何事もなかったかのように平静を装って歩き続ける。
「ほぅ……?」
(おー、ちべたい……でも物質化まではしてないな、これなら楽だ。……やっぱり効率を求めるとこうなるのかね)
魔力で『魔力の氷』を生み出すことと、魔力で『氷』を生み出すことはとても似ているが、これは明確に異なるものだ。
『魔力の水』を水樽に詰めても時間を置いて魔力が抜けてしまえば蒸発とは別の理で消えてしまうが、魔力で生み出した『水』は普通の水なので、自然の摂理通りに蒸発するだけで、飲んだって問題ない。
消えるまでは同じ物なので、一時的な攻撃手段として用いるだけなら水に限らず光も風も、何でも前者でいい。魔力消費がとにかく軽い。
後者を攻撃に用いる人間は余程酔狂であるか、近場の石を魔力でいじくってぶん投げるなんてことができる『水流操作』みたいな術式を併用していることが多い。
前者なら分解結界で容易く処理が可能だ。そして近場で散らしてしまえば、僅かながら吸収できる。プニロリ魔力、美味しい。
「なぁなぁ、今のはなんじゃ? 見えなんだ、もう一度やっとくれ」
とにかくこいつは海上戦闘を苦にしない程度には腕に自信のある氷系の放出魔法師なんだろう。目も髪も服装も緑色を基調としているのに、氷。もっと分かりやすく在って欲しい。
「なーぁー。もう一度、もう一度っ!」
北で一緒に仕事をしていた火の魔法剣を使う赤髪の娘さんとか、すごく分かりやすかった。二つ名まで……赤剣とか熱剣とか、そんな感じだったはず。こういうのがいい。
エルフで緑色なら、風だろう。そう在るべきだ。
思案中も後ろから氷柱がバシバシ飛んでくるが、ここで暴れたら散歩中の島民に迷惑がかかる。注目を集めてしまっているが、今は無視する。
分解せず、障壁で逸らしてあちこちに跳ね飛ばす。
「おい! おいっ! こらっ、無視するでない! おーいっ!」
するする、無視しまーす。無視無視。
「黙ってついてきなさい」
こんなところで大暴れされたらギャラリーが無差別に死ぬ。それは流石に許容できない。