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第三十六話

 

 水はある、食品も買い足した、水袋に水も入れた、塩は手付かずで沢山残っている。これだけあれば、人はそうそう死なない。

 建物の影でじっとしていると、先程の少女が戻ってきた。手招きして声をかける。

「手紙は届けてくれたかしら?」

「は、はい。オーナーさんと茶髪の女受付に確かに渡しました。黒髪のお姉さんから頼まれたとも」

 息が上がっている、走ってくれたのだろう。助かる。

「そう、ありがとう。助かったわ」

 それだけ言い残し、大金貨を一枚手渡してその場を駆け足で後にする。後ろから声がかかったが、振り向くことはなかった。


 ずいぶん長いこと滞在していた気がするが、まだそれほど経っていない、あの日くぐった南門。そこにいた門番に声をかける。

「お仕事中申し訳ありません。ここから王都へはどのように向かえばよいか、ご存知でしたら教えて頂けませんでしょうか。途中に村や町などもあれば、併せて教えて頂けると助かるのですが」

「ここから南東へ進むとコンパーラという町があります。街道を一直線なので横道に逸れなければ迷うことはありません。コンパーラから東の街道沿いに進むと王都です。コンパーラへはあちらの街道から向かえます。コンパーラから王都までの間には町や村がありますが、コンパーラまではかなり横道に逸れないと何もないのでお気をつけ下さい」

「南東に進んでコンパーラ、そこから東の街道、ですね。ありがとうございます。とても助かりました。お仕事の邪魔をしてごめんなさいね」

「いえ、これも職務の一環ですので」

 頭を下げると、教えてもらった街道まで歩を進め、そのまま駆け出した。久し振りのマラソンだ。


 場面転換:迷宮都市パイト 第四迷宮管理所


 死の階層の問題が一段落し、管理所内は徐々に活気が戻ってきている。他の迷宮に行っていた冒険者達が戻ってきたのだ。

 そのまま狩場を変えてしまった者もいるだろうが、それは仕方のないことだろう。人数の戻った受付に立ち、列を捌いていく。

 私は女性の受付としては比較的若いため、男性冒険者が列によく並ぶ。最初は戸惑ったが、今ではもう慣れたものだ。適当に処理をして長話を遮り追い出す。これくらい適当でいい、相手も本気でないのだから。私は既婚者だし子供もいる。

 その列に、私の列としては珍しく少女が一人並んでいた。市井の娘だろう。依頼の持ち込みに子供がお使いに来ることはあるが、どうして私の列に……近場の受付は空いているのに。男性には言い難い類のものかな。そういうものもある。

 事務的に作業を進め、少女の番がやってくると、彼女は──。

「これ、黒い髪のお姉さんから茶髪の女受付の人に渡して欲しいと頼まれました。それだけです!」

 それだけ言うと手紙をカウンターへ置き、駆け足で外へ出て行ってしまった。黒い髪のお姉さん……心当たりがある。私の列をよく利用してくれる、丁寧な冒険者。今回の依頼の立役者だ。しばらく顔を合わせていないけど、一体なんだろう。

 後にしようと思ったが……手紙の中を見て、ギョッとした。私は隣の受付に列を変わってもらうよう声をかけ、返事を待たずに所長室へ駆け出した。後ろから聞こえる悲鳴が煩わしかった。

 そのままノックをし、返事も待たずに扉を開ける。中には所長と、お客様──エイクイルの人間。だが今はそれどころじゃない。

「来客中だ、下がりなさい」

「所長、大至急この手紙の確認を!」

「しかしだな……」

「いえいえ、構いませんよ。手紙に目を通すくらい」

「そうか、申し訳ないが失礼する。…………なんだと?」

「子供が持ってきたのですが、既に走って出て行ってしまいました。恐らく、もう……」


「ふむ……。神官長。待ち人はもう来ない」

「ん? それはどういうことですかな」

「この手紙は、件の冒険者からの物だ。宿泊している宿と迷宮入り口に帯剣した騎士や神官が待ち構えており、命の危機を感じたのでパイトを離れると書いてある。この感じだとしばらくどころか、もう金輪際戻ってこないかもしれないな」

「な、なんですって!? そんな馬鹿な、どうして、命の危機などと……わ、私達は、ただお礼を!」

「女性が一人で宿泊している施設を調べあげ、武器を持った男を複数張り込ませたのだ。命の危機を感じるのも当然かと思うが」

「いや! しかしですな! 私達は受けた恩に対して報いなければと!」

「それはそちら側の理屈だ。受け手がどう感じるか、考えなかったわけではあるまい。寝床を調べて武力をちらつかせたのだ。この結果は何らおかしなことではない」


「イリーナさん。あの時彼女はこう言った、『秘密にできる?』、と。『私は怯えて暮らしたくない。私のことは内緒にしてね』、と。貴方の頭を撫でながら。忘れたわけではあるまい。彼女は依頼には含まれていない純粋な善意から、貴方を死の階層から助け出し、風呂に連れて行き、宿を明かし、世話を焼いてくれたのだ。彼女はどうして貴方をここに連れてきた? 思い出してみるといい。貴方は、そんな彼女を裏切った。彼女はこうも言っていたな。『信頼を築くのは大変で、失くしたそれは、戻らない』、と」


「これを教訓によく覚えておくといい。契約とは、約束とは、貴方が考えている以上に、ずっとずっと、重いものだ」


 場面転換:終


 天気が良ければなんら問題はないのだが、流石にこの曇り空の下のマラソンはあまり気持ちよくない。新たな旅立ち、心機一転といきたいが、あいにく私はただの逃亡者だ。しかも今回の依頼で得た魔石代を貰い損ねた。気が滅入るどころの話じゃない。四千五百万だ。

(はぁ……あたしの大金貨……)

 無駄になる宿代を前払いしたり、値段も見ずに外套を二着も買ったり、余計な出費が本当に多い。今後は倹約していかないと。……元々装備以外はそう大した使い方してなかったと思うけど。

 顔は割れているが、名前はパイトにもエイクイルにも漏れていない。門番には髪を見せていないし、買った外套の色はそれぞれ変えてある。急げば追手が差し向けられても捕まることはないだろう。雨が降るなら尚更だ。あちらは今すぐ出発とはいかないと思う。

 聖女がエイクイル固有のものなのか、神職関係なら広く存在しているのかは分からないが、まぁ宗教関係を避けて行けば出会うこともあるまい。

(しまったなぁ……。流石に近づきすぎたか。大人に突っ込まれることを見越して、もっと早い段階で突き放すべきだったね。聖女ちゃんは悪くない。大人に言われて凛と対応できるなら、六層の問題もああはならなかったはずだ。悪いのは私と、エイクイルの大人だ)


「だって、可愛かったんだもん。仕方ないじゃん」

 頑張り屋さんだった。いい子だった。懐いてくれた。可愛かった。だから、可愛がってしまった。それだけの話だ。

(王都はどんなところかな。大きいんだろうなぁ、パイトも広かったけど……。身分証とか要るのかな? パイトでもバイアルでも要らなかったけど……管理所でも要求されなかったし、最初の町でも確認されなかったよね。あれはギースと母娘がいたからだったっけ)

 冒険者という存在が広く存在しているなら、ギルドというか、そういう相互扶助組織があってもおかしくない。パイトにあったかは知らないけど……管理所が似たようなものか。極力そういうところを利用しないのと、目立たないようにしたいね。ある程度の収入も欲しいし、魔石を売るツテは確保したい。いっそガン無視して、手持ちのお金がなくなったらパイトへ戻ろうかな。ギースも戻ってきているかもしれないし。


「マラソンは……退屈だなぁ。いっそ少し速度上げてみるかな、時速……六十。一・五倍を目安にして様子を見てみよう」

 肉体への負荷を抑えながら気力を上げていく。微細な調整も日々の暮らしで慣れていた。これはもっと無意識下で制御できるようになりたい。

(六十って一般道の制限だっけ。高速は下限五十? でも高速は八十とかで走るよね……四十がまぁ、普通の速度なのは分かるけど、六十ってどんなもんだろ。足で出す速度じゃないのは分かってるんだけど)

 そんな事を考えながら走っていると雨が降りだした。ポツポツと。しばらくそのまま走り続けるが、違和感を覚える。

(この靴、ひょっとして水に濡れない……? 靴底が水を弾いているというか、滑ってないような気がするんだけど)

 地面に負荷をかけないよう魔力的な細工がされているのは分かっていたが、もしかしてこれも魔法の一部か。海の上も走れたりして、なんてね。

 足を止めて自分の足跡を見てみると、踏み込んだ場所は水気が消えて乾いていた。こういう代物なのかもしれない。

「いやー、魔法って凄いね。これなら暗くなるまで走り続けられるな。良い物買った」

 その日のマラソンは日が沈む直前まで続いた。慌ててその辺の木の下に隠れて寄りかかり、少しだけ眠ることにする。

「人通りが多いから怖いけど……夜通し走って明るい間に眠る方がもっと危険だ。おやすみ女神様」


 翌朝、まだ日も暗いうちに起床し、食事と軽い運動を済ませ、水を袋へ補給して走り出す。

(しかし、この世界はなんでこんなに町と町の間に距離があるんだろう。最初の町からバイアルへはともかく、そこからパイトまで町の一つもないってのはおかしくないか。あそこの門番、あるようなこと言ってたけど……担がれたわけじゃないよね。おまけにパイトから次の町までもやたら遠い……これが普通なのかな。土地は物凄く広くて、人口が少ない?)

 パイトからコンパーラまでまで町はなく、そこから王都へ行くほど町は増えていく……単に田舎なだけだったりしてね。パイトは辺境で、バイアルは薬で有名なだけの田舎で、最初の町はど田舎……とか。

 そして、二時間も走らないうちにコンパーラへ辿り着いた。


「は?」

 道を間違えたかと思った。横道に逸れたとか。門には門番がいる、声をかけてみたが──。

「おはようございます。ここはコンパーラ……で間違いないでしょうか」

「ああ、コンパーラだ。あんたパイトから来たのかい? 雨が降ってきて災難だったな」

「はい、パイトから来ました。あの、一つお伺いしたいのですが」

「なんだ? 分かることなら答えてやるよ」

「ありがとうございます。パイトの北に、バイアルという村があると思うのですが、その間に村のない道がありますか?」

「バイアル? ああ、あるぞ。何もない一直線の道だな。あそこは緊急の連絡用というか、町も宿場もない本当にただの道だ。ほんの少し迂回すれば村も宿場町もそれなりにあるから、普通はそっちの道を使うぜ。パイトの北側に出る」

「なるほど、そうだったのですね。ありがとうございました、お仕事頑張ってくださいね」

「ああ、ありがとよ」

(バイアルの門番さんごめんなさい、疑って本当にごめんなさい、私がアホなだけでした……。えぇ……でも、私は確かに言われた通りに村の南を迂回して、見えてきた道を進んできたはずなんだけど……迂回? 北側……)

 嫌な可能性が頭をよぎる。勘弁してくれ……どの道あの時はお金なかったけど、一泊でもできれば、それだけでどれだけ……!

「忘れよう。気力を試せた、もうそれだけでいい」



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