第三百五十五話
晴れの日には森へ身体を動かしに出向き、雨の日には宿で魔法のお勉強に励む。
気温は問わない。炎天下の夏でも雪が降りそうな冬でもお構いなしに日課としてこなし続け、北大陸を離れて既に三年近くが経過したはず。
邪神の消化は体感で過半に達している。合わせて五年で六、七割程度。あと二年もあれば終わるかな、といった具合。
努力目標の四年は既に守れそうにないが、まぁ……上々なのではなかろうか。公約として掲げていたわけでもないのだし。
我ながら、よく飽きないものだと感心する。
全身キメラ鎧に兜の上から目隠しをして、槍や剣を片手に森を静かに徘徊しながら、舞い散る木の葉だけを正確に槍で切り刻む──なんてことを年単位で継続できるだなんて。
安物を狙って日々数を増やしている様々な長さや形、重さをしている槍達。これらは共通して、少なくとも私の手に渡ってからは血の一滴も吸っていない。
得物が何であろうと、ゴブリンやオークの一匹二匹に接敵したところで私に負けはない。
だが恐怖も悪寒も克服できておらず、実戦訓練に移行する気にはどうしてもなれない。
飛び道具を弾く練習もしたいのだが、未だその水準に達しているとは思えずに、今日も一人で素振りと体捌きの修練を、昨日までと同じことを繰り返している。
身体を動かすばかりではなく、怠ることなく頭も頑張って回してきた。これにより魔法術式への理解は大いに深まってた。
未だに古代エルフ語限定ではあるが、これを下地に研究開発試行錯誤を重ね、未開拓に近かった光と闇──特に闇属性魔法といったものに関して、大いなる一歩を踏み出した。これだけで既に私はひとかどの人物と化しつつあると思う。
暗視や夜目、動体視力の向上といった梟の目を。
隠蔽や隠形といった闇っぽく潜む黒豹のような術を。
煙幕を発生させて視界を奪う、タコ墨をぶちまけるかのような補助魔法を。
きっとフロンからもお墨付きが頂ける、中々イカしたレベルで構築することに成功している。一人でコソコソ研究している分野は他にも二三ある。
──のだが、これを活かした魔導具を作るには設備と素材が欠けている。
浄化紫石ではダメなのだ。これを昇華しなくてはならない。
のだが──と続くわけだ。素材を作るための素材が欠けている。迷宮に入らないことには何もできない。始まらない。
そこから更に改良を重ね、本格的な実用化に至るまでに何年かかるだろうか。中々に歯痒くもやもやする気持ちを、今日も素振りと徘徊で晴らすのだ。
──全身鎧が立てるガチャ音が慎ましくなって数年。剣と槍とを振り回し続け、魔法術式の理解を深め、ルナに戻るまであと二年。
エルフ組は依然としてゆったりとしたペースで雷魔法の研究や魔法袋の分析を進めているが、第三のエルフ、半分ドワーフリリウムのそれは凄まじい。
数日に一着といった頻度で大根服を仕立てているのだから、ドハマり具合が知れるというもの。気力と魔力の身体強化を全力で施しながら、猛スピードで大根布を大根糸でチクチクと縫い上げていく。
チクチクなんて表現は生ぬるいかもしれない。しゅばばばーっ! って感じ。うちの使徒はすごいのだ。
手の込んだお洋服に、実用レベルの外套に、息抜きにベッドやソファーのシーツ、カーテンにクッションといった家具まで習作として何でも縫い上げる。
既成品をバラしては構造を盗み取り、日々レパートリーを増やしていく。被服科の生徒に真っ向から喧嘩を売っていく多才ぶり。
大根布の収集は帰宅後の日課に含めた方がいいかもしれない。黒い方はとっくに枯渇してしまった。
「サクラっ、あれ貸してくださいません?」
「はいはい」
数日に渡って雨が降り続き、宿に滞在する時間が増えていた今日この頃。いつものように机に向かっている私の所へ、いつものように相棒を貸して欲しいとお嬢がおねだりしにやってきた。
ご存知二代目『黒いの』のことだ。この子は今、かつてない活躍の場を与えられている。
「終わったら返してね」
手にしていたペンを置き、その足で《次元箱》に手を突っ込んで、剥き出しのまま寝そべっている魔剣の刃を引っ掴んで取り出し、リリウムに手渡す。
「心得ておりますわ。ありがとうございます」
何もうちの青銀髪が再び剣士の道に目覚めたというわけではない。これはあれだ、イトノコ盤になる。
地べたにクッションで作業しやすい大きさの、コタツのようなテーブルをつい先日拵えた。
だがこのコタツ、布団もなければ熱も発さず、天盤もひっくり返らない。ただ中央に穴が空いているだけの普通の卓。
しかし『黒いの』をそこに差し込んで柄をしっかり固定してしまえば、布でも鉄でも木材でもなんでも切れる便利な工作機械へと早変わりするのだ。
リリウムは私同様足からも魔力放出が行えるので、柄に足が触れてさえいれば、この震えないイトノコの刃は切断力強化術式が機能する。
アダマンタイトでも白黒大根でも容易に切り裂けるイカレた性能を発揮するようになるわけだ。
これによって裁断速度が大きく改善され、特に大根糸の製作ペースが飛躍的に向上したことで、うちのお嬢は水を得た魚と化した。
ノコギリと違って断面が綺麗でクズも出ない。怪我が致命傷になるという点に目を瞑れば最強に近い。
どういうわけか、リリウムは私の契約下にある『黒いの』を御しているので、問題なく流用が効いた。
曰く、並々ならぬ交渉の日々の果てに、しぶしぶと──とのことだが。
うちの子とうちの使徒との間にどのようなやり取りがあったのかを私は知らないが、うちの子が納得して力を貸しているのであればそれはそれで構わないと、特に気にしないことにしている。
暗い《箱》の中で放置されるよりは、布でも切らされている方がまだマシなのかもしれない。ウィンウィンだね。
この件で工作道具も改善する必要性を感じ、作りたい物リストのページが大いに増えた。
金床のバージョンアップもその一つ。普通の金床が燃える金床になれば、アダマンタイトが冷えることなく、極上の環境でリラックスし続けて頂けるのではないか。
そうなれば、質量が増えて難儀しそうな一体成型の槍といった代物も、私のやり方で作れるようになるかもしれない。
魔石炉にしてもただ火石を炎の中に放るのではなく、多方面から火炎放射器で火を吹き付けて熱するよう改良すれば──温度のムラがなくなり、火石の消費量が減り、あまり使いどころのなかった風石を有効利用できるようになるのではなかろうか。
燃えるハンマーはちょっと……モロにダメージが来そうなので気乗りしないのだが、熱の影響を加護に押し付けて神力の量でゴリ押しできれば製作物の質が上がるかもしれない。
上手くいったら魔法術式で熱を発する鍛冶ハンマーを作ってみてもいいかもしれない。熱に関連してアイロンにヘアーアイロンなんかも欲しいところだ。
(後は鉄板を作るためのローラーだけど……って、そうだ)
「ヴァーリルに行こう」
「……はい?」
思い立った。何言ってんだコイツ的な視線を向けてくるお嬢のことは無視。ヴァーリルに行こう。
冷凍庫や乾燥庫の増量、金属樽計画、そして真空断熱製品の製作のためにも《結界》の練度上昇は急務だが、その前に材料を買ってこないと始まらない。
真銀や黒金にアダマンタイトといった魔法金属も、金銀銅から鉄に黒鉄、赤色鋼だって、別にルナでも手に入らないことはない。
だがまとまった量の入手は難しく、質は様々で、しかも高い。
どうしましょう、困ったワ! フフフ、安心しなされお嬢さん。なんとワタクシ、鉱石の仕入れに超詳しい。
何せ鬼爺共に文字通り叩き込まれたのだ。西大陸の産地から相場から何から何まで熟知している。
それに別にわざわざ鉱山まで出向かなくとも、ヴァーリルの鉱石市場の商品を根こそぎかっぱらって懐が傷まない程度にはお金持ちだ。
多少市場が混乱して爺連中が慌てふためくかもしれないが知ったことではない。《次元箱》の容量は凄まじいことになっている。全てを持ち帰るくらいなんてことない。
ついでにプレハブ用の木材なんかを仕入れてくれば日曜大工で暇を潰せる。その辺の森から切り出してきてもいいが虫食ってたら嫌だし、製材するのも乾燥を待つのも骨だ。お金で解決したい。
「ヴァーリルに行ってくる」
ヴァーリルに行こう。私はヴァーリルに行かなければならない。行きたい。
食後のティータイムの折に話を切り出してみた。おうちかえりたいと。
「ダメだよ」
「止めておけ」
そして現れるいじわるエルフAB。私はこれを突破しなければならない。
「なんでさ」
いきなり『たたかう』コマンドなんて選ばない。まずは『しらべる』から。
「なんでって……買い物はいいけど、ドワーフに捕まって無事でいられるわけがないじゃない。体調なんておかまいなしに絶対にやらされるよ、鍛冶」
「それはー……そうだね」
尤もな意見が返ってくる。リューンのくせに。
「魔石もないでしょ? 浄化赤石集めてから向かうの? 時間かかるよ。それに迷宮に入れないってこと、どう説明するつもり?」
尤もな意見が返ってくる。リューンのくせに。
「それに、ヴァーリルに拠点があるっていうことは方方にバレてるから行かないって言ってたじゃない。私もそれには賛成だし、向かうのは反対だよ」
尤もな意見が返ってくる。……リューンのくせに!
捕まらなければいいだけの話ではあるのだが、あそこでドワーフの目を掻い潜ることは不可能に近い。目と髪の色が変わった程度で欺き通せると思わない方がいい。老練職人の目は鋭い。
それに家に帰ったら一発でバレる。どうせ行くのであれば家の掃除もしたい。埃くらい払いたくなるに決まってる。
言ってることは分かる。でもなんか……ムカツク。
「ナマイキっ! このっ! このっ!」
言葉で分かり合えないなら『たたかう』しかない。実力行使に出る。
跳びかかって頭を胸元に抱え込み、「うん!」と言うまで離さない。
人は悲しい生き物だ、いつまでたっても闘争と別離できない。肉体言語は共通言語。
「うんって言え! 行っていいよって言えっ! 言えっ!」
「いやっ、言わないっ! ちょっとー、やめてー!」
ちっとも止めて欲しそうではないトーンの声で抵抗されたので、ひとしきりジャレた後にご要望にお答えしてその辺に放り捨て、矛先を変える。
「ねぇねぇ、フロン」
いじわるエルフAはちょろいが、Bは中々にクセモノだ。しかもAは経験値を持っていないっぽいので倒しても無駄。その上無限に湧いてくる。狙うべきはB。
「私も賛成しかねる。雨で退屈していることは理解するが、辛抱してくれ」
にべもない返事が返ってくるが、これは想定済み。って言うか人を腕白小僧扱いしたな? 森に行けなくてブーたれてるんじゃないぞ。
余裕で常識人ぶっていられるのも今だけだ。
私は知っている。フロンの弱点を。
切れ目の怜悧な眼差しがキツイ印象を与えることもあるフロンだが、実はこいつ天使が裸足で飛び去るレベルで寝顔が滅茶苦茶可愛い。
酔っ払ってぐにゃんぐにゃんになった後、幸せそうな顔で眠っている姿は正直リューンなんて足元にも及ばない。千倍可愛い。
何度かフロンと健全に同衾したことがあるが、そういう時は大抵お酒を飲んだ後だ。酔うと中々起きないフロンにいたずらをし続けた結果判明した必殺技がある。
まずはターゲットが腰掛けているソファーの元へと四つん這いでジリジリとにじり寄る。そして正面から彼女の胸に顔を押し当て、上目遣いで見上げ、じっと目を見つめる。
このくらいで内心「うっ……」と来ている所が可愛らしい。動悸が目立ってきた。ウィークポイントが致命的過ぎる。こうなるとリューンよりチョロいな。
そんでもってガードを崩した後に──。
「おねぇちゃぁん……」
なんて囁いてやれば、即死するのだ。誰も突いてこないけど、私もこれに弱いはず。
「おねぇちゃん……おねがぁい」
年甲斐なんて単語はとっくに辞書から削除された。私の外見は制服を着ていてもコスプレ扱いされない程度に、現役女子高生だと強弁できる程度には若く、元が日本人なので尚実年齢よりも若く見られる。
その上何か、フロンは私の目が好きらしい。面と向かって言われたことはないが、面と向かっていれば何となしに伝わってくる。これをうるうるとにじませる。
おまけに頬を撫でられるのも好きだ。ナデナデすれば一発で寝顔が緩むことを知っている。
見つめ合ったままジリジリと這い上がり、視線を逸らさずにほっぺを捕らえて、チュッっとしてあげれば……こういうの何と言うのだったか、死体蹴りか。
オーバーキルとか言ったかもしれない。背後からすっ飛んできたAとCが結界をぶち破って実力行使で制止されるまでの僅かな時間でフロンは陥落する。
──のだが、と、ここでも続く。
リューンがまともな頭をしていたことでフロンを味方につけても事態は思う方向に進まず、なぜかうちの使徒まで反旗を翻したことで盤面が千日手に陥った。
だが私にも譲れないものがある。鉄が欲しい。アダマンタイトが欲しい。レアメタルが欲しい。いっぱい欲しい。
うだうだやっていたらフロンの目が覚めてしまい、最終的に数で押し切られてヴァーリル行きは無しになってしまった。
その代わり、三人で買いに行ってきてくれるとのこと。めでたしめでたし。
私? 私は森だ。森へ行く。ウホッ、ウホッ。