第三百五十四話
私にだって好き嫌いはある。
乳製品は好きだが、香りの強い本物のオーラが漂っているチーズは苦手。
セロリもパセリも食べるが、少女の頃にパクチーだけはどうしても周りの嗜好と合わなかった。
お肉は好きだ。だが可食だと分かっていても、内臓もレバーは克服できずじまい。
食べ物以外だってそう。慣れたとはいえ丈の短いスカートは白大根ワンピの着用期間が長かったことで苦手意識が再発し、リューンにぶーぶー言われようが、勉強や作業中は髪を後ろでまとめることがまた増えつつある。
魔物の解体は依然としてやりたくないし、その死体を食肉に加工するなんてできる気がしない。ついでに料理もできやしない。
水洗い、ヘタ取り、握力ミキサー。私にできることはここまで。多くを期待しないで欲しい。
武器にしても刃長の長い刃物、片刃の刃物、反りの強い刃物と、こういった代物には苦手意識を持っている。
そして槍。槍はもう……ダメ。心が、魂が、全てが拒んでいる。眺めるのはいい。触れるのもいい。作るのもきっと問題なく、その上で手に取るくらいはしてもいいが、構えたらもうダメ。
止め処なく溢れ出る忌避感の出処はきっと、神格。本能的、生理的に受け付けないというヤツだ。
だからと言って──だからと言って、だ。このままで良かろうはずもない。
もう十年以上、二十年近くなるはずだ。猪を解体して、その皮やお肉を持ち込むことで日々の糧を得る世界へと足を踏み入れてから。
今回リューンが体調を崩した。これは防ごうと思えば防げた事態だ。
年上のエルフにきちんと食育を受けさせていれば。認識を改めてくれるよう真摯に説明していれば。事前に魔石を集めて魔導具経由で賞味期限の長いビタミンを確保しておけば、苦しい思いをさせることもきっとなかった。
百二十日の道程の終盤であったから力技で何とかできたが、これが二百五十日の序盤から中盤の出来事だったら、《転移》や海上マラソンでごり押しできなければ、私はどうしていただろう。
私は割りと何でもできるが、それでも完全無欠の美人可愛い最強無敵お姉ちゃんではない。こんなことも見落とす、人より一本腕が多いだけのただの神格者に過ぎない。
栄養学に精通とまではいかなくとも、バランスの取れた食事というものにもっと重きを置けていたら防げたはずだ。意識改革する上で手っ取り早いのは、私が料理を覚えることだろう。
美食家になんてならなくていい。解体して、肉と皮に分けて、ある物で美味しく食べられる物を作れるようになれば。足りない栄養素を付け合わせで補う知識と備えがあれば。そこに意識を向けられるようになればいい。
カーリの仕事の際、剣の何がいいんだとボヤいた私にお師匠様は説いてくれた。私は剣を打ちはするが、真面目に修練したことなど一度もない。
したくはないが、しなくてはならない。
これを放置すれば、また心胆を寒からしめる事態に陥るかもしれない。佩いた剣を力任せで振り回し、素人剣術で仲間を失うことがあるかもしれない。それはとても怖い。
もう料理が苦手だの解体をしたくないだのチーズが嫌いだのと甘いことを言っている場合ではない。長い剣が苦手だの槍が嫌いだの、金属鎧は面倒だから作りたくないなんてワガママを言って現状に甘えられる心境にない。
装備は身に着けてそれで終わりではない。修練して初めて活きる。道具に限った話でもない。
森で水を見つけられなければ死ぬ。薬草と毒草の見分けがつかなければ死ぬ。野生動物を生で丸かじりなんてしていたら、満腹感と引き換えに確実に何かを削ることになる。
今の私に必要なのは、そういった生きるための幅広い知恵と技術、そして装備だと結論づけた。今一度己を見つめ直す必要がある。
できることは全部やる。裸一貫で放り出されても生き延びられるように。
(──なんて考えてはみたものの)
森の中の空き地で一人、今日も心胆を寒からしめる事態に好き好んで陥っている。
ただ構えるだけで、突いて薙いで振り回しての素振りをしているだけで、どうしようもない恐怖がこの身を苛んでいく。だが止めることはしない。
少女の頃の私に槍と因縁があったというわけではないのだから、この湧き上がる恐怖や忌避感は確実に神格に端を発している。
十中八九私の名もなき女神様は槍と一悶着あった。そしてこれこそが《防具》と並ぶメインウェポンであったはずだ。
そんなのちょっと振るってみれば分かる。初めて槍を握ったズブの素人である私が、四メートル近い重量のある長槍で視界外を舞い散っている木の葉を狙って切り裂けるわけがない。
──見えていないのに。狙って。
ただでさえ全身に重りを身に着けているのだ。キメラのように適当な物を寄せ集め、各部位がガチャガチャと喧しく音を立てるはずなのに、長槍を振り回している最中だけはまるで身体の使い方を知っているかのように……森の静寂が保たれる。
こんなの異常だ。とびっきり普通じゃない。初日の私は兜がなければさぞ間抜けな面を晒していたことだろう。我が事とは思えなかった。
「意味分かんないね。ほんっと分かんない。十手が槍だったらあの狼なんて瞬きする間に殺せたろうに……」
私の愛しい前任者は何を思って二度も十手を遺したのだろう。今はもう鍵だと知ってはいるけれど、もし三度目があるのなら……今度こそ槍に化けるのだろうか。
槍といえば漁だ。魚を見つけて川に意気揚々と投げ込み、刺し込み、都度マジカル浮力でぽよんと戻って……悲嘆に暮れるに違いない。槍はないな。ないないだ。棒でよかった。
我慢に我慢を重ね、末端から登ってくる凍てつくような寒気に心を支配される前に槍を投げるようにして置き、間髪入れずに腰から剣を抜いて構え、身体を動かし始める。
冷や汗でびっしょりだ。インナーは適当なので鎖帷子に熱を吸われてこのままでは風邪を引いてしまいそう。だが呑気に息をついている場合ではない。
魚とフィードバックは鮮度が命──ただし干物は除く──というのが私の持論だ。キメラ鎧を全くガシャらせない体捌きを刻みつけるには今しかない。間を置くと感覚が熱と一緒に抜け落ちてしまう。
心以外は磨り減っていない。日暮れまで時間は十分残っている。
剣を振り、槍を振り、その辺を動き回り、また槍を振り、その辺を徘徊して、槍を振って剣を振るう。体温を上げたり下げたりしながら心身共に疲労困憊になるまで身体を動かし、被虐趣味に目覚めないかを不安に思いながら走っておうちにかえる。
お金になる野草の類を提出し、ご飯とお風呂を済ませ、日課の自浄を全力でこなせば、あとは眠るだけ。擦り減った心を膨らませれば、明日もまた頑張れる。
これを休暇だと言い張るのだから、我ながら呆れてしまう。仲間はとっくに呆れている。
ある程度体捌きが身体に馴染んだ頃には『樽』や水杖二号君を持ち出し、槍の練度を棒術と名を変えてフィードバック。この身に刻み込んでいく。
女神様的には棒はセーフらしい。長さが肝になっているかはまだ検証できていないが、身長程度の長さをした二本の神杖を槍の動きを模して振り回したところで身体は拒絶反応を起こさない。
武器屋で仕入れてきた大きめの剣も同じく。ここを上手く利用できれば、私の技術と女神様の経験の合一を早期に図れそうなものなのだが──。
「まだまだ修行と検証が足りないね。長棒は特に魅力を感じないし……時間かかりそうだけど、やらなくちゃ」
頭上でクルクル回しても頭を打つことがなくなり、八の字にぶん回してみても棒先や穂先、石突が地面に穴を開けることもなくなった。
季節をいくつか跨ぐまで修業を続けても、身体を苛む悪寒とは別離できそうにないという予感だけが強まっていくのだが……。
この感覚とは一生、永劫付き合っていかなければダメかもしれない。
私の女神様はきっと、途中で槍の修練を止めてしまった。
ある程度で、もういいやと。そこそこの神様レベルで満足し、あるいは何か理由があって凡庸のまま、そこで歩みを止めてしまったのだと思う。
確かに素人にできる動きではない。私の槍術レベル一はこれにより既にある意味で神業の域に達しているのであろうが、何かこう、ツメが甘いように思うのだ。
喉は穿てる木の葉も裂ける、目玉だって狙って突けるが、顎パンチの成功率百パーセントには程遠い練度でしかないというか。自信を持つには至らない。
私も突きには一家言ある。何かこう、半端なのだ。未完なのだ。もったいなさを感じてならない。
あの人が培ってきたものを、私の中で眠らせて死蔵するのは余りにも惜しい。
道半ばを引き継いでみたい。共に歩みたい。この想いが原動力になっている。
「修練あるのみだ。まぁ……時間はある」
私は名もなきあの人の後継者だ。信奉者ではないが、慕ってはいる。同じものになれなくとも、多少なりとも近づきたいという思いはある。
そして、いつかこの悪寒を過去のものにしたい。ありがた迷惑でなければ、してあげたいと思う。
十手もメロンパンも『黒いの』もある。今はもう殺すも壊すも守るも不自由しないし、欲しい造形の武器は何だって作れる。不壊の角棒と脇差し、それにサーベル辺りで偽装もバッチリ。槍に固執する必要はない。
だが、拘るべきはここと定めた。理屈じゃない。やりたいからやる。
そうでもなければ、誰が好き好んで毎日毎日悪寒に身を委ねるものか。私はマゾじゃない。