第三十五話
しばらく雑談をしながら歩き、聖女ちゃんの宿へ到着すると、迎えに出てきた神官っぽい人からのお礼の言葉だけ受けて、聖女ちゃんが着ていた服と杖を返してその場を後にした。
夕食をご一緒にとの提案を受けたがここは固辞した。聖女ちゃんとはもう少し一緒にいたかったが、今日はまだやることがあるし何よりお風呂に入りたい。それにエイクイル自体いい感情を持っていないことに変わりはない。
この一件はエイクイルの遠征隊、その一部の無謀が発端だ。霊鎧の大量発生に彼らが関わっていないという保証もないのだ。
帰りがけに必要な物をあれこれ揃え、そのままお風呂へ入って宿へ戻った。食べ物は朝方買ったものが残っているのでそれで夕飯を済ませ、楽な恰好に着替えてベッドに横になる。まだ少し時間は早い。
「しまったな、先に迷宮行ってからお風呂に入るくらいできたかも……いいか。あまり根を詰めても仕方ない」
ちなみにこの都市、ゴミ捨ては有料だ。店舗で受けてくれることもあるが、基本は銀貨を払って専用の施設で処理する必要がある。洗いはしたが、マントはともかくポンチョはもう駄目だった。ギースには申し訳ないが……物だ、だめになることだってある。同じくだめになったタオルや使うことのなさそうな古着と一緒に処分した。
「考えることは多いな。結界についてもだけど、気力の衝撃波についても後々になっていたし。いい加減他の階層や迷宮に行ってみるかな……。リビングメイルは生き物っぽさがないから倒すのに何も感じないけど、もう少し命を奪うことに慣れるべきだ。私は鎧よりも、本能むき出しで襲ってくる獣相手の方が怖い」
だが、リビングメイル以外を狙うと、どうしても他の冒険者とかち合うことになる。正直接点を持ちたくない。話しかけられるのも同行するのも、背中を狙われるのもごめんだ。ふわふわは人間に反応しない。後ろから首を斬られれば死ぬ。敵や殺気には反応するだなんて都合のいいことはないだろう。
(迷宮攻略を目指しているわけではない。ここに滞在しているのはあくまでもお金と装備のためだ。どれだけ深くまで潜れば浄化真石を超える収入になるのかも分からない。とはいっても、ダチョウは八千で真石の端数分程度だ。私の扱いは丁重だし、きっと魔石でこれ以上の稼ぎを得るのは難しいだろう)
「駆け足でやりすぎたかな……もう少しゆっくり資金を貯める生活をしていてもいいかもしれない。億や十億単位で貯めたって、魔法袋のいい物を買おうとすれば吹っ飛ぶんだから」
(後はそう、結界だけど……聖女ちゃんに教われないかな、流石に変か……変だよね、私あれ解いてるんだし。あれが何だったのかは分かるけど、流石に使えはしない。学んで使えるものなのかな、魔力による物だったようだけど。うーん、手っ取り早いのは師事することだけど、そうなると最低限、浄化が使えることは伏せて……金の力でごり押すのがいいかな。気力の衝撃波についてもそうか、ただの冒険者ってことで指導を仰げれば……やっぱり資金はいるね)
「魔法の学校と気力の道場? そんな感じのものについて調べてみよう。裾野を広げているところがあるかもしれない。やっぱりメモ帳とペンは買おう、こんないちいち覚えていられない」
そうなると机がいる。どんどん部屋が狭くなっていくな。いや、ただの板でいいか。今日はもう寝て、目が覚めたら迷宮へ行こう。灯りはあるから夜行動も問題ない。袋の大金抱えたまま動くことになるけど……置いていくのも不安だよね。やっぱり銀行口座は開いておこうかな。私みたいなのが持ち込むには些か大金すぎるけど、指揮職員にでも頼めば保証人にはなってくれるだろう。
朝が来た。寝落ちしてしまった、ゆっくり眠ったお陰か身体の調子がいい。これは絶好の迷宮日和だね。
身体を動かして井戸で洗面を済ます。新品の水入れを軽く洗ってから水を詰める。しかし、なんか空気が湿っている気がする。これはあれか、雨か。雨はこま……らないか、迷宮の中にいれば関係ない。でも行き帰りに打たれたら嫌だな。ポンチョはもうないし、マントは雨具として使うには少々どころかだいぶ頼りない。
「まぁ、いいや。水も食べ物もあるし、迷宮にいれば暇つぶしの手段はいくらでも……ってあれ、水袋がない。どこやったっけ」
最後に使ったのはいつだ、依頼の時には飲んだし、その後……あっ。
「しまったな……あの時聖女ちゃんに預けたままか。今から買いに行くのも……最悪容器から直でいいか」
そのまま支度を済ませて迷宮へ向かうも……慌てて近場の陰に身を隠す。
(迷宮の入り口に騎士? 神官っぽいのもいる。これ私を探してるんじゃ……うわぁ、めんどくさい……後悔させないでよ、もう)
今の私の恰好はあの時のまま、いつもの服の上にマントだ。マントはそもそも私の情報を隠すためのものだったはずなのに、そのまま流用してるとか頭が沸いていたとしか思えない。やらかした。その場で脱いで魔法袋に突っ込み、フードをかぶって見つからないように遠回りしてその場を離れた。
(どうしたものか、マントを脱いだら私は、この世界だとパーカーと下着に間違われんばかりの薄着だ。これで迷宮へっていうのも……それに何より、顔を晒して歩きたくない。変なのも寄ってくるかもしれないし、宿に帰って外套を新調しよう。今日は買い物でいいや、決まり)
宿のそばまで戻ると、そこにも神官と騎士が待機していた。こちらも帯剣している。どういうことだ……聖女ちゃんが漏らした? あとをつけていた? 後者は考えにくい。依頼の後に私をつけてこられるような元気のある騎士はいなかったはず。そもそも私が救援に回るのは作戦にはなかったのだ。前者にしても、自分から吹いて回ることはないだろう、無理に聞き出したという方がまだ現実味がある。が、そうと決まったわけでもない。
どうしようかな、流石に頭にきた。エイクイルには二度と足を向けない。
(しばらく行方をくらまそうかな、いいように扱われるのは癪だ。管理所には……手紙を残そう。子供にお小遣い渡してお使いを頼めばいいだろう。買い物をして文具屋……どこだったっけ、中央にあったのは覚えてるんだけど、場所がうろ覚えだ。周辺で必要な物を揃えて、すぐパイトを出よう。宿の期限はまだ残っている、一筆残しておけば数日消えることで問題は発生しないだろうし)
予定が一気に崩れた。やっぱり干渉すべきじゃなかったかなぁ、くそぅ。
中央まで出向いてフード付きの外套を二着購入する。雨具としてもしっかり使えるものを予備を含めて。一着はその場で羽織る。そこで文具屋の場所を聞き、途中の食品店で保存が効きそうなものを適当に買い込んで文具屋へ。手紙を書きたいと申し出て場所を貸してもらって、二通を書き上げる。
一通は管理所へ。エイクイルの騎士や神官のような人が、帯剣して宿泊している宿の前と迷宮の入り口に待ち構えていたこと。身の危険を感じたのでパイトを離れること。しばらくしたら戻るが、具体的な日取りは決めていないこと。状況が変わっていなければ、この都市を本格的に離れること。魔石の代金は預かっていて欲しいが、一年経っても戻らなければ都市に有意義な使い方をして欲しいこと。預かり物に対する規定があるのであればそちらを優先して欲しいこと。銀行の口座は開設していないことなどを記した。
一通は宿へ。命の危険を感じたのでしばらく都市を離れることと、宿代が尽きても戻らなければ、申し訳ないが部屋に置いてあるものは撤去して貰うよう記し、宿代の追加として大金貨を十枚と、鍵を一緒に入れておいた。
二通を封筒に入れてタオルや下着などといった物を服屋で買い込み、雑貨屋で水袋と、保険に空の水の容器を買い足す。第四迷宮方面へ戻るも、宿のそばにはまだ騎士神官が張り込んでいた。少し離れて時間のありそうな人を探す。言いつけを守りそうな、一人でいる……あの子でいいか。若い女の子、聖女ちゃんの顔がちらつくが、考えないようにして声をかける。
「こんにちは。いきなりごめんなさい、今お時間いいかしら。お使い……手紙を届けてもらいたいのだけれども。お礼はするわ」
「えっ、な、なにっ。……お使い? 手紙くらいなら……はい、えっと、大丈夫です」
手紙を二通と小金貨を二枚手渡す。
「こちらの固い方を、近くの……あの、近くにある灰色で、窓が頑丈になっている宿、分かるかしら? あそこの、オーナーさんに届けて欲しいの。いなかったら受付に預けて貰えればいいわ。髪の黒い女に頼まれたと言えば分かるから、返事は待たずにすぐに出てきて。そして、こちらの薄い方を、第四迷宮の管理所の職員に渡して欲しいの。茶色の髪の女性の受付がいれば、話が早いわ。少し並ぶかもしれないけれど、いなかったら職員なら誰でもいい。これも髪の黒い女からと伝えて、同じく預けたらすぐに帰ってきて欲しいの。お願いできるかしら?」
「固い方が宿で、オーナーか受付。薄い方が第四迷宮の管理所で、茶髪の女の受付か職員に、ですね?」
「ええ、お願いするわね。近くの……そうね、そこの建物の陰で待っているから、届けたらまた来て。お礼を追加するから。急いでくれると助かるわ」
「つ、追加ですか!? わ、わかりました。急いで行ってきます!」
そして転がるように走り出した。これで届かないという事態は避けられるだろう。
「はぁ……私が臆病すぎるのかなぁ、でも得体の知れない国や宗教団体とは極力関わり合いたくない。生きる上で魔石の換金は必須だからそこは割りきっているけど……万が一にも」
私の正体がバレるわけにはいかない。
バイアル方面に戻っても、ギースはまだ仕事中だし、あの道を走って戻るのも気が滅入る。近場の町を王都方面目指して走ろうかな、門番にでも道を聞いてみよう。港町でもいいか。港……海、エイクイル……。
「地図でも売ってればよかったんだけどなぁ……ああいうのって国の機密に当たるのかな、市井に流れてないってのは、たぶんそういうことだよね」
しかし、私独り言増えたな。なんてどうでもことが頭を過ぎり、空を見上げると、いつ泣きだしてもおかしくないような曇り空が広がっていた。
「泣きたいのはこっちだよ、もう」