第三百四十二話
本来なら色々とある。
お城でドレス、謁見にパーティー、お貴族様との挨拶回りに、オープンカーで町中を練り歩くとか、そういった催し物が。
以前もあったと聞いている。美味しいものをしこたま飲み食いして、うちのエルフは大層ご機嫌だったそうな。
──正直、何一つとして興味がない。なので久々に傍若無人モードにて強権を振りかざし、一切合切をシカトすることにした。
お城には行かない。ドレスも着ない。王様からお褒めの言葉も頂かないし、贅を尽くしたお料理に舌鼓を打つこともしない。高いお酒もノーセンキューだ。
貴族との挨拶回りなんてお金をもらっても断る。王様と答え合わせをしておきたい気持ちは正直なくもないのだが……今回は私の負けということでいい。
邪神がカーリに封印されていたことは、きっと知っていた。それが此度の一件と関連していたと踏んでいたのか──ほら、早速ここから推定が困難になる。
知っていたところで、すっとぼけられてしまえばそれまでだ。
眷属と呼んでいたのは言葉の綾、私達が『アンナノ』などと呼んでいたように、大した意味はなかったのだ、と。
あの怪異が本当に龍の手によるものだと思っていたかもしれない。邪神はともかく、その崇拝者達がいることも、一連の事件に関連していたかどうかも、本当に知らなかったのかもしれない。あるいは全てを知っていて、全ては王様の手のひらの上であったのかもしれない。
騎士を育てるが、雇わない。軍事力を削りに削って、これだけの大国はどこに浮いた金を注ぎ込んでいたのか。学校は儲かると聞く。
武装リッチが誰であったのか。転移の杖の所有権がどこにあったのか。あんな物を一貴族家が所有しておきながら、王家や宝物庫がこれまで無事であったのは何故なのか。
ギルドはどこまで知らされていたのか。よもや公的機関が所属員をだまくらかすとは思いたくないが、お国と密接に関わりを持っているわけで、そこに癒着がないわけがない。最初から全てを把握していた上で、私に流す情報を限定した可能性は残る。
無論ギルドもどちらかと言えば被害者側で、問い詰めたところで今回のことは不可抗力だったと言い訳されれば、どうしようもない。もう証拠は残っていないだろう。
気にはなる。当然なる。問い詰めるつもりで準備もしていた。だが知ったところでお金にならないし、知ろうが知るまいが、ちょっかいをかけてこようとガルデが思えば同じこと。下手に藪を突いて出てきたしつこい蛇に狙われ続けるようなことになれば、それは大層面倒くさい。
一息ついたことで、どうでもよくなってしまった。
私の仕事はスタンピードの鎮圧と環境の清浄化、それに邪神の討伐だ。全て完了した。滞り無く完了した。ならもう、いい。いいんじゃない? いいよね。いいことにしよう。
もうとっくに視線は前へと向いている。私は過去を振り返らない女だ。
「色々気になることは確かにあるんだけど……まぁ、もういいや。お金と貢献点を受け取ったら移動しよう」
街道をひた歩き、ガルデに到着し、一日泥のように眠って祝賀会への招待状を受け取ったその日……相談の末、色々とガン無視してガルデから撤退することを決めた。
私は知っている。パーティーは暗殺者の巣窟だ。南大陸でも「またかよ……」とボヤきたくなるような数の不届き者と相対した。牛の封印地点がズレていて目の前にいきなり現れたのも、十中八九裏切り者がいたせいだ。まだいないとも限らない。人材豊富過ぎやしませんかね!
一人ならまだしも、バラけてしまえば四人も八人も守りきるのはかなり辛い。ただでさえ本調子ではないのだ、色々と思惑が蠢いているドロドロの坩堝からは距離を置くに限る。
ガルデ王がひたすらにまともな人で、末端に至るまで全ての不届き者が粛清されることを、願うだけ願っておく。
「というわけで……聞いていると思うけど、私はこれから休暇を取ることに決めました。今回は流石に身体への負担が大きくてね」
久し振りに全員ひとところに揃うこととなった。昔お世話になった第三層の宿屋にて、四人では普通に暮らせるが、全員入れば少し狭い。そんな中部屋に八人揃っている。
私とリリウムと、リューンとフロンと、ソフィアとアリシアと、ペトラちゃんとミッター君と。ベッドの位置をずらし、互いに向かい合えるようにして。
「あれだけ濃い瘴気の中、邪神の討伐に加え山々の浄化を成し遂げたサクラの功績は大きい。だが代償もまた大きかった。あの場に同行していたお前達ならそこは理解しているだろう」
装備はボロボロ、髪もお肌も荒れ放題、綺麗なのは十手と『黒いの』、そして《防具》くらいなもの。
猫袋も一度洗ってあげないと酷いことになっている。しばらくはハイパーお風呂アンドお洗濯タイムだ。汚れた下着の山から目を背けたい。
「代償って……あの、お怪我が?」
あまり理解していなかった、あるいは聞かされていなかったのか、ソフィアは身体の心配をしてくれる。
「怪我はしてないよ。ただ法術師が瘴気に強いと言っても限度があって、こう見えて結構芯まで汚染が進んでるんだよ。魔力の使い過ぎでしんどくってね、ずっと騙し騙しやってきたんだけど──」
「この迷宮大好きっ子が探索を諦めるくらい事態は深刻なの。本腰を入れて自愛しないとマズイの。だから休暇を取る。取らせる。これ以上の無理は認めない」
自愛するってなんか、共通語で聞くと響きがエッチぃ。リューンちゃんのスケベ。
それにしても、またドクターストップをかけられてしまった。エルフに迷宮行きを禁止されることは今に始まったことじゃないとはいえ。
いっそずっと管理されている方が楽なんじゃ──いやいや、それはよくない。
「あの、それはお一人で癒せるものなのですか? 他の浄化使いの方に診て頂いた方が……」
「サクラの身体を誰とも知らない他人に診せろと? 刺客に紛れ込まれては目も当てられませんわ」
他人による浄化で瘴気や灰色の糧がどうなるかは興味深い。だが糧とならなかったらもったいないし、法術師に浄化を頼むとお金がかかる。一度調査はしておくべきか。
リリウムに浄化を仕込めれば手っ取り早かったのだが、こいつは私の使徒の癖に結界にも浄化にも適性がない。
「それは確かにそうですねぇ。いくらサクラさんでも、病床で襲われては──」
少し考える素振りを見せたペトラちゃん。
「──何とかなりそうですけど、面倒くさいですね!」
見事に言い当てたペトラちゃん。そう、面倒くさいのだ。
「そういうこと。ルナやヴァーリルのことはガルデの王室やギルドにもバレてるから、しばらくは誰にも知られていないところで大人しくすることにしたんだ。迷宮も何もないようなところで、お勉強しながら療養する」
魔法術式のお勉強や今後製作を考えている物品の設計図を引いたり、新作の構想を練ったりと、やりたいことが山となって積まれている。療養半分、備え半分。仕事なんてしている暇はない。
「あのぉ……居場所は、私達にも教えてもらえ──」
「どこに耳があるか分からん。お前達を疑うわけではないが、漏洩の可能性を考えれば口に出したくないんだ。分かって欲しい」
「それは……はい。分かっています……」
そして隙あらばついてこようと目論むソフィアの愛くるしいことよ。微妙な顔をしているペトラちゃんの心中が伝わってくるようだ。
「あ、あのサクラさん……これ、今までありがとうございました」
沈黙を保っていたアリシアがおずおずと、両手で棒を差し出してくる。名称未設定、仮称浮遊術式強化風杖一号君。
これもお手製神器だが、確か乾燥血液の方を用いて名付けに認証が必要な仕様になっている。
名残惜しそうな顔を隠しきれていないアリシアを見ているといじわるしたくもなるのだが、それは止めておこう。
「押し付けるつもりはないけれど、気に入ったのなら持って行ってもいいよ」
「……い、いいんですか?」
「ないと困るでしょ。回収したところで使わないし、望遠鏡とか砂時計なんかと一緒に、頑張ったご褒美ってことでプレゼントしてあげる」
「あ、ありがとうございますっ! やったぁ……」
「よかったねっ!」
「はいっ!」
ペトラちゃんとアリシアは本当に仲がいい。見ていてほんわかする。
せっかくこの数年間で磨きに磨き上げた浮遊術式を、杖を取り上げて無用の産物としてしまうのももったいない。
アリシアのお陰でいい着想を得られたのだ。神杖一本は対価として決して高くはない。
「そういえば、魔法袋もなかったよね? それも一枚あげとこうか」
一時期フロンが自前の袋を貸し出していたようだが、前線に出るようになってからは返却していたはず。空を飛ぶのに重量軽減なしでは……修行にはなりそうだな。
「……ふむ。それは私の分を回すことにしよう。姉さんは多目に持っていた方がいい」
「それじゃフロンが困るでしょ」
申し出はありがたいのだが、フロンも結構私物が多い。仕事に必要のない書籍やらは預かっているが、その都度私に声掛けするのも億劫なはず。お酒も隠し持てない。
「我々の物資の輸送量が低いことは課題として残されている。早急に解決したいと思ってはいた。いい機会だ、自分を追い込もうと思ってな」
これまでとは少し……主に《次元箱》の容積が爆増したことで事情は変わっているのだが、魔法袋なんて何枚あってもいい。やる気に水を差すこともないだろう。ないないだ、ないない。
これはマルチタスクの得意なエルフだ。フロンがそうしたいというのなら、そうさせておこう。
「いいんですか……?」
「あぁ、私からも頑張ったご褒美だ。無理をしない程度に、世界を楽しんでこい」
「あり、ありが……ありがと……ございますぅ……」
師弟愛というやつだ。リューンちゃんの出番が全くなかったことに目を瞑れば、大層微笑ましい。
抱きついてメソメソしているアリシアと、少し困ったように微笑んでいるフロンと、面白くなさそうな顔をしているリューンの対比が美しい。人徳の差ってやつだ。
「お姉様は四年……くらいは療養に当てる、とのことでしたが」
「そうだね、少なくとも四年はジッとしている予定だけど」
「その後は、どうなさるおつもりなのですか……?」
工房が火を噴く。
「邪神に装備を手酷くやられたから、四年で下準備を整えた後は、回復し次第工房に移動して、まずはそれらを作り直しながら同時にバージョンアップを図る。冷凍庫や乾燥庫を始めとした便利グッズも数を増やしたいし、さっきフロンも言ってたけど、それらを持ち運べる魔法袋も数を増やしたい。ひたすら準備期間に当てるよ」
もうリリウムには頭が上がらない。作ってもらった物を片っ端からダメにしている。リューンも雷の研究をするのであれば、黒ワンピのバージョンアップは必須となる。
というかフロンも何とかしないと、試行錯誤の最中に感電死することになりかねない。黒いイノシシワニの革を集めてから西大陸へ向かった方がいいかもしれないね。
「乾燥野菜や果物、そして汁物の増産も図りたいですわ。あの……すぽどり? とか呼んでいた飲料も、夏場の活動には欠かせない代物となりそうですし」
食は豊かに越したことない。私とアリシアの愛のエルフ汁も、結構評判が良かったっぽい。レシピは残してある。そのうち果物をかき集める旅に出るのも悪くない。
「製作に何年かかるかは分からないけれど……それを迷宮辺りで性能評価しながら改善して……やりたいことが見つかったらまた旅に出るかな。今回は何とかなったけど、またあんな変なのとぶつかることになったら、次は生きて帰れないかもしれないからね」
保存食も食べきってしまった。というかあれだな、《次元箱》にパン窯入れておけば出先で焼けるな。小麦と酵母を抱えておけば──。
(……もしかしてあれか、鍛冶設備も家具感覚で持ち運べるんじゃ……)
これはあれだ、革命だ。凄いぞ次元箱! 隠れ蓑の擬装用魔法袋が量産に成功した暁には、大っぴらに何でも持ち運べるようになる。
浴槽はともかく、簡易シャワーくらいならいけるんじゃなかろうか。浴槽もいけそうだけど……鉄の湯船を直火で炙ったら酷いことになるよね。
あとはテントもだ。コテージみたいな……いけないだろうか。できないだろうか。いける気はするのだが、持ち運び前提のお家を拵えるのは結構な重労働になる。プレハブくらいならいけるかな。
ルナの魔石炉もバージョンアップのプランがある。型落ちになったらバラしてピザ窯にでもしてしまおうか。
(あぁ、やっとだ。やっとやりたいことができる!)
楽しい。自然と笑みが浮かんで顔が綻ぶ。長かったお仕事も──お金を受け取って貢献点を付けてもらえばお終いだ。
「サクラさんは……慎重ですねぇ」
「サクラは慢心しません。だから強く、怖いのです」
リリウムが適当なことを言っている。私は単に臆病なだけだ。仕方がなければ割り切れるというだけ。
「もう一緒には……いられないのですね……」
「別に遊びに来るくらいは構わないよ」
「……へぇ?」
今生の別れを覚悟した悲劇のヒロインのような顔をしたソフィアが、変顔のまま固まった。
室内が静まり返り、年少組の視線が向いている。
「いや、しばらくは静かなところで療養するけれど……その後はルナに向かうと思うし」
フロンと迷宮深部を探索する約束もしている。製作するにも試験するにも、もちろん修行にも、あそこ以上の環境はそうそうない。
そもそも牛汚染が深刻でなければ、最初からルナに戻る予定でいたわけだ。あっちのギルドにもお仕事完了の報告をしなければならないのだし、それは行き掛けに済ませてもいいけれど。
「そもそも四年で調子が戻ると決まったわけじゃないけれど、調子が完全に戻った後はすぐにルナに向かうと思う。そこでもしばらく色々やってるはずだから、縁があったら遊びに来ればいいさ」
ずっと一緒にいることはできないが、たまに会いに来る妹分達を拒むことはしない。ルナはどこへ向かうにもだいたい中継点として経由することになるのだし。
数十年経った後、私が老けないことを突っ込まれたとしても……まぁ、メロンパンのせいにしてしまえばいい。身体の色が変わるくらいだ、老けない副産物があったとしても不思議じゃない。はぐらかし続けるのも、吸血鬼路線を押し通すにも限度がある。
私達は四人とも、それなりの難題を抱え込んでいる。全てが解決する前に新たな目標ができたりして、変な横槍が入らない限りルナを動くことは当面の間ないはずだ。
「いい……んですか?」
「いいよ。自分達の冒険を楽しんで、気が向いたら会いにくればいい」
迷宮産の魔導具は、どこかの倉庫にでも預けてくれないと困るけど──って、そうだった。
「忘れるところだった。いくつか助言をしておこうと思っていたんだ」
アリシアに倣って飛び込んできた癒し系わんこを適当にあやしながら、忘れかけていたおせっかいを一つ。
「助言……ですか」
こういうのを告げるのはミッター君が適任だ。ペトラちゃんも姿勢を正して聞いていてくれている。
「そう。迷宮産出の魔導具に『次元箱』と呼ばれる物があるんだけど……これには特に気をつけて」
大抵の物品は呪われていない限り、実用できる有用な代物かゴミかの二択だ。だが実用できる有用で呪われているような物品という物も、世の中にはある。
「次元箱というと……魔法袋の亜種のような物だと耳にしたことがあります。一種の転移装置だとかいう」
「そう、それのこと。ただこれ、契約が少し特殊でね。一度結んでしまうと解除できない上に、心身共に悪影響を及ぼす可能性が大きいんだよ」
「……転移が一生付きまとう、ということですか」
一つ頷く。おそらく魂と一体化しているので、あればかりは一度死にでもしない限りはどうしようもできない。
「鑑定すれば品目は明らかになるから、その前のうっかりに気をつけて欲しい。契約には血や魔力を使うんだけど、魔力身体強化をかけたまま触れたり、怪我した箇所から一滴血が垂れただけでもたぶん、即座に契られてしまう。世間一般で転移がどんな扱いをされているのか……知らないわけじゃないでしょ?」
基本的に忌避されている。私レベルの強固な結界使いでなければ、そもそも転移を阻むことができない。次元箱はまた事情が違うかもしれないが、外から見れば転移のように消えているわけで、指名手配されることにもなりかねない。
それにこれはこれで暗殺者垂涎の品だ。密輸だってし放題。税関に真っ向から喧嘩を売っている。
「私が見たことがあるのが、迷宮の宝箱と同じような色をした薄い直方体の、のっぺりとした箱。迷宮産出の物品はどれも危険と表裏一体の代物だけど、触れただけで一発アウトな物もあるから、扱いには細心の注意を払った方がいい。管理を分けることも大事だし、危険だと思ったら手に取らない勇気も必要だっていうことを、よく覚えておいて」
他は割りと詮無きことだ。パイトの闇迷宮の十七層……だったかには気をつけろだとか、風迷宮の二十五層以降は足場がないだとか、そもそも未踏査区画には細心の注意を払うようにだとか、復路に七割は残せだとか。
──ガルデには気をつけろ、だとか。
彼らは基本的に慎重派だが、一度の判断ミスが死に直結するのが迷宮というモノ。
それは迷宮に限った話でもない。命を大事にして欲しい。