第三百四十一話
長期に渡った一連の仕事の中、主に後方支援の皆様は割と頻繁に人員の交代が行われていたそうな。
行き来が盛んであったなら、帰路のプランはこれまでに運用されていたものが通用する。
なーんにもない、なくなってしまった荒野に長期派遣なんてブラックもいいところだ。加えて上司の目のないところに長くいれば、色々と邪なことを考えたくなるのが人情というものなのかもしれない。
それは冒険者も騎士も、受付の人やメイドさんもきっと変わらない。心をやる前に、慣れきって余計なことをしでかす前に、定期的に人員を循環させるのはいい手だと思う。
その優しさを私にも向けてくれれば、文句の付け所もなかったのだが。
最後まで残留を決めた酔狂な人達もそれなりに残ってはいたけれど、帰還に際してそういった皆様を護衛しながらゆっくり馬車に付き添うことになるのも、流れとしては至極当然。
私の存在によって空気が多少アレなことになっていることを見ない振りしておけば、それなりに穏やかに行軍は続く。
「やっぱり私、荷台に引っ込んでいましょうか」
「気ぃ使わんでもよかろ。奴らにゃ良い薬になったろうて」
「ですが……」
元々馬車に積まれて持ち込まれていた物品といえば、天幕や寝具などの生活用品や大量の火炎放射器、それに魔石樽の山が主なところ。焼却魔導具もそれなりに酷使による破損が目立ち、今では六割程度にまでその数を減らしていた。
樽に至っては皆無。街道拠点に綺麗な水を満載にされて置き去りにされている。
荷馬車の数に対して、護衛の冒険者の数と比べて、守るべき荷物が少なすぎる。テントやベッドを薪にしてしまえばほぼ手ぶらだと言っても過言ではない。
お陰で馬の歩みは早く、私が外にいると馬が元気になることを知っている諸々によってあちらこちらを引き回され、軽快な足取りとは裏腹に微妙な空気は薄れることなく漂い続ける。
居心地が悪い。尻尾を踏んだら今度は何が吹き飛ばされるのか──なんて戦々恐々としている誰それの感情が肌に伝わってくるのは、決して気持ちのいい感覚ではない。
「お前さんもちったぁ反省せぃ。あんときゃワシも肝が冷えおったでな」
「……申し訳ありません」
面と向かってお説教されるより、こうしてチクチクとやられる方が効く。私のお師匠さんは荷台に引き篭もって時間が過ぎ去ってくれるのを見逃してくれるほど甘くはなかった。
「もうちっとやりようがあったじゃろうて。手法はともかく行動を咎めはせんがの──」
怒られている。第一級冒険者の私が、結界と浄化の女神の後継者たる私が、神格者たる私が、素敵可愛い最強美人なお姉ちゃんのこの私が! ドワーフの老爺一人に手も足も出ない。
ちょっと嬉しい。中々に得難い存在だ。こうして叱ってくれる相手というものは年を取るごとに減っていって、やがて居なくなってしまう。ずっと私のお爺ちゃんで居て欲しいのだが、そうもいかない。
ギースの予定は聞いていないが、きっとアルシュに帰るのだろう。この一件で知り合った連中とも、別にお友達になったわけではない。またそれぞれの生活に戻っていく。
──私達も、ソフィア達も。
私としては、別にどちらでもいいというのが本音だ。
このままソフィアがくっついてきても、加えてペトラちゃんやミッター君がくっついてきても、おまけにアリシアがくっついてきても別に構わない。
無論独り立ちして欲しいという思いは強いのだが、早々に隠棲して治療院を開くとか、パン屋さんを始めるとか、そういう生き方だってありだ。旅する治癒師とか、移動式パン屋さんとか、そういう生き方をしたかったらそれでもいい。
出会った時こそ十代前半だったが、前三人はぼちぼち二十代前後といった年齢になっている。身体も十分成熟して大人になった。
おそらくこの一件の貢献点により、三人は試験さえパスできれば三級まで階級を上げられるだろう。世間一般の基準では、十二分に一人前認定されるのが三級という立場だ。
階級詐欺でもない。多少経験に偏りがあるのが不安要素ではあるが──それは私も人のこと言えないし──、十分な戦闘能力と、慎重に依頼と向かい合う堅実な姿勢とを持ち併せている。
剣士三人、盾二枚。治癒に索敵魔法を備え、前衛は身体強化の二種掛けによって地力が高く、多少の魔法は得物で切り崩せる、攻防のバランスの良いパーティだ。
アリシアが加わることで上空から風魔法の援護が見込めるようになったのもまさに追い風。強いて難癖をつけるのであれば、霊体対策が皆無な点が残念ではあるけれども。
三人は体力もついた。アリシアはまだ途上にあるが、数年戦い抜いた確かなガッツがある。今なら以前までとは違い、年長組におんぶにだっこで、ただくっついているだけ、といったことにもならない。
だが、彼らは自分達の道を歩むことを決めた。これが一番の成長かもしれない。
ハイエルフ特有の世界を見て回る使命──そんなもん糞食らえだと思うけど──を胸に秘めたアリシアと、あちこち旅して回るのだ、と。
短くとも三年、もしかしたら七年程は迷宮に入れない──なんてことになるかもしれないし、その間私はギルドで依頼を受けることもしない。
フロンも頭の中が既にビリビリモードで、腰を据えての研究三昧な日々というプランには大層乗り気でいる。私とフロンがジッとしていれば、リューンも大人しくしているはず。
リリウムは謎だが……新天地が冒険者向けの土地とは限らないわけで。こんな私達に付き合って貴重な二十代の時間を無駄にするのは愚かしい。
しっかりと話し合い、四人で決めたことだ。ちょっかいをかけて決意を鈍らせるのもどうかと思うので、了解の意を返すのみであまり深くは突っ込んでいない。自然と距離を置くようになった。
「そういえば今更だけど、リリウムは良かったの?」
「……? 何がでしょう」
護衛としてすぐ横を歩いているお嬢が顔を向ける。コテンと小首を傾げる仕草がですね、また可愛いんですよこの使徒は。この可愛さは『樽』と比肩する。いや、流石に『樽』には劣るか──。
「これからしばらくお勉強と内職の日々だけど。退屈しない?」
「えぇ、この辺りでわたくしも小休止いたしますわ。これでも二十五年近く戦い続けてきたのですから」
「あー……そうねぇ」
出会った時は十四、五歳だとか言っていたはず。そこから数年ルナで一緒に居て、一緒にパイトで死んだ。そこから二十年一人で生きてきて、また数年一緒にいる。──そして今後も永劫に近い年月の付き合いになるはずだ。
四半世紀頑張ったのだから、数年ゆっくりしたって誰も怒らないだろう。というか私が許す、ブラック労働を他人に課してはいけない。
私は会社の経営をしたらいけないタイプだと自己分析の結果が出ている。指揮を執ったりなんてのも苦手だし、今後は──。
(一度やり直すかね、冒険者)
いい機会かもしれない。神力を自制し、メロンパンを武器としても使わず、もう一度冒険者をやり直してみるのもありなんじゃなかろうか。
後衛とかも面白いかもしれない。弓とか放出魔法を使ったり、光の属性を得た今なら治癒術式もそれなりにいけるはず。
どこにでもいる普通の冒険者として普通に剣を振るってもいいし……まぁ、そういうのもありだ。どうせこき使われるのだからギルド証は封印して、平時はただの旅人として振る舞ってもいい。身分を偽るなら行商人とかでもいいが、それはまたいつかだな。
「それに、魔力を育てねば術式が入りません。サクラの一張羅もボロボロになってしまいましたし、ゆっくり修行と裁縫に明け暮れるというのもいいでしょう」
器は女神印とあってそれなりに広いし成長も著しいらしいのだが、リリウムは格の成長が私以上に緩やかだ。これだけ毎日使いっぱなしにしていて、未だに第三の身体強化が実装できていないのだそうな。
本格的に魔力を使うようになってまだ数年。これからの成長に乞うご期待といったところ。
「そうだね、ゆっくりしようか」
「はい」
ゆっくり考えればいい。模索する時間はたくさんある。立ち回りにさえ気を使えば、私達はそれなりに自由でいられる。
少しずつ魔力と神力を蓄え、いざとなったらガルデを滅ぼせるところまでメルヘンパワーを回復させながらも適度に自浄をかけ続け続け、牛と灰色の消化に全力を注ぐ。
家に帰るまでが遠足ともいう。無駄口を叩かずに街道を歩きながら、最近は自分と会話している時間が一番長い。
しっかり使ったか? 寝て起きたら魔力は溢れていないか? 同じく神力は無駄にならないか? 汚染の程度は許容できるのか? あの娘達のことはこれでよかったのか? もっとやりようがあったのではないか? なんてことを。
(よかったんじゃないかなぁ……出会った人を、仲良くなった人を、誰これ構わず引き込んでいたら大変なことになるし……)
一人が二人になって、三人にはならず、四人になった。五人にも、七人にも、八人にもならない。
大昔、ソフィアを連れて行く選択肢は確かにあったが、私はそうしなかった。どうしても引いておかないといけない一線があり、その境界は未だに薄れることなく敷かれている。
女神様の干渉がなかったら、私はフロンに事情を打ち明けていただろうか。人恋しくならなかったら、リューンにぶっちゃけていただろうか。
普通にガルデで再会できていたら、リューンには漏らさなかったかもしれない。フロンが私と出会う前のフロンのままであったなら……きっと黙ったまま、ソフィア達と同じように、いつか別れていただろう。
そんな彼女達にも心を許しきっていない。隠していることはたくさんある。
髪色の似た妹のような姉のような、この使徒が最も近くにいるというのも……不思議な縁だ。
(話してしまっても別にいいんだろうけど……なんでだろうね)
女神様の別荘跡地のことも、水白金のことも。神格者であり、割りと人ではなく、地元がこの星ですらないことも。打ち明けたら打ち明けたで何も変わらなかったり、未来の使徒候補が増えたり増えなかったり、きっとする。
色々と仕込みもした。一時は確かにそのつもりでいたはずなんだけど──。
ソフィアはちょろい、絶対に二つ返事だ。ペトラちゃんは自分をしっかり持っているが、腹を割って話せばそういった未来もあったかもしれない。ミッター君は真面目だし、たぶん打ち明けた時点で自分を犠牲にしてくれる。アリシアは……分かんないけど、あれはいい子だ。
使徒化のメカニズムを解明して、定命から解き放ってしまえば事態は大きく進行しただろう。一人の時間を減らして、もっと寄り添って仲良くして、しっかり話して。そういうのでもよかったはずなのに。
「はぁ……自分が分かんなくなるよ……」
「そうですか」
「うん」
結局怖いだけなんだろう。決定のスイッチに手をかけておきながら、遊びの部分で引き返してしまった。
「よいのではありませんか? 今は分からずとも、そのうち氷解するかもしれません」
こんな私だ。愛想を尽かされ、いつか四人が二人になることもあるかもしれない。ただ一人にだけはならないだろう。そんな予感がしている。
現金なもので、それだけで私は救われる。このお嬢は大切にしなければならない。
「相変わらず胸デカいよね。また育ったんじゃない?」
ポロッと漏れた一言によって周囲からの視線が集まってしまったが、わざとじゃない、不可抗力だ。皆飢えている。目の保養くらいは許してやって欲しい。
二人して肌色部分が多目なのだ。スポーツウェアをそんな目で見ないで欲しいのだが、その程度の理解はある。
「……後でお話がありますからね」
受けて立とう。