第三百四十話
──拠点に戻ってくる人影が増えるにつれ、私は借り受けているお部屋に篭もる時間が増えるようになった。
当たり前なので仕方なく、ある意味自業自得と言えなくもない。メチャクチャに恐れられている。
食堂に顔を出せば周りに人が寄り付かずにお外に待機列が並ぶことになり、列に並べば前後から人が消える。その辺を散歩していればサッと天幕の影に逃げ込まれる。
気の早い連中などは、もう用はないとばかりに出張ギルドから功績証明を受け取ってガルデに急ぎ戻ってしまう始末。……これはあまり私は関係ないかもしれないな。
とにかく腫れ物扱い、藪を突くのはアホのすること、目を合わせたら殺される……なんて環境に置かれてしまえば、気を使って引っ込んでいよう、ともなる。
リューンが帰ってきたのはちょうどこの頃。街道拠点での滞在を始めて二十日ほど経った辺りだろう。
「……はぁぁぁ……」
テーブルに向かっているフロンと一緒にベッドで本を読みながら穏やかな時間を過ごしていたが、それもここまで。
自室の扉が勢いよく開扉され、エルフが現れた。
久しぶりにきちんと顔を見た、エルフの姿がそこにある。
湯上がりというか水浴び直後といった体の、心なし艷やかな私服エルフ。相変わらず美人だ。
その私服の大半は私の《次元箱》に置きっぱなしになっていたので、やりくりに苦労していたかもしれない。心なしよれている。脱力しきった雰囲気とよく合っている。
「おかえり。怪我はない?」
一も二もなく飛んで行って抱きついてやれば喜ぶかもしれないが、そうはしない。
興味ないです……といった体で本からチラッと一目だけ向けて、また視線を戻す。いじわるをする。
「……いつこっち来たの」
「二十日くらい前」
ズンズンという擬音がピッタリな大股歩きで寄ってきても平静声、変わらぬ手つきで頁をめくるのみ。内容なんてもうちっとも頭に入ってこない。楽しい。
「だったらっ……こんなところで油売ってないでっ! 会いにっ! 来てよぉぉっ!!」
予想通り飛び込んできたので、本はそのまま《箱》に突っ込んで受け止める。開けっ放しの扉の近くに人がいないのは確認済みだ。
「ちょっと空けたくらいで大げさなんだよ、リューンは」
「何がちょっとよふざけないでよ! 私がどれだけ心配したと思ってんの!?」
「無事だって手紙は出してたじゃない。届いてないの?」
「届いてたけどそうじゃなくって! ああぁぁぁぁもぉぉぉぉおお……」
「私も会いたいの我慢してたんだからお相子でしょ。これでも結構忙しかったんだよ」
「ぐうぅぅ……」
「お腹すいたの?」
「ちっがぁぁあうっ! そういうとこだよ! そういうとこだよ!? いっつもいっつも私のこと放って一人で遊びに行くんだから! 怒るよ!? 改善してっ! 是正して!」
コアラみたいに正面から羽交い絞めにしながらキャンキャン食って掛かられても全然怖くない。
コアラって鳴くんだろうか。コアラというよりは猿っぽいね。
しかし、仕方がないんだけど……臭いな。水洗いして生乾きのまま放っておいたエルフの臭いがする。雑巾ほど酷くはないけれども、この雨季を感じさせる香りが私達の原風景に近いというのが──なんとも言えない。
「臭い」
「くさくないっ! それ言ったらサクラだって臭いじゃん! 今までどこで何してたのよ!?」
一緒にしないで欲しい。私のスメルは土の香りだ。母なる山の命の香りだ。生物はいなくなっちゃったけれども。
今日もリューンちゃんは元気だね。密談用結界石も在庫が厳しいので無駄遣いは避けたい。騒ぐなら静かに騒いで欲しい。
「くさぁーい……でも好き」
コアラを正面に抱えたまま自分から押し倒され、そのまま横にコテンとして、イチャつく。チーズみたいだ、匂いも味も癖になる。
「……そういうとこだよ、ほんとにもぉぉ……」
余計なこと言ったらうるさくなるので、言わないでおくのが吉だ。
おそらく涙も枯れ果てていたのだろう、リューンは泣かなかった。
場所を弁えずに脱ぎ出したのを制止した時には半泣きになっていたが、せっかくなのでもうしばらく我慢していてほしい。
「今ここで夕飯までに適当にチャチャッと済ませるのと……全部終わらせて、ゆっくりお風呂に入って、美味しいもの食べて、いい宿で何の気兼ねもなく朝までゆっくりしっぽりするのと……どっちがいい?」
無論朝までで済むはずがない。連荘する。ラス半コールはお早めに。
こちとらマジモンの禁欲二年目──いや、三年以上……? ──だ。山を駆け回って仕事に明け暮れることで紛らわせてはいたが、正直すっごく溜まっている。
抑圧されてギュウギュウに圧縮されたこの愛の塊に穴を開けて、つまみ食いでお腹を膨らませようだなんて言うんだ、この駄エルフは。
とんでもない。不完全燃焼もいいところだ。我慢するから気持ちいいのに、お通しのキャベツでお腹を膨らませようだなんて、そうはさせない。
……というか、まだ仕事は終わっていない。エロエルフは時と場を弁えて欲しい。もうしばらく一人で悶々としていてくれたまへ。
「もう済んだか? リューン、真面目な話をする。切り替えて聞け」
フロンはずっといた。彼女は一線を越えなければこの辺に寛容なのでまるで気にせず、ずっと机に向かって楽しそうに難しい顔をしていた。
エルフにも性欲はある。この美人さんもきっと一人で──いや、それはいい。
四六時中ずっと一緒にいると結構ムラムラしてくるんだけど、私はよく流されずに耐えたものだと思う。これも修練だね。最近ずっと一人だったから人恋しくてもうフロン柔らかいし美人で寝顔も可愛いもんだからもうしんぼうたまら──。
「……何よ、真面目な話って」
「大事なことだ。姉さん、防音を頼む」
「はいはいっと」
数に余裕のなくなった魔石達と、今後の魔石事情についてのお話がある。
あとついでに、私のパフォーマンスがボロクソになっていること。それに伴う行動制限。乙女以上にガルデが臭い。エトセトラエトセトラ。
「──本当に?」
「本当だ。姉さんは休暇を希望している。短くて三年、それ以上になるかもしれん」
話は全部フロンがしてくれるので、私は一人でベッドに転がって目を瞑っていられる。こうしているのが一番身体に優しい。
「……そんなに酷いの?」
「中身がね。怪我とか病気とかそういうのじゃないけど、無理がたたった……っていうのが一番近いかも」
たたってこうなったというか、進行形でたたっているのだけれども。
「だ、だだっだっ、大丈夫、なの……?」
「だから私も臭いままなんだよ。それくらい余裕ないの」
ここしばらく、私の魔力は完全回復していない。枯渇寸前まで自浄を働かし、神力とスイッチして、牛のエキスを消化しながら魔力の回復を待ち、神力がキツくなったら魔力と交代する。ずっとこのローテーション。
サボると自前の神力の汚染が激しくなる。取り返しがつかなくなったら色々と終わる。
そしてガルデに向かう前にある程度溜め込んでおかないといけないわけで──管理が大変だ。数値化できないだろうか。
「魔力の身体強化も長いこと使ってないし、魔石の変形くらいはなんてことないけど……水を出すのは正直厳しい。鑑定も自分へのご褒美にたまに使って遊ぶくらい。ここまで切り詰めた上で、少なくともあと三年くらいはかかる」
まだ半分も終わっていない。神力の合一化に最短で三年、それが安定するまでにもう一年くらいはかかるかもしれない。下手したら七年以上迷宮に入れないことになるわけで、その後のリハビリを思うと頭が痛くなる。
サボって《浄化》ができなくなったら要する時間は倍では効かない。間に合わずに侵食されきったら終わりだ。
「聞いたな? 細かいことはリリウムが戻ってから詰めるが……少なくとも姉さんの魔石はしばらく当てにできなくなる。その間は基礎研究に当てるべきだろう」
それをどこでやるかが争点となる。私はこの大陸の北部以外なら割とどこでもいい。お任せする。
「私はサクラと居られれば場所は別にどこでもいいなぁ。迷宮都市は避けたいの?」
「別にルナでもいいよ。私は迷宮には入らないけど、庭で身体は動かせるし市場もあるし、退屈はしない。ただお風呂用の魔石は外部から持ち込まないと」
迷宮ならすぐだが、猪を探して回ると途端に面倒になる。
「だが、ルナからの依頼はほぼ迷宮絡みだぞ。避け続けるのは難しいだろう。帰還報告をせずに潜むというのなら話は別だが、あまり褒められた行いではない」
それは正しい。そもそもこの一件はルナから持ち込まれた案件であるわけで、戻った以上は手紙ではなく、直に出向いて報告しなければならない。
そこまでやっておいて、もう面倒事が舞い込んでくることはない……なんて希望的観測でいるのはアホの所業だ。次から次へと矢継ぎ早に持ち込まれるに決まってる。
ちょっと外の狼倒してきて、くらいならまだしも、迷宮でゴブリン狩ってこいレベルの依頼まで断る必要がある。
それが少なくとも四年くらいは続く。怪我もなく病気もなく、治癒師にかかることもなく引き篭もってる一級冒険者。怪しいなんてもんじゃない。
(いや、一級冒険者が引き篭もってるのは別に怪しくはないか……でもルナに居るのは不自然だよね……)
市場は魅力的だが、ルナはあかんかもしれない。
「──つまり、サクラのことが知られておらず、学習に専念するに不足のない都市で、わたくし達も暇をしない。そんな土地であればよろしいのでしょう?」
リリウムが戻ってきたのはそれから更にしばらくした後のこと。これは依頼の終了を意味する。
冒険者達は酒盛りを続けていたり、撤収作業にてんてこまいだったりするが、我々は関せずお部屋で作戦会議中。
最後にお神輿をやろうかとも思っていたが、私がいたらぶち壊しになる可能性もある。部屋で一人大人しくしていた。
在庫を豪快にかっ食らったらしいリリウムはリューン以上にズタボロで、抜身の剣を逆手に持ったまま現れた姿はお嬢には見えなかったのだが、表情だけは晴れ晴れとしていてとても可憐だ。
髪も伸びていて、肩を撫でるウェーブのかかったセミロング姿がよく似合っている。短いのもドリルも可愛くていいのだが、これはこれでありだ。臭くなければ最強なのに。
「そうだな、在野で火石を工面できれば文句の付け所がない」
「ふぅむ……大きな都市ですと、サクラは密入出国を繰り返さなければなりませんわね」
「そうだねぇ」
私達の片付けは一瞬で済む。人目がなければ全部《次元箱》に突っ込んでしまえばそれで済んでしまう。メルヘン押入れは無敵だね。
「エイフィスはいかがです? ここからも近いですし」
「断固拒否するよっ! 分かってて言ってんでしょ!?」
「あそこなら確かに、私の友人ということで通しておけばそれなりに自由は効く。だが迷宮産出の魔導具も多い、安全とは言い難いな」
これは既に一度やった。ポットに残ったお湯の残りを片付け、最後のお茶を楽しむ。
「あぁ、鑑定もできないのでしたか。わたくしが常に側に侍っておけば問題はありませんが」
「リリウム、喧嘩なら後で買うから今は止そう。あんまり時間ないんだよ」
「あら、それは失礼。大人になりましたわね、リューンさん?」
「こいつ……覚えてなさいよ……」
やたらとリリウムが上機嫌だ。お酒が美味しかっただけ……という線も、なきにしもあらず。
「貢献点を切るのであれば選択肢も増えるのですが……四、五年ともなると惜しく感じられてしまいますわね」
「退屈は敵だからねぇ。私は大きな国の近場の町で別行動していてもいいけど」
ルナは無理だが、パイトに滞在するならバイアルだとか、ガルデならその辺の町とか、そういう手もある。
というか町である必要すらない。《次元箱》の環境を整えさえすれば普通に住める。山とか森でもいい。
「それは止しましょう。せっかくゆっくりできるのですし」
「なら貢献点とか言わなくていいじゃない!」
「ふふっ、許してください。久しぶりに会えたのですもの、わたくしもサクラと遊びたいのです」
可愛いことを言ってくれる。これはあれだな、多少無理してでも全身エステは施さなければなるまいな。というか一人でいるならともかく、この状況下ではいい加減私の我慢の限界が近い。臭い。ムダ毛を処理したい。
「後にしろ。この環境で打ち合わせができるのはこれが最後だ。時間が惜しい」
防音にリソースを割く余裕がない。とても悲しい。
今のところ、私が訪れたことのある土地は全て避ける方向で話が進んでいる。
ヴァーリルやルナは家の心配をしなくてよく、本来であればテーマパークに近いのだが、魔石と迷宮の問題でノーグッド。何よりガルデに拠点の存在を知られている。
南大陸はどこもかしこも瘴気が濃すぎて、私が思いっきり悪影響を受けるのでノーグッド。
ガルデに残るのもダメ。アルシュはギースがいるし、うっかり鉢合わせして仕事を頼まれたら私はきっと断れない。
エイフィスはリューンがひたすらに嫌がる。そもそもこの魔導都市に滞在することを選ばないのであれば、北大陸に残ることは避けるべきだろう。
ほとぼりが冷めるまで……数百年は訪れない方向で、何とかならないものだろうか。
「東大陸への渡航を戒めている以上、あとはもう西しかないではありませんか。それでしたら、ターナケヒトなどはいかがです?」
「どこよそれ」
意外なことに、物知りリューンちゃんが知らなかった。歩く世界地図だと思っていたのに。勝った!
「西大陸のやや南にある、山に囲まれた都市だよ。迷宮は知らないけど、魔物は結構多かったかな。魔導具の研究も盛ん」
「知っていたか」
「本を買いに出向いたことがあるんだ。それに話は聞いていたから」
ヴァーリルで下地となる剣や鎧を作って、ターナケヒトでそれっぽいマジックアイテムに加工して、港町から輸出する、なんてことを産業の一環としてやっていたりもするのだとか。それ専業の工房もヴァーリルにはある。
距離的にもそれほど内陸には入らない。外来品も割りと流通している。
「本を買いに……? いつ行ったの、そんな暇なかったでしょ」
「南行きの船を待ってるときだよ」
「あぁ、なるほど……一人で行ってたんだ?」
はい! ジト目頂きました。ありがとうございます!
「そうだよ」
「……もうっ!」
リューンと町に出ると長いんだもん。あの頃に服を増やしまくって、どうやって隠しきれって言うんだ。