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第三百三十二話

 

 この世界の多くの人々にとって、時計とは己の中に飼っている体内時計のことを指す。

 お日様の表情から、星々のご機嫌から、あるいはお腹の空き具合から、現在が一日のどの辺りであるかをなんとなく体感で察する。これが一般人の常識であり、同時にこれを磨くことは方位の見極めと同レベルの必須スキルと言えよう。

 だからまぁ、こういうときは困る。立地の異なる四つの地点でおおよそ朝日が見え始めた頃から封印を同時に解除し始め、その儀式をしばらくの間続けなくてはならない──なんてことは、かなり難易度の高いミッションだ。それでも大陸全土に散る必要がなかっただけ、まだマシだと言える。

 いっそ同じ規格の砂時計を預けてくればよかったと思わないでもない。そうしておけば唐突に謎の光が輝き、心の準備もそこそこに突如として邪神が目の前に顕現するなんて事態は避けらる。

 まぁ、もう言っても詮無きことだ。私は牛を倒さなければならない。


 時間を当日未明の頃まで遡れば、現場は大層ごたついていた。

 山一つ越えれば、すぐそこは牛が封印されている──と、されている──お山の中腹。程よく開けた観戦席にて騎士と冒険者が仲良く食事の準備に奔走し、我関せずと駄エルフは惰眠を貪る。

 それを引き剥がし、洗面と着替えを済ませて荒廃しきったテント外に姿を現せば、気づいた誰それからの激励の言葉がひっきりなしに飛んでくる。

 頑張ってください。応援しています。ご武運を。手合をするぞ!

(言われるまでもない。……手合はしない。あのデカいのもすっかり元気になったね。慣れたんだろうか)

 巨人種は瘴気に弱い者が多い。種族特有のものとされており、昔は人一倍瘴気に弱かったリリウムは、自身の血筋のどこかに彼らの血が混ざっていたのでは──なんてことを推察していた。

 ポンコツを極めていたので山の麓にでも捨ててくれば良かったと本気で考えていたのだが、何とか気合でついてきたこの大男は、(ひと)種が普通に活動できる程度の環境であれば、軽口を叩ける程度にはなったらしい。

 慣れたというよりは、ある程度掃除をした上で、かつ私が近くにいるからだろう。


 身体は(ほぐ)した。装備の手入れは済んでいる。

 二代目『黒いの』は右手に、十手を定位置である左腰に下げ、左手中指の付け根に《防具》をはめる。

 服装は寒々しい風景や気候からすれば違和感バリバリのいつもの白大根製の半袖ワンピース。靴はこれまたいつもの白サンダル。

 首元には真銀製の術式隠蔽タグと、今回は念を入れて浄化緑石を用いたペンダント型の空調魔導具を珍しく一緒に下げている。

 あとは特にない。水袋に自前のお水を詰め込んで、いつものように黒地に灰色の糸で惰眠を貪っている猫の刺繍が施された魔法袋を背負っているくらいか。

 これも邪魔なので置いて行きたいのだが、咄嗟に何が必要になるかも分からない。偽装のためにもそれは叶わず。

(……小さめの偽装用魔法袋も作っておくべきかもしれないね)

 腰のベルトに下げられるような、ちんまりとしたやつを。いっそベルトその物が魔法袋でも面白いかもしれない。

 和装の際には袖に仕込めるようにと目論んでいたのだが──まぁ、これは後でいい。

 なのでまぁ、結局いつもと大して変わらない。これもまた日常の延長線っぽくて大変よろしい。


 注意事項も既に伝えてある。

 私がしくじったら色気を出さずに一目散に南に向かって逃げること。再戦の意があれば可能な限りの一級冒険者をかき集めて、改めて討伐に臨んで欲しいと考えていること。

 そして何より──討伐後に戻ってこなかったとしても、探索に出たり合流を目論んだりしないこと──だ。これは特に厳命してある。

 よもや邪神が魔食獣より弱いなんてことはあるまい。たらふく瘴気を食らった存在であれば、当然殺すことで糧を生む。そしてそれの咀嚼(そしゃく)にそれなりの時間がかかるであろうことを想定しておかなくてはならない。

 南に居た頃とは違って魔力による自浄術式が実装されていて、それもここしばらく使いっぱなしにしていたことでそれなりに深く濃く魂に刻まれている。《浄化》もある。

 だからといって、お腹はすぐには落ち着かない。満腹状態で他人の相手をするのは酷く億劫だし、その糧が今回ばかりは他の何かに悪影響を及ぼさないとも限らない。

 糧の回収にもそれなりの時間がかかる。早く合流しなければ! と適当に仕事を済ませて回収し損ねた邪神の神力がうっかり残留してしまい、それを受け継いだその辺の野良ゴブリンが第二の邪神になる……なんて結末はノーセンキューだ。

 一片も残さずに全て回収しなければならない。そしてその時、私が正気である保証なんて全然ちっともまったくない。

 私が第二の邪神になるなんて結末も当然ノーセンキューだ。その時はどこぞへと逃げるので、しばらく放っておいて欲しい。必ず帰ってきてみせる。

 この辺りの事情は大いにぼかして、討伐の成否を判断するのに時間がかかるかも、みたいなふんわりとした説明にとどめてある。


 ──さて、前置きはここまでだ。私は牛を倒さなければならない。

 一瞬で天気が様変わりしたことを自覚したのも束の間、突如として目の前に出てこられると流石にビビる。距離感は大事にして欲しい。

 数瞬前まで雑談をしていた仲間や歴戦の冒険者、それに騎士達も息を呑んで凍りついてしまった。牛の封印地はもう一つ先の山という話だったので。

 召喚か、あるいは魔法袋のように空間を歪めていたり、次元箱のような別空間に隔離してあったのか。とりあえず誰それの不手際や封印の機能について思いを巡らせるのは後だ。デカい。

 魔食獣がおおよそ体長二、三十メートルほどの四つ足の獣で、先日討伐した不死龍が体高四十メートルほどの羽根つきトカゲ、邪神はそれぞれ百メートルはありそうな巨大な角の生えた牛だ。

 体毛は金。足が四本。殺意の高い丸まった巨大な角がバイソンのように目と耳の間から二本ずつ生え、黒い瘴気のオーラと共に、ビリビリとした電気のようなものを絶えず垂れ流している巨大な雄牛。それが空を飛んでいる。

 雄牛であると分かるのは、雄牛の雄牛が視線の高さで雄々しくそそり勃っているからだ。はしたない話だが、ちょっとしたビルくらいのサイズ感をしているので自然と目を引かれてしまう。使われたことあるんだろうか。

 ……ま、まぁ、とりあえず戦場を移そう。ここで戦うと大惨事だし、長々と見ていたいものでもない。


 とりあえずこの瞬間、『黒いの』のお留守番が決定した。この体躯を前にしては、刃長の一メートルなぞ体毛を刈るくらいにしか使えない。目玉くらいは穿てるだろうが、今は邪魔だ。

 山のような──なんてのは、絵画的な事情によるただの比喩であって、壁画のあれこれなんて誇張の産物に過ぎないと思っていたのだが……。いるもんだね、本当に。

 リリウムが居そうな辺りに『黒いの』を放り、全力の身体強化を施した上で思いっきり飛び上がって牛の顎に思いっきり左アッパーを食らわせ、間髪入れずに右ストレートを顔面に叩き込んで弾き飛ばす。ゴングは鳴っていないが、虚を突くのは戦いの基本だ、きっと。

「アッパーっていうか……体ごとぶつかっていったようにしか見えないよね、これ」

 毛に遮られて見えなかった可能性もある。パンのヒーローの突進パンチみたいな、やっていることはそれに近い。


 ビリビリと何かを撒き散らしながら吹き飛び、山を大いに抉り揺らすことで静止した牛の元へと向かって空を駆ける。いつだって状況は目まぐるしい。

(とりあえずデカい。この大きさはちょっと想定外だった。どうすっかな……このまま殴ってれば死ぬだろうか)

 殴ってから考える。殴りながら考える。寝起きだろうが知ったことではない、何やらウモウモと泣き言を垂れている牛の顔面を執拗(しつよう)に引っ叩いていく。頬だろうが角だろうが顎だろうがお構いなし。近いところを殴る。当たるところを殴る。

 剣にもいわゆるナックルガードという機能を設けることがある。指を切られないように鍔を大きく拡張させ、可動範囲や重量と引き換えにそれなりの防御力を得る。

 強固に作れば剣の間合いの更に内側に入られた際に、これでぶん殴ることが可能だ。剣の柄頭や槍の石突も似たようなものだが、この距離でも戦うことができるかどうかということを、武具を作る上で意識の外に置いておくのは難しい。ただの飾りではないのだ、これらは。

 そして今、私の手にはこれがある。指輪モードから拳を覆うサイズに拡大された《防具》を用いてのメロンパンパンチ。

 ここ最近ずっと特訓していたので、一度は叩き込んでみようと決めていた。ファーストインパクトがこれになるとは思っていなかったが、通用したようで何より。とても嬉しい。

(そもそも正拳突きって、これのことだもんね)

 十手術に応用し、日々の修練によって今では全ての打撃に適応させることが可能となった私の『正拳突き』。

 本来は素手の技だ。足腰の力を、踏み込みの力を、回転の力を、全てを拳に乗せ、えぐり込むようにして打つべし打つべし!

 初めは少し手こずったが、今では左右の指のどこにでも、狙った位置に《引き寄せ》ることが可能となっている。それによっていちいち付け外しをしなくても、右に左にビシバシと。……あー楽しい。

(いやこれ、本当に楽しいぞ……。やっぱり神様仕様のマジモンの神器は半端じゃない、ねっ!)

 一般的な魔導具に近い神器とは異なり、私の《防具》は神力の使用が前提となった機能が盛りだくさんとなっている。

 その一端をお見せしよう。


 まずは何をおいても『伝導支配』だ。

 この伝導とは、ようは伝わる力のこと。十手で固いゴーレムをぶん殴っても指や手のひらに一切ダメージを残さなかったり、気力が通って棒先から近当てすることが可能だったり、魔力や神力が通ったりしていたのも、全て十手の『高』伝導のおかげだ。

 十手は何を通すか、逆に通さないか、という点が(あらかじ)め仕様として定められていたようだが、伝導『支配』ともなると話が大きく変わってくる。

 私の気力は通す。牛の電気っぽいビリビリは通さない。私の神力は通す。牛の瘴気は通さない。諸々の力と共に、私の正拳突きはロスなく通す。牛からの反作用は一切通さない。

 やりたい放題だ。今の私ならどれだけ巨大な星の衝突を受けたところで、震度一の揺れすら感じないだろう。

 もちろん支配なので、逆に感じるように設定することもできる。やりたい放題だ。楽しくてならない。

 そして何より、これはどれだけ使い倒そうと一切神力を消費しない。楽しくてならない。燃費が良いって最高だよね。


 次に重要なのが『加護』か。

 これが何かと言えばつまるところ、《防具》の曲面で防がなくとも、私に及ぼされる影響はある程度自動で選別して防いでくれる、という代物。

 ぐっすり眠っているところに暗殺者が襲ってきても、悪意が世界を滅ぼす級の暴威でもない限り、一撃でこの生命を刈り取ることは無理めな話となる。

 リューンの可愛いいたずらは素通しにするが、口と共に鼻を塞ごうとしようものなら即座に加護によって不埒者を弾き飛ばして守ってくれる──といった分別がある。まだ試してはいないが、たぶん毒も弾く。束縛魔法は余裕で弾いてくれたので、きっと封印もいける。

 ハイエルフの身体強化術式の超すごい版とも言える。膂力に影響はしないが、その防御力の凄まじさは、見開きすぎて目玉が落ちそうになるレベル。

 普段はこの身体強化の下に加護を設定しているので、激しい気流でゴリゴリ神力が減るといった愚を犯すことにはならない。もうやらない。

 ただ絶対無敵の究極防御壁というわけでもなく、待機状態なら無消費なのだが、加護によって守られると相応に神力を消費する。

 真剣白刃取りが成功すれば無消費。防具や身体強化で刃を受けられれば、これまた無消費。それらを貫いた上で、加護に届いてようやく、だ。

 深く寝静まったところに巨大な星が降ってきたら、おそらく一瞬で神力が枯渇して、蒸発しながら状況を認識して、死ぬ。シェルターにしておけば耐えられるかもしれないが、私の心が先に音を上げそうだ。

 まだまだ不死には程遠いが、安眠はこの手に戻ってきた。


 そして『重量支配』。これは基本的には字面のまま。

 私のメロンパンは零グラムにも、五十グラムにも、五十トンにもなる。そしてトンの質量を携えた私の体重は、ほにゃららキログラムから動かない。

 地球で学んだ物理法則とは早めに決別しておけばよかった。ほにゃららプラス五十トンは、ほにゃららのままだ。意味がわからない。

 だがこの状態で、私はほにゃららのまま、プラス五十トンの影響力を世界に与えることを選ぶことができる。地面にめり込める。

 今現在素手のような空気感で振るっている正拳突きには、諸々の力プラス《防具》のとんでもない重量が乗っている。百メートル規模の巨大な牛は吹き飛び、ヨダレを垂れ流し、泣き言を漏らし続けるのだ。

 これもある閾値(いきち)までは無消費に等しいが、一線を越えようとするとそれなりの神力を要求するようになる。軽いトン辺りが常用できる限界だ。

 神力をケチろうとすると足場や靴などに相応のダメージがいくので、扱いには細心の注意が必要になる。最も修練のしがいがある機能がこれだ。


 あまり言うこともない『伸縮支配』や『不壊』については割愛する。

 あとはこの《防具》には軽く神力を蓄えておけるだとか、《結界》の処理をする際に追加の机のように扱えるだとか──色々あるのだが、ここも今は割愛しておく。

 まぁ──今の私は、下手したら素手で戦うのが一番強い。


「素手じゃ……ないけど、ねっ!」

 中指にはめられたメロンパンで顎を打ち上げ、続けざまに思いっきりストレートを叩き込むと、牛は軽々と吹き飛ぶ。

 ジャブなど不要だ。正拳突きの技、トンの重量、近当て、デコピン、そして《浄化》の技法。それらが私の鍛え上げられた膂力により狙い澄ました一点に凄まじい速度で叩き込まれ、牛は何度でも吹き飛ぶ。これも何度でも言う。楽しい。

 殴りながらメロンパンの大きさを自在に変更すれば、伝わる衝撃の方向性もある程度操作することが可能だ。

 やはりストレス解消には身体を動かすのが一番。思いっきり手足を振り回すのは楽しくてならない。

「衝撃が抜けなければもうちょっと簡単に壊せそうなんだけど……これやるとヤバイからなぁ……」

 それなりの時間を検証に当て、現時点でいくつも手は考案してある。ただひたすらにぶん殴っているだけで倒せそうなので下手したら一生日の目を見ることはないかもしれないが、こんな私でも秒で自制を決め、あるいは封印を考えるような技をいくつも生み出した。

 頭から首、胴、そして尻までを通して体外に突き抜ける極めて原始的な物理衝撃。これを体内に留め、反響、あるいは反芻(はんすう)させることができれば──牛だけに──、どれほどの暴威になるだろうか。

「でも破裂したらマズイよねぇ……って、ちょっと! 逃げるな!」

 この牛は空を飛ぶ。足場魔法を使っているわけではないようなのだが、何かこう、ふよふよと飛ぶのだ。殴られすぎて千鳥足になっているだけかもしれないが。

 お肉の処理法に少し思い悩んだ隙を見逃さずに一目散に逃亡を図った牛ではあったが、そんな足腰で逃げ出せるとは思わない方がいい。私は《結界》の女神の後継者だということをお忘れなく。


 進路を不可視の壁で防ぎながら牛の誘導を繰り返し、あっちに殴り飛ばしこっちに吹き飛ばし、仲間や封印の洞窟から大きく距離を取った辺りで、またボコ殴りを開始する。

 大陸中央の山々、その更に中央。厳密に大陸の中心部であるかは不明だが、そのような感じの立地をした、好き放題に暴れても被害がそれほど大きくない地区。これほど離れれば、牛の放電も虚しく山を焼くだけだ。仲間達への人的被害を気にかける必要もなくなる。


「──ぼちぼち死に体にはなってきたか」

 今では《結界》の檻に捕らわれ、虚しい抵抗を続けていた邪神もだいぶ大人しくなってきた。ぶもーぶもーと鳴き叫ぶ声も絶え絶えになってきたことで様子見の時間が増え、打撃の頻度は減りつつある。

 依然として瘴気のオーラはすさまじいし、身体からは放電を続けている。呼吸をしているのかどうかは不明だが、見た目的には息も本当に絶え絶えで、既に抵抗の意思は感じられない。

 意を決して突進してきても、カウンターの左ストレートをお見舞いされれば自分だけが虚しく宙を舞い、何かに叩きつけられて地形を変える羽目になる。私は微動だにせずピンピンしており、次の瞬間には猛烈な勢いで逆に襲いかかってくるわけだ。そして執拗(しつよう)に顔面ばかりを狙って殴られる。

 彼からしてみればやってられないと思う。「はよ殺せや……」ってなる。

「つってもねぇ……一撃で楽にしてあげようと思うと、山が消し飛ぶんだよ」

 下手すると一山二山どころではなく、カーリの一帯がまとめて消し飛ぶ。余波で周辺の村落もまとめて吹き飛び、ヘイムは確実に、下手すればガルデ王都やパイトにまで影響が波及する。責任を追求されて知らん顔するには(いささ)かギャラリーの数が多い。

 牛が封印されていたポイントの四方の洞窟近辺には騎士や封印を解いてくれた魔法師が残っているのだし、多少距離は取ったとはいえ、彼らと共にうちのギャラリーも消し飛ぶことになりかねない。

 目撃者がいなくなるのなら、別に気にしなくても──となる程度には心身共に瘴気による汚染が進んでおり、正気を保ったまま地道に削り殺すにはまだそれなりの時間が必要であろう……と推察できる程度には、牛は息災だ。

 死に体に見えるけれども、やはりそこらの龍や魔獣とはまるで比較にならないレベルで打たれ強い。

 それに──おそらく電気だ。ビリビリバチバチと放電を続けているあの電気がこの上なく鬱陶しい。距離を取ろうが縮めようがお構いなしに撒き散らされるこれが余裕で加護にまで到達することで神力に負担をかけ続けていて、服もところどころ焦げてしまっている。

 お空を見渡せばどんよりとした雲が厚い。時間の感覚が曖昧になって久しいが、とりあえずこのままだと降り始めた雨に打たれてしまうし、それに雷が伴ってくれば負けるまである。いい加減に片をつけた方がいいかもしれない。

 次で仕留めよう。十分に命は削ったはず。『思いっきり』を封印し、繊細に暴威を調整して。


「これも見せずにおきたかったんだけどな……」

 望遠鏡持ちのアリシアなら、あそこからでも確認できるだろうか。眩しいだろうから使ってはいないと思うけれども。

 そもそも龍を捕獲運搬した《檻》からして、秘しておきたい手の一つだった。

 これは元々、いずれパイトの火迷宮やルナの溶岩地帯といった生力育成に向いたちょっとしんどい環境に、嫌がるわんこやリューンを連れて行くための手段の一つとして考案していたものだ。

 革の枷では強度が心許なく、氷山地帯でも金属製ではお肌に深刻なダメージを残す。

 寝込みを襲って白大根製のロープで簀巻きにしていくのも手ではあったが、リューンは解放されるためなら恥も外聞もなく泣き叫ぶと思う。兵士の目には、誰が悪人に映るだろうか。

 仕方がないので、《結界》を緻密に組み上げて構築した神力の檻を運用するための修練に励んだ。

 これなら声が漏れる心配もなく、足場魔法と併用すればローラーコンベアのような運搬すらをも可能とする。走る必要もなく体力を暑さ寒さの厳しい環境まで温存できる。いい手だと思った。

 だがまぁ、もうバレてしまっているのだ。リューンにも、ソフィア達にも、騎士達にだって、私があれを運んできた現場は見られている。

「……今更か」

 今更だ。今更今更。既に一度見せているのだ。うちの子達なら、「サクラさんなら邪神をひっ捕まえて潰すくらい、別におかしくないよね」みたいな感じで、軽く納得してくれるだろう。

 一つバレたのなら、二つ手を増やせばいい。簡単な話だ。


 一度体内の瘴気を綺麗に洗浄し、体調を万全に整えてから事に臨む。

「肉が飛び散るかな……血は流れてなさそうなんだけど、唾液は何か……酸っぽいのが飛び散ってるんだよね」

 おそらく飽和した瘴気だ。黒スライムが飛ばしてくるあれ。

 あまりビシャビシャにしてしまうと後が大変だ。スマートに仕留めよう。

 やることはとても単純だ。

(足の甲と踵と、関節も軒並み固定して──)

 ──押さえて。

(動かないように、狙いが外れないように重ねて《結界》で縛って、周りも囲って、更に重力場で固定して──)

 ──狙いを定めて。

「さて──キッツイだろうけど……頑張れ、私」

 ──押し潰す。ただそれだけ。


 これまでとは違う何かを察知したのか、激しくもがいている牛を見下ろせる位置まで移動し、そこから更に高度を取って静止する。《防具》を天に掲げた上で伸縮で直径百メートルほどまで拡大し、それの質量をこれでもかと増大させる。

 何トンあるのかはまるで重さを実感できないため、自分でもよく分かっていない。ひたすらに神力を注ぎ込み続け、天に星、あるいは巨大な傘を作り出す。程度は例の如く勘頼みだ。やりすぎると洒落では済まなくなる。

 《防具》その物のサイズを上げないと、本当に洒落にならないことになるので注意が必要だ。今まで生きてきて一番焦った瞬間は、この時で間違いない。

「まぁ……運が悪かったと思って諦めてよ」

 邪神か、亜神か、あるいは単に魔物に過ぎないのか。君の正体は不明だけれども、恨むなら君の信奉者を恨むといい。私への苦情は受け付けていない。

 また安らかに眠ってくれ。


 最後に《浄化》と共に、私の星に牛と誘引する強力な重力場を目一杯仕込めば完了だ。磁石みたいな。

 これにより、両者の邂逅(かいこう)は絶対となる。強く強く引かれ合う。

「名付けて、落星(Starfall)

 ……なんてね。


 身体強化を五種掛けし、ありったけの力を込めてそれを全力で投げ落とせば、私のお仕事は終了となる。

 牛の命も。山の歴史も。



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― 新着の感想 ―
[一言] ようやく終わりかな
[良い点] 観客「あれのどこが法術士だ」 [一言] ナックルガード(メリケンサックとは言ってない)w
[一言] 名もなき女神さまも脳筋だったってことですし、こんな感じでボコしてまわってたのかなぁ
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