第三百三十話
ありったけの樽に水を作り置きした後、ついに牛退治に向かう日がやってきた。
空は曇天、空気は冷ややか。だがそこに湿気があまり含まれていないこともあって、雰囲気とは裏腹にとても活動しやすい。まさに日和。
此度の小旅は体力に自信のない封印解除担当の中年男女四名を同伴させねばならないため、我々としてはとても珍しく、荷馬車同伴とすることが最初から決まっていた。
お水に食料、わずかなお酒、馬のご飯に野外で活動するためのあれこれを詰め込み、のほほんとした空気で北を目指す。
大規模な壮行会のような催しはナシだ。あくまでも日常の延長線上で、当たり前のように戦って、当たり前のように倒す。
拠点のお水が心配だからと言って、後から走って合流します! だなんて言えないのが辛いところだが、討伐した後でなら、案外認められるかもしれない。
それは、とてもとても、日常っぽい。なるべくちゃちゃっと退治して、ね。
同行しているメンバーは以下の通り──とはいっても、あまり気にすることもない。ほとんど全員野次馬だ。
まずはうちの仲間達が三人、加えて弟妹分に、アリシアを加えた四人。
冒険者ギルドで顔見世をした際に居合わせた連中も、なんと揃い踏み。『赤剣』のビキニ鎧の女剣士、『地爆』の女魔法師、エルフの男弓師に、私に喧嘩を売ってきた近当て巨人とピカピカ勇者、それにギース。
ギルドで話に入れずにまごまごしていた神官系の女の子は三級になったばかりの結界師らしい。その防御力はうちのわんこ達とは比肩にならないほど高く、私がつきまとっていた赤トゲ大盾の少女と共に追加の護衛として同行を強いられた。押しに弱いのは見た目通り。
強制したのが彼女の相棒であるとのことの、歴戦風味の中年男性冒険者。おそらくこの人はかなり高位の斥候だ、アリシアと仲良くお話している姿をたまに見かけていた。
それと、彼らの仲間達。これは全員というわけではなく、一部は拠点で待機している。
加えて件の封印の担当者達に、護衛の騎士が合わせて三十人ほど。野良の冒険者がほとんど混ざっていないとはいえ、随分な大所帯だ。百を越えてはいないが、それでも十分多い。
これら全てを守れと言われても無理な話なので、私は流れ弾には一切手を出さない旨を最初にしっかり告げ、全員から承諾を受けている。
(──とりあえず、スパイや裏切り者が混ざっていなさそうなのは僥倖だね)
一通り同行しているメンバーを《探査》してみたが、リストアップされた件の初代さんやその末裔、更にその仲間達である邪神崇拝者の団体と繋がりがありそうな名前は出てこなかった。
王都では粛清の真っ最中なはずなので、こんなところでのんびりしてはいないと思うけれども。念のためだ、念のため。
正直、『地爆』さん辺りはかなり怪しいと思っていた。……のだが、この人は聞くところによるとエルフの血はかなり薄い割と普通の人種で、おまけにギルマスの元パーティメンバーだったらしい。
今は魔法学校で臨時教師をしながら兼業で冒険者も続けているとかなんとか、そんな感じの話を耳にした。
思想は不明だが、少なくとも身元はしっかり保証されている。世間的には高位の冒険者であるというだけでも十分なのだが。
邪神崇拝者が全滅したなんてこと、はなから考えていない。浄化瘴石も、霊薬も、キメラゾンビへの変貌薬だって、製法が完全に焚書されたとは思えない。
いずれまた、これらが悪さをしでかす可能性は残っている。だからといって、逃げたお仲間や研究資料などを探して回るなど土台無理な話。
私がまとまった量の魔石を流通させることがなければ、そう酷いことにもならないだろう。
これはもう、病みたいなものだ。根絶が望めず生まれてきてしまった以上は、ウイルスが悪さしないよう、ただ願うしかない。
そもそも軽度な症状であればわざわざ著名な法術師を駆り出さずとも、その辺の法術士で対処自体は十分に可能なわけでして。
ウイルスとは違って薬そのものが勝手に変異することもないわけだし、研究に研究を重ねて危険薬が超劇薬に進化しなければ大事にもならない、それなら瘴気溜まりと脅威の度合いは何ら変わりない。
残業が増えそうにないことはこの上なく幸いなこと。変な仕事を追加で押し付けられる前に、タスクを処理しきって家に帰りたいものだ。
今更一日二日到着が早まったところで、大勢に影響はない。
何より馬に無理をさせるわけにはいかない。それなりにゆったりとしたペースで何度も往復をした中央南の拠点から二日ほど北上し、到着した決戦場跡地から更に北へと三日ほど北上すれば、カーリの山の麓まで辿り着く。
ここいらの道は私が作業するまでもなく、中央に集った人員によって浄化も、魔物除けや照明を配置する行程も全て完了している。今やカーリの東部は、山間部を除けば生き物の姿は絶無に等しい。ペンペン草一本生えていない。
最後の方は割りと死闘に近かったらしいが、私は他所で遊んでいたので仔細は報告でしか聞いていない。ペトラちゃんは終始半泣きだったらしい。
「サクラさん、サクラさん、あの……お願いがあるのですが……」
安全が確保された道をただ北上するだけなので、基本的に暇だ。もちろん気を抜いていい道理はないのだが、全員で超警戒態勢を敷いていても仕方がないので、この辺りは交代制で役割を回している。
この間にも私は馬車の先頭、馬のすぐ隣りでこっそり《防具》の修練に励んでいたのだが、中止を余儀なくされる。
見張りの終了した興味津々元気系わんこ、ペトラちゃんに絡まれた。
「聞くだけは聞いてもいいけど、どうしたの?」
「はいっ! あの、その……サクラさんの棒? と、盾? を、ですね……ちょっと触らせて欲しいなぁ……なんて」
思っていまして……などと、尻すぼみにりながら可愛くお願いされる。
チラチラと上目遣いでこれをされると私は弱い。弱いのだが、普段なら秒で断る。
だが正直、いつかこんな日が来るんじゃないかとは思っていた。とうとう突っついてきたか……というのが本音だ。よくも今まで抑えてくれていたものだね。
「──まず、他人の持ち物に口を出さない、というのは冒険者の鉄則だよ」
「わ、分かっています」
この世界、道具の質の差がとにかく激しい。私は知らなかったのだが、諍いの元にもなるので、他人の懐事情や装備をあれこれ詮索することはギルドでは御法度とされている。
だがまぁお察しの通り、破ったところで特に罰則があるわけでもない。そのせいで酒場や裏路地は日夜大賑わいだ。
「親しき仲にも礼儀あり、とも言うよね」
どの口がほざくんだ──ってね。
「お、仰らんとすることは理解ができます」
命を預け合うパーティ内においてはもちろんその限りではない。だが、私達はやっぱり……仲間とは、ちょっと違う。心情的にはともかく、彼女達はまだ修行期間なわけで。
「……それでも?」
「は、はいっ! その、どうしても気になっていまして……あの……」
少しだけ怖い顔を作ってみたが、まるで通用しなかった。私が甘いことはバレバレにバレている。
無理を言っていることは理解しているが、それでもやっぱりどうしても興味を抑えきれない。そんな感情が透けて見える。誰にだってそう見えると思う。
しどろもどろになって慌てるところがまたまた。またまたまた。本当に可愛いんですよ、この娘は。これはズルいね。
「──しょうがないなぁ」
「いいんですかっ!?」
「触るだけ。剣とぶつけ合うのはダメ。魔物を殺しに行くのもナシ。いい?」
「はいっ! はいっ!」
嬉しそうな顔しちゃってぇ。ポーカーフェイスが破られそうだ、ため息でごまかす。
移動が終了し、業務連絡を済ませて立てたテントに引っ込んでしばらくした頃、年少組が三人で雪崩れ込んできた。
飼い主を引っ張って突撃してきた大型犬が二匹。剣も置かず鎧も脱がずに着の身着のままだが、あまり埃っぽくはないので今だけは許そう。
ソフィアが黙っていられないのは最初から分かりきっていたし、この様子じゃミッター君も興味があったのだろう。ハブにしたら後々聖女ちゃんがグズるのは前例がある。ちょうどよかったということにして話を進めてしまおう。
「──剣の出処と同じ。ここで見たことや知り得たことは、この場を出たら一切口外してはいけない。それが約束できないなら、黙って出て行って」
「はいっ! はいっ!」
「分かってます! えへへ、私もずっと気になってて……嬉しいです!」
女性陣が姦しい。何がそんなに楽しいんだか。
この件もあり、私の寝床はうちのエルフや彼らのテントを壁にするようにして集団の最も外れに設置している。もちろん念には念を入れて防音の結界石も適当にその辺に配置して稼働させる。
適当でいいのはこれでも十分効力があることに加え、この上に《結界》を重ねるからだ。盗撮盗聴は認めない。
ハブにされたうちの年長組とアリシアはエルフテントで大人しくしていることだろう。私が全力を出したら小細工など無意味だ。
「じゃあ……はい、雑に扱わないでね」
こっちのわんこに棒を、あっちのわんこにフリスビーを投げて渡す。君達は雑に扱わないように。
わたわたとキャッチした妹分達を横目にベッドを整え、ついでに布で包んだ『黒いの』入りの樽を魔法袋から──と見せかけて《次元箱》から取り出し、中身を空気に晒す。
お披露目ついでに手入れも済ませてしまおうという算段だ。たまには手ずから磨いてあげた方がいい。
これは魔剣というだけあって、大人しい印象を受けるこの子達の黒剣と違って色々と禍々しい。主に造形、次いで雰囲気が。
とはいっても、最近は全く使ってないので特に汚れてはいない。神域の床に刺さった後はちゃんと掃除をしてある。
「あの、サクラさん……これは?」
「私の剣だよ。今回は流石に使うことになるかもしれないからね」
ベッドに腰掛け、適当に清潔な布で磨いて回る。普通の剣なら刃こぼれを始めとした痛み具合をチェックするのであろうが、一体成型の神器だ、鍔が緩むことも──これにはないけれど──、刃が欠けることもない。
あまり意味のない作業だが、たまにはこういうのもいい。曲刀はただでさえ切れる。指を切らないよう注意しながら丁寧にゴシゴシしていく。
「これも神器──いや、もしかしてこれは……」
興味があるのか、ものすごく近くで食い入るように剣身を見つめている。ベッドに腰掛けた女と距離がとても近いことに気づいていないのは、彼らしくもない。
その辺の冒険者がこの距離にいたらぶん殴っているところだが、まぁ弟分だ。これも可愛いということにしておこう。
「同じだよ、君達の物の原形。ただちょっと切れ味が良すぎてね、封印してるんだ」
「封印、ですか」
「重いし、バランスも悪いし、リューンの剣と同じかそれ以上に切れる。剣術を磨くには適してないからね」
実際はリューンちゃんの愛用ソードよりも遥かによく斬れる。そして不壊だ。何をしたって壊れない。
「なるほど。もしかしてサクラさんは、棒術のみで剣術は……」
「そういうこと。得物の出来が良いから振り回す膂力があれば魔物を殺すに不足はないけれども、それで一端の剣士になった気でいたら危ないからね。棒はともかく剣は私、素人に毛が生えたようなものだから」
これだけの逸品、もうちょっと扱いやすい形にしておけば──なんてことを今更言っても本当に仕方がない。これはたまたま神器になってしまっただけで、ただの思い出の記録だ。もうこのまま、《次元箱》に祠でも作って女神様の十手と共にしまっておこうと考えている。
そんなことよりも、十手の再現をしなくてはいけない。色々考えはしたが、考えれば考えるほどこれ以上のサイズ感はないという思いが強くなっていく。もう少しだけ短くてもいいかもしれないけれども。
とにかく……伝導を再現し、神力と魔力、そして気力もばっちり通るお手製十手を作って不壊化させる。今の私の至上命題だ。
多少重くなったり謎の浮力が消失する分にはもう構わない。剣だの槍だのはどうにも性に合わない。本当にストレスだ。
ギースには悪いが、こればかりは克服できそうもない。
「もう満足した? 遊び道具じゃないんだから、気が済んだら返して」
二代目『黒いの』の手入れを済ませた後、かるーい! だの、すべすべしてるー! だのと騒いでいたわんこ達から相棒ズを回収し、片方を枕元に、片方を指輪大のサイズに伸縮させ、文字通り左手の中指の根本につけておく。
私のメロンパンはボウルのような外見をしているが、その内側には盾のように取っ手が二本ついている。そしてこれも含めて造形をいじって遊ぶことができる。
指輪、腕輪──あるいは腕時計のように。咄嗟に大きくする時のことを考えれば腕時計スタイルが一番なのだが、普段はボウル大にして膝の上か、胸元に抱えているか、最近では指輪モードにしていることが最も多い。邪魔にもならないし、これが一番目立たないから。
それに今磨いている新たな戦闘スタイルには、この位置が最も都合がいい。支配レベルの『伝導』は正直楽しすぎてならない。
だがそんなウッキウキの内面はお首にも出さず、武器で遊ぶなとお姉さんぶって注意をするわけだ。汚い大人だね。
「あ、はい……ごめんなさい、ありがとうございました」
「ありがとうございましたっ! サクラさん、この棒も神器なんですか? 何かすごい効果がついていたりするんですかっ!?」
この対比が面白い。やっぱりペトラちゃんはあれだな、迷宮産に手を出したいんだろうな。
「さぁ……少なくとも不壊とか、そういう分かりやすい効果はついてないよ。魔法杖でもないし、水にはすっごく浮くけど……それくらいだね」
神器であるか否かの明言は避ける。これを狙われたら、邪神崇拝者であろうと、ガルデ王国だろうと、可愛い妹分であろうと、一切容赦をしない。
「えっ、そうなんですか? ずっと神器だと思ってました……」
──うちの聖女ちゃんは鋭い。やっぱり何か縁があるんだろうか。
「これは姉から譲り受けた物なんだけど、来歴や細かい性能については聞けずじまいだったんだよ。その前に別れちゃったから。呪われてはいないし、魔導具でもないみたいだけど」
「お姉さんがいらっしゃるんですか?」
「姉二人に兄と弟がいたよ。もう会えないけどね」
ここでちょっとシリアスな空気を出しておけば、もうこれ以上は突っ込んでこないだろう。少しだけ怒りの感情を混ぜておけばばっちしだ。未だに根に持っている。何度も何度も泉に叩きつけて……全くもぅ。
(しかし姉か……女神様が姉というのは、ちと違う気がするんだよな……でもまぁ、何でもいいか)
お母ちゃんのようで、お姉ちゃんでもある。年の頃では思いっきりお婆ちゃんなんだろうけど、神様だし何でもありだ。
「まぁ、少なくともこっちの正真正銘の神器とは違って、この棒は私の持ってる中で唯一来歴不確かな代物。ちょっと頑丈なだけのただの形見に過ぎないんだよ。武器かどうかも怪しいね」
形見というのもこれまた間違っていない。いくらでもはぐらかせるな、すごいぞ女神様。そしてそれを放り投げる私よ。
しばらくした後、この一連の会話で三人から亡国の姫君認定されてしまったことを知る。
それを聞いた時に言葉を失い、その態度によって思い込みが一層強くなってしまったことについては、正直申し訳なく思っている。
……全然違うのよ。便利なので、訂正する気はないけれども。