第三百二十八話
──話はガルデ王国の建国以前にまで遡る。
どこからかやってきたのか、あるいはそもそも大陸土着の神であったのかは定かではないが、とにかく北大陸には牛がいた。今日では邪神と呼ばれている。
それが初代ガルデ王になる前の王様を含めた一行によって討伐され──てはおらず、倒せなかったので封印を試み、こちらは無事に成功した。
パーティの内訳は定かではないが、きっとよくある勇者と僧侶と魔法使いといった感じだろう。もしかしたら軍団を率いていたのかもしれない。
そこにうちの女神様が直接絡んだのか、単に不壊のオブジェが持ち込まれただけなのか、それが討伐の一助となったのかもこれまた定かではない。記録はしっかり残して欲しいものだ。
この話の肝は、むかしむかしのあるところでは情報統制が徹底され、市井の民草には邪神の存在や封印の事実が明らかにされていなかったことにある。
詩人の歌にも、絵本の御伽話にも、神話の文献にも載っていない。あるところのお偉いさんも、その事実を知っていたものは極小数であったとのこと。
封印の事実が知らされていれば悪用を目論む邪神崇拝者やそういったものを束ねる教団などが産まれるのも至極当然の流れだと思うのだが、この当時はまだ存在しておらず、静かな狂信者がただ一人いただけ。
幾ばくかの時間が流れ、暗殺されることなく当時の大国から遠く離れた僻地に領地を貰った真実を知る当事者初代ガルデさんは、人員を集めて町やら国造りを始める。
大国までも海岸線までも遠く、特産物もない。水の便の悪い荒れ地を押し付けられて追いやられたガルデさんが、その後も真面目にお仕事をしていたことには尊敬の念を禁じ得ない。
いくら当時の大国の庇護やバックアップがあったとはいえ、荒れ地から村、町、都市、そして本格的に国としての体裁を整えるまでを一代で成し遂げたと言うのだから、為政者としての才能はあったのだと思う。周囲には基本的に何もなかったので、その後も領土だけは東へと広がっていく。
だが完璧な人間などいない。彼は落とし穴に気付かなかった。
仲間の一人に預けた領地と言う名の未開地に、野良迷宮があったことも。
仲間の一人がそれを王様に報告せずに秘匿し続けたことも。
仲間の一人が邪神に隠れぞっこんラブだったことも。
仲間の一人がとても優秀で、その復活を目論んでいたことも。
仲間の一人は狂信的だが現実的でもあり、思慮深く、多少長命であったところで一代では難しいと判断した牛さんの復活を後世に託したことも。
一番ヤバイのは、仲間の一人の子孫が初代さんの意志をしっかり受け継いで、陰日向でこの計画をずっと進行させ続けていたことか。信仰って怖いね。
──後になって分かるのだが、カーリ山中の野良迷宮は現在は亡国となってしまった当時の大国がこっそり管理していて、存在を秘匿された秘密の修行場のような扱いをされていたらしい。
ゴブリンがいて、コボルトがいる。オークがいて、グレムリンもいて、イエティにオーガと続いてコカトリス。その後に飛ばないガーゴイルと金属ゴーレムとが並び、終層が死層でゲイザーの群れ。
全十層に割とスタンダードに近い魔物が詰め込まれていて、大目玉を殲滅できる軍事力さえ維持しておけば宝箱も開け放題。食べ物感は薄いが、お気に入りの兵を鍛え上げ、宝物庫を肥やすには打ってつけの環境だ。
やはり強い国と迷宮は切っても切れない関係にあるのだな、ということを強く実感した一件となった──。
閑話休題。とにかく邪神復活は封印直後から目論まれていたが、その仲間の一人は適性の関係で封印術とは縁遠かった上に施された封印が強固であったがために、状況は遅々として進まない。
専有した迷宮で魔導具を集め、裏で大国の力を削ぎ、策を企て滅ぼし、やがて二つの迷宮を手中に収めた後もあれこれ試行錯誤を繰り返したが、言うなれば卵の殻の上から養分を注いで自力で殻を破ってもらう──くらいしか有効な手段を見出だせなかった。
色々試しはしたらしい。人も、魔物も、精霊や亜神にすら手を出したとの定かではない文献も発見されている。人ではコスパが悪すぎたので、最終的には魔物を主食に決めたようだ。
そんな生命力、魔力、瘴気を封印に届く範囲にばら撒き続けて幾星霜。イレギュラーが起こる。
ある技術革新に至った。浄化瘴石の発見。それを利用した、迷宮をバグらせ栄養価の高い魔物の再誕間隔を飛躍的に短縮できる霊薬の発明。それを更に発展させたキメラゾンビ変貌薬の作成にまで成功し、最重要マテリアルである霊石の上、浄化真石が大量に流通に乗った。
しかもそれは目を疑うほどの高品質で、拠点であるガルデから程近いパイトでのことだ! 噂を耳にした子孫さん達は迷宮の専有や表の仕事でひっそりと貯めに貯めた資産を惜しみなく吐き出してウッキウキで魔石を買い集め、薬の増産作業に入り、私もよく知るあそこで実験を行ったりしながら、バージョンツーの本格的な運用に移る。
状況が加速したことに気を良くしてそれを景気良くばら撒き続けた。──これが一過性のものであるとは露知らずに。
ある日、供給が完全に止まる。子孫さんズは焦った。このまま邪神復活まで一直線、継いだ初代の意志をここに完結させることができる! と思った矢先の出来事だ。
普通は売るのだ。売りまくるのだ。普通は供給を絞る必要などない。高品質な浄化品を量産できるなら量産し、売れるなら思いっきり売る。だが止まった。なぜ売らない! しかし現実に供給は完全に止まってしまっている。いつまで経っても再び市場に並ぶ日は訪れない。ほんの数年前の出来事である。
カーリの野良迷宮は想定以上の速度……それこそ一瞬でバグり、キメラ化も理論以上に順調でウハウハ。生命力がよく分からないけどすごく漲り、これまで以上のペースで生命が死にまくることで瘴気も大発生。更にウハウハ。あとは放っておいても邪神は復活する。薬の散布は配下に任せ、お茶でも飲んで待っていればいい……はずだった
この計画が破綻した原因はいくつもある。魔石の質が高すぎたことで霊薬はともかく、危険薬が邪神崇拝者の想定していた以上の仕上がりになってしまったこと。それを既にばら撒きまくり、供給停止や異変に気づいた時には消化が追いつかなくなったお肉盛りだくさんの封印の山に龍が棲み着いて騒ぎが大きくなってしまったこと。王宮にまで伸びた根で必死の情報統制を試みたが抵抗虚しく、ついには露見してしまったことが決定的だ。
連綿と受け継がれてきたお薬の惰性散布が仇となった。これもまた良い教訓になったことだろう。もう首は繋がっていないと思うけれども。
「──事のあらましはこのような感じです。この惨事は自然災害でも神災でもなく、ただの人災だったわけですね」
御静聴頂いていたが、ここでにわかに騒がしくなる。まだ話は終わっていないのだが、ここまでくればもう話のオチは見えている。
「既に耳にしている方も多いでしょうが、私は邪神の討伐をガルデから依頼されています。過去に邪神討伐の一助となった神器との契約が成り立たなければ討伐の可否は正直五分五分だろうと判断していましたので、話を蹴ろうと思っていましたが……つい先ほど成功してしまいました。結論から言えば、蹴るのが馬鹿らしくなるほど勝算が極めて高いので……私はこの依頼を受ける方向で考えています」
ここでまた騒がしくなる。本当に一助となったのかは不明だが、これから一助となるのは確定なので、嘘ではないということにしておいて欲しい。
「ですが、皆さんからすれば話が違いますね。私達はただの冒険者であり、多くはここへただお金を稼ぎに来ただけです。邪神だのなんだのと知ったことではないと思います。なのでこれに関して、私からは一切協力を求めません」
ここでピタリと静かになった。
「依頼の受諾が王宮に伝えられた後、封印を解くための魔法師がガルデより派遣されることとなっています。それの護衛要員が若干名ここから募集されるかとは思いますが、牛の駆除は私単独で行います。──もちろん物事に絶対はありません。私がしくじる可能性は常に存在しています。なので、これまで通りにここを拠点に稼いでいるも、この後すぐにどこか別の国や大陸へ避難するも、一度退避して落ち着いた頃に戻ってくるも、怖いもの見たさで同行するも、全て各々の意思で、ご自由になさってください」
話は終わった。食堂を出る者が全くおらず、そのまま食事タイムに雪崩れ込む。
全く問題なく倒せるであろう、ということを告げた後、彼らは危険度の設定をいくつか下げたように感じる。ただちに逃げ出す必要はないのではないか、と。面白そうだから見に行ってみようぜ! と。そんな意思があちらこちらから伝わってくる。
特にガルデの冒険者ギルドで面通しを行った実力者揃いの三級以上軍団と、私の仲間達、それに弟妹分は参加する気満々だ。私がしくじるまで手を出さないで欲しいのだが、そこのところを理解してくれているかが心配になる。
当初は熱狂を煽って戦に駆り立てるつもりでいた。そのつもりで大げさに演説をぶとうと考えていた。皆で力を合わせて悪い牛を倒しました! なんてのは、とても御伽話向けのストーリー。英雄志向の者には垂涎の状況だ。
だが私達は騎士や兵士とは違う。冒険者なんてものは所詮ただの無頼だ。庇護も安定も保証もかなぐり捨て、自由であることに価値を見出し、日銭を稼ぐ手段の一つとして魔物を駆除しているに過ぎない。
殺すも殺されるも、稼ぐも逃げるも自分の意思。心だけは縛ってはいけないのではないか──と、くっちゃべっている間に思い直した。
必要であれば協力を要請したかもしれないが、上から頭ごなしに命令するのは、その、何と言うか、違うのだ。そういうのは兵士の管轄であって、我々は違う。
踏み込んではいけない領域というものがある。それはとても神聖なもので、決して侵してはいけない。
普段なら、これまでならきっと気にしていなかった。なのにこうして落ち着いてみると、なぜかそうしてはいけないような気がする。とても不思議だ。
ここの冒険者のみならず、仲間達にしたって同じこと。その領域を、境界を、改めて意識し直す必要がありそうだ。
使徒だけは、少し事情が変わってくるかもしれないけれども。
──なので、話はとても地味に終わる。日常で行われる定期連絡の一つのように、極めて平静に、粛々と。
そんなわけで、私も久しぶりにお昼ご飯だ。これには本当に大したことがないとアピールする目的もある。
ここ最近は毒殺の恐怖に怯えてまともな食事を中々取れていなかったので、この一見豪快で粗雑な、それでいて手の込んだ定番メニューを口に運ぶのは随分と懐かしく感じる。
焼いたお肉の塊、大きなパン窯でまとめて焼き上げられた計量目算の大きさ不揃いのパン、おばちゃんシェフのきまぐれスープ、そして酢漬けのお漬物。
メニューは代わり映えしないが、味や量への不満は耳に入ってこない。毎日変わらず美味しいんだろう、きっと。
仲間達が戻ってきたことで多少精神の安定は取り戻せたが、暗殺の恐怖だけはどうしても拭えなかった。私を付け狙う妄想の刃は、いつだってすぐそこに潜んでいる。
だがそれも今朝までのこと、今の私は割と無敵だ。《探査》の鑑定技法により物品の組成を一目で見極められるようになったので、そういったものは成分単位で識別することができる。
(──語彙を増やさないと使いこなしているとは言い難いんだけど……この『その他』のね、一言がね、すごいんですよ)
二代目『黒いの』は殺しまくっているよ! だとか、十手は鍵だよ! だとか、《防具》は真実私の女神様の持ち物だったんだよ! だとか、多少バグっている箇所が残ってはいるけれど、この技法化した《探査》から伝わってくる情報はいつも一言多い。そしてこれに救われている。
食事前にテントに戻ると見せかけて一瞬だけ抜け出し、試しに元コカトリスっぽいキメラを相手に《探査》の技法を向けてみたところ、他の情報よりも優先して毒持ちであることを明らかにしてくれた。
その辺の蛇──毒を持つ種も在野に棲息している──などでもそれは変わらず、素のままで私に危害を加えられる……あるいは加えようとする情報に対しては、かなり神経質であることが判明している。
あまり褒められたことではないが、古くなった固パンを毒持ちキメラの体液に浸して《探査》すればそのパンが毒物であることが判明し、該当箇所を千切って捨てれば、心情的にはともかく、一応食して問題ないことを教えてくれる。
(私が最初に会得すべきだったのは、これだったんだろうなぁ……)
そんなこんなで、再び皆との食事が安らぎの時間へと戻った。克服した。
思えば、冒険ゲームで手に入れたアイテムの詳細が分からないなんてことは、ない。ピンチの時に手に入れた草が薬草か毒草か不鮮明であったとしたら、私は使用する前に電源を落とすかもしれない。貴様の手にはかからん! ってやつだ。
そういったあやふやな状況を楽しむといった作品もあるのかもしれないけれども、私は知らない。
もし私がそこそこ筋力のあるゲーマーな男の子だったなら、十手で神域周辺の弱めの瘴気持ちをボコ殴りにして回ってレベル上げに邁進し、《探査》が芽生える程度まで神力を育て、真っ先に鑑定呪文の会得に走って《探査》の鑑定技法に至れたかもしれない。
女神様が後継者にすべきだったのは、私の実の兄弟達の方だったんじゃなかろうか。彼らはそこのところにかなり詳しい。
世の中にはアレルギーなんてものもある。果物一つで発症しないとも限らないのだ。よくもまぁ、今まで脳天気にパクつけていたものだ……大物だな、私は。単に抜けているだけなんだけど。
「……どうした、姉さん?」
手を止め思いに耽っていれば、心配して声がかけられる。得難いものだ。
「ん? いや、美味しいね、って思って」
「そうだよ、今日も美味しいよ!」
何かに気づいていながらも、流してくれる声が上がりもする。これもまた、中々に得難いものだ。大切にしたい。
うちのお嬢は食事中に口を開かないので何も言わないが、視線から懸念を理解しているような感じの思いが伝わってくる。
落ち着いていられるのは、そう長くはない話の最中に手遊びがてらこねくり回していていた私のメロンパンの判明した機能が軒並みヤバかった──ということがもちろん大いに関係している。今の私は、かなり無敵だ。
日常の一幕として邪神を倒すと言ってのけたのも、決して根拠なき過信からくるものではない。