第三百二十七話
よくオーラを纏うだの、オーラが違うだのという言葉を耳にする。早い話が雰囲気に対しての比喩だ。
だがこの世界では、そういったものは割りとそこらで見かけることができる。
神格の授受で白い光を纏ったり、神力の糧として金色に近い光を吸収したり、瘴気持ちはもっと直接的に黒いもやもやを纏っている。
そこらで……というのはあくまでも私の主観で、こういった現象は、もしかしたら結構レアなのかもしれない。
「お、お姉さまっ!? フロンさん、お姉さまがっ!」
「落ち着け。あれは神器と契りを結んでいるだけだ。無事成功したようだな」
「はぁ~……綺麗ですねぇ……」
仲間以外も何やら盛大に盛り上がっている。遠く背後から轟く怒声のような熱量の声援に後押しされながら状況を見届け、やがて激しく明滅していた光が収まった。
『●●●●』との契約は無事に成就せり。爆発しなくてよかったね。
この子のことは今後便宜上……この子とか、《防具》とでも呼ぶことにしよう。心で想う分には問題ないのだが、正しく発声するにはそれなりの気合と覚悟とプロセスが必要そうで、しかもそれができたところで特に意味はなく、きっと誰の理解も得られやしない。
私とこの子の間に絆があればそれでいい。必殺技を叫んで強くなるような世界でもないことだし、私達にとってこんなものは、ただの記号に過ぎぬのよ。
「いやー、しかし……変わるものだね」
光に包まれている間中、十手を介して私と《防具》の間をギュンギュンと神力が行き来していた。大半は一方的に吸い取られていたのだが、やがて循環するようになり、しばらくすると落ち着いた。
これまでこの子は餓死寸前というか、死ぬことができないだけでほぼ死んでいた。長いこと宝物庫に監禁されていたことで、何もかもが枯渇しきってカラッカラになっていたわけだ。
今はお腹いっぱいになったのだろう。朽ちた廃墟の壁のような質感をしていたガサガサのお肌は潤いを取り戻し、ホコリまみれの白カビに覆われた風化したメロンパンのような印象は満ち満ちた生命力によって払拭され、立派な神器としての存在感を取り戻している。
例えるなら真珠か。球状の真珠。光の具合で白にも銀にも金色にも見えるクリーム調のそれを、半分からやや上でぶつ切りにした半球状のオブジェが、この子の真の姿。
相変わらず上背は三メートルはあり、その直径は十メートルほどもある。この上なく美しいが、光沢の主張は激しくなく、それほど派手なわけではない。
レリーフは……なんと言うか、ラーメンドンブリの縁のように変化した。何かこう、グルグルしているあれだ。あれがカクカクから円になった感じ。
近くで目を凝らさねば分からないほどうっすらとしか見えていないところに、この子の奥ゆかしさを感じる。
軽く飛び上がって上から確認してみたところ、真実の口は見えなくなった。縁に若干のラーメングルグルを残すのみとなり、基本は十手同様のシンプルな仕上がりとなっている。大変好みだ。
無事名前を言い当てられたこともだが、正直十手が消えなかったことに一番安堵している。今後、扱いには気をつけ──いっそ封印も視野に入れなくてはならないことには、頭を抱えたくもなってくるのだけれども。
こういう時、私は真っ先に検証に移る。我が身の可不可も明らかにならずして、一体どうして十全に戦えようか。
情報の精査は命に直結する、ここは絶対に怠れない。
だが今はそれどころじゃない。とりあえず荒くれを全員集めて会議と演説だ。これ以上キメラ駆除員に逃げられてはマズイ。捕まえておかないといけない。
石製の檻にぶち込んだところで容易く破壊されてしまうのだから、胃袋か心を掴んでおく必要がある。私にできるのは後者だ。
自信満々に、不遜に、多少ホラを吹いてでも熱狂に導き、滞在をむしろ己から望むように仕向けなければならない。
ちょうどいいところにお誂え向きのオブジェがあるじゃないか。ちょっと派手にパフォーマンスしてみせれば、男女問わず脳筋共はイチコロだ。
パフォーマンスは始まっている。確認のために多少ちょろちょろ動いてしまったが、まだ許容範囲内だ。減点は二くらい。
(えーっと……支配っていうくらいだから、重さはきっと意のままだよね……)
この子の特性その一、『重量支配』。これが『重量軽減』の上位版でなかったら、私は《探査》にクレームをつける。
魔法袋のような例外もあるが、この手の効果は触れていなかったり、触れていたとしても魔力の供給を絞ると発現しなくなる物が多い。なので地面と真珠の隙間に指をねじ込み、軽くなるよう念じながら持ち上げてみる。抵抗は一切ない。
(ははぁーん……これ、重くもなるな)
楽しい。かなり自由度が高い。軽くなったり重くなったり、際限なく重くしたところで、地面にめり込みながらも指先に一切負荷がかからないところが面白くてたまらない。これだけで半年は遊べる。遊びたくてたまらない。
だがあまりジッとしていると待てをしているわんこ達が飛んできそうなので、気合で意識を舞台に戻す。
(私はヅカ……私はスター……)
この子の特性その二、『伸縮支配』。日本語的には伸縮『自在』の方が意味が通りやすいと思うのだが、《探査》がそう伝えてくるので支配なんだろう。読みも似ているし同じようなものだ。
これもきっと『伸縮』の上位版だ。もし違ったら、鑑定術式の再構築を真剣に検討する必要が出てくる。
片手で引っ掴んだメロンパンを持ち上げ、軽くホイッと頭上に放る。やたら凄い勢いで真上に向かって飛翔した円盤にギョッとしかけたが、あくまでもお澄まし顔は崩さない。
それを──こう──こう?
(あれ、こう……いや、こう? げ、落ちてくる……ヤバイ、伸縮は扱ったことないんだよ……もしかしてこれも触ってないと無理なんじゃ──)
いや、いける。感触はある。というかパスが繋がってるな? 一度自覚してしまえば、その繋がりは『黒いの』以上にはっきりとしていることが分かる。
「あっ……」
できた。デカいまま空を飛び、小さくなりながら落ちてくる私のメロンパン。
それに視線を向けず、《探査》を頼りに格好良くキャッチする。投げた帽子を、こう、パシッと捕まえる感じで。マジシャンのように。
楽しい。これだけで一年は遊べる。粘土みたいに好き放題に形を変えられるというわけではなさそうだが、相似形をおおよそ保っていれば割りと際限がないように感じる。
(──ん?)
なんだこれ、中身空洞じゃんよ。実は帽子なんじゃないか、これ。
神器とはいえ、帽子っぽいとはいえ、こんな何十年も前のバラエティ番組で使われていそうなパーティアイテムをかぶって合流すれば、笑いの渦中に晒されることは免れない。大人しく胸元に片手で抱え込み、姿勢を正して悠然と泰然と歩を進める。
歩くたびに地面にメリメリと沈み込んでみればそれはそれで威圧感がありそうだが、乙女的にそれはナシだ。どうやらその必要もなさそうだが、お楽しみは後に取っておく。
彼我の距離は五十メートル。走ってしまえば一瞬だが、それではパフォーマンスとしては弱い。楽しんで欲しい、このじわじわを。
「──多愛もないわ」
どやっ! だが表情には出さない。ポーカーフェイスを努め、自信を全身に漲らせる。
無表情でいるのもどうかと思うので、少しだけ微笑むくらいならありだろう。こう、フッ……っと、ね。余裕のよっちゃんですよ、これくらい。
驚きのあまり声も出ないのか、うちの連中は硬直して唖然としている。まぁ無理もあるまい、この子の変わり様と言ったら匠も真っ青になるレベル。
形はそれほど変わっていないが、色艶大きさ存在感、全てが一新されてまるで別物だ。来歴明らか、正真正銘私の名もなき女神様の神器、然と目に焼き付ける許可をあげよう。少しくらいなら触ってもいい。この子はとても肌触りがいいので、きっと一撫でで虜になってしまうことだろう。
あぁあぁ、言わなくてもいい。分かっているよ、イジワルしないでちゃんと触らせてあげる、順番をまも──。
「……サクラ?」
最前列で口を開けてポカンとしていたリューンが呟きを漏らす。私の名前だ。貴女のサクラちゃんです。
「他の誰に見えるっていうのよ」
何か、どいつもこいつも私の《防具》に視線が行っていない。ちゃんと見て! 神器! これ神器! うちの子! すごいでしょ! 可愛いのよ!?
「い、いえ……その……随分と様変わりしましたわね……。フロン、こういったことはよくあるのですか?」
「……いや、私も聞いたことがない。姉さん──」
皆して、私の顔をジロジロジロジロと眺めている。胸元に視線を投げかける不届き者は皆無、うちの子のお披露目なのにまるで目立っていない。
キョトンとしている私にフロンから無言で手鏡を差し出され、条件反射で顔を覗き込んだところで、意識が遠退く。
私は元が一般的な日本人なので、黒髪黒目、肌は黄色人種のそれだ。身長は女としては日本の平均値より高い方だが、この世界で特別目立つような体躯というわけではない。
身体は鍛え抜かれて引き締まっている。ムダ肉贅肉、余計な脂肪は皆無。カモシカのような足というのが褒め言葉になっているのか、カモシカをよく知らない私には判断がつかないが、まぁ自分で言うのもあれだけど、客観的に見れば魅力的な身体をしていると思う。ガチガチではないし、それなりに柔らかさも残っている。マイベスト比率、リューンちゃんの太鼓判が押された黄金比。
顔つきや胸の大小などは割愛するが、抱きまくらが戻ってきたことでここ数日は快眠を得られ、戻った活力が内面からも漲り、その美しさはまさに女神級と言っても──いや、もういい。
──そんな私が生まれてこの方守りぬいてきた黒髪と黒目、肌色の肌が、様変わりしていた。
色素が抜けた。黒目は灰色、黒髪も灰色、肌もどことなく白くなっている。これまでもセルフエステによる美白効果で健康的な美肌をキープしてはいたが、大元が変化した。白人種やエルフのような白さだ。
つまり、「誰これ?」、だ。ちょっとやそっとじゃ驚かない私が、邪神の一つや二つで騒ぎ立てないこの私が、鏡を見た瞬間に静かにパニクり、やがて脳の処理が追いつかなくなった。「なんじゃこりゃ~~!」なんてふざけていられない。静かに息を引き取った。
それくらい、それくらい衝撃的だったのだ。
私はそれなりに現代っ子ではあったのだが、家がいわゆる畳と座布団、掛け軸と緑茶の家系であったので、家長的には髪を染めるなんて言語道断、その美しさを磨けと常々言われていた。
というか周りの女性陣が皆美しい黒髪をしていたので、多少興味はあったけれども、色を抜いたり染めたりといったオシャレに手を染めたことは一度もない。何かと目立つ私がフードを被るに留め、変装のために髪を染めたりしなかったのは、この髪が好きであったから。
だから神器を拵える際、断髪には並々ならぬ覚悟が必要だった。女の命というのは、決して比喩ではない。
(どういうことなのちょっとおかしいでしょ。誰よこれ? いや私なんだけど……)
気を失っていたのは時間に換算すればほんの一瞬、秒単位のこと。しかも私の体幹は鍛え抜かれているのでこれくらいで倒れ込んだりもしない。ちょっと日差しに当てられてクラッとしたとか、傍目にはそう見えていたことだろう。
食堂は狭いのでお外で演説をぶつつもりであったのだが、心を落ち着かせる時間を稼ぐために一同を急遽食堂へと集めてもらうように依頼し、その間に必死で瞑想に耽る。
(意味が分からない。何で目の色を変える必要があるの? 必要ないよね、戦う上で。髪もそうだ、私がこれをどれだけ愛していたのか──)
もしかしてあれか、石像が石色をしているから……そのイメージに引きずられて私もこうなったのだろうか。なら肌も灰色になっていないのはおかしいと思うのだけれど、そうならなかったのは不幸中の幸い。そんなんガーゴイルだ、私が第二の邪神認定されてしまう。
うちの女神様の目と髪が灰色だった、なんて史実があるなら分からない話でもないが、私はそんな話知らない。そもそも像も絵画も芸術家の想像力の賜物に過ぎないんだから、金髪碧眼でも銀髪赤眼でもよかっただろうに。っていうか神格渡した段階でやっとけや! それならまだ諦めもついたわ!
(何で灰色……いや、綺麗だとは思うのよ? アッシュグレイの髪っていうのは透明感があって……元に戻せるなら、気の迷いで染めてみてもいいとは思う範囲だけど……)
何でこう、微妙に……ほんの少し様変わりさせて私のテンションを落としにくるのか、これが分からない。
うちの子に問いかけてみても何も応えてくれない。ただただ嬉しそうにピコピコしている。