第三百二十五話
リリウムは自信満々で、フロンも確信に近い何かを胸中に抱いていそうだが、依然として私の心は動かない。
(どう見ても……ゴミだとしか思えん)
もう何度目になるか分からないゴミを見上げる仕草。腕を組み、半ジト目。下から上からどれだけ眺めても、感想に変わりはない。
メロンパン、ふくれ菓子。大判焼きやマカロン──とはまた少し違う、半球状の廃墟。
自然発生したとは思えないレリーフで彩られているので、何らかの手が入っていることは確実だとは思う。人が作って不壊化したのか、元より神の祝福による物か。
……身体が糖分を求めているのかもしれない。だがしばらくすれば夕食時、おやつを摘むには微妙な時間帯になりつつある。今日はがっつりお肉を食べたい気分だ。
「ねぇ。もしこれを受け取ったとしてさ、その上で邪神をスルーしたら怒られるよね?」
「いい顔は……されないんじゃないかなぁ。喧嘩を売られたところでサクラが負けるとは思えないけど」
来歴が明らかではない以上、これは呪物と何ら変わらない。迂闊に装備すれば指や腕を引き千切る類のおぞましい魔導具なんてものはその辺にありふれている。これがそういった物ではないという根拠はない。リリウムの勘くらいなもの。
もらうだけもらって神域に隠しておいて、追々来歴を明らかに……とできればよかったのだが、ちょうどあそこには入りそうにない大きさをしているのが悩ましい。
「鑑定は通らなかったんだよね」
「うん、全く。神殿の人も目を丸くしてたよ。何らかの防護機能が内包されているんじゃないか……みたいな話になった」
私が常に身に着けている真銀製の術式隠蔽タグのような、見通してくる系の能力を阻むような何それがないこともないらしい。だがこれがそうとも限らない。
兎にも角にも、これが一体全体何なのかが分からないことには私も動けない。そもそも封印解除に必要な杖でも、再封印に必要な術式でも、おそらくは討伐の一助となるUFOでもミサイルでもない。んなモン受取拒否の一択だ。他の選択肢なんて取りたくない。
手にした段階で返却が不可になる可能性だってある。開封していなくても。未使用でも。レシートがあったってお構いなしだ。
迷宮産出の魔導具である可能性は低いとのことだが、神器であれば何があるか分からない。手にした段階で即座に呪われてどこぞの神の操り人形になる可能性だって十二分にある。
似たような経験をしているのだ、私は。
──決めなくてはならない。これの処遇を。
鑑定神殿やリューンちゃんの鑑定で分からないことが、あらかた調べてきたであろうパーティの頭脳であるフロンに分からないことが、私に分かるわけがない。
根拠はリリウムの勘ただ一つ。なら大丈夫だねっ! っと無造作に手を伸ばすようでは、若かったあの頃と同じだ。ここで私が死ねば大惨事になる。
決めなくてはならないが、ここで信用ならんと切り捨ててしまえばリリウムが悲しむ。そうするにもそれなりの根拠が欲しいのだが、それが手元にはないわけだ。お先真っ暗。どうしてくれる、この袋小路。
本当に厄介事を持ち込んでくれた。だがこれは解決しておかねばならない問題でもある。もし本当に女神様の神器であったのならば、これを捨て置くなんてありえない。必要なら全てを投げうって持ち逃げすることも、邪神を討伐することだって前向きに考えなければならない。
(でもなぁ……鑑定でも《探査》でも分からないことが──)
私の《探査》でも分からないことが──。
(私に分かるわけないじゃないの……よ?)
──よ? よ、だ。《探査》では何も感じ取れない。その辺の石壁と同じように、地面の石ころのように、無機物を触れるような感触を残すのみ。私の《探査》は物体の仔細を明らかにできるような力ではない。今のところは。
「これ、もしかしてあれか……」
灯台下暗し、ってヤツかもしれない。何で今まで思いつかなかったのか、そちらの方に意識が向きそうになり、思考が泉に沈みそうになりそうになることで確信する。
(……当たりかもしれない。これは思い立ったが吉日だ)
後々にすると、謎の強制力で忘却の彼方に追いやられてしまうかもしれない。今動こう。
推定ゴミの下を急ぎ足で離れてテントに戻り、しっかりと阻害を展開した上で考えを伝え、お使いを頼む。
「ごめんね、本当にいきなりで。自分で行ってきてもいいんだけど……」
「いや、状況が状況だ。短時間であろうとも姉さんが不在となることは極力避けた方がいい。東の方にはそれなりに勝手知ったる国や町がある。術式の手配は私が適任だ」
フロンは納得してくれた。さもありなん、といった感じだ。
「買いに行かなくたって、私のを写せばいいじゃない……」
リューンは少し不満気にしている。今更大金貨の十枚ぽっちを惜しんでいるわけではない。
特に意味はなくても自分のもの写したいというその気持ち、まぁ分からないではないけれど。
「お前をひん剥いて転写するとなると時間がかかり過ぎる。それにそのまま姉さんに刻むわけにもいくまい。大人しく調整の準備をしておけ、すぐ戻る」
フロンはフットワークが軽いので、それだけ言い残して即座に消える。この瞬間だけは《結界》を解いておかないと、魔力だけ吸われて転移は不発となるので注意が必要だ。武装リッチ戦で学んだ知見の一つでもある。
「確かに……字句を並べれば探査と鑑定、親和性がありそうですわね」
そゆこと。上手くいけばいいんだけど──。
元々展望は抱いていたはずだ。いつだったかは既に思い出せないが、いずれ物品の仔細を詳らかにできるようになるかもしれない──なんて考えていたことは確かにある。
そもそも私は《探査》を多用する質ではない。あまり経験はないが、私は冒険ゲームの地図は消せるなら、消し方が分かりさえすれば消して遊ぶタイプの人間だ。強いて理由を挙げるのであれば、邪魔だから。
それで宝箱を見落としても、村の一つや二つスルーしたっておかまいなし。じっくりやり込むことも、そもそもゴールに辿り着く前に止めてしまうことだってあったはず。
端から端まで探索し尽くさないと気が済まない! なんていうのも分からないではないが、私は違う。サブクエストにも裏ボスにもほとんどの場合興味がない。
村人と会話せずにクリアできるならそれが一番いい。楽だ。
今生の日常でもこれを使いっぱなしにすることはない。神力の節約ということももちろんあるが、単に邪魔になるからだ。視界に入っているというわけではないが、それでも多少は意識を割かれるし、脇見運転は事故の元。
どう言い繕ってもこれは覗きの力であるわけで、不要不急であるのに常用するのはマナー違反だという意識もある。
「索敵術式とは一切噛み合わなかったんだよね?」
「そうだね、今も擬装用に残してはいるけれど」
「なら本質がコッチ、っていうのも……ありえない話じゃないのか」
ふわふわ時代から、これは魔物の探索や位置把握といった用途に使うことがほとんどであった。だから『索敵』という意識が強く、双方向から本質を覆い隠してしまっていたのかもしれない。
まぁ、アタリかどうかはすぐ分かる。いつものように術式を調整してもらって魂に刻み、力を通して発現させればいい。
上手くいけば鑑定神殿の鑑定師による鑑定魔法は無用の長物となり、この世界に残された私の女神様の神器の探索も現実的になる。
真の技法に、到れるだろうか。
「お姉さま、結局あの……あれは……何なのでしょうか?」
「今もフロン達が調査をしてくれているけれど、まだ分かってない。ソフィアは何だと思う?」
今日も食堂は賑やかだ。最初にかなり大きく建てはしたものの、冒険者が一斉に雪崩れ込むと容易く破綻する規模になってしまっている。
第十一陣のお迎えが終わり、疲労困憊の飢えた連中を優先的に貪らせ、彼らは早々に夢の中。元気が有り余っている者はいない。
戦場が北に移行するにつれ、追いやられていたキメラやアンナノが合流することで数はどうしても増えていく。勢いは増す一方なので、最後は総力戦とした方がいいかもしれない。
今や第十陣まで、詳細は把握していないけれど二百人程度は人が増えている。あと少なくとも百人くらいは増えるはずだし、この混雑が解消される望みはない。二十四時間営業にしておいてよかったね。
「分かりません。でも、はじめはテントか食堂を増やしたのかな、って思いました」
私達の認識では、建物は知らぬところで勝手に増えているもの。切り出した石はまだ拠点一つ分くらいは残っており、細かな物資も随時ガルデから運び込まれている。
ガルデ王はゲイザーの迷宮をも手中に収める腹積もりなのかもしれない。終わった後なら好きにすればいいと思う。
「ねー。私もテントに見えた。それかパンとかね」
「で、ですよねっ! 王都のパン屋に似たような──」
朝も夜もなくパンや肉を焼き汁物が煮込まれ、それが滞りなく給仕されるようになった裏には、ヘイム周辺の村や町から出稼ぎおばちゃんが多数応援に駆けつけてくれたという事情がある。
決戦場辺りに設ける第二拠点のこともある。これだけの荒くれの胃袋を支え続けるには古参の料理人さん達のみでは限界が訪れてしまうわけで、いい対策だったと思う。
ガルデやカーリで稼いだお金は、ガルデやカーリに流していくのが健全な経済の在り方というものだ。出稼ぎお姉さんは愛想次第でチップ長者となれるかもしれない。あるいは永久就職とか。夢があるね!
ある程度はこっちの裁量で好きに雇っていいという話らしい。その辺はメイドの元締めの執事の人に適当にお任せしている。
──それにしても、ソフィアは相変わらずよく食べる。パンをいくつも、お肉の塊、スープだっておかわりする。
リューンほどではないが、かつての少食っぷりが嘘のようだ。
よく食べよく眠り人一倍よく動く健康優良児。最近はあまり目を向けられていないが、この娘も見えないところで一所懸命頑張っているのだろう。
でなければ、これだけ食べておいてスラリとした体型を維持できるわけもないのだ。美人さんにも一層の拍車が掛かっているような気さえする。エステとは違う、内から湧き出る生命力が、みたいな。
これでぺたんこな胸がちっとは膨らめば一層努力のし甲斐もありそうだが、残念ながら成長期は終わっている。儚いね。
「サクラさん、もしあれが有効な神器だったら……お使いに?」
一方のペトラちゃんと言えば、心なし顔色が悪い。心労が溜まりに溜まっているといった感じで、元凶を持ち込んだお友達とも若干ギクシャクしているような印象を受ける。
龍を倒して、後はキメラを殲滅するだけ! となったところに、突如邪神だのなんだのという話が浮かび上がってきたのだ。気持ちは分かる。
「状況を解決するのに使わなければいけないようなら、手に取るかもしれない。でもそもそもの効能が不明だし、十中八九名付けが必要になるだろうし、そうなると返却も困難だ。正直気乗りはしないから、使わずにどうにかなる算段が立てば使わないよ」
「で、でも、神器ですよ!? 神器って、それこそお金に変えられるものではないですし、滅多に手に入るものじゃ──」
「それでも、だよ。いつか話した通り、私は怪しい道具は絶対に手に取らないと決めている。依存して、失って、痛い目を見たことだってある。国宝だとか、価値がどうだとかは関係ないんだよ」
「……あの、お姉さま……もしかして、神器をお使いになっていたことが……?」
「いくつか持ってはいたけれど、私のスタイルじゃなかったから。来歴は明らかになったんだけど、剣とか槍とか、そんなのばっかり手に入ってね」
十手って分類は剣になるんだろうか。棒だよね? ……嘘は言っていないはず。
初代『黒いの』も『ぐにゃぐにゃ』も、柄が短く、薙刀のような刃と、その付け根に細い斧のような刃の付いた不壊と伸縮、それに後二つよく分からない効果のついた謎の武器も。手に取り所有してはいたが、振り回したことはない。
今なら、あれがハルバード──ポールウェポンや戟、槍斧として用いる意図を以て作られた得物だと理解ができる。あの短い柄は伸びる。絶対に伸びる。ソフィアのご飯を賭けてもいい。
「昔は、そんなことも分かっていなかったんだよ……」
我ながら成長したものだ。ヴァーリルで投げ捨てた女の数年は無駄ではない。思わず遠い目になる。
「サクラさん……」
何か齟齬がありそうだが、ペトラちゃんはひとまず納得してくれたようだ。横のわんこは震えている。