第三十二話
(あー、これが『結界』かぁ)
誰も覚えていないかもしれないが、私の名もなき女神様は『結界』と『浄化』の神だ。
浄化はサブ、引き寄せはおまけで、その本質は結界の方にある。私が今までそれっぽいあれこれをしていなかったのは、単に結界というものが何なのか分からなかったからだ。バリアー的なものを想像していたが、何度か試していたけれど、手から盾が出たりしなかったし、ふわふわが剣を弾くこともなかった。
そして今、視界に入ったそれを理解した。これは『結界』だと。
視界や音を遮り認識をずらす類のもの。隠密には適しているかもしれないが、これは中からも外の光景や音を確認できない。それ以外の何かを阻むこともないので、足を踏み入れられたらすぐ見つかる。
ただ、音に敏感で視界のあるリビングメイルを相手するにはちょうどよかったのだろう。これを見破れる存在が騎士団にいたのなら、私でなくても探しにこれたわけだし、元々このようにする算段はついていたのかもしれない。
そしていくら私でも、流石にこれを見過ごして帰宅するほど性格が悪いわけではない。
フードを目深にかぶり、結界に手をつけて、『解除』する。
「助けに参りました。ご無事ですか?」
そこには、人間が十二人程転がっていた。
八畳程の広さの結界内に結構な密度だ、多くは体格のいい男で鎧を身に付けたまま床に倒れこんでいた。剣は中心部に固まって地面に刺されている。
そしてその剣を背負うようにして、女が一人、座り込んで杖を握り締め祈りを捧げていた──のだろう。驚いたような、そしてとても疲弊しきった顔でこちらを見つめていた。まだほんの少女だ。十代の前半かよくて中頃に差し掛かった位の義務教育を終えているとも思えないような女児。これが聖女なのだろう。
「リビングメイルは殲滅しましたが、またすぐにでも湧いてきます。今が一番安全に外まで出られます。生きる意志のある者は立って歩きなさい。ない者は座して死になさい。今すぐ選びなさい。ここで心中するのならそれはそれで構いません。私はすぐに去ります」
「た、助けて下さい! まだ死にたくないです!」
切羽詰まった、鈴の音のような可愛らしい声だった。いじわるしたくなるというか……だが今はそれどころではない。
「ならば立ちなさい。歩きなさい。他の者はどうするのですか、本当に時間がないので付いてこないなら置いていきます。脅しではありません。歩けないなら隣人が肩を貸しなさい」
ここでようやっと、死に体だった鎧達が身体に鞭を入れ始めた。死体が混ざっているだろうと思っていたが、全員生きていたようだ。
仲間に声をかけながら動き始める。半数位は女かな、兜をかぶっている者もいてよく分からないが。
「私が先頭を行きます。リビングメイルは私が全て相手をします。真っ直ぐ歩くことだけを考えなさい。出発しますよ」
急かして進もうとしたが、どうやら聖女が立てないようだ。よく見れば衣服の下が酷いことになっている。下手したらずっと、ずっと結界を張っていたのだろう。──仕方ないか。
私は魔法袋からポンチョを取り出すと、それで聖女をくるんで背中に背負った。左手で彼女の尻を支える。
「頑張ってしがみつきなさい。口を開かず舌を噛まないようにすること。いいですね?」
少女が頷いたのを確認すると、私は背後の確認をしないまま歩き出した。
疲弊しきった全身鎧の人間がこれだけいれば、走って移動するのは無理だ。私にできるのは、生まれた端から駆け寄って潰して回ることだけ。少女の声なき悲鳴を背負いながら。
「私の右肩は掴まないように、死にますよ。絞めてもいいので首に腕を回しなさい。そして自分の腕を掴んで離さないように」
「付いてきていますか? 倒れても私は助けませんよ。根性見せなさい」
「頭をぶつけると痛いでしょう。私の首か頭に押し付けるようにしていなさい。怖ければ目を瞑っていても構いません」
「ウスノロ共、何をちんたらと歩いているのですか。玉も根性も付いていないなら騎士なんて続けていても無駄です。辞めてしまいなさい」
「あなたはよく頑張りました。偉かったですね。立派ですよ」
「五層への出口が見えてきましたよ。ここで倒れる無様を見せたら指を差して笑ってあげますからね。そのまま真っ直ぐ歩きなさい。私はあいつらを始末してきます」
「大丈夫、あなたは死にません。もう少し頑張って下さいね」
しばらく待って、騎士達十二人が無事五層への大岩まで合流した。
「ここで休むか、このまま下まで降りるか選びなさい」
横幅五メートル程の通路に騎士達が崩れ落ちる。ここで無理して潰れたら元も子もないか。少女を背から降ろして声をかける。
「少し待っていて下さいね。すぐに戻ります」
少女が頷く。かわいい。水袋を渡しておく。
「いいでしょう、水を置いて行くので飲んでおきなさい。私は荷物を取ってきます。鳥並の頭があるならここでじっとしていなさい。鳥の餌になりたいという夢を叶えるためにこれまで生きてきたというのならば止めはしませんが、騒いだらリビングアーマーが寄ってきますからね」
魔法袋から、全て持ってきていた水の容器を出して地面に置く
「この容器は銀貨五枚もします。今の貴方達の百倍は高価なものです。その事実を噛み締めて大切に飲みなさい」
もう煽る必要ないよね。なんて思いながら来た道を戻るように駆け出した。
地面に刺さっていた剣を全てと杖と、ついでに辺りに散らばっていた荷物を回収し、通路まで戻る。
「声が出せるならば答えなさい。六層に留まっていたのは貴方達十三人で全てですか?」
「あ、ああ……そうだ、俺達だけだ……ほかのみんなはどうなっ」
「自分の目で確認しなさい。無駄話をする元気があるのなら移動しますよ。それとも、まだ歩き方を思い出しませんか?」
「いや、歩ける……歩く、頼む」
「少しは人間らしくなりましたね。生きて帰ることができたら、小銅貨から銀貨並みの扱いにしてあげましょう」
容器は置いていきなさい。とだけ告げて聖女に向かい合う
「また背中にしがみついていなさい。私が言ったことは覚えていますね?」
少女が頷く。かわいい。再度背中に背負って左手で尻を支えた。
「近くに鳥はいません。私の後をまっすぐ歩いて付いてきなさい」
五層も四層もそれほど接敵率は高くない。そもそもここはふわふわが効くし、後は油断しなければこのまま終わる。
冒険者が残っていないところをみると、一層か迷宮外まで既に全員下がっているのだろう。もしかしたら迷宮入り口も封鎖されているかもしれない。
そのまま四層へ抜け、通路から飛ばしたふわふわに反応したダチョウを一羽出会い頭に潰す。浄化は込めていない。そのまま残る。
そのまま、三、二層へと抜け……無事一層へ辿り着いた。指揮職員を始めとした医療班もほぼほぼ残っているようだ。
「お待たせして申し訳ありません。先に言伝が届いているかと思いますが。訂正致します。六層にて騎士十二、少女一、計十三人保護しましたのでご報告します。詳細は残ったものから聞いて下さい。先にこの子をお風呂に入れてあげたいのですが、私の報告は明日でもよろしいでしょうか」
「構わない。ご苦労だった。明日はいつでもいい、管理所へ来てくれ」
「はい。ではお先に失礼します」
忘れるところだった。その場に拾ってきた荷物を袋から取り出し降ろしていく。
「忘れ物ですよ」
それだけ言い残して浴場へ走った。そのまま個人風呂を長めに借りて聖女を浴室へ放り込む。
「そのままにしておくと肌がかぶれます。しっかりと洗いなさい」
タオルと石鹸を渡しながら伝える。多めに確保しといてよかった。
「あの、……ありがとうございます」
「気にしないでいいですよ。しっかりと洗って温まりなさい」
一緒に風呂に入るわけにもいかず、かといってフードを取るわけでもなく。全裸の可愛い少女の傍に外套かぶった怪しい人間がいるという世が世なら即通報されかねない状況。暇だし服洗っとこうかな。
「あの、どうして、助けてくださったのですか」
「どうして?」
ここの個人風呂はお湯がたっぷり使える。身体と服を一緒に洗うくらいなんてことどうってことない。そして石鹸はまだそこそこ残っている。
「だ、だって、死の階層はだめだって言われてたのに、わ、私、止められなくて、みんな死んじゃうって。だれもたすけてくれないって」
「だれかたすけにきてくれるかもって、最初はみんな言ってたけど、けど、だれもきてくれなくて、みんな死んじゃうって……」
「結界、使っていないと見つかるから、見つかったら死んじゃうから、私、ずっと、ずっとがんばって……うぅ……」
流されたのかぁ。仕方ないっていうのもあれだけど……責任の所在をこの子に求めるのは人としてどうかと思う。そういうのはもっと上の責任者に取らせればいい。
「皆死んじゃうから、頑張ったんだね。偉いよ。こんなになってもずっとずっと頑張ったんだ。皆を守ったんだね。辛かったね。寂しかったね。立派だよ。でももう大丈夫だからね」
子供をあやした経験なんてないが、たぶんこんな感じだろう。ここでギュッとしてあげれば完璧だ。
そのまま背中をポンポンしてあげる。聖女ちゃんはそのまましばらく声を上げて泣き続けた。
「背中流してあげる、いつまでもそのままじゃ風邪引いちゃうよ」
私にしがみついてずっとグスグス言ってた聖女ちゃんをひっくり返して座らせる。そのまま頭からお湯をぶっ掛けて、石鹸塗れにしたタオルでゴシゴシやり出した。こりゃタオル数枚は捨てなきゃ駄目だな。
しっかし、人を洗うのってこんなに楽しいのか。肌すべすべだし、髪も綺麗な金髪だし、この子いいとこのお嬢かな。まぁ気にせず髪も石鹸塗れにするけれど。
「前は自分で洗いなー」
聖女ちゃんは言われた通り自分でゴシゴシやり出した。私はひとしきり髪を洗って満足いくと、また頭からお湯をぶっ掛けた。うーうー言ってる。かわいい。髪をまとめて頭に上げ、服の洗濯に移った。
「どうしてって」
「えっ?」
「どうして助けてくれたの、って言ったけどさ。理由なんてないんだよ」
「私は管理所から依頼されて六層へ行ったけど、私の仕事は魔物を狩ることで、七層に逃げた人を救助したのも、その人達を治療したのも私じゃない。私ね、最初に六層で行方不明になった人達、君達の救援依頼を断ったんだ。リビングメイルは倒してもいいけど、六層への道を作ってもいいけど、七層の救援の手助けをしてもいいけど、六層の救援はしないってはっきり言ってね。これが認められないなら依頼は受けないって」
「六層の救援って言うけどさ、あそこで戦力が散り散りになって数日生死不明。それは死んでるのと同じなんだよ。生きてるだなんて最初から考えていなかったんだ。ほんの少しも思わなかった。だから断った。私はお昼に用があって管理所に行って、今回の救援依頼の話を聞いて、依頼されて、その下準備を少し手伝っただけ。君達を助けに行ったわけじゃない。助ける気もない。君に出会うほんの少し前まで、探そうだなんて本当に欠片ほども思っていなかったんだ。君は、助からなくてもおかしくなかった。助ける理由が、あの瞬間までなかったんだから」
「でもそこに、もし何か、理由ができたのだとしたら。それは聖女ちゃんが諦めずにずっと祈り続けていたからだよ。私はそれで君の結界をたまたま見つけて、結界が教えてくれて、あそこに辿り着いたんだ。《私はここに居ませんよ》ってね。だから神様のおかげでも、管理所が協力したからでも、私が助けたからでもない。君が頑張ったから、助かったんだ。私はそう思うよ」