第三百十四話
朝晩二回、毎日大量の食事を用意してくれる料理人達の階級は、我ら中央の拠点勢の中でもかなり上位に位置している。
現場作業員は身体が資本だ、食べなきゃ明日を戦えない。ガルデから日々運搬されてくる糧秣を支配している彼らは、この場では神に等しい。
石工さん達と共同で大型のパン焼き窯をこしらえた辺りでその地位はめでたく不動のものとなり、誰一人として彼らに逆らうことはできなくなっていた。献立に文句などを物申そうものなら即座に首が飛ぶ。
ついでに洗濯物を司るメイドさんや、貢献点と報酬を一手に握るギルドの受付嬢にも逆らえない。戦闘力だけの冒険者の立場など、吹けば消し飛ぶ程度の弱々しいものでしかない。悲しいね。
そんな中、水を作れる私の立ち位置はというと、第一級冒険者という身分を差し引いても極めて高い。
やはりと言うかなんと言うか、頑張って発掘したここら一帯の水源は透き通った見た目とは裏腹にしっかりと汚染されており、そのまま飲用とするのは自殺行為なレベルまで穢れてしまっていた。
沸騰させても浄化が反応するので、かなり手間暇かけて純水に変化させなければ使えたものではないだろう。最近では浄化を加えた上で溜め水を洗濯に使ったり、シャワーに使ったり、トイレに用いたりと、飲用以外の分野にのみ活用されている。
「──というわけで、とりあえず東側の魔物を文字通り殲滅します。決戦場までの街道をそのまま北に延長して、分断してしまいましょう」
食事は食堂で頂くのが当たり前であり、その当たり前を日常のものとするには、この何もない荒野に食堂を建てなければならない。
私が居るので害虫の心配は無用とはいえ、倉庫も相応にしっかりしたものがないと、腹を空かせた冒険者が忍び込み続けることを許すことになる。許されることではない。
この二点については日々石工と大工さん達が作業に明け暮れていたこともあって、木組と石組を折衷したような、それなりに立派な施設が真っ先に建設されていた。雰囲気は冒険者ギルド、そこの酒場に近い。お酒はないけれど。
小麦──であるかどうかは知らないが──をパンに昇華させることが可能になった今、粉さえあればそうそう飢えない。とはいえ、お肉を現地調達できないことによる弊害が、もうそろそろ顔を覗かせてきそうだ。早めに対策を講じる必要がある。
「西側に押し出してしまえば、無理に東側で数を減らさなくってもいいってことか?」
この建物は朝晩問わず、常に照明魔導具が稼働し続けているということで、集会場としての役割を時節問わずに果たすことができている。
テーブルと椅子があれば、食事のみならず会議も可能だ。最近は専ら、この手の意思疎通はここで行われるのが通例となった。
各パーティのリーダー格や、参加を希望する上昇志向の高めな冒険者などが顔を出し、軽く雑談を挟んで散っていく流れを日常とすることができたのは幸いだった。一から十まで説明して回る必要がなくなったので、大変楽である。
お酒はないけれど、軽いおつまみを摘みながらお茶を頂くくらいはできる。そのお茶っ葉も……いい加減在庫が心許なくなってきた。これは由々しき事態だ。
「無理をする必要はありませんが、あまり一所に固めすぎるとアンナノが産まれてしまいます。適度に数を減らし、芽を潰していくことは必須だと考えた方がいいでしょう。放っておいても脅威の総量は減りません」
「アンナノ……あれは……マズイですよねぇ……」
「マズイな……正直、見ているだけで胸が潰れそうになった。真の恐怖とはこういう感情を指すのだろうな」
ため息混じりのうちの元騎士学生組は作戦会議参加率百パーセントだ。アリシアは料理人さん達の輪に進んで混ざってパンをコネたり、ソフィアは野菜の皮剥きに無理やり連れて行かれたりして、居ないことも多い。
──アンナノ、と名付けた。由来は「あんなの」、あるいは「アンノウン」だ。この世界ではその意味は通じない、この場においての仮名に過ぎないが、うちの戦闘要員の大半はその存在を見知っている。
ワニとゴリラがゾンビ合体すると、ワニゴリラキメラゾンビとなる。それに熊やオークやコカトリスなんぞが混ざって肥大化していくと、多くは身動きが取れなくなってただの餌や肉塊へと名前を変えるのだが、稀に尚も行動が可能な、奇跡的にバランスの取れた個体が生まれる。
そういう……動ける肉塊、戦う強い餌。御伽話に出てくる混沌の生物のような、見ているだけで精神をゴリゴリ削られる系のわけわかんない造形の大型キメラゾンビ全般を指して、そう呼称することにした。
アンナノは滅多に自然発生しない。キメラとキメラが捕食関係にあるのではなく、お見合いが成功しないことには生まれないのだ。通常ここら一帯の魔物や瘴気持ち、そしてキメラゾンビは互いのパーソナルスペースを尊重して群れることを極力嫌う傾向にある。
だがその自由意志は結界石や火の手によって大きく乱され──これまでと比べれば頻繁にと称していい頻度で、そういった個体を生み出す結果に繋がってしまった。
魔食獣を人力で再現すればこうなるかもしれない。質量が大きいというのはそれだけで脅威だ。放っておけば、ドラゴンレベルの災悪をポンポンと生むことにもなりかねない。お見合い会場の選定には気を使う必要がある。
ギースお迎え作戦が失敗となったあの日の岐路、出会ったアンナノは四つのワニヘッドを持ち、その胴体から金剛力士か阿修羅像かよ! と言いたくなるような、背中と背中がくっついたオーガが生えた──ような姿をしていた。
これがまぁ……見事に機敏に動いて、疲労困憊なうちの連中を大層苦しめたのだ。
夜の暗がりの中、出会いたくない生物ランキングをすれば割と上位に上り詰めるだろう。私も正直、その造形にちょっとビビった。
(やっぱり、ワニもリッチもいるんだよなぁ……)
当たり前のようにイノシシワニはいるし、黒豹もリッチも見かけた。ワイバーン的な奴らが全く見つからなかったのは、飛行種はそもそもこの環境に捕まりにくいからだろうか。
幸いというか、今のところ迷宮産出と思しき武器や装飾品持ちのリッチは極めて少数しか見つかっていない。転移杖の個体はかなりのイレギュラーであったと見なしてもよさそうだが、まだ油断はできない。
(十中八九……というよりも、北の迷宮ではない別の迷宮がバグって漏れ出ているか、意図して漏らしているか、どちらかなのは確定だ。数が多すぎる。きちんと細分化すれば、特定の種類しかこの一帯には存在していないことは分かるはず──なんだけど)
分布図から見るに、この手の種は南──ガルデ方面から流れてきていると考えるのが素直だ。おそらく結界石を並べる前に、相当数が山々へと向かって流入していたのだろう。
──どこから? ということを、今うちの年寄り組に調べてもらっている。主犯が王様なら、相応の報いを受けてもらおう。
十中八九人災か、神災ではある。おそらく後者か、思想が後者に近いか、単に人騒がせなだけの団体の仕業だろうと考えてはいる。
私が悪の組織の幹部なら、リッチごときに転移の杖なんて高価な品を持たせてその辺に解き放つなんて真似、考えはしても実行することは絶対にない。
もっとこう……王様を直に狙いにいくだとか、宝物庫の中身を掠め取るとか、色々とやりようがある。
あれは迷宮の中で、あるいは外に出たことで、もしくは神様や悪の幹部にイタズラされて自由意志に目覚めた変異体。戦いを重ねて生き抜いた、歴戦のリッチの独断によるもの。そういうことにして考えるのを止めたい。
「今しばらくは東組との合流を第一に、我々は討伐を続けましょう。北の無害化を図るためにも」
考察は後でいい。中々トントン拍子に物事は進んでいかないが、焦れて早まってはいけない。
──パン職人の朝は早い。私よりも早い。
冒険者のマストアイテムであるマズイ堅パンと、ふっくら柔らか美味しい丸パンは製法そのものが違うそうで、我らの英気を養うため、パン焼き班は毎日のように石窯で美味しいパンを焼いてくれる。
最近の一日は甘く香ばしい、小麦の焼けるいい香りから始まる。量が量だ、余裕で住居用のテント、その中まで芳しい香りが漂ってくる。
こうなるともう黙ってはいられない、飢えた冒険者は飛び起きるのだ。
「あら、このお漬物……」
「どうしたんですか?」
「いやね、知ってる味……食べたことがあるなって思って。どこでだったかな……」
恐怖心を押さえ込みながら目を瞑って何とか朝まで耐え抜いた後、陰鬱な気持ちを何とか心の内に抑え込み、出向いた朝食の場で変哲のない見た目をした野菜の酢漬けを口にしたところで、ふと懐かしさに襲われる。
賑やかな朝食の場に私は同行しないことが多いのだが、アリシアが焼いたパンだけを、たまに口にするようにしていた。
一貫して朝食を抜き、身を隠して過ごし続ければ集団に不和を招きかねない。本当はこの環境では一切口にしたくないのだが、必要な措置と割り切って諦めた。
とにかく、ついでになんとなく摘んでしまった漬物というよりは、ピクルス的な……まぁ、それも漬物なんだろうけど、洋風のそれだ。やたら舌に合う、そしてパンとの相性が抜群なこれを、私はどこかで食べたことがある。
割りと唐辛子的な要素の強い、すっぱ辛いスパイシーなお漬物だ。漬けてから日が浅いのか、野菜のシャキシャキ感も多分に残っている。
この手の酢漬けは持ち運びが不便なため、保存食ではあるが、冒険者の糧食としては馴染みが薄い。
私も持ち運んだりはしない。だから、どこかお店で食べたのだと思うのだが──。
「うーん……こういうのはどこでも作っていると思いますし……分からないです」
「分からないよねぇ」
はてなマークを浮かべたうちの聖女ちゃんも分からないらしい。見れば、騎士学生組も無言で頭を傾けている。
「まぁ……いいか。美味しいね」
「はい。今日も無事乗り切りましょう」
乗り切らなくてはならない。そして、諸々の問題が噴出する前に、事前に策を講じておくのが、できるお姉ちゃんのナイスな仕事ぶりというヤツだろう。
(──ちょっとパイトまで出向いてこようかな)
オークは食えない。オーガやゴブリンなんて食べたくない。コカトリスは毒を徹底的に抜けば食べられるが、万が一がある。イエティは食べられるんだろうか……ゲイザーは無理だろう。
となると、食肉の当ては限られる。第四迷宮、鳥迷宮。早めに交渉に出向く必要がありそうだ。
手配はしていると思うのだが、ガルデからは中々まとまった量が入ってこない。食の問題は放置しておけない。
誰かに任せてしまった方がいいかもしれないが、どうしたものでしょうか。