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第三話

 

 そうして神様は消えた。これぞ神と言わんばかりの神々しさで。何か聞き捨てならない台詞を残しながら。

 辺りには祠を残して何もない。泉……女神様の身体だったものが微かに波打っているだけだ。

 ……永劫?

 永劫って……永遠とは違うのだろうか。不味いことを言われた気がする。

 神との別離とか、我が身の異変とか、最期の言葉とか、色々と考えなければならないことが多い。


 とりあえずはこの上がってきた水位が問題だ。

 水が、女神様の身体だったものが、奥の祠に吸い込まれていく。

 穏やかだった流れが徐々にその勢いを増し、立ってはいられない程の勢いまで加速するのにそう時間はかからず、不味いことに水位もどんどん上がってきている。


「これひょっとして、泉の水が全部集まってきてる……?」

 あのだだっ広い泉の水が、降りてきた縦穴と横穴を通ってこの洞窟に、祠目掛けて流れ込んできている。

 どう考えても不味い。逃げ出そうにも出口からは猛烈な勢いで水が流れ込んできている。逃げ場がない。

 水中に逃げ込もうにも、あの水流は人の身体でどうこうできるような勢いでは、最早、なくなっていた。


 流れが渦巻いている。これはもう、洗濯機だ。私の末路は。

 シャツも短パンももう泥で汚れて酷い有様だし、ここは一つ、女神様のお力で綺麗にして頂こう。

 なるほど。ふざけるな! 服と一緒に私までボロ雑巾になるわ!

「ふざけっ! ゴボボッボボボボボオ」

 抗う術を持ち合わせてはいなかった。


 壁か床か、祠かに叩きつけられ跳ね飛ばされ、眠ろうにも眠れない。

 意識を手放そうにも何らかの衝撃で強制的に覚醒させられる。

 横穴を目指してみたり、壁に張り付こうとしてみたり……無駄な努力を重ねたが、本当に全て無駄に終わった。


 衣服が脱げていないのが奇跡だろう、三枚脱げればすっぽんぽんなのだ。既に耐久面はかなり怪しいところまできていると思われる。

 洞窟は水で埋め尽くされて久しい。呼吸の心配はないとはいえ、まるで終わりの見えない洗濯機の刑。

 と言うかこれは、最早洗濯機などという生易しいものではない。激流ピンボールだ。ボールは私だ。

 自身が祠に吸い込まれることがなかった為、諦めて事の推移を見守ることにしている。


 いつになったら止まるのだろう。終わるのだろう。

 強制水中遊泳に何の感慨もなくなり、自身の意思の存在を疑い始めた頃、ようやく水の勢いが落ち着き、私は祠のそばに投げ出された。

 まだ幾許か、ずるずると祠に吸われているが、ここまでくれば終わりも間近だろう。

 水が流れ込んでいるというか、スライムが這っているような感じだが……水理学に真っ向から喧嘩を売っている。今更すぎるかな。


(女神はあの時、最期に贈り物を、とか言っていた。この仕打がそれじゃないだろうな……。ここに辿り着くのを試練だとか何とか言ってた気もするし、あの野郎……)


 最早敬意の欠片も存在していない。祠を建ててあげようとか覚えていてあげようとか、考えていた私が馬鹿でした。

 そもそも、神格の引き継ぎを受けたのが間違いだったのだ。ここに至ることなきよう、何度でも陸地を目指すべきだったのだ。

 諦めたら諦めたで、探索などしなければよかったのだ。あの木の枝の、女神を死に至らしめた別の神様の意志通りに。

 棒は返さない、おうちにも帰さない。色々押し付けてきた挙句にこの水中遊泳だ。

 すっきりとした顔で消えていった女神の顔を思い出すとムカムカする。私が何をしたって言うんだ。

 負の感情が渦巻いている。当たり散らしたい。


「あああああっ! ふざけるなぁーっ!!」

 祠を蹴りつける。蹴ったところでどうなるわけでもないが、何かに当たりたかった。

「ふざけるなっ! ふざけるなっ! ふざけるなぁーっ!!」

 素足で蹴りつけたことで足から血が滲むが、知ったことではない。理屈ではなかった。

 何度も何度も。足を取られて倒れるが、それでも立ち上がってまた蹴りつけた。

「なんなんだ! もう! こんなっ! こんなっ……!」

 息が苦しい。涙が溢れてくる。久しぶりに大声を出した気がする。久しぶりに息を吸った気がする。

 久しぶりに、生きている気がする。


 散々喚き散らし床に倒れ込みながら、今なお祠に吸い込まれていく液体に手をやる。

「なんなんだよぅ、もぉ……」

 手に触れた女神の欠片は、仄かに温かかった。


 最後の一滴。《それ》が吸われた瞬間、祠から温かな光が溢れだした。

 喚き疲れて横になっていた私の視界を明るく照らす、明滅を繰り返すそれを呆然と見つめる。

 光は徐々に強く、明滅する勢いも増していく。暴力的な光量のそれから目を背けたいのだが、身体が全く言うことを聞かない。辛い。拷問かこれは。

 女神に対する呪詛が口を衝きそうになった所で光が収まり、辺り一面にほんの僅か、未だ漂っていた女神の残り香……気配も消え去った。


 祭壇があった場所には、棒が一本残されていた。


 色は女神様を感じさせる、清らかな透明に近い白色

 長さ五十から六十センチ程の、余裕を持って握り込める程度の太さの円柱。

 柄の部分は白が濃く、柄の根本から同じく白いL字型の鈎が一本伸びている。

 飾り気のない、質素な……しかし清らかで、侵し難い、神聖さが滲み出る──鈍器。


「十手……?」

 改め、十手だ。なんで十手。やっぱりここは地球? 日本?

(時代劇とかで見たことはあるけれど……あれって剣じゃないんだ。刃、付いてないよね、これ)

 丸みを帯びた棒身の部分を触れてみるも、指先が切れることはない。

 意を決して柄の部分を握り込み持ち上げてみると、それはほのかに温かく、驚く程軽かった。まるで身体の一部であるかのようにこの身に馴染んだ。

 そして身体に残っていたドロドロとした負の感情が薄れていくのを感じる。

 いつからか──おそらく最初の時、あの木の枝を握りしめた時に生まれ、私の中に根を広げ、女神様に取り上げられた時に爆発し、神格に至ってからも、女神様が少しでも薄れると鎌首をもたげて表面に現出してきた、このどす黒い感情。


(これは敵対していた神の……呪いかな)

 執着し、奪われるとヒステリックに喚き散らす。

 学生の頃もその後も、そういう人はよく見たものだった。どこにでもいたものだ。

 あの棒に対する異常な執着も、異性に対するそれときっと同種のものだったのであろう。私はあまり経験ないけれど。

 敵対していたというその神は、男神だったのかもしれない。植物系の。

 こんな物を内包していながら、無害だったからと無視していたうちの女神様の胆力には恐れ入る。これ人間相手に使ったら駄目な奴じゃん。

 女神様の御前にいながらも時々表面に出てきていたのだから。


「まぁでも、これ握ってれば問題なさそうだし……ずっと握っていれば……」

 これから私はどうすべきなのか。まだ何も決めていないけれど、常にこんなもの握り締めていたら生活に支障が出るのは火を見るよりも明らかだ。

 なんとかしたいが、なんとかなるものなのだろうか。

 試しに棒身や先端部分を身体に押し当ててみたが、特に何かが変わったようにも感じない。

「うーむ……むぅ」

 先端で頬をむにむにしてみるも、何も変わらない。

「女神様どうしよう。これ、解けるのかな」

 私の女神はもういない。解答は自身で見つけるしかない。が、そもそも既に答えは提示されていた。

(そういえばうちの女神様、最期に『私は浄化の神』だとか言ってなかったっけ。浄化と結界の、とか、そんな感じのことを)


(女神様女神様、どうかこの身に宿った呪いを御解き下さい……。駄目か、そもそも女神様はもういない、いないんだ)

 神格の授受が成った以上、うちの女神様はもうおらず、その力は私に引き継がれている。

 今の私ではどうにもならない。だけど、その内どうにかなるだろうという気がしてくる。

(女神様も言っていた、知識と修練次第でなんとかなるとか、そんな感じのことを。少なくともこれを握っていれば激情に駆られることもないだろう)

 まだ完全に消えた訳ではない。確かにこの身体には、未だ敵対神の呪いが燻っている。

 それが女神様の十手で抑えられている以上、私がすべきことは、まず知識をつけることだろう。

 神力以外にも魔力とか、色々あるようなことを言っていた。魔力があるなら魔術とかあるだろうし、創作物だとこういう呪いの類は教会で神官が解除してくれる、というのがテンプレートだ。

 自身の手でやれないのが悔しいが……手段を身につけることで自前で解除することもできるようになるかもしれない。

 いや、きっとできる。私は浄化と結界の女神様の力を継いでいるんだ。

 不安はあるが、足を止める程のものでもない。とりあえず外に出て、神官のような人を探して、解呪を頼んでみよう。それを当面の第一目標にする。


 名を失った──私の名もなき女神様。

「行って参ります。私の、愛しい女神様」

 一礼をしてその場を立ち去る。


 うっすらと明るい光を放つ、小さな洞窟。

 私と女神様の終焉の地にて、新たな私の始まりの場所。

 祠も貴方も消えてしまったけれど、ここのことは忘れません。

 貴方のことは、忘れません。私だけは、決して──。



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