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第二百八十九話

 

 一言で言い表せば荒野か。パイトの北端とカーリ南端には、国境を区切る明確な境界線が引かれているわけではない。

 酷く曖昧ではあるが、この北の荒れ地と幾分かはまともな草原地帯の姿を残している南とを、おおよその境として扱ってしまっても問題はないだろう。

「しっかし……ミキサーだね、まるで」

 魔界に異界、腐海──といった表現もできそうな、グズグズになっている一帯を改めて観察すれば、そのような感想が浮かび上がってくる。

 スムージーやジュースを作るのに使う電動式のあれ。魔物や木々といった自然に、調味料代わりの瘴気と病原菌とをぶちまけて、ヴィーン! と撹拌する。

 出来上がったのがこれだ。念入りに行えばムラのない異界になり、横着をすれば固形物混じりのキメラや森の山が残る。

 まるで赤ん坊への流動食。栄養豊富で浄化さえしてしまえば生育には大変良さそうに感じられなくもないが、味見は遠慮しておきたいところだ。

 まともな草原地帯の養分をも吸い上げて、いずれは大陸全土も飲み込んでしまうのでは──などといった妄想に支配されそうにもなる。

「龍の赤ちゃんなら、固形物でも咀嚼できそうなものだけど……」

 案外『自然破壊スル生物滅ボス』みたいな自浄作用の一環なのかもしれないが、これは誰かのために用意された餌と言われた方が納得しやすい。

 養分の流れを可視化できたところで、その行き先を追おうとは思わないけれど。


 散歩をするには最悪のロケーションではある。当てもなく一人でふらついていても退屈なので、とりあえず目的地の一つ、ヘイムの砦まで足を伸ばした。

 山の一部を刳り抜いて三層からなる防御壁を構築したような感じの、砦らしい砦。バイアルの近くにも似たようなものがあったが、ここは規模が違う。でっかい。

 パイトもガルデも南大陸の町もそうだったが、堅牢な町の外壁や城壁といったものは、その上を兵士が巡回できるようにそれなりに幅広く作られている。

 ここもそれは変わらない。更に魔法師や弓兵の避難所らしきトーチカのような雨避けが設けられているのが、平和ボケした北大陸らしからぬ代物か。

 近隣には魔物やキメラの反応もないので、この辺りは定期的に討伐隊が出ているのだろう。以前下見に来た時とは違い、今日は侵入警報らしき結界の魔法もかけられていて、それなりに厳重な警備体制が敷かれている。

(はい、警報ゲット! ……便利だな、これ)

 発生源を中心とした同心円状の境界をいくつか生成して、特定の性質を持った何かが引っかかれば術者に教えてくれる、まさに警報の結界。

 特筆すべきは燃費の良さか。待機状態での魔力消費は皆無に等しい。通知するのに大層な魔力を使うわけもない。魔物除けとは違い、来るもの拒まず去るもの追わずの姿勢だ。ついでに追っ払うモードを実装すれば、より便利になるだろう。

 欠点を挙げるとすれば、私にはまるで通用せず、やろうと思えば発生源に勘付かれずに破壊も容易な、防御機構を内包していない探知機に過ぎないというところだろうか。

 面ではなく線で探知しているのも、燃費と効果精度のトレードオフになってしまっている。

 魔力を探ることに長けていたり、対抗術式を持った魔法師なら、(ひと)種サイズでもすり抜けることは可能かもしれない。

(いじって遊びたいけど、後でだな。とりあえず責任者の人と顔合わせをしないと──)

 いきなり砦の中に姿を現すなんて軽率な真似はしない。少し手間だが距離を取って、視程の外まで移動しなくては。


 ──ギルドで発行されているギルド証というものは、この世界において冒険者や商人以外にも広く使われている身分証の一つで、ある種パスポートのそれに近い。

 大々的なものは冒険者ギルドと商業ギルド。ローカルなものだと水夫ギルドだの薬師、治癒師ギルドだのといったものもあったりする。商業ギルドよりも冒険者ギルドの証の方が同じ階級でも立場は上。

 最下級のものはともかく、ある程度階級が上がってくればそれだけで信頼の置ける人間だと判断され──逆説的に、下位の商人なぞ露天や屋台引きと変わらぬ扱いを受けたりもするわけだが──上級の物であれば各種チェック体制が激甘になるばかりではなく、相応の歓待すら期待できるわけだ。

 この不思議世界のマジックパスポート。私はその中でも最高クラスの逸品を携えている。

 なのに今、私は牢屋に入れられている。


「いや、ですから……本物なんですって」

 この紋所が目に入らないらしい。そりゃあ、知らなければご威光も何もあったものじゃない。分からない話ではない。

「そうは申されましても……我々は第一級のギルド証など見たことがありませんので、その、真偽の程が……」

 ここに来てレアキャラっぷりが仇となった。見本くらい配っておけよ! と言いたくもなるが、何せこれは加工費がアホみたいに高いアダマンタイト製だ。滅多に出没しない一級冒険者の識別のために、そんな無駄金使ったりはしないのだろう。

 学校で教えておけ! と駄々を捏ねても無駄だ。九年の義務教育はこの世界の標準ではないし、そもそも読み書きソロバンと共にギルド証なんて見せたところで何にもならないことは理解できる。少女の頃であれば、試験を明ければ即座に忘却の彼方に飛んで行ってしまう、縁遠い瑣末な情報の一つでしかない。

 アダマンタイトその物も、加工品はその辺の武具屋で当たり前のように陳列されていたりはしない。迷宮都市やヴァーリルみたいな町でもなければお目にかかったことがないなんてことは普通にあり得る。

 そもそも、高位冒険者は……普通の冒険者ももしかしたら……っていうか普通は……遠路遥々一人で走って砦まで出向いて来たりはしないわけだ。馬でも馬車でも移動用魔導具でも、この際人力車でも籠だっていい。乗ってくる。引き連れてくる。

「ガルデ王からの書状も携えてきているのですが」

「申し訳ありません、ガルデより反攻作戦が進んでいるという噂は耳に入っているのですが、その……さきだって申し上げました通り、真贋の区別が付きませんで……」

 ここに来てレアなマラソンキャラも仇となった。しかもより一層レアである王様の手紙が話をややこしくしている。

 現在私は身分の証明ができない謎の自称冒険者で、王様の手紙と言い張った書簡を片手に責任者を出せと門番に迫った怪しい女だ。

 ここにきて傍若無人モードまでもが仇となってしまったわけだ。ヘイムでは上手くいったのに。


 そう。ここはガルデではない。ヘイムでもない。カーリの東側、物資の集積所を兼ねた拠点の一つ。

 もう少し東進すれば魔導都市エイフィスや水着剣士の人の故郷、国を自称している都市なども見えてくる、国と国の中間の砦。地方の田舎の砦の一つ。

 ガルデの王都からすればヘイムは北の国境。この砦はそこから更に北東に進んだ場所にある。国内のわけがない。

 ヘイムの砦に顔を出して作戦の説明と結界石の件について助力を頼み、とりあえず近い方から片付けてしまおうと反時計回りに東進した。

 同じように責任者に話をつければ今日のお仕事は終わり。まだ見ぬお昼ご飯に思いを馳せていたら……このザマだ。槍の人達に囲まれた。

「はぁ……責任者の方はまだ戻られないのですね?」

「も、申し訳ありません。上はただ今討伐に出ておりまして……」

 知っている。何度目かのやり取りだ。暗くなるまで戻らない。


 怪しんではいる。騙りだと怪しまれてはいる。だがそれを断ずることもできずにいるこの状況が彼らの心を乱しまくっている。

 騙りならこの仕打は正当なものだが、もし私が騙りでなければここの人達にとって非常にマズイことになるであろうことは想像ができる。

 他国の使いを、一級冒険者を、反攻の神輿を、牢屋にぶち込んでいるのだから。

 私が無力な少女なら隠蔽されてしまいかねない窮地だと思う。早まって口を塞ごうとすれば己が永遠に塞がれかねないというこの状況を前に、今は大人しくしているこの猛獣がいつ暴れ出しやしないかと、心胆を寒からしめていることは伝わっている。

 だからこそ荷物は何一つ取り上げられず、下手人を処刑までの間とりあえず突っ込んでおく不衛生で雑な空間とは少し隔離された、尋問用というか……とりあえず一時的に収容しておく……なんて言うんだろうね、こういうの。適切な名詞が浮かんでこない。

 とにかく、取調室のような部屋に多くの槍の人達同伴で閉じ込められているわけだ。

 鉄格子と灰色の空間は大層居心地が悪いのだが、そこまで不衛生な部屋でもない。多少男臭く、薄暗く、空腹でご機嫌斜めなことに目を瞑れば、概ね快適であると言えなくもない。

 だが長居はごめんだ。そしていくら空腹を覚えているとはいえ、こんなところで夕食を取るのはもっとごめんだ。


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― 新着の感想 ―
[一言] どちらにしても、どういう姿形の人間が行くからと伝えていなかった者の責任は、逃れようがない失態ですね。
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