第二百八十七話
静まり返ったお庭で残心しつつ、《探査》に意識を向ける。
比較的低軌道で吹き飛んだ樽のようなドワーフは、いくつかの内門の上を越え、城壁も越え、森を越え──まではしなかったが、西側の、街道沿いの森の入り口に着地、あるいは着弾した。
世の中何が活きてくるか分からないものだ。お船でリリウムを大海原にホームランしていた経験から、城門くらいは余裕で越えるだろうと踏んでいたが……想定通りの結果が出る。
国の内部に隕石──隕ドワーフを落とすわけにはいかなかったので、リクエストもあって全力でド突いた。スタンドインではなく、場外がマスト。
こういうのは躊躇いが混ざると却って危険だ。無事に着地してくれていることを祈る。
「おい! だだだ、大丈夫なのか、あれはっ!」
バッターボックスに監督が駆け込んできた。何も監督していなかった気がするけれども。
「まぁ……大丈夫でしょう」
きっちり油断なく構えられたギースの剣鉈。その交差点を腹の上からピンポイントで突いた。
ド派手に吹き飛んだが、下から打ち上げ、しかもフルスイングしたわけではなく突いたので、衝撃はほとんど体外に突き抜けてしまっている。
きちんと身体の中心を狙い、突いた。カーブだのフォークだのといったピッチャーのなんちゃらはよく知らないが、変な回転も掛かっていなかったので、お目目ぐるぐるになることもないとは思う。
刃は下を向いていたし、身体を裂いてもいないはず。致命傷を与えた感触もない。二本の刃を盾とした。
多少切り傷ができていたり、身体にめり込んだりはしたかもしれないが……まぁ、男の傷だし、勲章ってやつだ、きっと。
「いや、しかしよ……」
「大丈夫ですよ。貴方だって無事だったではありませんか。大丈夫でない相手にこんな真似しません」
あの時とは色々と違うが、似たようなものということにしてもいい。
「あー……まぁ、そうかもしれねぇがよ……」
揃って空に視線を送ってそう一言。西日がキツくない時間でよかった。
《探査》によればまだ動いているし、生体反応も消えていない。リリウムのように華麗に着地を決めたか──未だに転がっているか。
樽だしな。樽は転がるものだ。そういうもん。大丈夫大丈夫。
それよりも、大丈夫でないのは私だ。せっかくリリウムが作ってくれたブーツ……壊れちゃった。
閾値をチェックすることもできなかった。弱めの二種掛けに足場抜き、土の地面で巨人の拳を弾く程度なら問題はないが、それ以上がまるで不明という、どうしようもないデータしか取れなかったのは痛すぎる。
弱めの二種掛けなんて普段滅多に使わないし、土の地面で戦うことはほとんどないし、巨人の近当てを相殺するなんて状況、もう二度とないと思う。本当に何の役にも立たない。頭を抱えたくなる。
特に、最後に全体重を乗せて踏み込んだ右の踵がヤバイ。空き缶を踏み潰したようになってしまった。
左はそうでもないが、次同じことをすれば右と同じ結果になりそうなくらいにはガタがきている。
ギースのお願いだったとはいえ、ちと払った対価が大き過ぎる。足首から上は新品同然なのに……。
靴の具合を確認していると、職人のリリウムがとてててーっと寄ってきた。戦闘の邪魔になるので、猫袋は彼女に預けてある。
「これはまた……綺麗に潰しましたわね。ところで、あのドワーフはご無事なので?」
「あの程度で死ぬような相手に、全力ぶつけたりしないよ」
足場に腰掛け、ブーツの編み紐を解いていく。手に取ってよくよく観察すれば、底面は罅が入り放題で、ちょっと力を込めれば崩れてしまいそうになってしまっている。右も左も多少程度の差こそあれ、それは変わらない。
「それもそうですわね」
元祖ホームランボールのリリウムは、綺麗に身体を捻って着地を決めていた。それもそうだとそれっきり興味をなくしたように隣に腰掛け、代わりにブーツに意識を向けている。
預けてあった猫袋を受け取ってサンダルを取り出して履き替え、潰れたブーツは念入りに《浄化》を施して消臭した後に手渡す。
靴の予備も用意しておいた方がいいかもしれない。いい顔されないかもしれないが、お仕事中にサンダルが壊れたら裸足になるしかない。いくら足場魔法の上で戦い続けるとはいえ、指を痛める。流石に素足は避けたい。保険は必要だ。
「いや、いいのかそれで……」
いいのだ。まぁ一応、相談くらいはするけれど。
ギースが城門へと移動を開始したことを《探査》で確認したので、神力を切って頭を切り替える。他の人達もまだ残っているし、自分だけ先に帰ってしまうような失礼な真似は流石にできない。
浮かんできた懸念を如何にして払うか。当面の不安はやはり靴になる。
靴は大事だ。冒険者は足が資本。剣の次に意識しなければならないのは、間違いなく靴だという考えは今でも変わっていない。
私の膂力に耐えられる物となると選択肢がかなり狭まる上に、その選択肢に入る多くの迷宮産魔導具を私は使うことができない。
できないのだが……すぐ近くで逸品と出会った記憶と共に、どうしてもアレのことが連想されてしまう。
パイトの中央区で売れ残っていた、埃を被った白銀のすね当て。長きに渡り私の足下を支え続けた、縁の下の力持ち。
先ほどギースに思いっきり蹴りをくれた時、実は少々痛かった。ダメージというほどのものでもないが、痛痒程度のものは残したのだ。ギースのお腹相手ならともかく、同じことを狼のお口めがけてする気には間違ってもなれない。
だがあのすね当てを履いていれば、少なくとも蹴りは常用できる。狼にガブリンチョされる心配はなく、犬歯を気にせず頭をぶち撒けることが可能だ。
だいぶ昔に、剣術か体術か──どちらかを修めるべきではないかと思案に暮れたことがあるが、やはり体術は重要なのではないかと、ここにきて改めて思い直した次第。
巨人の男は両手を使う。右手が折れても左手で殴り、その間に右手を治して殴りつけてきた。ギースだって両刀だ。右から左から致命傷が飛んでくるのは、やり辛くって仕方がない。一撃で仕留められるに越したことはないが、手数の多さは処理速度と直結する。『やらないだけ』と『できない』は全く違う。
私は右手でも左手でも十手を振るえるよう日々修練しているが、両手を使ってどうこうすることは滅多にない。
手は多い方がいい。手段は増やすに越したことない。両手を使った十手術と、足を使った体術と……体術なら左手を使ってどうこう、というのもありか。
とにかく手甲やすね当てのような物を工面し、殴ったり蹴ったりできるようにした方が──。
(いいんだろうけど……作るかなぁ、防具)
はっきり言って防具を作るのは苦手だ。トラウマを抱えていると言ってもいい。だがアダマンタイト以外の柔っちい金属に、身の守りを任せるつもりはない。
(図面を引いて、可動域をチェックして、耐久力と、重さと、重心と、噛み合わせや音にも気を配って──ああぁぁぁぁ嫌だぁぁぁ……)
無理だ。私は鍛冶師でも防具職人でもない。一つ一つ部品を拵えても、合わなかったらまたやり直し。作り直したところで、それが原因でまた他の部分に不具合が出るに決っているのだ。
一体成型できない物なんて作りたくない。不壊化させてしまえば噛み合わせをヤスリで削ってどうこうなんて不可能だし、多数のパーツを跨いで機能する術式を刻むのは頭が痛くなる。そもそも普通の金属製のすね当てなんてガチャガチャとうるさくて仕方がないではないか。認識阻害に防音を常備させれば神力の燃費も悪化するし、足音を消すだけの為に常に阻害結界を展開するなんてアホのすることだ。やってられない。
魔力に任せようにも術式が手元にはないし、そもそも構想すら練っていない。今すぐどうこうできはしない。
「はぁ……」
──どうしようもない。脱力し、隣に腰掛けているリリウムにもたれかかって頭を任せる。プラプラと揺らしている足に意識を向ければ、先程まで履いていたブーツと比べて実情はともかく、なんと薄くて頼りない代物か。
勇者の人が兜で元気になったのも分からないではない。命を乗せられる防具というものは、心の平穏を維持するのにとても効果的だ。
「どうしたのです、溜息なぞついて」
「んー……壊しちゃったなぁ、って」
凹む。耐久試験を兼ねていたのだ、壊れるのは仕方がない。仕方がないのだが……自分で壊すのと、仲間に壊されるのとでは心持ちが大違いだ。
気に入っていたのに。新品で、朝方におろしたばかりなのに。
「物は壊れるものです。いつも言っているではありませんか」
そう言って慰めてくれるが、中々に割り切れることではない。
「そうだけど……ごめんね」
せっかく作ってくれたのに。
「次こそは、あれ以上の代物を用意してみせますわ」
だから元気を出して──と励まされても、気持ちを切り替えるにはしばらくの時間を要すことになる。
「いやはや、流石に堪えたわぃ……」
擦り傷と泥に塗れたギースが戻ってきたのは、それからしばらくした後。剣鉈も、それを収めていた鞘も見当たらず、衣服もボロ布のようになってしまっている。
全身から多少出血はしているようだが、特にふらついてもいないようだし、軽い骨折や打撲以上の怪我は負っていないように見える。内臓までは分からないけれど、治癒でなんとでもなる範疇だろう。
足場から立ち上がって対面する。十手は右手に握って振れるようにはしておくが、左手で軽く蓋をして意思表示はしておく。
「ご無事で何よりです。私も装備が破損してしまいましたので、これ以上は勘弁して頂けるとありがたいのですが」
もう、やる気はありません。
「おぅ、ワシも満足したわ。空を飛ぶっつー貴重な経験もできたしの」
文句の一つや二つ、あるいはこの場で即リスタートを所望されたり、またいきなり飛びかかってくるくらいは覚悟していたのだが、まるで気にした様子も、闘志も感じられない。
それもあってサンダルに履き替えたのだ。これなら戦えなくもないが、この子はもう本当に虎の子だ。これまで壊れたら私は泣く。
それにもう身体強化の四種以上は品切れしている。本気だの全力だのと請われれば、近当てを出さなければならない。本当に勘弁して欲しい。
「ご満足頂けたのであれば幸いです。私はそろそろ出立しなければなりませんので」
「ん、なんじゃ。もう発つのか」
「下拵えに多少時間を要すものでして。また現地でお会いできることを楽しみにしています」
西方面の人達は既に順繰り発っている。東方面の人達は精鋭揃いなので、多少ゆったりでも問題ない。私の仲間達や龍狙いの拠点組もボチボチ出なければマズイとは思うのだが、お国関係も含め、その辺りはミッター君達に任せているので特に口を出していない。
到着した人材が先走っても困るので、早急に結界石の設置ツアーに向かわなければ。それが終われば私の仕事も、八割方片付いたようなものだ。