第二百八十六話
冒険者ギルドがどのような組織であるのかについて私はまるで詳しくないが、この組織は世界規模の大きなもので、おおよそ機能は統一されている。
大抵は大きな受付があり、壁際に依頼やパーティメンバー募集の掲示が貼りだされていて、応接室や会議室、それに資料室のようなものがある。
獲物の解体所が併設されていたり、そっちは商業ギルドの領分であったり民間に委託されていたり、酒場を初めとした飲食店が内包されていたりと、細かな部分の運営は地方によって異なっているようだが。
そして、大抵は裏や中といったお庭が広く設けられていて、そこで昇格試験が行えたり、暇潰しに身体を動かしたりできるようになっているわけだ。
「始める前に一つ、約束して頂きたいことがあるのですが」
応接室にいた人間は、結局全員裏庭に出てきてしまった。ちらほら職員らしき姿も見られるので、きちんと釘を刺しておく必要がある。
魔法に対する防御結界のようなものは敷かれていないが、広いは広い。吹き飛ばしても人の囲いに当たりさえしなければ、大して怪我もしないと思う。
「聞こう!」
一番手は勇者の人。豪華な細工の施された長剣に、メンバーの人から手渡された中くらいの大きさの盾。兜もしっかりとかぶった全身金属鎧スタイル。マントまで身につけているので、色合いを無視すれば、かつてのミッター君を相手取る感覚だ。
兜までかぶって防具に全身を包まれた安心感からか、先程までよりも意気揚々としている。
「一度刃を向けられれば、それが誰であっても私は必ず殺します。盗賊も騎士も貴族も神職者も一切の区別なく、例え同業者であろうとそれは変わりません。私にとって、これは鉄の掟です」
とりあえず小手は魔導具だな。ヴァーリル産かエイフィス産か、おそらく後者の物だとは思う。放出魔法の威力強化を兼ねた、防具兼用の杖といった感じの代物。この世界においては割とスタンダードな一品で、かつて女神様が似たような造りの物を壊した経験があるので、私もよく覚えている。
「その信念を曲げているのです、命を取らない立合いは今回限りとして下さい。次は絶対にありません。私が相手をしただのと大っぴらに喧伝されても困ります。野次馬を追い払いはしませんが、今日のことは職員の方々も含めて一切他言しないこと。これを心に誓約した上で残って下さい。ああ、無論──」
左腰から十手を抜き、ゆっくりと構えた。そして軽く挑発を乗せる。
「私は加減をしますが、貴方方は気兼ねなく、殺す気概でかかってきて下さって結構ですよ」
狙い通り、兜の中で勇者の人の頭が茹だってきているのを感じる。やりやすくて大変結構だ。
「……化け物かよ」
「ご存知ありませんでしたか?」
「いや、知ってはいたが……あれのどこが法術師だ、詐欺じゃねぇか……」
「その点については甚だ同感ですわ」
昔っから滅茶苦茶な方でしたが、昨今のサクラは破天荒と言いますか、最早人外と称してもいい領域に達しています。
真なる意味で人外ではあるのですが──今はその力を何一つ用いず、純粋な身体強化、それに武術のみで戦っていることは誰の目にも明らか。生半可にでも理解が及んでしまうが故に、化け物だ、などといった呟きが漏れてしまうのですけれども。
横薙ぎに振られた長剣を難なく逸し、剣身を弾いて剣を取り落とさせ、首筋に棒を突きつける。それで終わりとはならなかったようで、続けて力の限り振り下ろされた咆哮混じりの唐竹割りを顔色一つ変えずに鈎で受け止めて力比べ。それなりに鋭い突きの猛攻、その全てを棒の先端で弾いて相殺する。器用なことに、互いの体勢を崩さないよう、威力を絞ってらっしゃるようで。
合間合間に襲い来る氷の放出魔法なぞ、一部を除いていなしてすらいません。全て着弾点を読み切って回避しています。
派手な打撃やその根幹を成している膂力に目が行きがちではありますが、彼女の本領はむしろこの器用さ、巧妙な制御能力にあるのではないでしょうか。
身体強化もわたくしと同じ二つ止めのようですが……まだあの上があることを、ガルデのギルドマスターはご存知なのかしら。
「今日は使っていないのね。あの敷物」
「そのようだ、あれは道具ではなく手業の術法だったよな。──靴か? 何やら具合を確かめているような動きをしている」
魔法師共々、中々に鋭い着眼点ですこと。伊達にギルドの長など務めてはいないということでしょう。
「ま、参った……僕の負けだ……」
「はい、お疲れさまでした。次の方どうぞ」
腕を回しながらいい笑顔で歩を進めた巨人の男と入れ替えに、ヘトヘトになった剣士の男が戻ってきました。息も絶え絶えに兜を脱ぎ捨て、すぐ近くでお仲間に頭から水を掛けられています。
当初は訓練所の外周を覆うようにして散っていた観客が一纏めになっているのは、乱射された氷の放出魔法が、この周囲にのみ着弾していないから。
非戦闘員が多い区画に飛んでくる飛び道具のみを意図して弾いていたことは、少し見ていれば誰にだって分かること。
ただの戦闘狂とは違い、あれで結構周囲のことを気にかけているのです。
「遊ばれておったのぉ、小僧」
「分かっている……実戦なら、初撃を合わせる前に殺されていた」
観客狙いの氷弾の嵐に意識を向けさせたところで果敢に突進を決めたのは、ある意味で覚悟を決めたいい動きであったと評価してもよいのかもしれませんが、会心の一振りを素手で止められるとは予想だにしていなかったことでしょう。相手が悪かったとしか言いようがありませんね。
「あら、冷静ですこと」
「僕だってここまでやってきたんだ、それくらいは分かるさ。正直、舐めていた。そして情けをかけられた」
「そう気を落とすでない。あ奴とお前さんでは、潜った修羅場の質も数も天地の開きよ。付き合いの良さに感謝して、今後も精々精進することじゃ」
それにしても、愉快そうに笑っているドワーフの御老人。この方は一体……何者なのでしょうか。
対人戦を殊更嫌うサクラが、この方に請われた途端に素直になりました。誰かに名乗っているところを見たのも、仲間以外の名前を呼んでいるのも、わたくしは初めての経験ですし……謎ですわね。
「自覚がある分、救いようはありますわ。精進なさい」
興味が湧いてきました、後で尋ねてみましょう。秘密のお話なら、あそこで態度を変えたりしなかったはずです──。
「──ふぅむ。うむ! 俺の負けだ! ガッハッハッハ!」
「……お疲れさまでした。あの、大丈夫ですか?」
「心配無用だ! ガッハッハッハ!」
それほど長いこと戦っていたわけではないと思うのだが、恐ろしく濃い時間が過ぎ去った。
この巨人はイカレてる。掌打に合わせて手首は折った。軽く飛び上がって肘も折った。肩だって折ってやった。片腕ではない、両腕をだ。
もちろん視線の高さに鎮座している急所──は避けて、足だって脛も腿も狙える隙に躊躇なく突いたし、それらの余波で胴体の細かい骨もバッキバキになっていたと思う。
それも一度や二度のことではない。何度も折った。折りまくった。折った端から──こいつは治癒魔法で治してしまうわけだけど。
モンクとか言ったと思う。神殿系に所属する、拳闘士のような人達。聖騎士や癒し系わんこの素手バージョン。骨が変な繋がり方をしていないというのならば、余程訓練を積んでいるのか……あるいはこれが日常なのか。
ただタフなだけならば精神を磨り減らすこともなく、身体が温まった頃に顎パンチで意識を刈り取って、それで終わりにできたのだが──参ったことに、近当てを使ってきたのだ、こいつは。
私は十手を通しているので被ダメージはゼロ。リスクなど皆無なので常用することができているわけだが、本来これは身体を蝕む欠陥技術。格好良い表現をすれば、奥の手の一つと言えなくもないけれども。
素手で全力を出せば私だって拳から血が吹き出し、骨は飛び出てバッキバキになる。ハイエルフの全身身体強化抜きで試せば、下手したら肩から腕がもげるかもしれない。
反動の抑制面に力を全振りすれば、弱めのそれを低リスクで行使することはできるのだが……習得からここまで、出番は一度もない。
それをこの脳筋は腕が折れようが肉が捻れようがまるで気にすることなく、身体が丈夫なことを良いことに常に全力で叩き込んでくる。しかもタッパを活かして上から打ち下ろしてくる。落石のような乱打の嵐、まともに受ければ私はミンチだ。
足を使ったフットワークを交えていたのは最初だけ。足を止めての叩き合いを言外に希望され、延々と、とてもとても楽しそうな満面の笑顔で拳を振るわれ続けたので、途中で止める気にはなれず、結局最後まで付き合ってしまった。
近当てに限らず衝撃波の類は《結界》を使わねば阻めないので、仕方なく相殺出来る程度の近当てで弾き返し続け、彼の魔力が尽きそうになった辺りで立合いは終了。最後の治癒を施すのに必要な魔力が足りていなかったようで、今はタコのようになった指と腕とをだらんと伸ばし、地面に仰向けに倒れこんでいる。
血飛沫を散らしながらも嬉々として殴打を止めない姿は、不気味の一言に尽きたのだが……今は何と言うか、一人で物凄く満足そうな、子供のような笑顔をお空に向けている。
その笑顔に私は弱い。全部許したくなってくる。
まぁ……いいか。近当てと打ち合うのはいい経験になった。
「お前等よぉ……壊すなって言っただろうが……」
「不可抗力です」
周囲の惨状を目にして、ギルマスのおっさんが頭を抱えている。度重なる衝撃波と衝撃波の衝突により、まぁ──うん。わたしわるくないもん。
窓がガラスじゃなくてよかったね。
数人の男手によって引きずられていき、待機していた治癒師によって治療を受けている巨人を横目に、身体を解しているギースの準備を待つ。
観客が一塊になってくれたお陰で流れ弾を心配する必要はなくなったが、もう出番はないと思うので散ってくれても構わない。
エルフの男の弓とか、『地爆』の占い師の放出魔法とか、少し受けてみたい気はするのだが……殺し合いでもないのに後衛に十手を向けるのは気が引ける。
それ以前に、これ以上ギルドを壊すとギルマスの胃が死にそうなので、城門の外でだな。仮にやるとするならば。
最近ご無沙汰だったし、投擲される訓練もそのうち再開しよう。仲間全員に囲まれてフルボッコにされてみたい。
「──シッ!」
何気なく辺りを見渡して回り、ドワーフが若干死角に入ったところで、装備の具合を確認していたはずのギースがいきなり飛び掛ってきた。
不意打ち──のようで、不意打ちになっていない。先程からビンビンに闘気というか、殺気というか、そういうやる気満々の意志を強く強く感じ取っている。そんな中で警戒を解いてのほほんとお茶を飲んでいられるほど、私の頭はお花畑ではない。
慌てることなく、交差状態から振り広げられようとした二振りの剣鉈を、それが開ききる前に十手の棒身で二本まとめて押さえて受け止める。やってやったが、ここで足を止めてくれる人ではないことを、私はよく知っている。
剪定バサミで枝を切るような動きで十手を固め、重心を前倒しにしながら無理やり膂力で胴を開かせにくる。左右の動きに付き合えば空いた腕から剣鉈が伸びてくることは明白で、下がって距離を取ろうものなら二本まとめて迫ってくるわけだ。初速の差はきっと埋められない。
私は騎士でも兵士でもない。騎士道精神なんてお行儀の良い心得を教わったことも、殺傷対象に礼を尽くす武人のなんちゃらを仕込まれたこともない。なので刹那も躊躇わずに、左足で彼の胴体を蹴りつけた。
「手慣れておるの」
根を張ったように、などというのは比喩だ。樽のような体躯をしていても人は地面に張り付けはしない。体重が百キロだろうが二百キロあろうが、蹴り上げれば浮く。浮けば飛びゆく。
壁に突っ込んで大穴を開ける……とまではいかなかったが。幾らか距離を稼いだ辺りで綺麗に着地され、ここでようやく対面する。
浅かったか──とでも漏らせば漫画のバトルシーンそのものの一場面を再現できたのだが。自重なく全力で蹴飛ばすべきだっただろうか。
「実戦主義ですので」
哲学的なお話ではなく、単に現場の叩き上げというだけの話。だがこういう表現をするとちょっとだけ格好良い。頭が良く見える。
戦いの最中に構えは解かない。右肩を心なし前に、左足をわずかに引き、十手は下段に。普段は一貫して下向きにしているお気に入りの鈎は、今回は上向きに。
身長が違う。質量が違う。タックルのように下から飛び込まれると、容易く体勢を崩される。
魔物相手ではこんな戦い方はしないが、これは対人戦だ。徹底的に跳ね上げる、下にはもう二度と入れない。
踏み込みの浅さがどれほど威力の低減に繋がるのかを、私はとても良く知っている。
──いくらかの応酬が続いた。
剣鉈を振るわれそれを弾き、十手を突けば反らされる。
手も足も出る。肩も出る。経験の差か、絶対に入れないと決めたはずの懐に何度も入られ、その都度肝を冷やした。
ギースは緩急の付け方がとにかく上手い。常に最速というわけではなく、速度差を利用してこちらの秤を狂わせにくる。
膂力もそうだ。鍔競り合いに付き合うと、いいように手玉に取られて次の瞬間にでも首が飛ぶイメージが、何度となく脳裏を過ぎるようになる。
それでも一方的にやられているわけではない。ないのだが……やはり、まだこの辺りの経験値は彼の方がだいぶ上手だ。ソフィアの動きを見て双剣の戦いを理解したつもりになっていた己を恥じなければならない。格が違う。
片方の剣鉈引っ掴んで封じてしまえば楽になるのだが、《結界》の控えなしにそんなことをすれば、自分の指か手首とお別れを言わねばならなくなる。
普通に戦っていても埒が明かない。だが今は、普通に戦うべき状況だ。どうしたもんかね。
「──参りました。私の負けです」
どうしようもない。手が尽きた。万策までは尽きていないが、これ以上は人間相手にぶつけていい領域を逸脱する。
身体強化は二種まで、膂力は抑えて足場魔法はなし。近当ても巨人の男との相殺合戦に使用したのみで、《浄化》も技法も《結界》もなし。デコピンなどの小技の類も大半の使用を律した。
「なんじゃ、もう終いか」
「これ以上は殺し合いになってしまいますから。立合いでお見せできるのはここまでです」
「理はあるがの。……まぁ良い。最後におい、試しに全力で一撃ぶつけてみぃ」
いやですから、これ以上はマズイのです。今回必要以上に膂力を抑えている最たる理由は、その剣鉈にある。
「……折れますよ? 当たりどころによっては即死です」
「何を言う、既にガタがきとるわい。こいつらはもう寿命じゃ」
ギースの獲物は普通の合金製。音の感じからして、ヴァーリルで広く用いられている物だ。それなりに良い品ではあるのだが、業物でもなんでもない。
ギースともあれば予備の一振り二振り用意はしているであろうが、大仕事を控えた今、それを無駄に消費していいとも思えない。
思えないのだが……ギースがやれと言うのだ。全力を見せてみろと。
「全力とおっしゃいますと──どの程度まで」
「全力は全力じゃ。ワシはそこの巨人よりもよっぽど頑丈、そう簡単に死にゃせんし、仮に死んでも恨みはせん。ほれほれ、はよせい」
なんでこう男ってやつは、こうも楽しそうに命を賭けるんだろうか。こんなところで大怪我したら大損だろうに。
なんでこう男ってやつは……母性をくすぐる笑顔を向けてくるんだろうか。
その笑顔に、私は弱い。
「──恨まないで下さいね」
「おぅおぅ! よしこい!」
なんでこう、今際の際となりかねないこんな時まで、笑っていられるんだろうか。苦笑と共に溜息が出る。
王都の地図を《探査》に浮かべる。幸いなことにすぐそこは大通りだ、大通りを通せば、家屋をドミノ倒しのように吹き飛ばす恐れは少ない。
多少人を巻き込むかもしれないが──いや、浮かすか。着弾地点に人が居合わせたらごめんなさいだけど……それも無責任だな。
先日『樽』の運用試験の際、検証用に若干仕入れてきた瘴気と灰色がまだ残っている。一撃だけなら保つだろう。
気力の身体強化を全力で。ハイエルフの魔力身体強化を全力で。ドワーフの魔力身体強化も全力だ。
鈎を下向きに十手を持ち替え、左肩を前に、右半身を引く。思いっきり腕を振りぬく正拳突きスタイル。
腕だけではなく、腰の捻りを使って肩で殴るようにする。かつてギースが教えてくれた。
今の私は、その目玉を潰せる。
神力による身体強化の四種目と五種目を発現させると同時に文字通りに全力で突っ込み、自分のみならずギースの足下にも《結界》で足場を作って、目線を合わせた。
これは最早、生物に反応できるような速度でも、受け止められるような暴威でもない。デコピンまで込めた渾身の一撃を振り抜いた後、ヒゲのないドワーフの姿はどこにも見つけることができなかった。